PCとITと携帯と



 連休中にお会いした方に、「本田さん、最近はあまりPCの記事を書かなくなった」と言われた。この連載の中でも、確かにPCの話は少ないように感じている読者もいるかもしれないが、書いている私の気持ちとしては、連載当初からPCに対する熱意は全く変わっていない。

 スマートフォンがどんなに高機能になったとしても、iPadのようなタブレット型コンピュータの使い勝手がどんなに良くなったとしても、仕事に使う道具としてのPCの優秀性は揺るがない。しかも、その優位性は圧倒的だ。スマートフォンやiPadの方がいいと感じる人は、おそらくPCを自在に操る必要がないのだろう。

iPadとiPhone 4

 利用目的が固定化されてる場合は、それぞれの役割を果たすために最低限のデバイスの方がコストも安いし、持ち歩く機器ならば小型・軽量で済む。中にはスマートフォンで充分、すべての仕事がこなせるという方もいるはずだ。

 ではPCの価値は依然として高いのに、なぜ話題がスマートフォンやタブレット型に偏ってきているのだろうか。それはPC業界を支配しているのが、IntelでもMicrosoftでもなく、“開発コミュニティ”だからだ。開発者のマインドが変化すると、どんなに優れたプラットフォームを提供する企業でも、その流れには逆らえない。

●“大多数の開発者”が向かうところ

 MicrosoftがWindowsでPC業界を支配できるようになったのは何故かと言えば、(細かな話は抜きにすると)開発者たちに支持を受けたからだ。なぜ開発者に受け入れられたのかと言えば、コストパフォーマンスの高いハードウェアに、手頃なOSと開発ツールを提供したからだ。

 Microsoftは今よりも小さな会社で、充分に洗練された開発の枠組みを提供できていなかったし、新たに投入していく技術も“手頃だけど理想には遠い”ものが多かったけれど、使って文句を言っているうちに、少しずつ使えるものになっていった。何より対象としたハードウェア市場が大きく、安価なPCでも充分に動いたから、商売のベースには適していた。

 なんて昔話を書き始めたのは、その頃のMicrosoftをよく知っているのは、おそらく30代も後半より上の世代だけだと思うからだ。昔のMicrosoftは洗練度は低かったが、時代への挑戦者であり、旧世代を倒す若い世代のリーダーでもあった。

 当時のアプリケーション開発は、ハードウェアとOSに強く依存していたため、一度Windowsが流行し始めると、その流れを止められるものはいなかった。かくしてMacのシェアはどんどん落ちていき、業務用のコンピュータだってサーバーも含めてWindowsだらけに。Intelアーキテクチャのプロセッサ以外は、パーソナルコンピュータ向けプロセッサに非ずという状況になった。

 MicrosoftとIntelの支配力が極端に強い状況だったが、それでも不満が出なかったのは、両社とも自分たちの製品自身を置き換えていくために、必死で新しい製品を開発していったからだ。おかげでプロセッサの速度は(ライバルのAMDも含め)急速に高まっていったし、OSの機能や洗練度もどんどん進んで行った。

 それ故に、PC業界を牛耳っているのはこの2社だと思い込んでいたのだが、実際には違っていた。“大多数の開発者”という曖昧な括りの集団が、この業界のトレンドを握っていたのだと思う。

●世代は変わる。何度でも

 上に書いた話を懐かしく思う人たちは旧世代だ。なぜなら、今の世代の人間は、全く違った捉え方をしていると思うからだ。

 今、IT業界を支えているのは'75年以降に生まれた開発者である。彼らが大学に入学した頃、日本でもインターネットが流行の兆しを見せていた。NCSA Mosaicで始まったWebが、Netscapeによってビジネスプラットフォームに変貌しようとしていた矢先だ。その時代にコンピュータを学んだ人間は、Windowsクライアントに特化したアプリケーションよりも、インターネットの環境に自然に溶け込んだアプリケーションを好むようになった。

 大学を卒業する頃にはWebサーバー側で処理を行なうためのプログラム手法が確立し、時代は一気にWebサービスの時代になっていく。当初はクライアントになるコンピュータプラットフォームへの依存もあったが、今ではWebブラウザさえあれば、ほとんど必要なアプリケーションが揃ってしまう。

 もちろん、コンピュータ単体で動作するソフトウェアの重要性に変わりはないけれど、コンピュータ上で動作させたいアプリケーションの分野は拡大しきっていた事もあり、どんなコンピュータでも、一通りのソフトウェアは揃っている。

 以前、私自身がWindows中心の生活から、実験的にMacを使い始めたら、そのまま何の不便もなく、Macで仕事を続けることができてしまったという話を書いたことがある。一部ソフトウェアの再購入など、ちょっとしたコストはかかったが、日常的にコンピュータを使っている中で、必要なものの多くはインターネット上で提供されるWebサービスに置き換わっていたからだ。

 現在、デスクトップは主にMac、ノートPCは主にWindowsという変則的な運用を続けているが、ほとんど困った事はない。運用当初は工夫が必要な事もあったが、今では操作性以外に意識することは何もない。

 さすがに他人に同じような運用を勧めようとは思わないが、以前はまさかWindows以外で仕事をするようになるなど想像もしていなかった。その間、PC業界の支配者だったMicrosoftやIntelに大きな失点があったかと言えば、おそらく何も悪いところはない。変わったのは大多数の開発者たちの考え方だ。

 しかし'75年以降の世代も、もはや旧世代になりつつある。その10年後の世代は、なんでもPCで解決するのではなく、もっと手近な機器で問題を解決しようとする世代だ。

●事の本質は変わっていない

 '85年生まれの世代が大学に入学した頃、この業界ではDHWGという組織が立ち上がった。これは今で言うDLNA、デジタル・リビング・ネットワーク・アライアンスだ。各種メディアのデジタル化とインターネットを通じた流通を睨み、家庭内ネットワーク内で各種メディアを共有しようという試みだった。すなわち、この頃からデジタル家電とPCの境目が曖昧になり、両者が入り交じっての使い方が提案されるようになっていった。

 3G携帯電話網の整備も進み、携帯電話の機能や能力もどんどん高まっていった時代だ。各種のWebサービスはPCだけでなく携帯電話にも対応するのが当たり前になっていった。1つのサービスを、異なるタイプの端末で使い分けるといった考え方は、この世代にとって斬新でもなんでもなく、当たり前である。Webサービスを中心にアプリケーションを使うのが当たり前なので、ソフトウェア企業であるMicrosoftとインターネットサービス企業であるGoogleを同列に比較しても、(アプリケーションプラットフォームを提供する企業という対比において)まったく違和感を感じない。

 彼らはPC 1台でなんでもやろうとは思わないし、その場に適した他の装置があるなら、そちらを使えばいいじゃないか。ネットワークにつながっているのであればと考える。

 この世代でのアプリケーション開発のテーマは、特定のアプリケーションを、多様なデバイスにおいて最適な形で使ってもらう事だ。アプリケーションの中心はあくまでWebだが、各デバイスごとに最適化されたユーザーインターフェイスや機能を駆使できるようにする。

 たいていのアプリケーションはスマートフォンでも充分に良好なユーザーインターフェイスを与えられるし、この分野で大きな成功を収めたAppleは、開発者たちが遊べる庭(PCよりは自由度は低いが、一般的な携帯電話よりはずっと開放的なアプリケーション基盤)を与えられたので、みんなここに開発の資源を集中させている。

 しばらく、この世代がIT業界のトレンドを支配している限り、iPhoneをはじめとするスマートフォンの時代は続くだろう。しかし、事の本質が変わったわけではない。おそらく、スマートフォンが当たり前になってくれば、その時代に育った新しい世代が別のマインドで新しい時代を作っていくのだろう。

●改めて“今”を見返すと

 さて、延々とここまでコラムを書いてきたのは、結局の所、今も昔も、何ら変わっていないということだ。スマートフォンは、サイズや使い方の違いから機能を制限したPCの一種である。ただし、常時ネットワークにつながっているという意味では、大抵のモバイルコンピュータよりは優れている。

 一方、アプリケーションの開発トレンドは、ネットワークに常時接続されている多様なデバイスに対して、(そのサービスを利用するための専用アプレットを提供するという視点も含めて)いかに最適化されたサービスを提供するかという方向に向かっている。

 このように考えると、スマートフォンやiPad(あるいはiPad的なもの)への見方も変わってくるのではないだろうか。

 人々の注目は常時ネットワークに接続された携帯しやすいデバイスに向かっているが、PCの価値や居場所が失われているわけではない。むしろ、PCアーキテクチャとは遠い位置にあった携帯電話が、スマートフォンに切り替わっていけばPCと近付き、より連携しやすくなる。

 確かにリビングルームで使う手近なネット端末には、タブレット型がいいかもしれない。電車の中などで情報を閲覧したり、簡単なメールの返信を行なう、あるいはSNSにアクセスするならばスマートフォンが最適だ。しかし、机の上で仕事や勉強をしたり、出先でもキーボードを使って大量の書類を捌いたり、長文の資料を仕上げるのであれば、ノートPCの方が使いやすいのは言うまでもない。

 スマートフォンの流行や、スマートフォン向けのサービス、アプリケーションへの開発者の集中は、最終的にPCの使いやすさを高めていくだろう。多様なデバイスで、均質なユーザー体験が得られるようアプリケーション開発の中心軸は移動してきているからだ。特にPCを外に持ち出して使うユーザーには、過ごしやすい環境が待っている。彼らが開発に使っているのはPC、あるいはMacだ。生産性を高める道具として、PCが置き去りにされることなど決してない。

バックナンバー

(2010年 7月 21日)

[Text by本田 雅一]