測定の神髄ここにあり アジレント見学記



 今回は計測メーカー、アジレント・テクノロジーの見学記です。

 アジレントは電気・電子計測機器業界の最大手。一般向けのテスタから超広帯域オシロスコープまで、幅広い製品を開発・製造しています。従業員数が約16,000人の大きな会社です。日本法人は八王子市にあり、日本全体ではおよそ1,000人が働いています。今回はそこにお邪魔しました。

 アジレントは'99年にHewlett-Packard(HP)からの会社分割により発足しました。HPはコンピュータメーカーとして広く知られていますが、もともとは測定器の会社です。つまり、アジレントはHPの創業時からの歴史を受け継いでいると言えるでしょう。

 取材はそうした歴史的な製品を拝見するところからスタートしました。

Hewlett-Packardの最初の製品は'39年に発売されたオーディオ発振器HP200Aです。はじめての大口ユーザーはディズニー。映画「ファンタジア」用オーディオ装置の開発に使われました。写真は改良版のHP200C。'41年の製品です。持ち上げてみるとずっしり重く、歴史を感じさせます
HP200Cの銘板。シリコンバレーで伝説を生み出したふたりの名前が刻まれています。この年のHPの売上高は106,459ドル。従業員数6名。急激な成長が始まった瞬間です
HP400シリーズは低価格(200ドル以下)で高性能な電圧計として高く評価されたようです。最初のタイプHP400Aは'42年に発売されました。HP200シリーズはヒューレットさんによる最初の製品、HP400シリーズはパッカードさんによる最初の製品です
発売から70年が経った今でも、ツマミ類はなめらかに回りました。金属製のケースには凹み1つありません。展示機とはいえ、きわめて頑丈に作られていることが感じられます。
日本で初めて開発された製品がこの4260Aユニバーサルブリッジです。登場は'66年。金色なのは記念モデルのためです
4260Aは平衡ブリッジ法という方式でインダクタンス、キャパシタンス、直流抵抗を測定する機械です。パネルに表示される矢印に合わせてダイアルを回すと、正しい値がデジタル表示されます。この簡便さにより人気機種となったそうです
【動画】4260Aを操作中。ただし、あてずっぽうに回しているだけです。メカニカルな感触を楽しみました
日本製の4260AにはYOKOGAWA HEWLETT PACKARDと表記されています。我々が初めてHP製品を知った頃は、このYHPというブランドでした
ちなみにこちらは現在のインピーダンスアナライザ4294A。4260Aと同様の測定を行なう機械ですが、動作はすべて自動で、結果はグラフとして表示されます。これを使ってジャンク屋さんで買ったコンデンサやコイルを測定したら楽しそうです。ただし、趣味で買える値段ではありません(参考価格4,605,718円)

 測定器は正確であることが大前提です。テスタで1Vの電池を測ったら、1Vと表示されないと困ります。では、その1Vはどうやって決めるのでしょう?

 測定器メーカーは標準器と呼ばれる、基準となる値を出力する機械を持っています。それが正確な1Vを出力しているとしたら、調整したいテスタをつないで表示が1Vになるよう設定すれば、正しく1Vを測れるテスタになります。これが校正という作業です。

 そうすると今度は、メーカーの標準器はどうやって正しい値に設定するのか、という疑問が生じるのですが、日本の場合は親玉の標準器が産業技術総合研究所(産総研)にあって、各メーカーはそれに合わせます。ちなみに産総研の電圧標準器は液体ヘリウムで極低温状態にしたジョセフソン素子をベースにしており、10Vを1億分の1Vの精度で校正できるそうです。

 信頼性のある測定器を提供するためには、良いハードウェアを作るだけでなく、基準となる値を維持し、それをもとに校正するシステムが必要なんですね。ここからはそうした働きを担っているサービスセンターの様子を見ていきます。

最初に見学した一番大きい部屋。ここに様々な測定器が運ばれてきて校正されます。ラックには測定器を校正するための測定器が収められています
高価な測定器が詰め込まれた姿は壮観です。このラック1本で数千万円に達すると思われます
最新の測定器が並ぶ部屋の片隅には、古そうな機械も積まれていました。アジレントのサービスセンターでは、発売から年月の経った製品であっても校正の依頼にできる限り対応できるよう、校正時に必要となる古い測定器が維持管理されています
ユーザーインターフェイスは時代によって変化していますね
丸いブラウン管の機械が気になりました
ここからは別の部屋です。2重式のドアに守られた小さな部屋で、主に光学系測定器の校正を行なう部署です
棚には木の箱が並んでいます。この中に測定器具が入っています。容器が木製である必要性はないようですが、それを求めるユーザーが少なくないとのこと。その気持ち、なんとなくわかるような気がします
木製ケースのなかはこんな感じ。用途を説明していただいたのですが、理解できませんでした(すいません)。こうした器具や工具はどれもピカピカで高精度感を発散していました
この部屋の主役級装置は5071A 1次周波数標準。セシウムビームを基に、きわめて正確な10MHzを供給しています。7セグで表示しているのは現在の時刻のようです
ここからまた別の部屋です。おもに電圧の校正をする部署で、この部屋は他よりも厳密な温度管理がされています。他の部屋が摂氏23±3度であるのに対して、±1度以内に持されています。天井に開けられた無数の穴から風が吹き出しており、メッシュ状の床から吸い取られていきます。いわゆるダウンフローです
トルクレンチがたくさんありました。コネクタをつなぐときは、指定された強さで締めることが重要。トルクが変われば電気的特性も変わるそうです
電圧校正を行なうワークベンチ。ラックの上に載っているのが、この部屋の標準器です
10V、正確には9.9999657V(推定値)を出力している電圧標準器
標準器の電圧をマルチメータで測定したところ。自分のテスタを全部持ってきて測ってみたくなりました

 次はアジレントの現行製品を使った計測の実際を見学します。

 無線と有線の分野で1つずつテーマを設定し、測定を実演していただきました。まずは無線から。我々も馴染みが深いWi-Fiの電波を調べます。

主役は右端のオシロスコープMSO9404A。アナログ4チャネル・帯域4GHzの機種で、参考価格は5,290,270円です。キーボードがつながっていますね。実は、このオシロはWindowsマシンです。画面を切り替えると普通のデスクトップが表示されます
いきなり実際の電波を調べるのではなく、E4438C ESGベクトル信号発生器を使ってWiFiの信号を合成し、ケーブルでオシロに送りました。まずこうすることで、波形観測の様子を確実に再現することができるわけです
IEEE 802.11bの信号を解析中。このようにグラフで通信の状態を「見る」ことができます。左上にマス目が表示されていて、四隅に赤い点が見えますね。これは信号の健康状態を示すもので、コンスタレーション・ダイアグラムと呼ばれます。11bで赤点が4つの場合は、良い状態です。電波状態が悪くなると赤点は2個に減りました
次はオシロにアンテナを接続して、ノートPC内蔵の無線LANインタフェイスが出す電波を測定します
アクセスポイントに接続していないノートPCが出す電波は断続的。電波が捕まらない状態では、この画面のようになります。左上にマス目は現れずランダムなイメージ。情報が無い状態です
【動画】動画で見るとかっこよさがよくわかると思います。我々は見とれるばかりでしたが、本来はWiFiチップやWiFi搭載機器の開発に使われる計測システムです

 次の測定対象はケーブルです。我々が持参したHDMIケーブルの品質を調べていただきました。

 HDMI信号は極めて高速です。ケーブルも高品質なものが求められます。その質を正確に調べるためには、8GHz以上の帯域を持つ高性能なオシロが必要となります。また、同等の周波数性能を持つ信号発生器(パターン・ジェネレータ)も必要です。使用機材の総額は数千万円となります。

帯域13GHzのオシロスコープDSA91304と、81134Aパルス・パターン・ジェネレータを組み合わせて測定します。本体の参考価格はそれぞれ14,748,424円と7,023,391円です
測定対象のケーブル。秋葉原で購入したジャンク品です。測定結果がハッキリ出そうな製品を持ってきました。ごく短い延長ケーブルで、ネジ止めされているプラスチック製のカバーをはずすと細いリード線が並んでいるだけです。見るからに危うい感じです。大丈夫でしょうか
HDMIコネクタを測定器につなぐためのアダプタ。金色のコネクタを測定器につなぎます。四角い小さなコネクタはCEC等の制御信号用です
パターン・ジェネレータでテスト用のHDMI信号を作り、調べたいケーブルを経由して、オシロへ送ります。オシロにはHDMI用の分析ソフトウエアがインストールされています。ケーブルによる信号の劣化を調べるのが今回の目的です。市販のAV機器を信号源にして測定することはできないかを尋ねたところ、コピーガードの影響もありうまくいかないでしょう、とのことでした
パターン・ジェネレータが生成しているのはカッチリした矩形波なのですが、ケーブルを伝ってオシロに届く頃には、こんな形になってしまいます(画面下段)。このときのビットレートは1.3Gbps。個々のパルスの幅は10億分の1秒未満です。ある程度歪んだ波形でも正しく認識されるようHDMI機器は設計されていますが、許容範囲を超えてしまうとエラーとなり、画像の乱れとなって現れます
信号の品質を視覚的に確認するときに使うのがアイパターンという表示方法です。目のような形ですね。この目がパチッと開いているほど、いい信号です。まず、先ほど示した測定対象とは別の危うくないはずのケーブルを測っていただいたところ、問題ないようです
そしてこちらは危ういケーブルの測定結果。比較すると、目のところが狭くなっていますね。ただし、エラーが出るほどではないようです。中心の灰色になっている部分に目(まぶた?)が重なってしまうとアウトなのですが、まだ少し余裕があります。でも、このようなケーブルはあまり使いたくないですね
【動画】測定中のオシロの画面を動画で見てみましょう。前半は波形をそのまま表示しています。後半は専用ソフトによる解析と、アイパターンによる表示を行なっています

 プロによる測定の様子は、大変興味深いものでした。高速で微弱な信号を扱う難しさを感じると同時に、それが可視化されたときの驚きがありました。測るって面白いですね。

【お詫びと訂正】初出時、従業員数ならびに4260Aユニバーサルブリッジの登場年を誤って記載しておりました。ご迷惑をおかけした関係者の方にお詫びするとともに訂正させていただきます。