第442回
なぜ我々はパソコンマニアになったのか



 先週、PC業界には3つの大きなニュースがあった。

 1つはWindows 7のSKU(出荷単位)、すなわち○○EditionといったOSのパッケージ構成が決まり、それが発表されたことだ。これはとても興味深い。他コラムでも分析されているが、簡単に言えばMicrosoftはネットブックに代表される超低価格PC(ULCPC)に、さらなる足かせを填めたて利用フィールドを制限するという判断を下した。

 次にUQモバイルによるコンシューマ向けサービスプランの発表。筆者も取材を予定しているが、先方の広報担当者も「やっと取材を受けられるようになった」と節目にこぎ着けたことを喜んでいた。

 最後はIntelのロードマップ変更だが、こちらは今週、正式な発表がIntelからある予定だ。すでに報道されているように、32nm世代の開発が順調という理由もあるのだろうが、世界的な景気後退という事情も無視できない。

 この時期には製品を次々に立ち上げていくよりも、製品立ち上げに伴うコスト上昇を回避して、次の大きくステップアップできる世代に賭けようという意図があると推測できる。景気後退期に力を溜め、次の成長期が始まると同時に一歩前へと飛び出すというのは、Intelの常套手段でもある。

●なぜ我々はパソコンマニアになったのか

'87年春に初代機が発売された、モトローラ68000CPU搭載の「シャープ X68000」

 今さら改めて言う話でもないが、私は「パソコンマニア」だ。最近はPCをマザーボードから組み上げなくなったし、CPUのクロックアップにも興味は持てなくなったが、CPUのアーキテクチャの進歩には浪漫を感じる。PCがまだ前進できるという希望も捨てていない。

 しかし、そんな筆者でも最近のPC業界は、時々、つまらないと感じることがある。いや、ちょっと待て。俺はパソコンマニアではないか!? そんなことを言っていていいのか?

 だが、心の中をどう誤魔化したところで、事実が変わるわけではない。なぜ面白味に欠けてきたと感じるようになったのかを知るには、なぜ面白いと思ったのかを探るのが近道だ。なぜ、我々、いや筆者はパソコンマニアになったのか。

 筆者がコンピュータに興味を持ち始めたのは約30年前。実際にPCを自分で購入できたのは、その後、なんとかお金が貯まった'82年の事だが、それから数えても約27年が経過している。

 初期のPCに対するモチベーションはプログラミングの面白さだった。筆者の場合、フロッピーディスクコントローラを直接アセンブラから扱うことでコピーを高速化したり、通常は読み出せない特殊なフォーマットのディスクを作るソフトなどを書いた記憶がある。

 この路線での興味は、その後、シャープのX68000シリーズに移植されたGNU系ツールで遊ぶといったことにつながっていったのだが、さすがに少々話が古すぎるか。とはいえ、X68000の時代はPC通信が始まり、モデムと電話回線を通じて世界が大きく広がった時代でもあった。

 そんな筆者がパソコンマニアになることが決定付けられたのは、DOS/Vの登場と内外のPC価格差を背景にNECのPC-9801シリーズからIBM-PC/AT互換機へと、雪崩を打ったかのように移り変わっていく時代を経験したからだと思う。

●箱庭から小宇宙へと開放されたことで生まれたダイナミズム

 それまで日本のPC世界は箱庭的なものだった。各メーカーが独自アーキテクチャのPCを投入し、優劣を競っていた。しかし、自分では自由にPCを使いこなしているつもりでも、ハードウェアの制限を超えることはできない。しょせんはメーカーが、メーカーのペースで提供してくれる箱庭で遊ぶだけだったとも言えるだろう。

 しかし、それが急にハードウェアの違いを意識しなくても良い(実際には多少、意識する必要はあったが)世界が現れたのである。当時、紆余曲折あってコンピュータソフトウェアのトレンドは米国からやってきていた。それらは自分の持っているPC用に移植されなければ使えなかったのが、英語版そのままならば、手元ですぐに動かすことができる。

 頭の中には、それまで全く知らなかった日本よりはるかにオープンで、デファクトスタンダードの下にソフトウェアもハードウェアも選び放題だった米国のPC事情やソフトウェアの情報が次々に入り込んで溢れ出すかのようだった。今では珍しくもないマザーボードなどパーツを購入してきて作り上げる、いわゆる簡易型の“自作PC”も、この時に広まったスタイルだ。

 その直後からWindowsの普及が始まり、その流れはWindows 3.1の頃(日本では3.1の日本語化が遅かったため、3.0A時代と言った方がいいかもしれない)に決定づけられていた事も大きい。

 DOSからWindowsになり、グラフィックやサウンドをはじめ、多様なハードウェアが仮想化され、ドライバさえ組み込めばアプリケーションソフトウェアの互換性を気にすることなく、自由にハードウェアを選択できた。

 その後のインターネット時代が大宇宙時代とするなら、この頃のPCユーザーはメーカーの用意する箱庭から小宇宙へと開放されたかのようだった。おそらく、この時に味わった自由への開放という感覚は、すっかり整備された今のPC事情しか知らない世代には理解しがたいものだろう。

 話は長くなったが、筆者がパソコンマニアになる原因となった体験とは、PCのハードウェアとソフトウェアが織りなす、目にもとまらぬ速さの進歩、変化だった。筆者が若かったせいもあるが、そこからは無限の可能性があるように見えた。

●ダイナミズムが失われた理由

 前記は筆者の体験だが、その後もPC業界は多くのマニアたちを獲得した。なぜなら、PC業界は半導体技術の進化に乗って、それこそ息つく暇もないほど、どんどん新しいことを吸収し、極端に言えば毎月、PCでできる“何か新しいこと”が増えていったからだ。

 さらに勢いに乗るところでインターネットの普及が始まり、どこまで進化できるのか、誰も判らない状況の中で、可能性だけを見て業界は突っ走ってきた。しかし、1つ置き忘れてきたものがあるように思えてならない。

 PCの可能性に興奮した一番最初の理由。何が次に起こるのかわからない、予想もつかないほどのダイナミックな業界の変化と、さらなる変化への期待は、ある時期からなくなってしまった。

 さまざまな理由があるだろうが、筆者が感じているのはIntelなどがかつて頻繁に話していた“上昇スパイラル”が維持できなくなってきたことにあると思う。Intelの言うスパイラルの論理とは、“新しいCPU(ハードウェア)が新しいソフトウェアを生み、進歩するソフトウェアが新しいCPU(ハードウェア)を必要とする”というものだ。

 大抵のソフトウェア開発者は処理能力の限界から、何らかの妥協を持って開発をしている。ならばソフトウェア開発者を足枷から開放できるだけの高速CPUを生み出せば、妥協を捨てて新しいアプリケーションを切り開いてくれる。その新しいアプリケーションが快適に動くよう、さらに高速なCPUが求められる。このスパイラルが永遠に続けば、いつまでもユーザーに興奮を与えることができただろう。

 しかし、残念なことに、常に上昇していくスパイラルは描けない時代になってしまった。色々な理由があるだろうが、1つには新しいソフトウェアを生み出す独立系のパッケージソフトウェアベンダーの事業が成立しなくなったことにあると思う。

 以前のPC業界には、未完成だが新しく時代を変えるかも知れないソフトウェアを受け止める素地があったと思う。しかし成功したソフトウェアベンダーが大企業化していくにつれて、中規模以下のソフトウェアベンダーが活躍する場は失われていった。

 MicrosoftやAdobe Systemsといった大手ソフトウェアベンダーは、確かに開発力はある。それぞれ、新しい技術を生み出すための投資も怠ってはないが、ユニークな分野を開拓するのではなく、自らの強みを発揮できる分野とその周辺にフォーカスした開発しか行なっていない。

 では山のようにあったソフトウェアベンダーたちはどこに行ったのか。その多くはネットワーク系のアプリケーション開発に行った。ネットワークの世界には、その後も新しいアイディアに溢れる開発者たちがいて、そこには成功者も生まれている。Googleなどは、その最も顕著な例かもしれない。

●ネットブックに手は出しづらいが……

2007年に登場した最初の「Eee PC」はWindowsが載っていなかった

 先週のコラムでも少し述べたが、筆者はネットブックに興味を持ちつつも、これまで手が出ずにいた。たいていは2世代前ぐらいの仕事で使い古したPCがあり、いくらボロボロになっていてもネットブックよりはマシなところが多いというのが表向きの理由だ。

 しかし本当の理由を自分の心に問いただしてみると、ネットブックが単なる道具にしかならないから、なのだと気付いた。ネットブックからは、何か新しい価値、ワクワクとした気持ちを感じることができそうにもない。それでも必要になれば手を出すかもしれないが、それは必要な道具として入手するだけであり、あまり積極的なものではない。

 しかし、その一方で新しいPCに大きな投資をするというモチベーションを作りづらい状況にも変わりはない。

 たとえば筆者が使っているデスクトップPCはMac ProのDual Core Xeon(3.0GHz)を2個搭載するマシンだが、これは2年前のモデルだ。メモリを8GB搭載していることもあるが、パフォーマンス不足を感じることはほとんどなく、来年になっても同じマシンを使っている可能性が高いだろう。以前は考えられなかったことだ。

 IntelをはじめとするCPUベンダーは、途中、スランプを経験しながらも、それなりに処理能力を向上させるというミッションを果たしてきたが、そのパワーが活かされているのは、手元にあるPCよりもネットワークの向こう側にあるサーバの中であることの方が多くなってきた。

 もちろん、2000年ごろのPCに今のOSとアプリケーションをインストールしたなら、まともなパフォーマンスでは動いてくれない。ということは、それなりにソフトウェアも処理能力を活かした“何か”を我々に提供しているはずなのだが、それを実感できている人はあまりいないだろう。

 少々、照れくさい言葉で言えば、サイバースペースに生まれてくる珠玉の価値を持った“何か”は、PC用ソフトからネットワークの中へと生まれる場所が変化したということだ。ならばネットブックが流行するのは無理もない。ネットブックとはネットワークサービスを利用するために特化したノートPCなのだから。

 ところがMicrosoftは、Windows 7で事実上、ネットブックの利用範囲を限定するライセンス形態を取った。しかし、これによってネットブックの流行は強制終了となってしまう可能性が高く、これは自分たちの首を絞めることにならないだろうか。

●“商品カテゴリ”はベンダー側が作るものではない

 個人的にはネットブックブームは、一時的な熱のようなものだと思っている。価格の縛りから開放されたことの熱が一気に集まり、加熱したことでムーブメントになった。しかし、いつかは落ち着いて、1つのカテゴリとして定着する。

 だが、そのネットブックの存在形態を製品を提供する側が制限しすぎると、あまり良い方向には行かないように思う。商品カテゴリは無理にベンダーが作るのではなく、市場の動きから自然に生まれるものだろう。市場をコントロールしようとしても、決してうまくはいかない。

 ネットブックが加熱しすぎたのも、超低価格PCを作るためにMicrosoftがライセンス価格の体系に特例を認めたからだ。Windows 7 Starter Editionのような形で無理な制限をしてしまうと、今度は別の形で歪みが生まれる。

 元麻布氏が指摘したように、ネットブックではない低価格なフル機能PCへの影響も小さくないが、結果的にLinuxベースのクライアントOSを開発しているベンダーを勢いづかせるだけだろう。

 あえて厳しい言葉で言うが、せっかくWindows 7によってエンドユーザーの信頼を回復したのだから、こうした小細工をするのではなく、Microsoftは自社OSを搭載するPCから、溢れ出るほどの魅力的なソフトウェアを生み出すための“仕込み”に力を入れるべきだろう。

□関連記事
【2月4日】【元麻布】Windows 7のラインナップが明らかに、実質値上げか
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2009/0204/hot596.htm
【2月9日】【笠原】Windows 7がネットブックブームの終わりを招く
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2009/0209/ubiq246.htm
【2月6日】【海外】Havendale/Auburndaleキャンセル後のIntelロードマップ
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2009/0206/kaigai488.htm
【2月3日】UQ、モバイルWiMAXの無償お試しサービスを2月26日より開始
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2009/0203/uq.htm
【2008年10月31日】【本田】だから、Windows 7に期待する
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/1031/mobile431.htm

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(2009年2月12日)

[Text by 本田雅一]


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