笠原一輝のユビキタス情報局

ルノーF1とHPワークステーションの“良い関係”とは



 以前このコラムで、レノボとマクラーレンF1チームの関係について紹介したが、F1への取り組みという意味でレノボに負けず劣らずの取り組みをしているIT系の企業がある。それがHP(Hewlett-Packard)だ。HPは、PCのみならず、PCワークステーション、PCサーバー、プリンタ、ネットワーク機器など、ほとんどすべての領域のIT関連の製品を提供するベンダーで、コンシューマユーザーにはノートPCやデスクトップPCのメーカーとして認知されているのではないだろうか。

 そのHPがF1の世界で協業しているのがルノーF1チームだ。HPではルノーF1チームのサポートを昨年(2009年)から開始しており、昨年はテクニカルパートナーとして、そして今年は車体にロゴが貼られるスポンサーとしての活動も開始しており、両社の関係はより深くなっている。

 今回そのルノーF1チームからITマネージャのマイケル・テイラー氏が来日し、ルノーF1チームにおけるITの利用方法についての記者会見が行なわれたので、その時の模様を交えながらルノーF1チームにおいてHPの製品がどのように活用されているのかを紹介していこう。

●HPのF1への取り組みは長い歴史、ルノーF1との関係は2009年からスタート
2001年型ウィリアムズFW23の模型。サイドポンツーンとリアウイングにCompaqのロゴが貼られていることがわかる

 HPとF1への関係は、実は結構長い。HPがF1に初めて関係したのは、2000年に現在のHPの前身であるCompaq Computer(2001年にHPと合併し、新生HPとなった。現在のCompaqはHPのサブブランド)が、BMW・ウイリアムズF1チーム(当時)にスポンサードを開始してからだ。その後HPとCompaqが合併したため、ブランドはHPへと変更されながらスポンサードは2005年シーズンまで続くことになった。その後数年間の空白期間を経て、再びHPがF1シーンに登場したのは2009年で、現在も続くルノーF1チームとのオフィシャルサプライヤーとしての契約を発表、今年の初めに2010年~11年までの2年間のスポンサー契約が結ばれ、現在に至っている。

 HPがパートナーを組むルノーF1チームの歴史は、近代F1の歴史と言い換えても過言ではない。1977年にF1チームとして初めてターボチャージャ(エンジンに取り付ける過給器のこと、取り付けるとより多くの馬力を引き出すことが可能になる)がついたエンジンを持ち込んだのがルノーF1チームで、常に新しいテクノロジーへの挑戦者となっている。その後ルノーF1チームのワークスチームは1985年に撤退したが、ルノー自体はエンジンサプライヤーとして活動し、1990年代にはエンジンサプライヤーとして5つのドライバーチャンピオンシップと6つのコンストラクターズチャンピオンシップを獲得するなど大活躍を遂げた。

ルノーF1チームの2010年型F1マシンのRS30。HPのロゴはエンジンカウルという“最も価値があり、料金が高い場所”につけられている

 近代のルノーF1チームが復活したのは2002年のことだ。前年までベネトンF1として活躍していたチームを買収し、新たにルノーF1チームとしてエンジンも、シャシーもルノーという新生チームが誕生したのだ。ルノーF1チームのハイライトは、2005年と2006年で、現フェラーリのフェルナンド・アロンソ選手とともに、ドライバー/コンストラクターズの両チャンピオンシップを獲得したのだ。

 そして2010年にはチームの株式の大半が、ルクセンブルクの投資会社であるジニ・キャピタルに売却され、新生ルノーF1チームとして参戦することになった。ドライバーはポーランドのロバート・クビサ選手とロシアのヴィタリー・ペトロフ選手の2人。特にクビサ選手は大活躍で3回も表彰台(F1では3位までが表彰台で表彰される仕組み)に上り、ドライバーランキングで8位になるなどして、ルノーF1チームは今年のコンストラクターズ選手権を5位で終え、昨年の8位から大躍進を遂げたのだった。

●HPのサーバーによりCFDとバーチャルカーによるシミュレーションを実施

 以前のレノボとマクラーレンF1の例でも紹介したとおり、現代のF1はITとは切っても切れない関係にある。F1では日常的にITの利用が進んでおり、かつその重要性は日々増しているという。ルノーF1チーム ITマネージャのマイケル・テイラー氏は「2008年の世界的な景気後退に端を発して、F1でも経費削減が重要視されるようになり、経費の総額制が導入された。これにより、F1でもITのイノベーションによる効率改善が重要視されるようになっている」と、F1におけるITへの注目度が日々上がっていることを説明する。

 例えば、従来であれば空力デバイスを改善するのに、“天才デザイナー”と呼ばれる一部のエンジニアが思いついた新しい空力デバイスのモデルを作成し、それを風洞実験室と呼ばれる空気の流れを調べることができる施設に持ち込んでテストしていた。この手法だと、当たり外れも大きいし、より効率を上げて行くには多大なコストがかかるフルスケールの風洞実験室を建設しそれを維持していかなければならないため、コストはうなぎ登りに増えてしまっていたのだ。

 そこで、現在のF1ではCFD(Computational Fluid Dynamics、コンピュータ演算による流体力学)を利用したシミュレーションを行ない、それにより作られたモデルを風洞に持ち込むようになっている。CFDでシミュレーションすることにより、風洞に持ち込む前にある程度当たり外れを判別することができるようになり、コスト削減に大幅に役立っているのだ。

 ただし、CFDによる演算能力は、各チームのHPCサーバーの処理能力に依存することになる。このため、現代のF1ではこのHPCサーバーの演算能力を効率よく上げていくことが重要視されており、それらを見込んで、ITベンダーとのオフィシャルサプライヤー契約なりスポンサー契約が結ばれることになるのだ。ルノーF1もその例外ではなく、チームの本拠地があるイギリスのエンストンにはHPからHPCサーバーが提供されており、「39TFLOPSの演算能力がCFDのために利用されている」(テイラー氏)と、単なるスポンサー契約ではなく、“演算能力の現物支給”により、“効率”を改善していくことでチームの競争力を上げていくという取り組みが行なわれているのだ。

 シミュレーションは空力だけでなく、バーチャルカーを利用した“テスト走行”もHPCサーバーを利用して行なわれている。2009年以降、F1ではシーズン中のテスト走行は基本的に禁止になった。このため、新しいパーツを作ったときには、GPウィークエンドのうち金曜日に3時間行なわれるフリー走行の時間でテストしたあとで実戦投入となる。金曜日のテストの段階でどれだけ“当たり”のデバイスを投入できるかどうかが、勝負の分かれ目となる。このため、「金曜日のテストの前にコンピュータ上のバーチャルカーを利用して、新しいパーツがどの程度影響があるのかをバーチャルにテストする」(テイラー氏)とまずはバーチャルカーでテストし、その結果が良好なパーツを金曜日のテストセッションに導入するのだ。

 実際、今年のルノーF1は、新しいアップグレードパーツの投入が成功することが多く、シーズン後半になればなるほど戦闘力を増していったという背景がある。例えば、今年はFダクト・ウイングと呼ばれる新しい形の空力デバイスを最初にマクラーレンが導入し、それを各チームがフォローしたが、最終戦の段階で最もFダクト・ウイングが効率よく動作していたチームの1つとしてあげられていたのがルノーF1だった。

 その何よりの証明が、先日行なわれた最終戦において、ルノーF1のペトロフ選手が、チャンピオン争いをしていたフェラーリのアロンソ選手を最終ラップまで完璧に押さえ込んだことだ。Fダクト・ウイングの効率は、直線速度に大きな影響を与えるが、これが上手く作動していたペトロフ選手は直線でアロンソ選手を引き離していき、追い抜く隙を与えなかったのだ。これにより、アロンソ選手はチャンピオン獲得の条件である4位に届かない7位に終わり、同じルノーエンジンを利用するレッドブルレーシングのセバスチャン・ベッテル選手がドライバーチャンピオンを大逆転で獲得することに大きな貢献を果たしたのだ。

HPからルノーF1チームに提供されているHPCサーバー(写真提供:HP)ルノーF1チーム ITマネージャ マイケル・テイラー氏

●UNIXをWindowsベースのワークステーションのリプレースして効率改善

 ルノーF1とHPとの関係はHPCサーバーだけではない。クライアントとなるPCワークステーションやノートブックPCのエリアでも、HPはルノーF1と協力している。というのも、CFDやバーチャルカーによるシミュレーションなどは、HPCサーバーを利用して演算するのだが、エンジニアがその操作を行なうクライアントは別途必要になるからだ。

 テイラー氏によれば、ルノーF1でもこの分野のワークステーションはUNIXベースのシステムを利用していたのだという。「我々は2008年までUNIXワークステーションを利用していた。それをHPのWindowsベースのワークステーションであるXW6600とXW8600のワークステーションに置き換えたところ、大幅に効率が向上した。Windowsベースのワークステーションのメリットは最新のハードウェアが利用できること。最新のCPU、GPUなどがいち早く利用できる」とのことで、Windowsベースのワークステーションに置き換えたことに非常に満足していると語っている。テイラー氏によれば、20%以上の処理能力の向上、30%の効率改善により電気コストの低下など大きな効果があったのだという。

 現在のところルノーF1では、HPからデスクトップ、モバイル、それぞれのタイプのワークステーションが供給されており、日々の開発や実際のレーストラックなどで利用されているという。

【表1】ルノーF1で利用されているHP製品
利用する場所利用されている製品
設計オフィスZシリーズワークステーション+ZRモニター
製造オフィスZシリーズワークステーション+ZRモニター、端末エミュレータ
サーキットZシリーズワークステーション+ZRモニター、モバイルワークステーション

 テイラー氏によれば「2010年にワークステーションをリフレッシュした。Z600をM-CATなどに利用して、Z800をCFDなどの用途に利用している。さらにサーキットの現場ではモバイルワークステーションが45台使われており、F1カーに取り付けられたセンサーのモニタリングやピットストップ戦略のシミュレーションなどを行なっている」とのことで、複数のHPのワークステーションが利用されているのだという。

サーキットの現場ではモバイルワークステーションが利用されている。単体型GPUが搭載されていることで、さまざまなシミュレーションなどにも他チームの一般的なノートPCと比べても効率がよいという(写真提供:HP)ルノーF1チームのサーキットでのモニタールーム。モバイルワークステーションが端末として利用されている(写真提供:HP)

●新しいZシリーズの導入でオフィス全体で18%も騒音削減に貢献

 HPのワークステーションはZシリーズと呼ばれるデスクトップ型とモバイルワークステーションと呼ばれるノートブック型の2つのシリーズがラインナップされている。エンストンにあるルノーF1のファクトリーではZ600、Z800という2つのZシリーズのワークステーションが活用されている。

 「我々のファクトリーには300台のワークステーションが稼働している。昨年から今年に新しいZシリーズのワークステーションに置き換えることで41%の処理能力の向上が実現され、30%の効率が改善された。さらにZシリーズでは、水冷が採用されておりオフィスでのノイズも削減された」(テイラー氏)と、その効果の大きさを語った。

 HP ワークステーション事業部 市場開発部長 マイク・マクグローリー氏は「新しいZシリーズでは、水冷方式を採用したほか、内部構造も研究し空気の流れそのものも改善している」と、騒音レベルが大幅に改善されているとアピールした。テイラー氏によれば、騒音削減の効果はオフィス全体で18%の騒音が削減されたとのことで、オフィス全体の騒音削減に大いに役立っているとのことだった。

HPのZ800。CPUにXeonプロセッサ E5000シリーズ(Westmereコア)を採用しているほか、NVIDIAのQuadroシリーズないしはAMD FireProシリーズをGPUとして選択可能Z800ではプロセッサの冷却は水冷方式を採用しており、騒音削減に大きな効果がある(写真提供:HP)

●双方にメリットがあるパートナー関係、今後も“効率改善”に向けてパートナーシップを深める

 このように、HPとルノーF1チームの関係は非常に多岐にわたっており、またその効果も公開された数字からも明らかなようにルノーF1チームにとって大きな効果があるものとなっている。

 すでに述べたとおり、現在F1の世界でもコスト削減は急務になっており、各F1チームはチームの従業員を減らすなどリストラの最中だ。しかし、それでも他チームとの競争を勝ち抜き、少しでも速い車を作るには、テイラー氏のいうとおり“効率”をあげていくしかない。例えば、同じ電気代と土地代という決まっているコストの中で、よりよい空力デバイスを開発して行くには、より効率の高いプロセッサを利用したりという競争が今後も続いていくことになるだろう。今のところ、F1チームはHPCのエリアでGPGPUの利用などは進めていないようだが、今後はより効率を上げていくためにそうした方向性も求められてくるのではないだろうか。

 そうした時に、HPのような総合メーカーとパートナーシップを結んでいることはルノーF1チームにとって大きな利益になる可能性がある。実際、HPはワークステーションのオプションとして、NVIDIAのQuadroシリーズやAMDのFireProシリーズを選択肢として提供しているほか、HPCサーバーのオプションとしてNVIDIAのTeslaを用意している。今後はそうした選択肢を利用することで、同じ予算の範囲内で他チームよりも演算能力を向上させ、開発能力で差をつけることが可能になると言える。

 ルノーF1チームのテイラー氏は「HPとの契約は非常に戦略的なものだ」と述べていたが、そうした背景を考えれば決してお世辞というものでなく、ルノーF1チームにとっては自車のパフォーマンスを向上することができ、HPとしてはその事例を顧客にアピールすることができる、という意味で双方にとってメリットがあるパートナーシップと言えるのではないだろうか。

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(2010年 11月 25日)

[Text by 笠原 一輝]