■山田祥平のRe:config.sys■
東京・巣鴨のアンテナショップ「ここ長崎」。この店のある巣鴨と長崎・五島の小さな集落半泊を結ぶコミュニケーションが頻繁に行なわれている。そして、WiMAX内蔵ThinkPadがそれを強力にサポートする。
●限界集落を救え東京・巣鴨。JR山手線の駅を出て大通りをわたったところから始まる巣鴨地蔵通り商店街。おばあちゃんの原宿として知られるユニークな商店街だ。その商店街を歩き、とげぬき地蔵尊を横目に通り過ぎ、路地を右に入ったところに「ここ長崎」がある。
カウンターと小さなテーブルだけで10人入れるか入れないかという小さな店だが、飛び魚(あご)だしの五島うどんを食べさせる店として、知る人ぞ知るスポットだ。
店の片隅にノートPCが1台置かれているのに気づく。レノボのThinkPadだ。液晶ディスプレイを起こし、ThinkPadをスリープから目覚めさせれば、その瞬間、スクリーンの向こうから五島の気配が漂ってくるのを感じる。このThinkPadは、新世代無線技術であるWiMAXでインターネットにつながり、高速ワイヤレス通信で大都市東京と離島五島が太いパイプで結ばれるのだ。
五島列島は長崎の西、約100km沖に連なる大小140あまりの島々だ。長崎港から高速船ジェットホイルに乗車して1時間ちょっとの船旅で、五島のゲートウェイともいえる下五島・福江の港に到着できる。江戸・五島藩の時代に九州本土から多くのキリシタンが移り住み、それぞれの暮らしを営み始めた地域である。行政区分としては長崎県に属し、北東から南西にかけて中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島という5つの大きな島がある。そして、福江島の西の端が、日本海と東シナ海の境界とされているという。いわば国境の島ともいえる地域だ。
その福江島北東の小さな入り江に面して、半泊(はんどまり)と名付けられた集落がある。九州本土から弾圧を回避するために移住してきた隠れキリシタンたちが、人里がないところにどんどん入り込んでいって作った集落の1つが半泊だ。大勢で移住してきたものの半分しか暮らしていけないから半泊、船しか交通手段がなかった時代に風待ちで凪が終わるのを待つ。半時待つから半泊というわけだ。
この半泊に暮らしを営むのは、現在、わずか5世帯9名に過ぎない。いわゆる限界集落として、いつ消滅しても不思議ではないギリギリの状況が続いている。そうさせてはならないと立ち上がったのが「五島列島ファンクラブ」だ。
●ThinkPadとWiMAXが支える拠点間コミュニケーション五島列島ファンクラブは、廃校となってしまっている福江市立土岐小学校半泊分校の校舎を借り受け、そこを拠点にさまざまな活動をしている。メンバーは現在4名。そのうちの1人は、東京・巣鴨での「ここ長崎」運営を店長として任されている福江島出身の橋本正信氏だ。そして、半泊の拠点では里山の暮らしや、漁農業体験などをステイやスクールなどのさまざまな企画で進行中だ。「ここ長崎」に並べて売られる人気五島名物の多くは、この活動の中から生まれたものだ。
五島列島ファンクラブの半泊側メンバーは、もちろんこの集落を構成する世帯の1つでもある。代表理事の濱口孝氏と濱口よしのさん夫妻は、いわばこの活動の言い出しっぺでもある。よしのさんこそ五島の出身者だが、夫の孝氏は、東京・神楽坂出身で、農業プランナーとしてさまざまな活動をしたのち、終の棲家として半泊を選んだ移住者だ。さらに、スタッフの鈴木身和さんは八王子出身だが、2011年の秋に農業研修でここに来て、そのまま半泊に居座ってしまった。
冒頭で紹介したWiMAX内蔵ThinkPadは、まさに、東京と、約1,000km離れた半泊を結ぶ架け橋であるといってもよく、五島列島ファンクラブの活動を支える欠かせない存在として、Skypeを使ったスタッフミーティングや日常業務のためのコミュニケーションに愛用されている。
●未来のためのヒントを生もう限界集落の人口が1人でも増えるように。そのために雇用や産業を興すことはできないか。都会と田舎、都市と離島。そこを有機的に結びつけることはできないかと、濱口氏らは常に考える。
たとえば、カンコロリンと名付けられた甘酒は、彼らの創り出した人気商品の1つだ。古くから庶民の夏バテ防止に愛飲されてきたもので、総合ビタミン剤として飲む点滴ともいわれている。安価なサツマイモを原料として、必須アミノ酸をすべて採れる安価ですぐれた健康ドリンクでもある。
そして、サツマイモは五島の地域資源でもある。台風銀座でもあるこの地域において雨風に強い農作物である点も功を奏している。収穫したサツマイモを輪切りにし、天日干しして干し芋にしたものを蒸し、餅米と混ぜて作ったお菓子をカンコロと呼ぶが、その過程に発酵のプロセスを派生させて作ったものがこのドリンクだ。今は加工施設そのものは、あまりにも少量なので福岡の焼酎工場に依存しているが、ゆくゆくは五島に設備を持ちたいと彼らは企てている。
濱口氏らは、ここでの活動を、未来を気づくための実験であるという。右肩上がりの価値観、そして、幸せ感とは違う何か。楽しく生きるとはどういうことなのかを考えるきっかけになれないかと彼らは考える。右肩上がりと右肩下がり、それを現場で懸命に考えて気がついたことは、未来の世の中に、何らかのヒントを与えることができるかもしれない。それを探すのがこの場所のチャレンジであり、それを今、半泊という村をあげてやっている。
●朽ち果てて誰も足を踏み入れなくなってしまう前に村が消滅する以前に、まず、学校が廃校になる。その校舎がどのように二次的に使われていくか、そこをどう使うか。こうした建物を使えることになったのは彼らにとって実にラッキーなことだった。廃屋さえもなかった半泊では、ゼロから活動を始めようとしたら、家を建てるところから始めなければならなかったからだ。だが、建物さえあればリフォームですむ。それを公的な施設として使えるようにすれば、そこが公民館的に機能するようになるはずだと彼らは考えた。
しかも、周辺に住む先住の老人たちは、かつてその校舎で学んだ同窓生でもある。つまり、母校舎の行く末を慈しむ目で見守る立場だ。それが望ましい活動によって蘇るのであれば、応援が始まり、どんどん協力的になってくれる。その結果、コミュニティ力が上がり、村全体をマネジメントする作用が機能し始めるのだ。
長崎県は、日本で最も離島が多い県だという。だからこそ、離島再生は長崎が先陣をとらなければならない。国境の島から200海里(約370km)という排他的経済水域を守ることは、国益を守ることにもつながる。これまでは、土木を盛んにして経済を発展させるというやり方が選ばれてきたが、過去のようなハード型ではなく、ソフト型の方法論でこれからをやっていかなければならないだろうと濱口氏。そんな中で離島がどうあるべきかを追求するのは重要なテーマだ。さまざまな問題を、半泊、長崎、日本は抱えている。規模こそさまざまだが、その問題には共通項が潜んでいる。その問題を、自分たちなりの方法で解決するために活動していきたいと彼らは考える。携帯電話さえ通じない場所の多いこの集落にも、自治体のe-むらづくり施策によって光ケーブルは届いている。だからこそ、ITは彼らの活動を支える強力なサポーターになるのだ。
今の日本は、その人口が増える可能性はない。だからこそ経済をまわす必要がある。もっとも手っ取り早く、そして確実なのは仕事を作ることだ。彼らの活動の中で起こした産業を、雇用ができるレベルに持って行くことができれば、何かが変わるはずだ。それを今やらなければ、この美しい集落が営んできた歴史が消えてしまう。ある意味、人がいるから美しさを保つことができるのだ。人がいなくなれば朽ち果て、誰も足を踏み入れないところになってしまう。五島列島ファンクラブの活動は、そんな今の日本に、ある種の気づきを与える心の叫びでもあるといえそうだ。その足回りを、最先端の広域ネットワークが支えている。