山田祥平のRe:config.sys

石橋を叩いて渡るITエンジニアはWindows 7を信用するのか




 米ロサンゼルスで開催中のITエンジニア向けカンファレンスtech・edも、会期4日目を迎え、そろそろ終盤に入る。基調講演を皮切りに、毎日、数コマのセッションを受講していると、それなりに今年から来年にかけての動きが見えてくる。

●ITエンジニアは臆病なのか

 Microsoftが開催する技術系のカンファレンスとしては、デベロッパーのためのPDCとハードウェアエンジニアのためのWinHECが有名だ。この2つのカンファレンスは、必ず毎年開催されるわけではなく、技術トレンドの節目を見極めながら、少なくとも隔年程度には春か秋に開催されてきた。

 その一方で、tech・edは、毎年必ず開催されているし、日本においても毎年、米国の開催を受けて、真夏の横浜パシフィコで大規模に開催されてきている。つまり、PDCやWinHECが一歩先の未来を先取りし、作り上げようとしている人たちのカンファレンスであるのに対して、tech・edは今目の前にある現実のテクノロジーをどのように取り入れようかと模索している人たちのカンファレンスだといえるだろう。

 極端な言い方をすれば、Vistaには手を出さずエンドユーザーにはXPを使い続けてもらって、OSの更新のタイミングを虎視眈々と狙う一方で、新しいサービスパックが出ても、すぐには適用はさせず、徹底した検証をしてからおそるおそる導入するといった人たちだ。

 臆病のように見えるが、それは、当たり前だ。アグレッシブに常に最新の環境を導入していくことで、もし、何かトラブルが起こったら取り返しのつかないことになってしまう。この不況の時代である。ITのトラブルが原因で会社がつぶれてしまうようなことがあってはならない。だから、彼らに課せられた責任は重大だし、慎重にもなるというものだ。

 そんな人たちが集まるtech・edだから、スケジュールされたセッションの多くは、既存の技術の応用に関するものだ。この夏にはOffice 2010のテクニカルプレビューが公開されるのだから、それに関するセッションが1つくらいあってもいいのだが、スケジュールには見あたらない。

 それでも、Windows 7やWindows Server 2008 R2に関するセッションは少なからず用意されている。一新されるExchange Server関連のセッションも目につく。

 今回のtech・edは、当初は参加する予定はなかったのだが、思ったよりも早くWindows 7のRCが公開されたので、少しでも新しい情報を入手しようと、インフルエンザを怖れながらもロサンゼルスまでやってきた。ただ、関連セッションを聴講してみた感触としては、まだまだ様子見という印象を免れない。でも、そんな保守派の参加者にとっても、「このままでいいのか感」は、それなりにあるようだ。そういうムードを感じることができたのは大きな収穫だ。もしかしたら、Windows 7は、沈滞気味のIT環境に、ちょっとしたパラダイムシフトを起こすかもしれない。

●移行を阻む単純なマジック

 ITエンジニアの悩みの種は、XPからの移行をどのように段取りするかだろう。なんといっても8年前にリリースされ、ずっと使われ続けてきたOSだ。ユーザーはXPの環境が手に馴染み、むしろITエンジニア以上に変えてほしくないと思っているかもしれない。

 Microsoftとしては、XPから7への移行は、XPからVistaへの移行と同じくらいの難易度、Vistaから7への移行は実に簡単だということをアピールしたいようだ。つまり、ハードルの高さはVistaが出た3年前と同じくらいというわけだ。

 その背景には、7のメジャーバージョンがVistaと同じ6のまま、つまり、Vistaが6.0で、7が6.1であるという事実がある。5.0の2000から5.1のXPへの移行が、さほど難しくなかったのと同じ理屈だ。

 気になる互換性だが、セッションで入手したおもしろい話がある。XPで動くアプリケーションで、Vistaでは動かないのに7では動くというものがあることの背景を説明するものなのだが、アプリケーションがOSのバージョンチェックをする際に、メジャーバージョンとマイナーバージョンをチェックし、Vistaが欠落するケースがあるというのだ。

 つまり、XPの5.1を期待して「メジャーバージョンが5より大きく、かつ、マイナーバージョンが1より大きい」ことをチェックすると、Vistaの6.0はチェックをはずれるが、7の6.1は合致するというわけだ。そういうアプリケーションが少なからずあるらしい。だから、Windows 7のバージョンは、あえて6.1なのだという。

 話の本質は、アプリケーションが自分が動ける環境なのかどうかを調べるのに、OSのバージョン番号を頼りにするのはもうやめようということだった。そんなことをしていたら、Windows 8やWindows 9が出てきたときに、また、同じような現象に悩まされる。本来は普通に動くはずのアプリケーションが、バージョンチェックのみにひっかかって使えないという馬鹿らしい不便が生じるのだ。だからこそ、機能の有無を調べる多彩なAPIが用意されているのだ。それを使わないのは怠慢といってもいいし、それでは確実に自分の首を絞める。

 同じような過ちはOSの多言語対応関連でも散見されるという。つまり、少なからずのアプリケーションが、「Z」の次にもう文字はないと思い込んでいるということだ。だが、日本語の環境だけを見てもわかるように、「Z」の次には、延々と2バイトの文字が続く。それもまた、アプリケーションの互換性を阻む、つまらない原因になっている。

 また、7では、ライブラリという概念が取り入れられるため、それが問題を起こすかもしれないと予測されている。ライブラリは検索結果を一覧するファイルの集合であり、フォルダではない。それをわかっていないと、ファイルオープンのようなシンプルな操作でさえ失敗してしまう。

●モラトリアムからの脱出

 Windows 7のUXは、エンドユーザーにとっては、タスクバー関連の機能拡張によって、ちょっとした混乱を招きそうだが、アプリケーションの開発側にも、それなりの新しいスキルを身につけることを要求する。でも、このタイミングで、このハードルを超えておかないと、この先の10年、20年、大きな苦労を抱え込むことになるだろう。

 今回、tech・edを取材し、XPがこれだけ長く使われ続けたのは、ある意味で、ITのモラトリアムだったのではないかという思いをいっそう強くした。Vistaは企業ITにおいては、インターンシップのようなものだったわけだ。そのことを、いちばんよく知っているのは、このカンファレンスの参加者たちだろう。