大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

米Microsoft、研究部門統括のラシッド上席副社長に聞く
~「Microsoftは研究がすべての会社」



米Microsoft リサーチ担当シニアバイスプレジデント リック・ラシッド氏

 Microsoftの基礎研究部門であるMicrosoft Researchを率いるのが、米Microsoftのシニアバイスプレジデントであるリック・ラシッド氏だ。Microsoft Researchは、全世界に6カ点に研究拠点を持ち、博士号を持つ850人以上の研究者が所属。アジア太平洋地域では北京に拠点を構える。

 '91年9月にMicrosoftに入社したラシッド氏は、Microsoft Research部門のディレクター、バイスプレジデントを歴任し、2000年に現職に就任。最先端のコンピューティング技術をリードし、Microsoftの製品に搭載する数々の技術を開発してきた。ラシッド氏にMicrosoft Researchの取り組み、そして、同社が掲げる「3スクリーン(PC、携帯電話、TV)&クラウド」時代におけるMicrosoft Researchの取り組みなどについて聞いた。

--まず簡単にMicrosoft Researchの役割を教えてください。

ラシッド Microsoft Researchは、'91年に設立したMicrosoftの基礎研究機関で、コンピュータサイエンスおよびソフトウェア工学の基礎研究および応用研究を専門としています。コンピューティングデバイスのユーザーエクスペリエンスの向上、ソフトウェアの開発やメンテナンスのコスト削減、あるいは革新的なコンピューティングテクノロジの創出などが役割です。

 研究領域は、55以上の分野にのぼり、グラフィックス、音声認識、ユーザーインターフェイス、自然言語処理、プログラミングツール、プログラミング技法、オペレーティングシステム、ネットワーク技術および数理科学などを含むコンピュータ関連分野において、主要な学術機関、政府機関業界研究機関と連携し、最先端技術の研究を行ないます。

 研究拠点は、Microsoftの本社がある米ワシントン州レドモンドのほか、米カリフォルニア州シリコンバレー、米マサチューセッツ州ニューイングランド、英ケンブリッジ、中国の北京、インドのバンガロールの6カ所にあり、850人以上の博士号を取得した研究者が在籍しています。

--Microsoft Researchが、他の企業の研究部門と異なる点はどこでしょうか。

ラシッド コンピューティング分野において、最も幅広い領域で基礎研究を行なっているのがMicrosoft Researchだといえます。55以上の分野での研究を行なっているほか、半数以上の研究者が米国外に在籍する国際的な研究体制が整っていること、さらに数多くの論文を出し、数多くの客員教授を迎え、博士号を持ったインターンを数多く迎え入れているなど、オープンな研究体制を持っていることも特徴です。

 私は、お役所的な環境ではないことが、Microsoft Researchが持つ最も素晴らしい環境だと考えています。研究予算を絞ったり、提案書を提出することに多くの時間を割くようなことはしません。私は、Microsoftに入社する以前は、カーネギーメロン大学でコンピュータサイエンスの教授を務めていましたが、Microsoft Researchは、'80年代のカーネギーメロン大学の研究室が持っていた素晴らしいところを応用したものだといえます。

Microsoft Researchのミッションステートメント

--'91年からMicrosoft Researchがスタートして18年が経過していますが、この間変わったこと、そして変わらなかったことはなんですか。

ラシッド Microsoft Researchには、「すべての研究において、その分野の最先端の研究領域を拡大すること」、「革新的な技術を速やかにMicrosoft製品に技術移転すること」、「Microsoft製品の将来性を確実にすること」という3つのミッションステートメントがあります。このミッションステートメント、さらに、フィロソフィー、そして、私がチームを率い続けているという点では変わりがありません。加えて、私が研究者に言い続けていることも変わっていません。つまり、18年間に渡って、基礎研究の仕方はまったく変わっていないのです。

 基礎研究というのは、難しい課題に対して、リスクを取りながら、長い時間をかけて取り組まなくてはならない。そうしたリスクを取った研究に挑むには、安定した環境が必要です。3年、5年、10年をかけて取り組んでも、基本的なルールは変わらないという安定した環境が必要なんです。ですから、私が言うことや方針はまったく変わらないというのは当然のことでもあります。大学が基礎研究の場として選ばれている理由もそこにあるのでしょう。

 ただ、変わった部分がまったくないわけではありません。変わったことは、Microsoft Researchの成長に伴い、規模が大きくなり、幅広い分野の研究テーマをカバーするようになったことです。結果として、優れたアイデアがあちこちで生まれて、これがシナジーとなり、さらに生産性が高まった。最初は研究拠点が1カ所だったものが、海外にも広がっていますから、私の出張回数が増えたというのも大きな変化ですね(笑)。

--Microsoft Researchを率いる点で、なにか気をつけていることはありますか。

ラシッド それは、最もいい人材を採用することです。そして、その人材が生産性をあげることができる環境を作り上げることです。

--Microsoft Researchはどんな人材を採用するのですか。

ラシッド そのキャリアによってステージは違います。博士号を取得した若い研究者であれば、まずは論文のクオリティを見て、どれだけスマート(賢い)な人材であるのか、どれだけ熱意を持っているのか、研究テーマに関心を持っているのかという点をみて採用します。また、中堅の研究者であればこれまでの実績を見て、今後、どういった軌跡を描くことができるのか、といった可能性をみて採用します。そして、シニア研究者の場合には、すでにその人がすばらしい研究者であることはわかっているので、今後も生産性を発揮できる形でリサーチを続けることができるのか、1回、2回の成功に留まらず、次の成功に強い意志を持つことができるのかどうかといったことをみます。

 いずれの階層の研究者にも必要なのは、熱意を持っていることと、楽観主義であること。このバランスをうまく取っている人という点です。熱意という点では、難しいことを成功させるために、その成功を信じる情熱です。これがなければ、成功はあり得ない。そう感じています。また、楽観主義というのは、研究者には必要な要素で、これがなければ壁にぶつかった時に乗り越えるのが難しい。そして、リサーチ方法、リサーチの適用方法にも知恵を使い、それを適切に判断する能力も必要です。

--Microsoft Researchの研究者は、ビジネス的な視点をどこまで持っているのでしょうか。

ラシッド 研究者に必要なのは、最新鋭の技術をどこまで進化させることができるのか、他の研究者や技術、製品にどれぐらいのインパクトを与えることができるのか。その点が大切であると考えています。ですから評価指標にも、ビジネスマトリックスを用いるようなことはしません。その点では企業が社員を評価するものさしではなく、大学の研究室の教授などに対する評価指標と似たところがあると思います。

--Microsoftは年間95億ドル、いわば1兆円規模の研究開発投資を行なっています。なぜ、ここまでの開発投資ができるのでしょうか。

ラシッド Microsoftは研究開発ありきの会社です。この活動がMicrosoftのすべてであるといっても過言ではありません。研究開発を行ない、それをベースとして製品化し、顧客に満足を提供している。ですから、Microsoftは、研究開発投資を優先的に、そして継続的に行なっているのです。現在、Microsoft Researchの研究者は、数人で1つのプロジェクトに関わったり、1人で複数のプロジェクトに関わっているという例がありますが、数百ものプロジェクトが同時に進行しています。

 先にも触れましたが、リサーチエリアは、人とコンピュータ間の相互作用、機械学習、マルチメディアとグラフィック、サーチ、セキュリティ、ソーシャルコンピューティングのアルゴリズムと理論のほか、システム、アーキテクチャ、モビリティ、ネットワーキングなどの領域における、基礎研究および応用研究と多岐に渡っています。会長のビル・ゲイツは、第一線を退いていますが、Microsoft Researchの研究者とメールでやりとりしたり、リサーチペーパーも読んでいる。また、CEOのスティーブ・バルマーも、基礎研究について重視し、最先端の技術に対する研究を継続的に推し進めることができる体制を作ってくれています。

--Microsoft本社との文化の違いはありますか。

ラシッド Microsoft Researchは研究中心の要素が強い会社ですから、Microsoft本社とは違う雰囲気がありますね。リスクをとって、責任をとって、意志決定をさせる文化が定着しています。また、Microsoft本社には、Windows、Office、Xboxといった部門があり、それぞれに違う文化を持っていますが、それらのグループとも連動できるような関係が築けています。これもMicrosoft Researchが持つ文化だといえます。

--Microsoftでは、次世代のコンピューティング環境として、「3スクリーン&クラウド」というテーマを掲げています。このテーマにおいて、Microsoft Researchが果たす役割はなんですか。

ラシッド 次世代コンピューティング分野に向けて、Microsoft Researchがやらなくてはならないことは数多くあります。大規模なパラレルコンピューティング分野において新たな言語を研究したり、ストレージの拡張性や柔軟性、電力使用の効率化、大規模なデータセンターの効率性を高いものにするといった研究テーマのほか、ネットワーク、コミュニケーション、暗号化、セキュリティ、プライバシーといった点も重要な要素となる。3スクリーン&クラウド時代に向けては、とくに重点的な研究テーマがあるというよりも、幅広い範囲に対して研究開発をしていく必要があると考えています。

--10年後のMicrosoft Researchはどうなっていますか。

ラシッド 今とあまり変わらないのではないでしょうか。規模はどうなるかわかりません。研究分野の広がりや、Microsoft Researchの成長が続けば、規模は大きくなるかもしれません。しかし、研究のやり方や、どういう人を採用するのかといった、アプローチ手法、フィロソフィー、方向性という点では変わらない。いや、変わって欲しくないと思っています。これらは、これまでの18年間に渡って変わらないものですから、これからも同じであり、私がリーダーではなくなっても継続してほしいと考えています。

--ちなみに、日本には研究拠点を設置する計画はありませんか。

ラシッド いまそういった計画はありません。ただ、Microsoft Researchが、今後拡大していった時に、どうなるかはわかりません。これまで研究拠点を設置してきた経緯を見ると、いい研究者がいて、それを率いるリーダーがいて、正しい研究開発環境として成立するところに広げてきています。

 そうした環境が整えば、日本に拠点を設置するということがあるかもしれません。ただ、将来を予測することはできませんね。日本では、2009年11月から、日本の大学と研究グループの関係性を強化する取り組みとして、Mt.Fujiプロジェクト(Microsoft Research アカデミック連携プログラム)をスタートしました。今後3年に渡って、数百万ドルを投資し、共同研究、人材育成、学術交流、カリキュラム開発という4つの観点から、日本の学術界と連携して、研究開発を行なっていきます。これによって、社会的な課題をビジネスチャンスに転換できるコンピューティングのあり方についても再考し、日本の未来に対して、コミットしていくものにしたい。

--また、日本においては、11月4日に慶應義塾大学日吉キャンパスで、「21世紀コンピューティングコンファレンス」を、Microsoft Researchの主催で開催しましたね。

ラシッド これもMt.Fujiプロジェクトで掲げた学術交流の1つの取り組みです。日本では初めての開催で、同様のカンファレンスを11月6日には京都大学で開催しました。

 もともと10年前に21世紀コンピューティングコンファレンスをスタートしたときには、将来のコンピューティングの可能性や産業の将来性に対して、学生がエキサイティングに思ってもらうことが目的でした。

Mt.Fujiプロジェクトの概要Mt.Fujiプロジェクトに参画する日本の学術界の関係者。右から2人目がラシッド氏。左端がマイクロソフトの樋口泰行社長慶應義塾大学日吉キャンパスで開催した「21世紀コンピューティングコンファレンス」

 今回は、「3 Screens and 1 Cloud: Rethinking Computing~コンピューティング新潮流~」をテーマに、大学関係者、業界指導者、研究者、学生など約1,000人が参加し、コンピューティングの新たな潮流についての意見交換を行ないました。多くの学生を集めること、そして、多くの学生に対して、Microsoft Researchの内容を知ってもらい、一方でMicrosoft Researchにとっては優れた学生を探すという狙いもありました。非常にいい感触を得たと考えたいます。学生からは、いま私たちはなにをすべきかという質問がありましたが、それに対しては思慮深い答えが出たと思います。

「21世紀コンピューティングコンファレンス」で講演するラシッド氏

 ただ、「コンピュータが人よりも賢くなるのはいつか」という質問に対しては、あまりいい回答ができませんでしたね(笑)。今後も、日本の学術界とは、定期的に創造的なアイディア、技術的情報、ならびに研究成果に関する交流を行なうための機会を設けていきます。