山田祥平のRe:config.sys

それでも図書館に行く




 多くの情報がインターネットで得られるようになり、紙の本を紐解くことは少なくなった。紙の本が必要になっても、書店を訪れることなくAmazonなどに発注して済ませてしまう。コンテンツが充実すれば電子書籍を購入する機会も増えていきそうだ。こういう時代の図書館というのは、どんな役割を果たすのだろうか。

●国立国会図書館のコピーは職人芸

 久しぶりに図書館に行ってきた。インターネットで検索した雑誌記事を読むために、その雑誌のバックナンバーを探していたのだが、調べてみても、その雑誌を購読している図書館が近場になかったので、おそらくは絶対あるだろう国立国会図書館に行ってきた。

 国立国会図書館は、初めて利用する際には住所氏名等の登録が必要で、登録すると登録利用者カードが発行される。利用者IDと利用者氏名が記載された紙のカードではあるがICが埋め込まれていて、検索用端末やプリンター脇にあるICカードリーダーにセットすると、自分の名前でログインができ、蔵書検索や各種の手続きができるようになっている。

 このカードは即日発行で、混雑度合いにもよるが20分程度待てば自分のカードを入手することができる。紙の書類にパスワードを手書きして申請するのは抵抗があるが、適当なパスワードを入れておき、あとでWebで変更すればいい。とにかくこのカードがなければ、図書館内では何もできないのに等しいのだ。

 カードを入手したら、それを持って図書館フロアに入る。入るときにも駅の改札よろしくカードリーダを読み取らせる必要がある。また、カバンなどの荷物を持って入ることはできず、PCを持ち込みたいならハダカの状態でPCのみを携行する。そのほかの荷物は、ロッカー室で、料金後返却の100円コインロッカーに預けなければならない。

 さて、フロアにはズラリとPCが並び、ブラウザを使った検索システムを使うことができる。空いているPCを見つけて、その前に座り、ICカードリーダーに自分のカードをセットするとログインが完了し、資料を探すことができる。PCのディスプレイは、ポートレートのものとランドスケープのものがあり、自由に選ぶことができる。ポートレートのものは電子化された資料を読むことを想定しているようだ。ディスプレイのベンダーはさまざまだが、機種によってまったく色味が違っていたり、明らかに表示品位が低いものがあったりするのはご愛敬だ。

 検索システムで本を見つけたら、その本の閲覧を申し込む。申し込み後、図書カウンターに出てくるまで約15分程度といったところだろうか。呼び出されるわけでもないし、サイネージなどに表示されるわけでもなく、検索端末に自分の利用者カードをセットすることで、閲覧を申し込んだ図書の到着がわかるようになっている。

 図書を受け取ったら、フロア内の閲覧室で目を通すことができる。また、必要であれば、複写の申し込みもできる。複写を申し込む場合は、あらかじめ利用者端末で申込書を作成し、印刷しなければならない。検索用のPCで申込書を作成して印刷を指示すると、そのあたりのプリンタのそばのICカードリーダに利用者カードをセットすれば、自動的に申込書が印刷される。そして、その申込書とコピー対象となる書籍を持って複写カウンターに持って行く。

 複写は原則として資料の一部分、具体的には1著作物の半分までを1人1部に限られる。料金は25円/枚となっている。今回は、過去のある雑誌記事を確認したかったのだが、内容を読んでみて念のためにコピーをとっておくことにした。雑誌にもよるのだが、ぼくが見たかった雑誌は1年分程度が合本状態になっていて、ハードカバーが装丁されていた。かなり分厚い状態だ。

 やったことがあるならご存じだと思うが、分厚いハードカバーの図書をコピーするのはたいへんだ。コピー機の蓋が本の厚みで完全に閉まらず、版面以外の部分に黒い部分が出てしまったり、ノドの部分が黒くなるなど、コピー品質に影響する。

 ただ、国立国会図書館では、資料保存の観点から自分でコピーを取ることはできず、必ず、係に依頼する必要があるのだが、さすがはプロフェッショナルである。どんな魔法を使っているのか、あるいは専用のコピー機がそのような機能を持っているのかわからないが、あの分厚い本をコピーしたとは思えないような高い品質のコピーが得られた。コンビニで自分でコピーすれば10円程度ですむのだが、この品質なら25円の価値はあると思った。

●キレイなコピーはプロフェッショナルの仕事

 その後、また、別の機会に手持ちの図書の一部をPCで読めるようにしたいと思い、スキャナで読めるようにコピーすることにした。とある企業の社史で、本来は非売品だがぼくは古書店で見つけて入手した。分厚いハードカバーなので、これまたコピーは難しい。かといって、2度と入手できない本だと思うと、背中を切り落として自炊する勇気もない。このとき思い出したのが国立国会図書館のコピーの仕事だった。

 再び、国立国会図書館を訪ね、その図書を探したところ、なんと蔵書にないことが判明した。蔵書検索はインターネット経由で自宅からもできるのだが、ないはずがないと思っていたので調べもせずに行ったのが失敗だった。でも、幸い、その図書は東京都立中央図書館にあることがわかり、また、コピーサービスもセルフと併せて、依頼もできるようなので実際に訪問してコピーをお願いした。

 複写の制限は国立国会図書館と同じで、1著作物の半分までだ。そして、期待を裏切らない品質のコピーが入手でき、自宅に持ち帰ってそれをScanSnapでスキャンした。これで、もう重い本を開かなくてもいいし、いつでもどこでもPCやタブレットさえあれば中味を参照できる。それにOCR処理により検索も可能な状態にできた。

 ちなみに、コピーは1枚25円なので、見開き状態でコピーを依頼すれば料金は半分ですむ。今回はA4サイズの図書だったが、スキャンのことを考えて片ページ単位でコピーを依頼した。料金はやはり25円/枚だ。

●電子書籍時代の図書館に望むこと

 本は読まれてこそ、そして、使われてこそ意味がある。もちろん著作者がその本を出版するまでには相当な苦労があるわけで、その仕事に対する対価はきちんと支払わなければならない。その点、古書は売買が繰り返されたとしても、著作者に入ってくるのは新刊時の印税だけだ。

 こうした問題をうまく解決できるのなら、今の電子書籍のブームとうまく相乗りして、過去の図書を、著作者の権利を守りながら活かしていくことができるのではないだろうか。例えば、1冊でも出版したことがある著作者は、国などに登録しておくことで、コピーされた場合には、その対価を受け取れるようにするような仕組みだ。こうして著作者の利益を確保することができれば、コピーは1冊の半分までといった制限もなくすことができるはずだ。

 入手が難しい過去の本を何とか手に入れるという点では、古書店の果たしてきた役割は極めて大きかったし、古書店なしには、今ぼくの手元にある本の一部分は、実際に手にとることはできなかったかもしれない。もっとも、ぼくが買い集めたものは、古書といっても希少なものではなく、国立国会図書館などの大図書館に行けば必ず現物にお目にかかれるものばかりだ。だから、余計にそういうことを思うのだ。写真集などの一部を除き、現物が手元にあることよりも、いつでもどこでも参照できることに価値を見いだせる本ばかりだ。古書店のビジネスを終焉に向かわせようというつもりはないが、著作物の流通という観点からは、なんらかの見直しも必要なのではないかと思う。

 今、考えられる方法として、例えば国立国会図書館などは、きわめて優れたコピー技術を持っているのだし、コピーを要求される図書はそれだけの価値を見いだされたものである可能性が高い。ならば、1度でもコピーしたページはすべて保存しておき、次回以降のコピー請求には、そのプリントアウトで応えるといったことはできないのだろうか。そうすれば、原本の痛みも少なくなり、保存の観点でも有益なのではないかと思う。それにコストの点でも安上がりになるはずだ。

 今後、電子書籍が増えるにつれ、紙の本では出版されないものも多くなっていくだろう。そのとき、国立国会図書館の納本制度などはどのように再構築すればよいのか。国立国会図書館ではさまざまなことを考えているようだ。資料の電子化の促進のために、著作者や出版社に対して納入済み資料の電子化条件を協議するといったことはその一環だ。

 紙の本を100年間保存するのは技術的にそれほど難しいことではないという。だが、電子情報を100年先まで伝えることは至難の業だという。かつてのマルチメディアブームの際に発行されたCD-ROMコンテンツを想像すればわかる。Windows 3.xでしか再生できないコンテンツが山のようにあるはずだ。

 日本の未来のために、誰が何をどのようにすればいいのか。著作権者の1人として協力を惜しむつもりはない。関係各方面には、ぜひ、がんばっていただきたい。