大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

MetaMoJiを創業した浮川社長に聞く
~私の役割は「水先案内人」



株式会社MetaMoJi 代表取締役社長 浮川和宣氏

 ジャストシステム創業者の浮川和宣氏、浮川初子氏を「株式会社 MetaMoJi」(メタモジ)を設立。本格的に事業を開始した。

 ジャストシステムの創業から約30年。60歳になった浮川氏がMetaMoJiで目指すのは、技術を核としたビジネスインキュベーション。「自分がやりたいと思ったことをとことんやっていく。同時に社会をもっと楽しく、便利にし、100年後の人たちが、あの時に、あの技術が生まれてよかったと思ってもらえようなものを生み出したい」と語る。MetaMoJiはどんな会社を目指すのか、そして、今、浮川社長はどんなことを考えているのか。また、今年25周年を迎える一太郎に対して、浮川社長はどんな思いを持っているのか、浮川社長に話を聞いた。なお、MetaMoJiの社長として浮川氏が単独インタビューを受けるのは、本誌が初めてとなる。

--1月14日に行なった新会社事業開始の記者会見では、かなりの時間、喋りましたね(笑)

2010年1月14日に行なった新会社事業開始の記者会見での浮川社長

【浮川】 「長くても15分にしてください」と言われていたのですが、30分も話をしてしまい。気持ちでは10分で終わらそうと思っていたのですけど(笑)。10人ぐらいかなと思っていた会見に、新年早々お忙しい時期にもかかわらず、20人以上の記者さんに出席をいただき、ちょっと興奮して喋りすぎてしまいました。会見後のTwitterでの反応もよくて、すべてのジャンルの中でも7位となっていました。これにも驚いています。

--会見の中では、MetaMoJiの社名の由来については言及しませんでしたね。これはどういう理由なのですか。

【浮川】 まず海外にも通用する名前ということを考えていました。ただ、ドメインを取得するのに、いいかなと思う名前を検索すると、ほとんどが引っかかってしまう。候補は山ほどありましたし、社名を決定するのに1カ月以上かかりました。Metaという言葉は、物事をより抽象化しますし、広く捉えることができる。私がこの5年ほど取り組んできたXMLの領域の仕事も、「Meta」という言葉に集約できるかもしれません。一方で、Mojiは、米国人の友人が、私に「文字という言葉は美しい」と盛んに訴えるんですよ。響きがいいと(笑)。そうかなと思って、“MetaMoJi”という社名に決定しました。日本語ワープロという文字の世界に取り組んできましたし、ウェブも文字によって表現される。文字や言葉が果たしてきた大きな役割と同じように、当社が生み出す技術も大きな役割を果たしたい。そうした新会社のコンセプトにも合致していると感じました。

--MetaMoJiは、コア技術を有したビジネスインキュベーション会社と位置づけ、テクノロジーホールディングカンパニーを目指すとしています。こうした会社を作りたいという考え方はいつ頃からあったのですか。

【浮川】 ジャストシステムでは、'96年からJustNetの事業を開始し、その後、この事業をSo-netに売却しました。私は、この頃から、新たな技術を活用し、社会に役立つような新たなサービスがもっとできないだろうかということを考えていました。だが、ジャストシステムという枠組の中ではどうしても限界がある。公開企業になると、多くの人たちの意見が入り、採算性についても短期での成果を求められる。もし、JustNetが手元にあったら、様々なことができたのにという強い気持ちはいまでもあります。それが、今回の会社設立の基本的な部分だともいえます。例えば、道路の四つ角にカメラを置いて、行きたい方向に進めば、次の映像が見られるという実証実験を、JustNetでは行なっていました。GoogleのStreet Viewと同じ発想のものですね。これをいまから15年前にやっていたのです。また、新聞のニュース情報の配信や、地図情報の配信なども、コンテンツを持つ企業の協力を得て行なっていましたし、ネットショッピングも行なっていました。

 当時は、ネットワークインフラの問題もありますし、広告収入というモデルが確立されておらず、プロバイダとコンテンツサービスを分離するという考えもなかった。新聞社や地図情報を持つ企業も既存製品と競合する懸念があり、あまり乗り気ではなかった。ご協力をいただくのには、かなり苦労をしましたよ。また、ネット利用の課金も従量制ですから、ちょっとネットサーフィンをすると、1回の通信料金が数百円もかかる。そんな環境ですから、高価なものは売れるが、日用品のような低価格品は売れるはずがないという議論が普通だった時代です。私はその頃から、ネットショッピングこそ日用品が売れ、宅配便業者が活況になると予測していました。いまや、日用品をはじめとしてあらゆるものがネットで購入できる時代がまさにやってきています。実は、私が取得している特許を見ると、10年前に申請した時には夢でしかなかったものが、ネットワークインフラが進化し、新たなビジネスモデルが生まれてきたことで、現実的なものになってきたという技術がある。社員からは、「社長、こんな特許を持っているんですか」と驚かれますよ(笑)。それらを活用して、事業化につなげていきたいと考えています。

--一方で、浮川初子専務は、IT技術者の手を借りなくても、一般ユーザーも部分的にアプリケーション開発に参加し、ITプロセスを解決できる環境を実現したいと、新会社の役割を語りました。これは、いつ頃から考えていたものなのですか。

【浮川】 これは専務が長年に渡って考えてきたことです。こんなことをいうと怒られてしまいますが、私は耳にタコができるほど、この話を聞かされていまして(笑)。ただ、専務がこうしたプランを対外的に発表するというのは今回が初めてのことですね。これはさまざまな技術やインフラが組み合わって実現するものであり、特定の1つの技術で成し得るものではありません。まだまだ技術的に揃っていない部分もある。しかし、かつては夢物語だったものが、さまざまな要素が絡み合って、夢ではなくなってきた。完全な形ではないが、一歩ずつ階段を昇りながら実現できる段階にきた。これもジャストシステムの枠組みの中ではできなかったことだといえます。

 私たちがやろうと思っていることを、実際のサービスやプロダクトとして提供するまでには最低でも5年はかかる。いくら時代のスピードが早くなったといっても、卵やひよこが大きくなるには時間がかかるものです。そう考えると、いまの60歳という年齢を考えると、もうあとがないと(笑)。若い時の5年と、60歳になってからの5年では、5年という意味が違いますからね。いまの2人が考えている、個人的な想いを会社の形にしたのがMetaMoJiということになります。

--MetaMoJiの規模はどれぐらいを想定していますか。

【浮川】 どんなに成功しても、社員は100人が精一杯でしょうね。数十人単位の会社が理想だと考えています。

--事業化のめどがついた技術やサービスについては、別途、事業会社を設立して、そこで事業化する計画ですね。ここも浮川社長が兼務する形になりますか。

【浮川】 一時的に社長をやるとか、非常勤の取締役に名を連ねるということはあるかもしれません。しかし、私はMetaMoJiの社長はやるが、事業会社の経営に直接関わるつもりはありません。私は経営が苦手ですし、好きではありませんから(笑)。

--とはいえ、MetaMoJiは代表取締役社長の肩書きですから、やはり経営は続けるわけですね。

【浮川】 最低限のことだけをやるだけで。私は、線路を敷くことには強い興味がある。どの方向からどの方向に向かって線路を敷いていけばいいのか。あるいは線路ではなくて、道路がいいのか、空路がいいのかということも考える。この仕事は楽しくて仕方がない。しかし、その線路の上を、どんな電車を、どんな速度で走らせるのか、何両編成で走らせるのかということには、あまり興味がない。それはそういうことを得意とする人たちがいますから、そうした人たちにやってもらいたい。MetaMoJiは線路を敷くところまでを行なう会社だと考えてもらえればいいと思います。私は昨日と同じことをやるというのが一番嫌いですから、毎日違う仕事をしていきたいんです。

名刺には代表取締役社長と刷り込んでいるが、本当は水先案内人がぴったりだと語る

--もし、名刺に「代表取締役社長」以外の肩書きを刷り込むとしたら、どんな肩書きがいいと

【浮川】 行燈(あんどん)を持って先頭を歩いて案内をしていくような……そうですね、「水先案内人」といったところでしょうか(笑)。

--いま、どんな1日を過ごしていますか。

【浮川】 私が朝が弱いのは相変わらずですが、ただ、夢の実現に向けて、楽しい毎日です。とにかく忙しくて仕方がない。ジャストシステムを創業した時は、朝、家から専務と一緒に会社に行き、2人で「おはようございます」と、机を挟んでお互いに挨拶して(笑)、それでなにをやっていいかわからないという状態でしたが、いまはやることがたくさんある。MetaMoJiをどんな会社にするのか、どんなことをやるのか、社員全員が口角泡を飛ばして議論していますよ。

 具体的な取り組みとしては、ジャストシステムから譲渡を受けた、XBRL(eXtensible Business Reporting Language)に関する技術および関連製品、基本オントロジー辞書およびアプリケーション開発、また、大阪大学産業科学研究所溝口理一郎教授との共同で取り組んでいる機能オントロジーに関する研究と機能オントロジー構築システムの開発、そして、XMLサーバアプリケーション開発環境「PXL」の開発がありますが、ジャストシステムのときには、バラバラだった組織が、MetaMoJiではその枠を越えて、全員で議論しています。柔軟な発想で議論しますから、いろんなアイデアが出てきています。議論の中で注意しているのは、「それは本当に必要な技術なのか」、「求められるサービスなのか」という点です。はやりすたりで捉えていないか、次の技術につながらない意味のない技術になっていないか、20年後にはどんな意味を持っているのかという議論を繰り返す。私は、世の中の普遍的に必要とされるものを目指していきたい。こうした議論をすると、本質的な部分が見えてくる。

 かつてジャストシステム社内では、私が音頭をとって、「2020プロジェクト」というものをやっていました。これは、2000年前半に取り組んでいたもので、約20年先の社会で求められるものはなにかということを議論するためのチームでした。20年先の世界というと、目先の技術の議論では無くなり、本当に夢を語りあえる。この議論によって、今取り組んでいる技術が、将来に渡って必要な技術なのか、世の中に貢献することができるのかということがわかるようになる。ここに立ち返って、いまなにをやるべきかを考えていくことが大切なんです。世の中の普遍的なものに貢献できるものをMetaMoJiから育てていきたい。

--MetaMoJiから登場する最初の製品はなにになりますか。

【浮川】 最初は、XBRLの新たなバージョンの提供になります。これは今年の夏には製品化したい。また、ジャストシステムから譲渡を受けた分野からいくつかの製品がでます。さらに、年内までに個人向けのWebアプリケーションといえるものを提供したいと考えています。これらをMetaMoJiのブランドで出したいと考えています。

--会見の時には、あまり詳細は語りませんでしたが、それから約2週間を経過し、語れるものはありますか。

【浮川】 2週間で議論は着実に進歩しています。しかし、まだ公表できるものはありません。

--浮川社長は、自らの人生を何年ぐらいの区切りで考えていますか。

【浮川】 30歳を前にしてジャストシステムを創業し、今度は60歳で創業ですから、30年の節目ということもできます。ただ、振り返ってみれば、ジャストシステムの創業の際には、創業を35歳まで待っていたら遅いな、という気持ちもありましたし、40歳でジャストシステムを辞めると宣言していた時期もありました。当時、創業して5年は好きなことをやるというつもりでしたね。本来ならば3年なんですが、やりたいことを実現するには、やはり5年はかかるなというのがありました。だから35歳での創業では遅いと感じていたんです。30代は、一太郎という突出した製品がありましたから、とにかくこれを追いかけるのが精一杯だった。勝手に走り回って、放っておくとどこにいってしまうかわからないきかん坊でしたし(笑)、裸のまま外に出ちゃいけませんというところから教えなくてはならないような子供でしたから(笑)、とにかくその子育てが大変だった。

 40代のところで、JustNetに取り組みはじめましたが、会社の規模が大きくなり、またIPOを目指していたこともあり、経営に携わることが多くなった。「そんなに思い入れがあるJustNetに、なんであの時にもっと自ら関わらなかったのか」と、いまでも専務に怒られますよ。そして、50代ではxfyに取り組んで、グローバル化にも乗り出した。これら経験を経ての60歳ですから、こうした方法がいいんじゃないか、こうすればうまく行くだろうというノウハウはある。今は若い人たちと一緒になって、新しいものを実現する楽しさ、「青い」といわれるかもしれませんが、理想を追いかけていく楽しさを満喫していますよ。また、若い人が育っていくことも楽しみにしています。

--今年、一太郎が25周年を迎えます。その節目に、直接、一太郎に関われない寂しさはありますか。

【浮川】 私自身、気持ちの上では、かなり前の時点で一太郎からは卒業しているんです。ですから寂しさというものはありません。むしろ、いまは自分がどんな新たなものを生み出せるかに興味があります。

--MetaMoJiでは、マイクロソフトWordを使っているなんてことはありませんよね(笑)。

【浮川】 もちろん社員全員が一太郎ですし、ジャストシステムの製品をたくさん使っています。実は、ジャストシステムのユーザーとして、2月に発売される「一太郎 2010」をすごい楽しみにしているんですよ(笑)。