山田祥平のRe:config.sys

地デジカはいじめっ子なのか




 Windows Digital Life Consortium(WDLC)が「パソコンも地デジカ」をアピールする記者発表会を開催、地デジ機能搭載PCの魅力を訴えた。発表会では民放各社がメーカー製PCにプリインストールされるというガジェットを公開、その楽しさを訴えるも、それがPCそのもので地デジを楽しむこととどう関係するのかという疑問がわいてきた。

●PCだからこそ得られるTVの楽しみもある

 PCは、その汎用性ゆえに、さまざまな便利から虐げられている。何でもありの過去と本来のPCの実力を知っているなら、今の蹂躙にも似た状況は耐え難く感じられるかもしれない。

 そもそも「地デジカ」は、地デジへの完全移行に向けて、地デジ推進のために作られたキャラクターで、日本民間放送連盟によるマーケティングキャラクターだ。つまり、まずはPC不在で成立した企画である。今回のコンソーシアムによるキャンペーンは、そこにPCベンダー各社が乗っかり、民放各社と協業する形だ。

 東京・秋葉原で開催された発表会では、民放各社がPCにプリインストールされる自社ガジェットソフトの楽しさをアピールしたわけだが、ガジェットとTV機能搭載PCの関係はただ一点、クリックするとチューナが起動して、TVを視聴できるということだけだった。ガジェットが映し出す楽しげな映像はすべてフラッシュなどによるストリーミング映像で、PCで地デジが扱えることの必然性はどこにもない。こんなことなら、リモコンデバイスで家庭用TVをオンにできればそれでいいし、むしろ、その方が現実的で便利かもしれない。

 さて、PCの業界は、地デジ放送の始まった2003年以降、それはそれは限定的な枠の中で、なんとかPCとTVとの親和性の高さを実現しようとしてきたし、今なお、努力を続けている。

 例えば、東芝のQosmioやソニーのVAIOでは、放送されている番組のメタデータを記録してデータベース化、番組内容やその出演者に関する情報、取り上げられたショップや飲食店などの情報を参照できる。今、リアルタイムで見ている番組のみならず、録画済みの番組であっても同等の機能が提供される。これはすごいと思う。

 また、東芝の製品の一部には、メディアプロセッサーとしてCell技術をベースにしたSpursEngineが搭載され、番組を録画しながら、その番組に登場する顔という顔をインデックス化し、視聴時のシーンの検索に利用できる。これも圧巻だ。

 これらの機能は、特定のPCに閉じた地デジの楽しみ方にすぎないが、NECのLaVieや
VALUESTARなどのPCなどでは、従来ワンセグ画質に限定されていた録画済み番組の持ち出しも、640×360ドット、30fpsの画質に対応、SDカードに書き出して携帯電話や別のPCで楽しめるようになってきている。このくらいあれば、完全満足とはいわないまでも、それなりにガマンできる。

 今の状況に決して満足しているわけじゃない。でも、少しずつではあるが、春の兆しは感じられる。TVとPCが、今、また、歩み寄りの傾向にあるのはうれしいことだ。

●放送局の論理はリアルタイム最優先

 PCの通信機能を駆使して、リアルタイムで放送されているTV放送の内容を2倍3倍に楽しむ。放送局、特に民法各社にとってこれは理想だ。それなら間に挟まるCMも飛ばし見しようがない。リアルタイムであることが大事だからだ。

 24日の発表会での圧巻は、ゲストとして招かれた一般のユーザーが壇上に並び、サッカーの試合を見ながら応援メッセージを発するというデモンストレーションだった。ピーチクと呼ばれるサービスによって実現されるもので、今やっている番組を視聴しながら、個人個人が感想をつぶやくことができるというものだ。

 サイトを開くと、現在の番組表の一覧が表示され、その中から好きな番組を開くと、その番組をリアルタイムで視聴中のユーザーのつぶやきを楽しんだり、ログインして自分でもつぶやくことができる。想像するに難くないように、これは、Twitterのハッシュタグを応用したサービスだ。

 したがって、つぶやくためにPCでTVを視聴する必要はない。部屋の大きなTVでリアルタイム放送を見ながら、手元の携帯電話やノートPC、今ならiPhoneやiPadで参加すれば、それだけで楽しい。盛り上がっているチャンネルでは、つぶやきがどんどんスクロールしていくので、画面を見渡しやすいデバイスの方が有利だ。その点では、携帯電話よりPCの方が向いている。地デジPCのリモコンで投票ボタンを押すよりも、ずっと、おもしろく感じられるだろう。古くからのユーザーなら、ニコニコ動画や2ちゃんねるの実況板で、何年も前からやっていることだろうが、まだまだ、こういうことを新鮮に感じる層は厚いのだ。

●PCの立ち位置はどこにあるのか

 PCとTVの関係では、互いに相手を飲み込んでしまうようなことではなく、互いにできることを認めながら、こうした緩やかな関わりを維持していくことが大事なんじゃないだろうか。否定することからは何も生まれない。インターネットはデバイスの種類を問わず、すべてを引き受けることができる太っ腹のネットワークだ。そのネットワークを使って、従来、個別に存在していたものがつながりを持ち始める。いってみれば、デバイス間SNSであり、複数のデバイスを操る個人が、複数のネットワークを介してつながっていく。

 Windows Digital Life Consotiumのもくろみは、薄型大型地デジTVが急速に普及していくなかで、家庭に導入される2台目以降の地デジ受信機にPCを選んでもらうことにあるわけだが、今回のキャンペーンは、ちょっと論理の展開に無理がある。多くのシナリオに関して、PCが地デジ機能を搭載していることの必然性が希薄だからだ。

 マイクロソフトが主張するように、時代は3スクリーンだ。これは正しい。TV、PC、携帯電話という3つのデバイスの画面がそれで、どれか1つが世の中を主導する時代ではない。個人的にはながら見ということができないタイプなのだが、多くの人々は、その3スクリーンのうち同時に2つは当たり前、場合によっては3つを同時に楽しむことができるだろう。そういう環境の中でPCに何ができるか。そして人々はPCに何を求めるのか。やっぱりPCなんていらないねというようにさせないために、やるべきことは、まだまだたくさんあるはずだ。

 新たな時代におけるもう1つの立ち位置を模索し続けるPCをぼくは応援したい。