三浦優子のIT業界通信

バッファローに、新社屋移転の理由を聞く
~メルコグループ各社が大須に集結



●名古屋市郊外から、中心部の大須に移転
メルコグループ新本社

 9月13日に行なわれた、バッファローコクヨサプライの移転をもって、メルコグループ各社本社の新オフィスへの移転/統合が終了した。

 経営の中枢であるメルコホールディングスと、中核事業を行なっているバッファロー、シー・エフ・デー販売、バッファローコクヨサプライの3事業会社をはじめ、メルコグループ各社の本社が、1つのビルに集結したのだ。

 新本社の所在地は、名古屋最大の電気街であった大須の一等地で、新築されたばかりの大きな賃貸オフィスビルである。しかも、ガラス張りの9階建てのビルの上部には「BUFFALO」と赤い大きな文字の看板が取り付けられている。決して名古屋の中心部とはいえない柴田で、古い自社ビルにオフィスを構えていた従来のメルコグループの方針から、大きく転換したように見える。

 メルコグループがグループ各社を集約し、本社を大須に置いた狙いはどこにあるのか。経営的な狙いをメルコホールディングスの管理本部長である松尾民男取締役に、移転作業の概要をバッファローの管理部の武山幸司次長に聞いた。

●大須は旧知の街
松尾民男取締役

 まず、松尾取締役に引越に至った背景を尋ねた。

--これまで本社があった名古屋市郊外の柴田の自社ビルから、繁華街に近い大須の新しい賃貸ビルに引っ越されたのは、従来のメルコグループの質素な社風からすると、ちょっと意外な印象を受けました。

松尾取締役(以下 松尾) 決して、メルコグループは変わったわけではありません。それを分かって頂くために、今回の移転を決意した理由を1つ1つ説明しましょう。

 まず、メルコグループが大須に来たのは初めてではありません。むしろ、創業後まもなくから長い期間、大須にオフィスがありました。創業者である牧(メルコホールディングス 牧誠社長)は、起業するために東京から名古屋に戻り、いったん自宅で起業したあとで、大須で本格的に事業を始めました。

 当時は寂れた街だった大須を、「アメ横や、秋葉原のようにしたい」と大須周辺の方々と語り合ったそうです。それが実現し、大須は名古屋地区の電気街となりました。牧にも、その一翼を担ったという自負があると思います。

 しかも、その後大須の街は、電気街から若者が遊びに来る街へと変貌しました。メルコグループの事業もAV/デジタル家電の周辺機器のように新しい商品領域へと拡大しています。それを考えると、大須が変わってきた時期に、変貌しつつあるメルコグループが帰ってきたのも、1つの縁ではないかと思います。

 大須という開発者にとって刺激の多い街に移転したことで、開発者の視野は広がるのではないかと思います。お客様に近い街に本社が移って、社員の感覚が変わっていくと思います。

●交通アクセスと耐震性の問題
南区柴田本通の旧オフィス

 もう1つは、柴田の本社の立地と耐震性の問題です。

 柴田の本社は、名鉄1本しか公共交通機関のアクセス経路がないという問題がありました。昨年(2009年)の大型台風で名鉄が停まった際には、昼の時点でも従業員の4割が出社できず、交通インフラについて改めて考える機会となりました。

 また、柴田の建物は、もともとスーパーだった建物をオフィスに改装して利用していたのですが、大通りに面した部分が窓になっていたために耐震性が低く、大がかりな補強が必要だと指摘されていました。しかも手狭で、ビル補強が終わったとしても、グループ企業全てを集約することはできません。そこでグループ全社を集約できる立地を求めて、昨年あたりから探し始めました。

--名古屋駅周辺には、テナントが埋まらないオフィスビルが多いと聞きます。選択肢は多かったのではありませんか。

松尾 それがそうでもなかったのです。大きさと、メルコグループの社風にあったビルを選びたいとなると、ちょうどいいビルはなかなかありませんでした。

 もちろん、歴史のある大企業であれば使いやすいビルはいくつもあったと思います。しかし、大理石を使ったような、豪華すぎるビルはメルコグループの社風に合いません。そんな時に、建設中だったこのオフィスを知りました。大きさ、設備的にちょうどいいということで、このビルへの入居を決めたのです。

●進むも退くも、迅速な行動

--失礼な質問になりますが、メルコグループは名古屋市の中心街である名駅前に進出して、すぐに撤退したことがありましたね。それは今回、名駅前を避けたという選択に影響しましたか。

松尾 2002年のことですね。柴田に自社ビルを持ちながら、名古屋駅周辺に3カ所のオフィスを持ちました。これは交通の利便性を考えて、名古屋駅周辺にオフィスを置く方が効率的であるという経営判断によるものでした。

 ところが、2002年3月期の中間決算(2001年4月~9月)で上場以来初めての赤字となってしまったのです。その結果が出ると、牧が大号令をかけまして、すぐに名古屋駅周辺にあったオフィスを畳み、柴田に戻ったのです。

 その間、社内に「緊急対策委員会」が発足し、毎週会議を繰り返し、黒字転換のための施策を練りました。その成果が出て、2002年3月期決算は、中間期は赤字であったものの、下期(2001年10月-2002年3月)は黒字に転換することに成功しました。通期でも黒字となっています。

 オフィスビルは当然、年単位で契約を行ないます。それを契約期間中に退去したのですから、違約金といった余分なコストも発生します。金銭的なことだけを考えれば、すぐに撤退する必要はなかったかもしれません。それでも牧が、すぐにオフィスを畳む決定を下したのは、コスト云々よりも、赤字になったらすぐに手を打つ! という姿勢を社内にアピールすることが狙いでした。社内が一体となって赤字を黒字に変える意識を持つことが目的だったのだと思います。

 余談ですが、私はちょうど2001年2月に繊維業界からこちらに転職してきました。「IT業界はドッグイヤーだ」とよく言われますが、入社してすぐに名古屋駅拠点が柴田へ移転することになり、半端じゃないスピード感だと思いましたね。

 当時の教訓としては、あのときは名古屋駅周辺3カ所にオフィスを借りていましたが、そうしたスタイルでは、グループ企業間の連携を高めるという狙いが実現できません。今回のオフィス探しでは、グループ企業すべてを集約できることが第一条件でした。

 メルコホールディングスは、2009年3月決算時に、下半期決算が赤字になったという理由で柴田に移りました。2002年度の時と同様に、コスト面よりも社員の集中力を高めることが狙いです。必要だったら、スピード感を持ってすぐに動く、そしてビジネスをしていく中で、ネガティブな出来事を克服する。これが弊社の体質です。

--新たに土地を購入し、使い勝手のよいビルを1から建てるという選択肢はなかったのでしょうか。

松尾 名駅前から撤退したときのように、非常事態が起これば迅速に行動する会社でありたい。そうなると土地を持つより、賃貸の方が身軽でいいと思います。

--今後、柴田本社はどうするのですか。

松尾 大須のオフィスが終の棲家になるわけではありませんが、「いつでも柴田に帰れる」という感覚になってしまってもよくない。社屋の取り壊しを含めて、どうするのかはこれから検討します。

●東京へ行くよりも海外の方が可能性がある

--グループが全て1つのオフィスに統合されたことで、お互いにある壁のようなものは取り払われるのでしょうか。

松尾 これまでも場所こそ分かれていましたが、グループ企業各社の壁はきわめて薄かったと認識しています。持ち株会社体制に移行した時点で間接部門のスタッフ統合も済んでおります。経理部門のスタッフは、海外にある企業を除くとホールディングにしかおりません。たとえば、交通費精算くらいは各社で行ないますが、取引にまつわる処理は全てホールディングスで行なっています。

 ただ、似てはいますが、機能、開発コンセプトが異なるバッファローとCFD(シー・エフ・デー販売)のような企業が一箇所で仕事をするようになることで、なんらかのプラスアルファとなるものが生み出せないかとは考えています。

 大きな一本の木は、一本の木でしかありません。しかし、小さな木が何本も集まってできた集合体は、一本の木に何かあっても、他の木がカバーするといった可能性もある。我々の事業を考えると、これまで主力事業だったPC周辺機器が、TVなど家庭用デジタル機器の周辺機器に変化するかもしれません。そうなってくると、現在の人材だけでは手が足りない部分も出てくるでしょう。そうした新しい時代に向けた一歩を踏み出すのが、この大須の新オフィスだと思っています。

--今後の事業展開を考えると、本社を名古屋ではなく、東京に移転するということは検討されなかったのですか。

松尾 そういう議論は時折ホールディングス社内でも起こります。実際に、当初は営業拠点としての役割しかなかった東京オフィスが、現在ではNAS、デジタル家電向け製品の開発部隊が在籍し、役割も大きく変わってきています。実際に、人材確保という点では、東京の方が名古屋よりもメリットがあるケースもあります。

 ただし、現在のメイン事業であるPC周辺機器事業の開発部隊は、名古屋を拠点に育ってきました。そのアイデンティティを変えるべきか、否かはまだ結論が出ていません。

--将来のビジネスという点では、いっそ日本よりも海外に本社を置いて日本以外の国でのビジネス割合を増やす可能性はいかがでしょう。

松尾 むしろ、東京に移転するよりも可能性は高いと思います。現在は海外の売り上げ比率は18%ですが、これを将来的に50%にしたいという希望があります。

 現状でいっても、海外からの部材の調達という点では、円高である現状からすると、日本が本社でプラスだといえますが、今後販売の方のウエイトが増えれば逆にマイナスとなる可能性もある。

 そういったことも含めて、グローバルでビジネスができる人材を増やそうというのが最近の目標になっています。新卒採用時には、語学力を重視していますし、約30人の社員が就業時間中に英語学校に通い、英語を身につける努力をしています。

 日本人以外の社員を増やす必要もあるでしょう。ただ、バッファローというPC周辺機器事業で培ってきたマインドをなくさないための努力もしなければなりません。そうなると、名古屋、とりわけ大須に本社があるというのは大変プラス要素が大きいのです。

  松尾取締役の話をまとめると、メルコグループは自社が変革期にあり、打って出る時期だと判断していることがわかる。そのための基礎を固める投資としての新オフィス移転なのだ。

●看板は自社デザイン、机は特注で小型化

 次は移転作業中のビル内を見せていただく。ここからは、引越の実務作業を担当したバッファロー管理部の武山幸司次長に案内していただいた。

 まず、ビルの外観を見てみよう。今回入居した「赤門ビル」は、りそな銀行が入っていたビルが建て替えられたもので、大津通りと赤門通りが交わる角地にある。ビルは9階建てで、1階にはコンビニエンスストア、NTTドコモ、りそな銀行のATMがあり、2階にりそな銀行が入居。メルコグループは、3階から9階までの7フロアを利用している。

ビルの横は赤門通り、隣のビルは大きなドラッグストアコンビニや外食店が並ぶ大通り沿いの立地赤門通りビルの3階から9階を占める

--このあたりは、駐車場が少なそうですね。柴田時代は自動車で通勤している社員の方も多かったと思うのですが、駐車場はどう確保されているのですか。

武山幸司次長

武山次長(以下 武山) 駐車場は確保していません。社員には公共交通機関を利用してもらいます。最寄り駅の上前津は交通の便が良いところですから、通勤の距離は伸びても、通勤時間は短くなった社員が多いようです。

 また、電車に乗る時間が増え、電車内で人々が何をやっているのか、広告はどんなものが出ているのかに目をこらすのも重要なことでしょう。繁華街も近くなったので、世間に触れる機会が増えて良いと思います。

 最上階である9階の窓からは、周囲の様子が見渡せる。ビルの周囲はお馴染みの大須の街だ。最近では電気街としてよりも、女性も訪れる若者の街となっている。しかし、古くから大須を知っている人にもお馴染みの万松寺、今や看板だけが残っている旧OAシステムプラザのビル、アメ横ビルなども見える。

東方面は眺望が開けている郊外の東山スカイタワーまで見える北方面。パルコやテレビ塔が見える
北西は名古屋駅方面。旧OAシステムプラザの看板が手前に見える西方面。手前下がアメ横通りのアーケードがある西方向には万松寺が見える

--ビルに取り付けられている社名の看板は、目立ちますね。遠くから見えるし、一見するとメルコグループの自社ビルのようにも見えます。

武山 そうですね。よく自社ビルと間違われます。ビルの前で通りが少し曲がっているため、通常よりも遠くから見やすい看板の角度となっています。看板のデザインは外部の業者ではなく、社内のデザインチームが担当しました。周囲のビルが電飾をつけた派手な看板をつけているところが多いので、逆にシンプルにした方が目立つのではないかと考えました。それでアルファベットでの社名となっています。

看板は英文ロゴだけのシンプルなデザイン社名はビルの正面と側面にそれぞれ設置されている

 照明はLEDを使っています。最近の看板用ライトには、日没カレンダーが組み込まれていまして、日没の時間に合わせて点灯します。日の出のデータも入っているのですが、実際に点灯しているのは22時までです。一晩中、ライトをつけておく必要はないという判断です。

夜間の外観夜間照明はLEDを使用している繁華街のため、周囲のビルは派手な電飾が多い

--今回、新社屋への引越は事業部ごとに8月中旬から、少しずつずらして行なわれたんですね。

武山 ビルの竣工が7月末でした。その後、消防検査などがあるので、引越は9月かなと思っていました。ところが、牧から『検査と一緒に引越できないのか』という声が出まして。予定を前倒しして、8月から引越が始まったのです

 そして6月中旬から引越を前倒しで行なうためのプロジェクト始まり、いかにビジネスを止めることなく引越が行なえるのかを検討しました。その結果、まず8月のお盆休み期間に基幹システム用サーバーなど移転によるストップが避けられない機器を移動させることが決定しました。ハードウェアのセッティングが必要なものを社員の休み期間に移せば、ビジネスへの影響が少なくて済むからという判断です。

--電波暗室も含め、まだ工事中の部分もありますね。大きな部品も多いですが、エレベータで搬入しているのですか。

武山 ああいう大きな機材は、非常口から運び込んでいます。ビルを借りる段階で、エレベータを大きくできないかという相談をしたのですが、すでに建築確認の認可が下りていて、そこは変えられなかったのです。それで、非常口の幅を通常の90cmから2mに広げてもらい、夜間にクレーンで搬入しました。床もできる範囲で強化していただきました。

工事中の設備動作検証用の機器
電波暗室の内部ビル側面にある非常口と非常階段。よく見ると非常口の幅が広い

--どのフロアに行ってもパーティションが少なくて、フロアの壁が見えるほど広々してますね。

武山 パーテーションは、応接室など社外の方と会議をする場所以外は、ほとんど使っていません。社内の変化が激しいので、そのつど工事が必要なパーテーションは避けているのです。

フロア内の見通しが良く、壁の3面が見える机は普通の会社より一回り小さい

--机を並べている部分は、みっちりと詰まっていますね。

武山 当社の机の大きさは、通常よりも小さい幅100cm×奥行き60cmの特注品です。オフィス用の机は特注でも標準サイズでも値段が変わりません。経営陣からの『このスペースで十分ではないか。むしろ、少し狭い環境の方が、お客様の実態に近い』というアドバイスもあり、こういう状況となっています。また、今回の引越のために、新たに購入した什器(机やロッカーなどの家具)はありません。もちろん、机もそのまま持ってきました。

 ゴミ箱も減らして、今度は1フロアに1箇所にしました。きちんと分別できるようにしてゴミの総量も減らすつもりです。

--インタビューさせていただいた部屋の、あの応接セットも持ってきたのですか。

武山 ええ、そうですよ、ご覧になりますか。ほら1988年に購入したときの、固定資産用シールが貼られているでしょう。旧上前津のオフィスに置かれていて、その後は使われていなかったのですが、『いつか使う日があるのでは』と倉庫に置いて手入れだけはしてきました。今回、新オフィスで久しぶりに日の目を見ることになったのです。

接客用の応接セット22年前に購入したというシールが底に貼られていた

--オフィス撤退の時に捨てなかったというのがすごいですね。なんというか、単に物持ちが良いというレベルではない倹約ぶりですが、そういう社風の背景にあるのはなんですか。

武山 うちの牧は、創業時代、自分自身で作った機器を車に積んで売り歩いた経験もあります。それだけに現場感覚が強く、『本当に現場ではそうなっているのか』とストレートに疑問を呈してくるのです。

 メルコグループは最先端のIT周辺機器メーカーですが、「社内環境はお客様により近く」というのがモットーです。

 PCが1人1台の環境になったのはここ10年ぐらいで、それ以前は部署で1台のPCを使っていました。お客様の環境だって、決して恵まれた環境ではない。その環境を改善するためのパソコン周辺機器を作れ! という狙いからです。この姿勢は、新しいオフィスになっても変わらないと思います。PCのOSも、依然としてWindows XPのままで、Windows 7が動くような最新の機材はテスト用を除いて、ほとんどありません。

 それでも電話だけはIP電話にしました。PBX(構内交換機)が古くなりすぎて、部品がなくなり、メンテナンスができなくなったからです。

 ウチは、そういう社風を楽しめる社員でないと続きません。そういう環境のもとで、工夫をこらすことを楽しみ、そこから何かを生み出せるような人を求めています。

--最後に、引っ越し作業でつらいことはたくさんあったと思うのですが、楽しかったことはありますか。

武山 社員やその家族の方が引っ越しを好感をもって受け止めてくれたことがうれしかったです。また東京の方が、以前より気軽にお立ち寄りいただける機会が増えたのもうれしいです。

 しかし、一番驚いたのは、思っていたよりも多くの方から引っ越しのお祝いの花を贈っていただいたことですね。想定していた何倍もの花が届きました。柴田から大須に戻ってきたことを祝ってくださるというお気持ちがありがたかったです。思っていたよりも多くの方々が、メルコグループという存在を気にかけていてくださっているのだとわかって、社会に対しての責任がある存在なのだというものを改めて感じました。

●揺るぎのない企業文化
応接室に貼られていた経営理念

 最初は、真新しいビルの外観に惑わされていたが、取材を終えてみると、メルコの中身は全然変わっていないことがわかった。少なくとも引っ越しを企画した経営陣は、まったく浮かれていない。新オフィスに合わせて、新しい机と新しいPCを揃えようというような発想とは無縁の会社なのだ。製造業としてのコスト意識の高さもあるのだが、それを超えた1つの主義、たぶん「牧イズム」というべき企業文化が全社に行き渡っているのだ。

 しかし、人は着るものによって変わると言う。外観が変われば周りの見る目が変わり、中身も変わってくる。実際にオフィスを移転しただけで、社風が変わってしまった会社も多々ある。

 たとえば、これからメルコグループに入社を志望する新卒学生は、「郊外の柴田にある会社」ではなく「大須にある大きなきれいなビルの会社」として認識して応募してくるだろう。当然、応募者の内容にも変化があるだろうし、ビルの外観と社風の違いに驚く人もいるだろう。そういう人材に対して、これまでの企業文化をどうやって継承していくかが、次の課題かもしれない。