山田祥平のRe:config.sys

ジョブズの伝記は電子書籍の試金石




 分厚い書物を最初から丹念にページを繰って読み進める。少なくともほんの少し前までの読書はそうだった。電子書籍がちょっと話題になって、いろいろな端末で読書を楽しめるようになったけれど、なかなかリーズナブルな環境を得ることができず、そのままになっていた。だが、ジョブズの伝記という格好のコンテンツが出版され、もう一度、電子書籍を試してみようと思い立った。

●電子書籍再び

 紙の書物はモビリティが低い。グーテンベルクやアルダスが聞いたら怒られそうだが、実際にそうなのだから仕方がない。ぼくが最後に読んだ分厚い本は「フェイスブック 若き天才の野望(5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)」(2011年 日経BP)だった。これは、Sony Readerで読んだ。アマゾンで調べてみると544ページもある。計ってみたわけではないけれど、相当の重量があるはずだ。この分厚い本を、紙の書籍で読むのは嫌だと思った。だから、迷わず、Sony Reader用の電子書籍を購入した。

 今回も同じだ。ジョブズの伝記「スティーブ・ジョブズ」(2011年 講談社)は、IとIIの分冊でIが448ページ、IIが342ページある。これまた持ち歩いて読むのは難しそうだし、IIを読んでいるときにIの記述を読み返したいと思うこともあるかもしれない。

 だから、迷わず手元の初代Sony Readerで読むことにして、ReaderStoreで購入して読み始めた。今までいくつもの電子書籍リーダーを試してきたし、iPadやAndroidタブレット、さらには、スマートフォンなど、いろいろな端末で本を読んでみたが、テキスト主体のモノクロコンテンツなら、個人的にはSony Readerが今でも一番読みやすいと思っている。やはり明るければ明るいほど読みやすいという紙と同様の性質を持っていることが大きいと思う。

 購入して読み進めているうちに、結構おもしろくなって、少しずつでも空き時間ができるたびに読んでみたいと思うようになった。簡単な話だ。Sony Readerをいつも携帯すればいい。でも、それがなかなか難しい。

 そこで、ちょっともったいないとは思ったのだが、もう1冊電子書籍を買って、AndroidタブレットやiPad、さらにはPCでも読めるようにすることにした。ちょうど、マルチデバイス対応を謳う 紀伊國屋書店がKinoppyストアでの電子書籍配信において、Sony Readerへの対応をアナウンスしたばかりだった。

 このサービスで購入した電子書籍は、Windows PC、Android端末、iOS端末、そしてSony Readerという4つのプラットフォームで読むことができる。これなら好きなときに好きな端末で本を読み続けることができるはずだ。これからは同じコンテンツがあるなら、ここで買おうと思ったし、最初からそうすればよかった。ちょっと反省だ。

●想像以上に便利なKinoppyのマルチデバイス対応

 同じ本を2冊以上購入するというのは、紙の本の時代にもまれにあった。たとえば辞書などのリファレンス類は、仕事をする場所ごとに同じものを買いそろえておくのが常だった。インターネットが使えるようになって、そういうことはしなくなったが、まあ、このあたり、物書きを職業としているなら当たり前的なことじゃないかと思う。

 リファレンスはともかく、最初から最後までを順に読むことが前提の小説やノンフィクションもののコンテンツでは、それを複数の環境で読み進める場合、「どこまで読んだか」を把握するのがなかなか難しい。紙の本であれば栞をはさむわけだが、同じ本が複数冊ある場合は、1冊目にはさんだ栞位置が2冊目においては役にたたない。紙の本なら、アナログ的にパラパラとページを繰り、だいたいの位置に、けっこう短時間でたどりつけるが、これが電子書籍となると大変だ。

 だが、Kinoppyは、マルチデバイスを謳うだけあって、このあたりがきちんと考えられている。「同期」という概念で、最後に読んだ位置をクラウド側で覚えておいてくれるのだ。

 Kinoppyで本を購入すると、端末側が持つ本棚にそれが格納される。複数の端末にアプリをインストールしている場合は、すべての端末の本棚に格納される。そして、適当な端末でそれを開いて読み始める。読書を中断し、本を閉じて書棚に戻ると、最後に読んでいた位置がクラウドに送られるようになっている。これが「同期」だ。

 別の端末の本棚で同じ本を開くと、さっきの端末で読んでいたページが開かれる。ただし、開く前に必ず手動で同期の作業が必要になる。また、「マーク」としてコンテンツ内の任意の位置にマーキングができて、それを記憶させることもできる。これも便利だ。

 ただし、この同期ができるのは、AndroidとiOS端末間だけで、PCやSony Readerではそれができない。だから、今、ジョブズの伝記を、電車の中ではスマートフォンかAndroidタブレット、自室ではiPadで読み進めている。この機能があるとないでは効率が大違いだからだ。

●レベルが低すぎるアプリの実装

 便利この上ないし、志も高いKinoppyだが、アプリのレベルが低すぎる。本棚といってみたり、ライブラリといってみたり、用語の統一すらきちんとできていないし、同期するタイミングに関しても検討の余地がありそうだ。

 同期のタイミングは、本を閉じてライブラリ(すなわち本棚)に戻ったときと、ライブラリが表示されているときに手動で同期したときだ。つまり、本を閉じて書棚に戻す作業が必要になる。だが、日常的に電子書籍を読んでいると、なかなかそれができない。AndroidやiOSではアプリを終了させるという概念が希薄なことも影響しているが、開きっぱなしの状態にしてしまうことがままある。

 そうすると何が起こるかというと、端末Aで中断した読了位置を同期させ、端末Bでその続き50ページ分を読み進めたところでまた中断し、ついうっかり本を開いたままにして、端末Aで続きを読もうとする。当然、開くのは端末Aでの以前の読了位置で、50ページ分さかのぼることになる。だから手動でさっきまで読んでいたところを探し出さなければならない。

 アプリの起動時と終了時、そして、書棚の本を開く前には必ず同期するようにするなどすれば、回避できる部分もあるのにと思うとちょっと残念だ。

 また、細かい操作などでも、iOSはともかく、Android版では、OSの作法的なものから逸脱している部分がたくさんあって操作に戸惑いを覚える。本棚から書物を削除するときの操作などは再考の余地がある。

 PC版のクライアントはもっとひどい。同期できるのはコンテンツを所有しているかどうか、つまり本棚の中身だけで、読了位置の同期はできない。また、表示に関しては、マルチディスプレイのことをまったく考慮していないようで、メインディスプレイ以外では、最大化時の表示がおかしくなってしまう。

 また、電子書籍ならではのリフローや文字サイズ、フォントの変更もきかない。ただ、これには裏技があって、解釈メニューで個々の要素を無効にすることで、これらの変更が反映されるようになる。それならそれで、解釈メニューで無効にしないと反映されない旨のメッセージくらいは出すべきだ。既定のフォントは表示があまりにも汚いので、変更して読みたいのだが、起動するたびに設定のやり直しが必要で、あまりにもめんどうだ。きっとコンテンツビルダーへの配慮だと思うが、せめて設定値の記憶くらいはしてほしいものだ。そんなわけで、あまりのアプリのひどさに、PCでコンテンツを読むのはあきらめてしまった。

 さらに、同期は書棚に格納された本に対して行なわれる。端末Aで書棚の本を削除すれば、すべての端末でその本が削除される。もちろん再ダウンロードができるので、削除してももう1度ダウンロードすれば復活するのだが、それもすべての端末で復活する。このあたりの仕様も、もう少しスマートな方法があるんじゃないだろうか。

●コンテンツが世界を変える

 それでも複数の端末を渡り歩きながら、同一のコンテンツをシーケンシャルにシームレスに読んでいけるというのは想像以上に便利だ。アマゾンのKindleではすでに実現されていた機能だが、ようやく日本の電子書籍でも、こうした機能が実装されはじめたことはうれしい限りだ。まだまだバグも多く、端末の制限台数もはっきりしない。最初にPC、次にAndroidスマートフォン、Androidタブレット、さらにSony Reader、iPod touch、iPadとコンテンツを同期させ、もう1台PCでと思ったところで、ライセンスの台数制限にひっかかって表示ができなくなってしまった。時間をおいてもう一度というメッセージが出るが、時間がたっても同じだ。ログイン、ログアウトとも関係ないようで、この仕様をどうすればうまくコントロールできるのかは、未だに謎に包まれている。

 サポートのレスポンスも最悪だ。仕方がないので紀伊國屋書店の広報に尋ねてみたのだが、そこでも回答は得られない。サービスとしては、お粗末そのものだし、アプリの実装に関しても褒められる部分はまったくない。志の高さは認めたいし、それに恥じないように作業を進めてほしい。少しずつでいいから頻繁なアップデートで対処していってほしいと思う。

 奇しくもジョブズの伝記という象徴的なコンテンツで、久しぶりに電子書籍を堪能している。少なくとも、電子書籍での配信がなければ、この伝記をきちんと読もうとは思わなかっただろう。きっと、このコンテンツが久しぶり、あるいは初めての電子書籍だという読者も少なくないと思う。死してなお、この影響力というのは、ある意味すごいことだ。