Appleがついに、動画の配信サービスを開始した。iTunes Music Store(iTMS)での音楽配信大成功という実績もあることで、iTMS経由での動画配信にも大きな注目が集まっている。 だが、Appleほどの注目度はないが、いわゆる秋モデルから国内PCベンダ各社もオンラインでの動画配信にチャレンジしているところがある。その代表格は、NECが運営するISP(BIGLOBE)を通じてVALUESTARシリーズなどに配信されているコンテンツ配信サービスだろう。 ユニークなのは、これまでのコンテンツ配信サービスが“2フィートUI”と呼ばれる、PCの近くで、マウスとキーボードを利用することを前提としたサービスであるのに対し、NECのサービスはリモコンを利用して操作するためのUIである“10フィートUI”を利用したサービスなのだ。つまり、リビングにPCを置いて、ソファーの上からなど離れた場所からリモコン1つで操作することが可能になっているのだ。 だが、このように各社がバラバラにコンテンツ配信サービスを始めたことで、PC業界における勝利の方程式といえる“業界標準”の確立には、まだまだ課題が残っている。 ●米国にはブロードバンドが無くて、日本にはサービスがない 「米国にはサービスがあるが、ブロードバンドがない。対して日本にはブロードバンドはあるが、サービスがない……」。 このフレーズは日本でのデジタルホームはどうですか? と米国の業界関係者に聞かれたときに筆者が使っている、わかりやすく状況を説明するものだ。むろん、かなり状況を誇張した言い方なので、実際には日本だって後述するようなコンテンツ配信サービスは始まっているし、米国だってブロードバンドサービスは始まっているはずだ。全く無いというわけではない。だが、現在の状況を説明する、という意味では、かなりの部分を言い当てている。 本連載でも以前の記事で説明したように、米国ではMovieLinkやCinemaNowといった独立系のコンテンツ配信の企業がすでに立ち上がっており、コンテンツ配信サービスを行なっている。残念ながら日本からは利用できないが、ハリウッド映画やアニメなどさまざまなコンテンツが配信されている。 また、現時点で日本では全くサービスが提供されていないWindows XP Media Center Edition(MCE)のオンラインスポットライトにも、複数のサービスプロバイダがサービスを提供しており、米国ではリビングにいながらリモコン1つでさまざまなオンラインコンテンツを楽しむという環境ができあがっている。 だが、米国ではブロードバンドの普及率がかなり低く、普及はしていても日本のように高速なDSLや光ファイバーなどのサービスは夢のまた夢で、低速なDSLがせいぜいという現状である。狭い地域に住宅が密集している日本とは異なり、米国では広大な地域に住宅が点在している。このため、幹線は引けたとしても、ユーザー宅までのラストワンマイルをどうするのかに対する答えは今のところないのだ。距離に応じて転送速度が落ちていくDSL方式では、米国では高速なブロードバンドサービスを提供するのはかなり難しい。 せっかく立派なコンテンツ配信サービスがあったとしても、ブロードバンドがなければ、実際問題としてユーザーは利用できない。現在オンライン配信に利用されているWMV形式のストリーミングファイルの場合、DVDと同程度のクオリティを実現するには3Mbpsのビットレートが必須と言われており、現在のようにブロードバンドサービスが十分に行き渡っていない状況ではかなり厳しい状況だ。 米国におけるデジタルホームのジレンマはここにある。だから、ラストワンマイルを解決するソリューションとして、Intelは“WiMAX”を強力に推進しているのだ。ワイドなエリアを無線でカバーできるWiMAXは都市部だけでなく、都市部の周辺にもブロードバンドをサービスする手段として期待されている。 ●高速ブロードバンドはあるのに、なぜか盛り上がらないコンテンツ配信 対する日本だが、よく日本の家屋は“ウサギ小屋”と表されることが多い。狭い地域に小さな家が密集しているという意味だが、ブロードバンドの普及に関しては逆にそれが有利に働いた、ということだろう。よく米国人に「日本では安価にブロードバンドが使えていいなぁ」と言われるたびに、「君たちはその代わり家が広いじゃーん」といつも微妙な感想を抱いている……。 確かに、日本のブロードバンドサービスは、世界で韓国ぐらいしか他に例がないほど安価に利用できる。光ファイバーによる100Mbpsの回線が月額数千円で利用できる環境など、確かに他の国から見たら羨ましい状況。 だが、日本で動画配信サービスがあるのかと言えば、これまた難しい問題だ。いや正確に言えばないわけではない。これまでも、動画配信サービスはあった。主要なISPはアニメーションなどの動画配信サービスを提供してきたが、しかし、残念ながらそれほど利用されているとは言えない状況だった。 筆者は、動画配信サービスが普及しない理由は、1つには価格の問題が大きいと思っている。例えば、アニメ配信の最大手と言えば、おそらくバンダイチャネルだろう。バンダイチャネルはYahoo! やBIGLOBEなどのISPを通じて動画配信サービスを行なっている。 だが、筆者も見たいアニメを見つけることがあるのだが、利用にはどうしても躊躇してしまっていた。理由は2つあると思う。1つはその価格設定だ。バンダイチャネルの場合、アニメが1話、1週間で100円、4話パックで300円前後というのは、かなり微妙だ。というのも、レンタルDVDで借りたとしてもほぼ同じ値段だし、最近ではオンラインでのレンタルDVDを利用すればもっと安価に借りることが可能になっている。 レンタルショップに行く必要が無かったり、DVDが送られてくるのを待つ必要がない、という意味においては、レンタルDVDと値段が同じならオンライン配信のメリットがあるように思えるが、冷静に考えれば、こうしたコンテンツは今のところPCでしか見ることができない。リビングにある大画面TVで見たい場合は、リビングのTVにPCを接続しないといけない。仮に接続していたとしても、UIはWebブラウザなので、あくまで2フィートUIで、リモコンでの操作はできない。 これがDVDであれば、リビングの大画面のTVに接続したDVDプレーヤーで、リモコンで楽しむことができる。どちらがいいか、それは自明の理だろう。 ●リビングでついボタンを“ポチッ”としたくなるという快感 では、今の現状を打破するにはどうしたらいいのか。その1つの解決策は、まずPCをリビングの大画面のTVに接続してもらうことだし、もう1つは10フィートUIでサービスの提供を行なっていくことだろう。 1つの解が、NECがVALUESTARの秋モデルで提供している新サービスだ。NECのVALUESTAR秋モデルのリモコンには“ネットワーク映像”というボタンが用意されていて、これを押すことで10フィートUIが起動し、リモコンで見たいコンテンツを選択し、視聴できる。非常に簡単にオンラインコンテンツを楽しむことができるのだ。 配信形式はWMVになっており、Windows Media DRMを利用してデジタル著作権保護されており、ローカルに保存したり、コピーしたりはできないようになっている。あくまで、ストリーミングだけで楽しむものだ。このため、ビットレートの設定はユーザーのネットワーク環境に合わせて行なうことができる。最高で3Mbpsに設定できるのだが、実際のコンテンツの方は500kbpsが多いので、すべてのコンテンツが3Mbpsで楽しめるわけではない。 ユニークなのは、通常のウインドウと全画面表示をリモコン1つで切り替えられることだ。最近よく見かけるのだが、ネット配信の場合、ブラウザの中央に映像が表示されて、動画を全画面にできないようにしている場合が多い。中には広告を表示するためにどうしても、という場合もあるのだが、やっぱり動画を再生している時には全画面で表示したいもの。また、全画面にできたとしても、従来の2フィートUIであれば操作にはマウスが必要となることが多い。しかし、NECの場合には、リモコンのボタンだけで、それができるので、かなり快適だ。
もう1つ特筆しておくべきこととして、アニメ作品「宇宙戦艦ヤマト」の視聴権がついてくることだ。視聴できるのは、地上波で放送された1、2、3の各TVシリーズと、映画だ(要するにヤマト作品ほぼすべて)。このアプローチは正しいと思う。NECにしてみれば、PCを売る際のセールスポイントになるし、BIGLOBEにしてみれば新たなサービスへの加入者が期待できるし、ユーザーにとってはコンテンツを安価に楽しむことができる。 ただ、惜しいなぁと思ったのは、この10フィートUIからは、現状では有料コンテンツが視聴できない点。できれば、リモコンで有料コンテンツの購入も可能になり、かつ視聴できれば、レンタルビデオ店に行く必要もなく、リビングでついついボタンを押してしまう、という機会も増えるのではないだろうか。 もっとも、これはPCのソフトウェアなのだから、今後いくらでもバージョンアップが可能だろう。ぜひ、その時にはそうした機能も追加して欲しいものだ。 ●業界標準10フィートUIを構築するためのAPIが必要 PCベンダでコンテンツ配信に挑戦しだしたのは、NECだけではない。すでにソニーもソニースタイルで動画配信サイト“Moviesquare”のサービスを開始している。Moviesquareの方はストリーミング配信だけでなく、ユーザーのHDDに動画をダウンロードしてローカルで楽しむことが可能な、セルスルー方式のサービスも用意されている。 NECにせよ、ソニーにせよ、とりあえずの第一歩としては“満足”とまではいかないものの、かなりよいサービスだと思う。しかし、PC業界全体として考えていかないといけないことは、各PCベンダ独自で提供するサービスではなく、PC業界全体としてのサービスだ。 例えば、NECの10フィートUIでのオンライン配信は、現状ではNECのPCでしか利用できない。だから、このプラットフォームにサービスを提供するのは、NECの関連会社であるBIGLOBEだけということになる。 だが、ちょっと考えてみて欲しい。仮にその10フィートUIのプラットフォームが業界標準で、誰でもそのプラットフォームに対してサービスを提供できるとしたら、さまざまな参入が期待できるのではないだろうか? 現在のWindowsのプラットフォームはこの理屈で成り立っている。IA-32の命令セットに対応したCPUをAMDとIntelが提供し、MicrosoftがそのプラットフォームにWin32というAPIを提供、ソフトウェアベンダはWin32 APIを利用したアプリケーションを作り、実に無数のアプリケーションソフトウェアが提供されている。 仮に1社だけでこれだけのプラットフォームを作ろうとしたら、膨大な資金が必要になるが、複数の会社が集まってそれぞれの資金を使って1つのプラットフォームを作り上げていく……これこそがこれまでPC業界が作り上げてきた“エコシステム”だ。 現在PC業界が直面している問題は、デジタルホームでこれを繰り返すことができるだろうかだ。現在我々に足りないのは、“標準化された10フィートUI”のプラットフォームだろう。 NECが「MediaGarage」、富士通が「MyMedia」、ソニーが「Do VAIO」、Microsoftが「メディアセンター」と、それぞれの10フィートUIを展開しているうちは、“プラットフォーム”にはなっていない。 ソフトウェアベンダは、それぞれの10フィートUIに対してソフトウェアを書かないといけないので、それぞれサービスはMediaGarage用とか、Do VAIO用、などという形になってしまう。それでは、各社の投資が分散してしまう。投資が1つになって強力に前進していく、というPC業界の“勝利の方程式”が成立しないのだ。 この問題を解決する解決策は1つ。MicrosoftがAPIを確立し、それを各社が利用する形にするしかない。実は、すでにMicrosoftはそうしたAPIを提供している。しかし、問題なのは、そのAPIはWindows XP Media Center Editionでしか利用できない、つまりUIとセットになってしまっているのだ。それでは、すでに独自のUIをもっている各社は乗れない……それが現状だ。 これを解消するには、日本だけは、MicrosoftがメディアセンターのUIを諦めるぐらいの思い切ったことをすべきであると筆者は思う。実際、Microsoftはそれで成功した例がある。具体的にはWindows Mobileだ。Microsoftは日本のカーナビ向けにUIを持たないWindows Mobileを提供し、実際パイオニアなどのカーナビベンダに採用され、今後も採用例が増えているという。それと同じことを、Microsoftがメディアセンターでやるのであれば、おそらく日本のPCベンダも喜んで乗ることができるようになるだろう。むろん、自前でUIを作れないホワイトボックスのベンダもあるので、そこにはこれまで通りMicrosoftのUIを提供していけばよい。 とにかく、この連載でたびたび繰り返しているが、PC業界の勝利の方程式は、標準化と、それによるエコシステムの構築だ。各社いろいろな思惑はあるとは思うが、最終的にはそれがMicrosoftにとっても、PCベンダにとっても“勝利の方程式”であることを忘れないで欲しいものだ。 □関連記事 (2005年10月14日) [Reported by 笠原一輝]
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