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【特別編】新しいThinkPad X1 Carbon、そのチェンジの錯綜

 「ThinkPad X1 Carbon」が「新しいThinkPad X1 Carbon」として生まれ変わった。斬新なキーボードレイアウト、また、ファンクションキーが廃止され、新たに採用された「Adaptive」キーボードなど話題も多い。

 今回は、その開発に関わったレノボ・ジャパンのエンジニア、大塚亮氏(ノートブック製品機構設計)、米田雅春氏(先進システム開発・第一先進システム設計)、河野純也氏(ノートブック開発・第二ノートブックソフトウェア)らに話を聞いた。

さらに薄く、軽くを実現するにはどうするかを考え抜くThinkPadのエンジニアたち

――名前は同じでも、その実体が大きく変わったThinkPadですが、エンジニアのみなさんそれぞれ、ThinkPadとのこれまでの関わりについて教えてください。

大塚氏:機構設計を担当しています。主に外装パーツやレイアウト関連です。2010年に入社してからずっとThinkPadを担当しています。

 ThinkPadについては、昔から堅牢性を大事にすることについては伝統的とも言っていいほどこだわってきましたが、それを損なってはいけないと必死です。

 いわゆるThinkPadのためのクライテリア(基準)があって、それを代々維持してきたということですね。それがなぜなのかを実感するためには、どうしても、過去に何が起きて、どんなことがあったかといった背景を知らなければなければならないので、大変でした。それに同じ過ちを繰り返さないように、ということもありますし、かといって、変えてはいけない重圧もあります。

 例えば、キーボードタッチのフィーリングなどは、以前からユーザーだったので気になるところです。キーボードそのものの設計だけでは成立しないんですよ。せっかくキーボードが優れたものに仕上がっていても、そのタッチのフィーリングには本体ボディの剛性なども影響しますから。

 もう1つは塗装の色味でしょうか。ThinkPadといえば黒なんですが、前のモデルよりずいぶん明るくなりました。クロームブラックです。本音を言えば、前のザラッとした感じは守りたかったので、今回は、ちょっと納得がいかないような気持ちもあります。

米田雅春氏(先進システム開発・第一先進システム設計)

米田氏:電気設計担当として基板の設計をしています。今回はAdaptiveキーボードを担当しました。ThinkPadとの関わりは7年目になります。初代のカーボンであるXシリーズからということですね。

 電気のチームは横の繋がりがあって、中は共通部分が多いんです。ですから、ずっと長くやっているメンバーの間で情報交換ができるくらいに風通しがいいんです。なので、いろんな人と仕事をしてきましたが、あまりプレッシャーはないですね。しかも、今回は変わっているように見えて、あまり変わっていないかもしれません。

 いずれにしても、電気回路の信頼性は重要です。使っている途中にシャットダウンしたり、ハングアップしたりはいけないのは当然ですよね。そこの評価は以前から徹底していると思います。

 ThinkPadならではということになると、使っている部品などは、特有の規定があって、購買技術の部署が徹底して評価し調べています。そのガイドラインを守って部品が実装され、それで基板が完成した状態でも、いろいろと拷問をかけて壊れないようにという配慮をします。

河野氏:ソフトウェアの担当でファームウェアを見ています。今回は、Adaptiveキーボードを開発しました。ThinkPadとの関わりは2年になります。ThinkPad Helixのドッキング部分を作ったのが最初です。

 ThinkPadはキーボードの叩き心地の評価が高い製品です。その根本的な部分を変えるのはとても勇気が必要でした。

 今回は特に、1段分を取っ払って新しいデバイスを新しい制御で実装したのですが、それでも1つのキーボードデバイスとして成り立たせるソフトウェアロジックを組み立てるのは大変でした。

――ThinkPadの伝統を守るのは並大抵のことではなさそうです。変える、変わる、変えられない、変わらないが錯綜しているようです。製品自体の企画などはどのようになっているのでしょう。

大塚氏:企画から要求が下りてきて、それをエンジニアが作り込むというパターンですね。米ノースカロライナのモノリースビルに個々の製品対応がいて、彼らがまず、次の製品をどうするかという定義を作ります。また、それとは別に、各国に担当がいて、それぞれの考えを持ち寄ります。ただ、今回は、ThinkPad X1 Carbonとして、もともと先代のものがあって、それをさらに変更するという流れでした。

 いずれにしても、今回のテーマは薄く軽くです。Adaptiveキーボードについては、かなり早い段階から実装の予定になっていました。


――Adaptiveキーボードの実装について具体的に教えてください。

河野氏:一言で表せば「ザ・タイヘン」でした。ボタン式のキーとタッチ式のキーを共存させると、考えもしなかったような不具合が起こるんです。

 例えば、何も対策をしないで、LID(ふた)を閉じると、静電式のセンサーが反応してしまって誤動作してしまいます。それを防ぐためのロジックを仕組むわけです。液晶側が近づいたから反応したのか、人間の指によって反応したのかを判別しなければなりません。

 でも、その計算に時間がかかると反応速度が遅くなってしまいます。

 ThinkPadでは、液晶上部とパームレストに仕込んだマグネットでLIDクローズを検出しているんですが、それだけでは不十分です。結果として、Adaptiveキーボードが誤動作すると、ミュートボタンが押されたことになって、いきなり大音量が出たりとかするわけですよ。こんな具合にユーザビリティのこととを考えたときに、ありえないことが起こります。

河野純也氏(ノートブック開発・第二ノートブックソフトウェア)

――トグルでキーセットが変わっていく層の数についてはどうなのですか。

河野氏:最初の検討段階ではもうちょっと多かったのですが、最終的に5層に落ち着きました。実は、音楽再生系なども考えていたのですが煩雑になることを考えてキャンセルになりました。

米田氏:アプリケーションによって自動的にキーセットが変わるというところが特徴です。手動での切り替えは、本当は、Shiftキーを押しながらだと逆にトグルするとか、いろいろな声も聞こえてくるのですが、今回は、シンプルにしたかったので逆回転はやめました。

――どのような実装になっているのでしょう。

河野氏:Windowsからは見えないキーボードというか、従来通りのキーボードとの一貫性を保つようにしています。いわば、2つ合わせて1つのキーボードというイメージで考えてください。

米田氏:基板上のコントローラに繋がっているキーボードなんですが、OSから見たら、1つのキーにしか見えません。同じ役割のキーとして、物理キーボードと同じスキャンコードを出すようにしています。

河野氏:新規ではなく、既存のマイコンに、その制御の役割をゆだねています。バッテリやファンを制御しているマイコンで、ThinkEngineと密接に連携しています。

――タッチスクリーン側にセンサーを設けるというアイディアはなかったのでしょうか。

土居氏:液晶側というアイディアはなかったですね。これまでのファンクションキー列は、青い印字でビジュアル的には分かりやすいものでしたから、キーボードの延長として考えました。


――本体部分についても進化していますね。さらに薄く、軽くなりました。

大塚氏:さらに薄くしてくれと言われて「えーっ」って感じでしたよ。機構的に何かしたかというと、したいけどできなかったというのが正直なところです。層を重ねるなどすれば強くなるんですが、さらに薄く、強くっていうんじゃね。

 タッチスクリーンを実装しても薄いというのは、どうすれば成立するかを考えて、空間を削いでいくことにしました。材料の持っている剛性は大事なんですが、でも隙間の設計も大事なんですよ。まず、液晶を守ることを考えると、パームレストが堅いですから、液晶までの距離を稼ぐんです。ベゼルの部分については0.5mmの極薄にしました。今までの半分です。

 もちろんリスクは増えます。ですから、前の世代の筐体を改造しながら試験を繰り返しました。シミュレーションをして、今よりも強くなることを確認して完成、のはずなんですが、やってみるとそうじゃなかったり、つまり、予想外のことが起こるんですね。

 そこはもう、クラフトマンシップですよ。解析をやって、何か足したい、でも足せないというジレンマの繰り返しです。そのジレンマを、今あるものでなるべくお金をかけずに解いていくわけです。形状で、力を逃がすといった調整をしながらといった具合で、量産間際まであたふたでした。

――構造部門に泣きついたりもするんでしょうか。

大塚氏:リブとしてつっぱりを足せば強くなることは分かっているので、基板にいろいろ注文を付けたりしますよね。ただ、液晶に当たるからとかいっても、電気部分には手を出せません。背の高いパーツがあるとまずい場合もあるわけです。今回は、泣きついて、コンデンサを2つから3つにしてもらって背の高さを低くしたりもしています。

米田氏:我々としては、紳士的な対応をしたつもりです(笑)。電源部分はいちばん基本となる部分で、かなり大きな電流が流れるので、パーツの置き換えはけっこうリスキーなんですが。

大塚氏:背の高いものはなるべく後ろに持っていってくれっていうオーダーかな。

先代X1 Carbonより薄く軽くが達成された
コンデンサーを2個から3個に変更して空間を詰めた


――色についても少し薄くなりました。気になったのは、ACアダプタのプラグを差し込む部分が黄色くなかったので、最初どこにあるのかと探してしまいました。

大塚氏:全部黒にしよう。その方がかっこいい。という横展開でそうなっています。実は、先代のX1 Carbonは、最初黄色だったのですが、途中から黒に変わっています。スペシャルな機械だから黒にということですね。

――ビジネス的にはNECパーソナルコンピュータとのコラボレーションが功を奏していると聞いていますが、エンジニア的にはどうなのでしょう。彼らから学ぶことはあるのでしょうか。

大塚氏:共通化できるところは共通にというのが基本的な考え方です。例えば、電源アダプタの統一などはそうですね。LaVie Zが出たときに、同じにしています。でも、このCarbonだけは黒にというわけです(笑)。

 NECの製品から学ぶことはたくさんありますよ。例えば、とても軽いじゃないですか。こちらとしては、比較のデータを作りたいくらいで、その旨は伝えて作業を進めようとしています。

 何しろ軽さに対する考え方がすごいんです。ずいぶん軽いのに、さらに軽くなければならないといって、実際にもっと軽くしていくんです。それでいて、堅牢性も兼ね備えています。

 メカチーム相互では、交換留学生というわけではないのですが、いろいろ話を聞きながら次世代、その次の世代の製品のために情報交換を続けています。

 横田さん(横田聡一氏、レノボ・ジャパン執行役員常務ノートブック開発研究所担当)がR&Dのトップとして、技術の行き来に積極的ですから、そういうことがどんどん進んでいるんですよ。

 ただ、バランスということを考えたときに、彼らのやっていることと、我々のやっていることでは目標が違うように感じています。我々としては、何かをすると壊れてしまうというのはありえないですからね。ですから、安易にNECの技術を使おうというわけにはいかないんです。といっても、彼らの製品が壊れやすいということは決してないんですけどね。

大塚亮氏(ノートブック製品機構設計)

――そこがThinkPadの宿命なんでしょうか。レノボにはコンシューマ向けのPCもありますが、違いは大きいのですか。

大塚氏:レノボの中でコンシューマとエンタープライズなど、製品ごとに明確にミッションが分かれています。そんな中で、ユーザーの要望に応じた製品をカテゴライズできるようになっているのです。

 ThinkPadは各国で発売されていますが、国ごとのユーザーの違いというのもあります。そこを丁寧にフォローしていかなければならないでしょうね。

――これからのThinkPadはどう変わっていくのでしょう。

大塚氏:新しいデバイスが出てくると、その使い方が変わってきます。そんな中で、新しい試みができるようになります。

 でも、カーボンの後継は口で言うほど簡単ではないですね。難しいです。すでにスタイルが確立されていますから、Helixみたいな構造なども1つの方向性ですし、いずれにしても、今、いろんな形を考えています。

米田氏:今までは、リファレンスが1個あって、それを元に発展させていくということでしたが、これからはそうではなくなるんでしょうね。

河野氏:今回は、新しいデバイスとして、Adaptiveキーボードを実装し、キーボードを変える1つの提案をしたわけです。そこの部分を加速していくシリーズと、そうではないシリーズの2本立てかな。

 いずれにしても、変えていくことは大事です。ですからこの先は、自分でも楽しみで、何がどうなるか、すごく期待しています。

――どうもありがとうございました。

それぞれが担当した部分を手に開発の苦労を振り返る

(山田 祥平)