「17年間、お疲れ様!」――2007年9月20日19時、秋葉原にあるラオックス ザ・コンピュータ館が閉店した。当日は閉店を知るファンが店の前を取り囲み、店舗正面入り口シャッターが閉まる際には拍手と共に、「お疲れ様」のかけ声が飛んだ。 「ザ・コン」の愛称で親しまれた有名店舗の閉店だけに、通りかかった人が店の前にできた人垣を見て驚き、「何があるの?」と声をあげるが、「今日、閉店するんでしょう」という説明に納得する。やはりこの店は、秋葉原をよく知る人にとっては、閉店がイベントとなる特別な店舗だったのだ。 閉店した店舗を遠くから眺めていると、ザ・コンピュータ館で過ごした時間が蘇った。'95年11月22日から23日にかけて行なわれたWindows 95発売イベントをはじめ、その後98、2000、Me、XPと新しいWindows発売時には必ずこの店舗の周りにいた。'80年代、マニア向け商材として始まったPCが、'90年代に入りコモディティ化していくに従い、その時代を象徴する店舗がこの店だったのだ。
●「誰でも入れるPC販売店」を実現 「ザ・コンが閉店するらしい」という噂が飛び交ったのは7月31日。地下にあるメイド喫茶がホームページ上で、「ザ・コンピュータ館が幕を下ろすことになり、当然この場所での営業は不可能になりました」で告知したところから、噂が広まった。
その時点ではラオックス側は、「ノーコメント」としていた。が、この話を聞いて、「ついに」と感じた人は多かったのではないだろうか。最近のザ・コンピュータ館は一時の勢いを失っていたことは明らかだったからだ。 それを実証してしまったのが今年(2007年)1月30日のWindows Vista発売イベント。Windows 95以降、東京でのイベントはザ・コンピュータ館にマイクロソフトの幹部、PCメーカー幹部が集まって行なわれていたが、Vistaに関してはコンシューマユーザー向けには有楽町のビックカメラ、秋葉原のヨドバシカメラ、自作ユーザー向けには秋葉原のTSUKUMO .exで行なわれた。それまで新Windows発売の夜をザ・コンで過ごしてきた筆者にとっては寂しさを感じざるを得なかった。 原因も明確であった。 ザ・コンは、それまで狭くて暗い小規模店舗で販売されることが多かったPC販売店の常識を変えることを狙っていた。PC専門店の先駆け、大阪・日本橋にある上新電機のJ&Pテクノランドを追撃するべく、女性にも入りやすい、明るい、大型店舗が作られた。 今では当たり前となった、女性用トイレの設置、PC関連書籍の販売コーナー、18時頃に閉店する店舗が多かった秋葉原で閉店時間を20時過ぎにするといったことを率先して取り入れていったのもザ・コンである。当時のPC販売の常識を覆す施策を取り入れ、PCはマニアだけのものではないということを実践する店舗だったのだ。 余談だが、'90年代前半、地方のPC販売店を取材する際、「ザ・コンがどんな取り組みをしているか」を話すと大いに喜ばれた。当時のPC販売店の先端を行っていたのがザ・コンで、地方のショップにとっては、参考にできる点も多かったようだ。 ところがWindows 95発売前後から、郊外にある大型家電店でPCを販売することが当たり前となる。PC専門店としては大型だったザ・コンだが、AV機器や家電製品とPCを併売する郊外店には、ザ・コンを上回る規模を持つところも登場してきた。 開店時には新鮮だった店舗としてのコンセプトが、後を追って誕生した店舗に追い越されていってしまったのだ。 ラオックス自身もその点を認識し、何度か店舗リニューアルを実施している。しかし、そのいずれもうまく機能しなかった。しかも、ラオックス自身の業績が悪化している。8月3日になって、ラオックスが正式にザ・コン閉鎖を発表した時も大きな驚きは感じず、「やはり」と感じたのが正直なところであった。 ●'90年代を記念するイベント発祥の地 それだけに9月20日、閉店にあたって多くのギャラリーが集まったのは意外であった。はっきりいって、同店のリニューアルオープン時よりもたくさんの人が集まっているという感じだった。
ザ・コンの閉店にそれだけの意味を感じるのなら、日頃からザ・コンで買い物をすればいいのに……とも思った。客が入らなくなったロックバンドの解散コンサートには、大勢の客が集まり、「普段からこれだけ客が入っていたら、解散しなくて済んだのに!」とボーカリストが叫んだという逸話がある。それと同じ状況なのかもしれない。 正面入り口が閉じた後も、裏口が閉まるまで人垣がなくなることはなかった。周囲にはラオックスのアソビットキャラシティをはじめ、PC専門店が並んでいる。他の店舗は明るく、まだ客が入る時間帯だというのに、ザ・コンは閉店の時を迎えている。以前は、夜になって秋葉原に来ると、他の店舗は閉まっているのにザ・コンだけが明るかった。その状況が逆になっているのは変な感じだった。 薄暗い秋葉原の通りを見ていると、色々な幻が浮かんでは消えた。 Windows 95発売の夜には、筆者はザ・コンの中にいた。当時マイクロソフトの社長だった成毛真氏の動向を見届けるために、深夜0時から1時30分頃まで密着取材していたのだ。 一見すると、当日の成毛氏は冷静だったのだが、マイクロソフトにとっても初の深夜発売だっただけに、内心は穏やかではいられなかったようだ。それを痛感したのが0時30分頃。秋葉原に人が集まりすぎて、交通規制が実施されたといった報告を聞きつけて、「ビルに電話しろ!」と成毛氏が叫んだ。日本での発売成功を、ビル・ゲイツ氏に自ら報告したかったのだろう。残念ながら、米国は早朝だったためにビル・ゲイツ氏は出社前で電話はつながらなかったのだが……。 そんな様子を目の当たりにしたのは、ザ・コンのエレベーターの4階か、5階付近だったことをその時、思い出した。 Windows発売イベントの時は、競合店の経営者もザ・コンの様子が気になっていたようだ。 当時ザ・コンの隣にあったぷらっとホームでは、Windowsの深夜発売にあわせ、Linuxを販売するイベントを実施した。当時、ぷらっとホームの社長だった、本多弘男氏(現・ぷらっとホーム会長)が、「うちにも取材に来い!」とWindows発売を取材に来た記者を自分の店舗まで引っ張っていく。本多氏といえば秋葉原でも名物経営者だっただけに、その誘いを断れる記者はいなかった。ベテラン記者も苦笑いしながら、ぷらっとホームまで足を運んだものだ。しかし、同社も現在は店舗を閉鎖している。 Windows 98の発売時には、当時T-ZONEを経営する亜土電子工業の社長だった金山和男氏が自転車でザ・コンの様子を見に来たり、九十九電機の鈴木淳一社長が姿を見せることもあった。9月20日の閉店時にも誰か様子を見に来ているだろうか、と確認したが、誰の姿も確認できなかった。 まだ営業を行なっている他の店舗と対照的に店内にいた客がいなくなると、裏口のシャッターを閉め、真っ暗になったザ・コンの外観を見ていると感傷的な思いが浮かんでは消えた。
●家電流通の変化を感じさせた9月20日 取材が終わり家に帰ると、「ビックカメラ ベスト電器と提携」というニュースが大々的に報道されていた。ベスト電器に対しては、ヤマダ電機も株式取得を進めていることから、「家電販売店再編」の一環としてこのニュースを紹介する報道も多かった。
その同じ日にザ・コンが閉店したというのは、偶然のこととはいえ、PC販売店が大きな転換期を迎えている証である。 PCは家電販売店が取り扱う商品の中では単価が高く、売り上げ拡大に寄与した。しかし、その一方で利益は少ない。PCよりも高額で、利益もとれる薄型大画面TVなどの商品が売れ筋となった結果、家電量販店も以前ほどPC販売を重視しない傾向も出ている。 今後のPC販売は、どんな店舗が、どんなスタイルで行なうのが最適なのか――その答えを多くのPC販売店が模索している。PCがコモディティ化していく中で、その象徴となったザ・コンが閉店したことは、PC販売が新しいスタイルを見つけ出さなければならなくなったあらわれである。 2007年秋、これからのPC販売店はどこに向かっていくのか、大きな転換期を迎えている。
□ラオックスのホームページ (2007年9月26日) [Reported by 三浦優子]
【PC Watchホームページ】
|