■多和田新也のニューアイテム診断室■
紙に書いた内容をデジタルデータとして利用することに対するニーズは根強いようで、長きに渡ってデジタルペンなどの製品が発売され続けている。そのジャンルの新製品としてワコムが8月30日に発表したデジタルペンが「Inkling」だ。当初9月下旬としていた発売日が、年内発売予定に延期されたのが少々残念だが、この製品を早々に試用する機会を得たので、特徴や使用感などをレポートしたい。
●MVpen方式に筆圧検知などの付加価値「Inkling」 |
Inklingは紙にペンで書いた内容をデジタル化するデジタルペンの一種だ。デジタルペンには大きく分けて2種類の方式がある。
1つはアノト方式と呼ばれるもので、独自パターンが薄く印刷された専用の用紙を用いるものだ。ペンに埋め込まれたセンサーが紙上のパターンを読み取ることでペンの動きを検知しデジタルデータとして記録してくれる。この方式はペンと紙だけで使えるのが大きな利点だが、専用用紙が必要である点がネックといえる。
もう1つは超音波を用いてペンの動きを読み取る方式だ。日本ではMVPen Technologiesの「MVPen」やぺんてるの「airpen」などが有名だ。これらは、ビジネスパーソンを中心に個人ユーザへの訴求を展開したこともありご存じの方も多いだろう。この方式はペンと本体ユニットのセットで使うもので、超音波と赤外線を利用してペンの動きを読み取り、デジタルデータとして記録する。本体ユニットを紙に置かなければならないが、紙を問わず利用できるのが大きな利点だ。
このほかに、電磁誘導式やタブレット方式と呼ばれる、タブレットデバイスの上に紙を置いて利用するものもデジタルペンの一種といえる。こちらもタブレットデバイスやペンは専用のものを利用するが、紙は問わない。
手書きメモのデジタル化という観点でいえば、旧来的なスキャナを用いる方法や、紙をデジタルカメラで記録し遠近感の補正を行なうことでデジタルデータ化する人もいるだろう。キングジムが発売した「ショットノート」やコクヨの「キャミアップ」は、後者の使い勝手を追求したものといえる。
スキャナやデジタルカメラでの記録はデジタルペンとは一線を画すが、紙に記録した内容をデジタル化したいというニーズの高さを感じさせる例とはいえるだろう。こうした製品に独自の付加価値を加えて製品化しているのが、ワコムの「Inkling」である。
Inklingの基本的な仕組みはMVPenに近く、専用ペンの動きを超音波と赤外線を用いてレシーバ(本体ユニット)で記録していく。ここに、筆圧検知とレイヤー機能を加えたのがInklingの面白いところだ。前者は紙に書いた際の筆圧を1,024段階で検知し記録しておくもの。後者は紙への記載中にレシーバのボタンを押すことで、同じ紙に書いた内容もレイヤーを切り替えて記録しておくものだ。この2つの機能については、実際の使用感を後述したい。
●充電ユニットによりワンセットで持ち運べるInklingのパッケージ内容はペンおよびレシーバ、そして充電ユニットと呼ばれるものだ(写真1)。この充電ユニットはよく出来ていて、レシーバとペンの両方を同時に充電可能で、かつレシーバ、ペン、替え芯のすべてを収納できるようになっている(写真2~4)。つまり、紙以外に必要なものは、この充電ユニットにすべて収納しておくことができるのだ。充電ユニットは173×63×25mm(幅×奥行き×高さ)と、筆箱やメガネケースより少々長辺が長い程度のサイズに収まっており、カバン等に収納するのに違和感はない。この方式のデジタルペンの場合、どうしてもレシーバとペンという2つのデバイスを携行し、それぞれに充電作業を行なわなければならないわけだが、それをうまく1つのユニットに収めたことは好印象を受ける。
充電はUSB経由で行なう。充電ユニットにMini-USBが1ポート備わっており、この1ポートを接続するだけでレシーバとペンの両方を充電できる。付属のケーブルも充電ユニットに収納可能だ。
ペンは全長153mm。やや大きめのボールペンといった印象だ(写真5~8)。ペン上部にニッケル水素充電池が入っていることもあり、やや重心が上に寄っているが、使いにくいほどのバランスの悪さではない。むしろペン先付近が持ちにくいデザインになっていることのほうが、ペンの持ち方によっては書きづらさを感じるかも知れない。これはおそらくレシーバとの通信を手で遮断しないよう、あえてペンの先のほうを持てないようにしているものと思われる。これは技術上いたしかたない。
ちなみにペンの充電は、ペンクリップ状(実際にクリップにはなっていない)の部分の金属端子を備えており、このクリップ状の部分がガイドレールとなって、正しく接触する仕組みになっている(写真9~10)。
リフィル(替え芯)も4本が付属しており、充電ユニットに収納されている(写真11)。リフィルのラベルからISO 12757-2に準拠したものであることが分かる。試していないので断定はできないが、いわゆるゼブラ4C互換品なども使える可能性があり、リフィルの入手性で困ることはないだろう。ちなみにワコムからも替え芯がオプション品として発売される。
レシーバは71×32×16mm(同)(写真12~14)。初期のMVPenをご存じの方は、そのサイズをイメージすれば近い。上部には2つのスイッチと、PCとの接続や充電にMini-USB端子を備えている。充電ユニットとの接続もMini-USB端子が使われており、充電ユニットにスライドして装着する格好となる(写真15~16)。当然ながら利用に際してはMini-USBからUSB端子への変換をする必要があり、付属ケーブルを充電ユニットに収納して携行しやすくしていることには、この点からも意義があるといえる。ちなみに、充電ユニットに装着した状態でPCに接続してもデータの転送は可能だ。
レシーバには紙を留めるクリップも備わっている(写真17)。仕様の上では約10枚までとされており、実際、それほど多くの枚数を挟むことはできない。薄手の紙なら10枚を超える枚数も装着可能だが、無理に挟むと浮き上がりも大きくなるので、一般的な厚さの紙で10枚という公称値はよい目安だと思う。挟める枚数が多いとは言い難いのも事実で、例えば台紙になるような厚紙を挟み、持ち歩いてメモを取るといった場合は少ない枚数に限られる。基本的には机などのしっかりした台の上で利用することのがメインの使い方になるだろう。
●デジタルペンや付属ソフトの使い勝手を確認
Inklingは、レシーバ側にフラッシュメモリを内蔵しており、記録したデータはそこへ記録され、USBでPCに接続して取り込むことになる。レシーバはPCに接続するとUSB複合デバイスとして認識され、リムーバブルメディアの領域が1ドライブ認識される。このリムーバブルメディア領域内に記録されたデータが保存されるのだが、付属アプリケーションやドキュメントもここに用意されている(画面1、2)。逆にいえば、利用に際してはまず、この付属アプリケーションをインストールする必要がある。
付属のアプリケーションは「Inkling Sketch Manager」と呼ばれるもの。インストール後は、レシーバ装着を認識した段階で自動起動するようになる。このアプリケーション上からは、レシーバに記録されているデータの閲覧、エクスポート、レイヤーの管理のほか、使用用紙やペンに関する各種設定の設定なども行なえる(画面3~8)。
データはWPIという独自のベクタ形式で記録されている。Inkling Sketch Managerでレイヤー等を編集するとWACという拡張子の形式で記録されており、Inkling Sketch Manager上で操作を行なう場合は、この2つの形式を使うことになる。このほかに、SVG/PDF/PNG/BMP/TIFF/JPGへの出力も可能だ。SVGとPDFの場合、レイヤーの情報は失われるがベクター形式で出力される。また、Adobe Photoshop/Illustrator、Autodesk SkechBook Pro/Designerへはレイヤーの情報を引き継いだままエクスポートできる。この4種類のアプリケーションがインストールされた環境であれば、Inkling Sketch Managerのツールバーに、各アプリケーションのアイコンが表示され、エクスポートできるようになる。
用紙設定では、用紙サイズや向き、レシーバを置く位置を指定する。ここで指定した用紙サイズや向きは、アプリケーション上の表示にも反映される。ちなみにA4用紙を縦、横それぞれに利用し、紙の端の認識がどのようになっているかを確認した結果が画面9と画面10だ。プリンタの設定を呼び出す画面やアプリケーション上に余白の指定は用意されていないが、アプリケーション上で紙の端いっぱいまで利用されることはなかった。余白はおおよそ1~1.5cmといったところである。
一方、ペンの設定はペン先のポールの直径の設定や、クリックの閾値などを指定できる。後に示すサンプルで、筆者のペンの動きのクセが出ていることが分かると思う。とくに線の末端部分で一度逆方向へ戻すような動きが記録されてしまっているのだが、クリックの閾値を変更することで、感度を変えることができる。それほど極端に変化するわけではないが、より精密に記録したい人は微調整すべきだろう。
さて、実際に利用してみたサンプルとして、直線、文字、イラストの3パターンを紹介する。これはサンプルということで、筆者の画力の低さについてはお許しいただきたい。いずれもペンの設定はデフォルトのまま書いたものである。
画面11および画面12は直線3本と文字を、別々のレイヤーで記録したものだ。まず、ここで見ていただきたいのは、直線を引くときに意識して筆圧を変えているところ。一番上の直線は弱め→強めに、真ん中の直線は強め→弱めに、一番下の直線は強め→弱め→強め→弱め…といった具合に描画している。1,024段階というレベルを感じるほどではないが、確かに強い部分は太く、弱い部分は細く表現されていることが分かる。
また、文字はあえて速く雑に記録することで強弱が生まれるようにしてみたが、こちらのほうが筆圧の違いがよく分かるかも知れない。丁寧に書けばトメ・ハネ・ハライの雰囲気を出すことも可能だ。
ただ、先にも記したとおり、デフォルト設定では反応がやや過敏な印象を受けた。ときにはペンが触れていない(紙にはインクが残っていない)部分も記録されていることがある。また、A4の横位置を示した画面10で見られた傾向としては、線を引くときの手の震えなども記録されてしまっている。
ちなみに、画面11の直線歪んでしまっているが、これは定規を用いたもの。ワコムの情報では、定規を用いると超音波が反射するために動作を保証していないとしている。文字のように多少の歪みが気にならないのなら気にならないが、CADなどで利用するさいには、フリーハンドで丁寧な線を引く必要があるだろう。
一方、イラストのサンプルは画面12に示した。中心となる飛行機、背景、影の3レイヤーに分けて記録している。ここでも先に述べた反応の過敏さが出てしまっている。例えば、記録されたデータでは奥の建物の影を表現したメッシュのラインが飛行機の先端部にかかってしまっているが、これは紙面上にはないものだ。これについては、精度の問題もあるかも知れない。
ただ、飛行機の客席の窓の部分に陰影を付けて立体感を表現してみたが、これは筆圧を変えるだけで描画したものだ。こうした表現が可能なのは本製品の面白いところだ。
ちなみに、超音波と赤外線を用いるために、音が大きなところなどで精度が落ちるという情報をメーカーから事前に得ていた。その差を確かめるために、一般家庭では常識外れと思われるであろう大音量で音楽を流した状態で試したみたが、それでも目立った差は見られなかった。むしろ筆者自身の筆の不安定さのほうが気になるぐらいだ。コンサート会場などの大音響の場で使うと差が出るのかも知れないが、オフィスや、会議室、カンファレンス会場など、本製品が利用される機会が多いであろう場では、この情報は無視してよいレベルだと筆者は判断している。
このほかに気になったのは、想像以上にペンとレシーバ間の遮蔽物に敏感という点だ。ペンとレシーバ間に物を置いてはいけないという基本的なルールは守っているが、線を引く方向によって手の向きを変えたときに記録されていないことが散見されたのだ。これはペンを高い位置で持ち、習字のような書き方をすることで回避できるようになったのだが、ペンを寝かせて書くスタイルだと少々矯正が必要になりそうだった。
こうした感想はあくまで筆者の主観であるが、ペンを扱う際のクセは人それぞれなので、まったく違和感なく利用できる人もいるだろう。ワコムにはぜひ、体験イベントのまめな開催や、店頭でのサンプルを多数用意するなど、多くの消費者が事前に試せる場を設けてほしいと思う。
最後に、本製品で利用できるそのほかの機能を紹介しておこう。まずはInkling Sketch Managerの機能だ。
レシーバにはペンで記録した順序を一定単位(ストローク)ごとにすべて記録されている。ストロークの単位は基本的にはペンを紙に触れさせて離すまでになっているようで、例えば線一本、文字の一画が基本的な単位として記録されているようだ。これにより、アプリケーション上に用意された「プレイヤー」タブから、そのストロークを再生することができる(画面14)。
このストロークが記録されていることで、Inkling Sketch Managerからレイヤーを分割することもできる。レイヤーを分けるポイントをスライダーで指定し、その前後を別のレイヤーとして扱えるようになるのだ(画面15~16)。後からレイヤーを分けた方が良いと感じた際にも適応できるし、例えば余計な線を1本引いてしまった場合であっても、その不要な部分と前後で3つのレイヤーに分け、不要な部分のレイヤーを削除する、といったこともできるなど、さまざまな活用ができそうだ。
逆に、別々の紙に書いた内容を結合することもできる(画面17~18)。この場合もレイヤーの情報は記録されたままになる。筆者の利用範囲では面白い用途が浮かばなかったのだが、例えば、上下分割して別のコマを書くなど意図的に別の紙に書いておき、Inkling Sketch Managerで結合した後に、レイヤーの情報を受け継いだままAdobe Illustratorへ引き継ぐ、などの活用があるだろうか。
ちょっと変わった使い方として「オンラインモード」と呼ばれるものがある。これはInklingをタブレットのように利用できるもの。使い方は簡単で、レシーバをPCに接続したままの状態で、ペンを操作するのだ。要するにWindowsのタブレット機能が本製品で利用できると考えていい。クリック操作はペンを叩き、ドラッグはペンを置いた状態で動かす必要があるので、レシーバに紙を挟んでおく必要があるし、紙にボールペンの軌跡を残ってしまう。このモードを多用するなら、専用に1枚不要な紙を用意して利用するといいだろう。デジタルペンが本来の目的であるInklingとしてはおまけのような機能ではあり、本来のタブレット製品ほど思い通りの操作はできなかったが、付加機能としては面白い。
以上、筆者には合わないと感じた部分も遠慮なく記してきたが、大局的には非常に面白い製品だと感じられた。とくにレイヤー機能は、ユーザーの発想で面白い使い道が生まれていきそうな可能性があるのではないだろうか。筆圧検知もこれまでのデジタルペンではできなかった表現を受け入れてくれる。
その意味では、IT系のカテゴライズていわゆるビジネス用途と言われる使い方、例えばメモ書きやラフな図版を書くといった用途で使うにはオーバースペックともいえる。もちろんよりクオリティの高いラフ書きの図版・ポップなどを書くことはできそうだが、ワコム自らがクリエイターやCADユースへ訴求しているのもうなずける。
本製品の魅力・特性を引き出すには使い方の工夫が必要そうではあるが、それだけに使い方次第で可能性が広がる。個人的にも、手書きのデータを単純な線だけで記録するデジタルペンに物足りなさを感じていた人にぜひ使ってもらって、さまざまな活用法を見せて欲しいと願っている。