山田祥平のRe:config.sys
世の中の老眼諸氏よ、もっと怒れ
2017年9月8日 06:00
デジタルにはデジタルの良いところがある。味気ないとか無愛想だと言われたとしても、そこはそこ。それらを差し引いたとしても良いところがある。
だからこそ、ぼくらはこの何十年もデジタルデバイスで読み書きをしてきたし、これからも続けるだろう。
新しい読者体験は何よりもつらい拷問
ヤフーが「新しい読書体験」の提供を目指し、新たなプロジェクトをスタートするというので、その記者会見に行ってきた。
これから9カ月にわたって、三島賞受賞作家の上田岳弘氏の最新小説「キュー」を雑誌「新潮」の連載と同時に掲載するという。雑誌は月刊で毎月1章ずつの連載だが、ヤフーではそれを週2更新の連載毎月8回程度で公開するという。
そのデザインはテクラム・デザイン・エンジニアリングが担当し、専用アプリといった閉じた枠組みの中ではなく、スマートフォンのWebブラウザという特別ではない誰もが慣れ親しんだツールを使って新しい読書体験を提供するとアピールする。
各社の協業により、小説、特に純文学のジャンルに分類されるコンテンツを、今まで届けることができなかった人々に届けることで、「新しい時代の想像力とは何なのか」を世界中の才能が競い合っているこの激動の時代において、完成した作品をただ掲載するのではなく、新しい純文学の形として、ある種の構想のもとに読者と創り上げていくプロジェクトになるという。
記者会見中に、Webサイトを開いて見て欲しいという案内があったので、手元のスマートフォンを使って表示させてみた。イントロダクションのページが開き、「最初から読む」をタップすることで読書体験がスタートする。
小説は縦書きで表示され、ページ送りは縦方向のスワイプだ。一般的な電子書籍は横方向のスワイプでページを送ることが多いが、それでは手が疲れるという配慮なのだという。
ただ、最初に見たスマートフォンの画面は5.1型だったので、ちょっと文字が小さい。気軽に読むというわけにはいかないので、文字サイズを変更しようとしたのだが、どうにもその機能が見当たらない。たまたま持っていた6.2型のスマートフォンで見ても、たいして変わらない。じゃあ、iPhoneならどうだろうと思って開くと、やはり文字が小さい。
ブラウザだから、その文字サイズを変更すれば良いだろうと思って設定を変更しても、文字サイズは変わらない。ただ、iPhoneにはリーダーモードがあるので、そちらに移行すると、ようやく読みやすいサイズの文字で表示された。
ただし、ページネーションはなくなり、横書きのテキストとして小説が表示される。でも、こちらのほうがずっと読みやすい。
だったら、PCならラクに読めるだろうと、メモに使っていた13型のPCでサイトを開いても、PC用のブラウザでは、アクセスしても小説が読めないようになっている。自宅に戻って、10型Androidタブレットで試してみたが、同様に読めなかった。
デザイナーの自己満足が最優先
このプロジェクトは、スマートフォンに特化したものだということだ。読書体験をスマートフォンに限定することで、特別な何かを感じてもらうという意図があるのかもしれない。
でも、世の中にはいろんなスマートフォンがある。大きいものや小さいものなど、千差万別だ。画面の縦横比についても、バリエーションが増えてきた。iPhoneとiPhone Plusのように、画面サイズが違っても文字のサイズは同じというものもある。
これらの違いをうまく吸収できてこそのデジタルではないかと思うのだが、どうもそうではないらしい。
会見の質疑応答で訊いてみると、とにかく専用アプリは使いたくなかったとのこと。そのため、ブラウザをプラットフォームとして使う。各種ブラウザや各種の画面サイズに対応させるのは難しいため、文字サイズの変更については見送ったという。専用アプリなら簡単だが、ブラウザでそれをするのは難しいという。
その一方で、動く挿絵としてのジェネレーティブアートがサポートされ、読者がタップした位置と時刻によって、作品が生成されるような仕組みが搭載されるなどの工夫もある。
もうこうなると、UXのデザイナー、そして、それを実装するソフトウェアエンジニアの自己満足としか思えない。読ませることは二の次で、虚仮威しに注力しているように感じられてならない。それが新しい時代の小説なのだ、と言われればそうかもしれないが、何かが間違っているような気がする。
デジタルデバイド再び
最近は、TwitterのAndroidアプリから、文字サイズの変更機能がなくなってしまった。
iOS版にはまだ残っているようだが、もともとあまり大きな文字にはできなかったので、TwitterはAndroidに限ると思っていた。直近ではついに、表示見本までなくなってしまったから、この文字サイズの変更機能は、このまま消えてしまうのかもしれない。
個人的には、必要以上に文字を大きく表示させていると思う。UXのデザイナーにとってはもちろん、普通の人にとっても大きすぎると思うかもしれない。デザインも台無しになっているかもしれない。
でも、そうすることで画面に没頭することなく比較的遠い位置から眺めることができるので、画面の周りが常に視界に入る。歩きスマートフォンは危険だが、立ち止まっても、座っていても視界は広い方が良い。
それに、文字が大きい方が速読がしやすい。特に日本語では漢字熟語が目に留まり、スルスルとスクロールさせて流し読みしていても、重要なメッセージを見落としにくい。
ユーザーの文字コンテンツを売りにしているサービスが、可読性を犠牲にしてどうすると思い、「@TwitterJP」に対して何度かメンションを送っているのだが、復活したり消滅したりを繰り返しているうちに、ついにサンプルメッセージもなくなってしまった。
TwitterのAndroidクライアント、フォントサイズの変更が復活したりなくなったり。今朝も更新で復活して大喜びしたのに再起動したらなくなった。お願いですからちゃんと復活させてください。 .@TwitterJP
— 山田祥平(syohei yamada) (@syohei)2017年7月11日
もちろん、最小文字サイズでも、まだ大きいと感じるユーザーがいるのはわかる。
でも、多種多様のデバイス、そして多種多様のユーザー、それぞれのニーズを満たせるようにできるのがデジタルの強みではないのだろうか。そして、それがUXを作る側にもっとも考えてほしいことでもある。
個人的に、もう紙の本は読むのがつらい。文庫本はもちろん、コミック、そして多くの単行本で文字が小さいと感じる。当然、読書の量は激減した。
だが、デジタルはその悩みを払拭してくれる。だからせっせと自炊もした。さらに電子書籍の登場は光明だった。おかげで自炊の手間なく、好きなコンテンツを好みの文字サイズで読めるようになった。
世の中の多くのユーザーが、何の疑問にも感じていないことかもしれないが、そこに悩みを持つユーザーも一定数いるはずだ。こうして別の意味でのデジタルデバイドが生まれることは、ある種の人災ではないだろうか。