米国の家庭用パソコンは、いよいよ本格的にサブ1,000ドル(1,000ドル以下)時代に突入するらしい。今年に入って、米Compaq Computer社や米Packard-Bell社、米Hewlett-Packard社などが相次いで1,000ドル以下のマシンを発売、あるいは値下げを行った。これまでも、900ドル台のパソコンは、台湾メーカーなどから散発的に発売されていた。しかし、今年はもっと積極的な姿勢が目立つ。とくに、業界リーダーのCompaqがラインナップの目玉に999ドルの「Presario 2000」シリーズを据えたのが大きい。
Compaqが注目されるのは、マーケティングだけではない。サブ1,000ドルを実現するアーキテクチャ、とくに、CPUに米Cyrix社の新しいx86系MPU「MediaGX」を採用したことが話題となっている。
MediaGXは、製品化される前から、MPU業界ではかなり注目されていた。Cyrixが、MediaGXに関して初めて明らかにしたのは、95年10月のMPU業界の学会「Microprocessor Forum」でのことだった。「5GX86」というコード名で行われたこの時の発表は、あくまでも技術研究であり、製品計画の発表ではなかったのだが、たちまち業界中にウワサが広まった。それは、5GX86が、パソコンに必要なチップの多くをMPUに取り込んでしまい、極めて低コストにPentiumクラスのパソコンを実現できるMPUだったからだ。
●低価格化が鈍っていたここ数年のパソコン
通常、PentiumクラスのパソコンはMPU以外に、メモリコントローラやPCIブリッジなどのいわゆるPCIチップセット、それにグラフィックスチップ、サウンドチップ、そしてメモリや各種ドライブなどで構成されている。パソコンメーカーは、それらの各種LSIやドライブといった汎用部品の中から、安い組み合わせを選択することで、低価格化を実現してきた。そして、汎用部品は市場の拡大とともに、量産効果で価格が下がってきたのだ。
しかし、こうしたアプローチでの低価格化は限界がある。ハードディスクなど機械部分のあるドライブ類のコストはある程度以下には下げられない。また、半導体も、個数が減らないのなら、それほどドラマチックに価格は下げられない。そのため、ここ2年ほどはパソコン低価格化のペースが鈍り、フルスペックのマルチメディアパソコンは米国でも1500~2000ドル程度、日本では20万円台にほぼ固定されていた。
しかし、考えてみると、半導体というのは、複数チップに分かれている機能をワンチップに集積し、構成チップ数を減らして行くことで低コスト化が図れるものだ。実際、家電ではチップ数を減らすことで、製品のコストを劇的に下げてきた。高価な最新AV機器だって、普及が始まるとあっという間に安くなった。それが電子製品の強みだったのだ。
そうした流れから見ると、むしろパソコンは例外だ。その理由は、パソコンのアーキテクチャが固定され、MPU、チップセット、各種チップ、メモリという構成が固定されてしまっているからだ。これは、IntelのMPU戦略に深く関係している。Intelは、ワンチップに集積されるトランジスタ数が増えても、それは機能強化へと割いて、周辺機能の取り込みはあまり行わなかった。また、これまでは互換MPUメーカーもIntelピン互換を維持するために、それに追従せざるを得なかった。
●パソコンに必要な機能をMPUに取り込む
こうした流れに挑むのがMediaGXだ。
MediaGXのコンセプトは明快で、Intel MPUとのピン互換を捨てて、その代わり、周辺チップの機能を取り込む方向へと進んだ。MediaGXとそのペアチップ「Cx5510」には、メモリコントローラやグラフィックスチップ、サウンドチップ、PCIブリッジ(MPU-PCIとPCI-ISA)など、パソコンに必要なほどんどの要素が含まれている。あとは、DRAMとコーデック、スーパーI/Oなどを足せば、それだけでパソコンができてしまう。
また、メモリコントローラを一体化したことで、メモリアクセスのために外部チップにアクセスする手間がなくなり、2次キャッシュがなくても比較的高速なメモリアクセスが可能になった。つまり、2次キャッシュのSRAMも削減できるようになった。また、UMA(Unified Memory Architecture)構成を取るためビデオメモリが不要で、しかもUMAでもパフォーマンスが落ちにくいように画面表示のデータを圧縮する機能も備える。パフォーマンスをできるだけ落とさずに、メモりもぎりぎりまで削減できるように工夫をしたわけだ。
また、サウンド機能などの互換性は、「VSA(Virtual System Architecture)」という独自アーキテクチャで実現している。これは、I/Oアクセスが発生した時に、それをトラップして各機能のエミュレーションモードに入るアーキテクチャだ。この方式だと、アプリケーションやドライバは、デバイスの違いを意識する必要がない。
MediaGXのパフォーマンスは、発表資料によると同クロックのPentiumと同等だという。133MHzのPentiumの価格は131ドルだが、MediaGXは133MHzで99ドル。これにPCIチップセットとグラフィックスチップ、ビデオメモリ、サウンドチップ、2次キャッシュSRAMが含まれていると考えると、150~200ドル程度の節約になる。つまり、Compaqはそれだけコストを浮かせることができる。
これまでは、サブ1,000ドルパソコンを作ろうとすると、原価率が高くなってしまうため、メーカーにとっても販売店にとっても“うまみ”が少なかった。それがサブ1,000ドルパソコンの最大の障害だったと言っていい。ところが、パソコンのコストを下げるMediaGXでは、そうした状況を大きく変えることができるわけだ。
●MediaGX採用にはいくつかハードルも
パソコンを本当の意味で家電にするには、使いやすさを高めるだけでなく低価格化が不可欠だ。MediaGXは、その方向に向けた新しいアプローチだと言える。
しかし、MediaGXが価格破壊の特効薬になるかというとまだわからない。今のところ、MediaGX採用メーカーとして明らかになっているのはCompaqだけで、業界全体にこの波が広がるかどうかは不鮮明だ。それは、MediaGXの採用に、若干の難しさがともなうからだ。
MediaGXは、x86命令が実行できるものの、IntelのMPUとのピン互換はない。また、VSA対応などの機能を備えた特殊なBIOSが必要になる。Cyrixは、ペアチップとBIOSの拡張もMediaGXとセットで提供するが、それでもメーカーにとって、MediaGXしか使えないマザーボードを開発するというのはかなり冒険だ。普及しないうちは、大量に販売できる大手メーカーでないと、手をつけにくいだろう。また、Cyrixがファブレス企業であるため、供給面での不安から手を出さないメーカーもいるかも知れない。
ユーザーの認知度も疑問だ。価格指向の米国ではいいとしても、ブランド指向の日本ではかなり難しいかも知れない。また、パソコンメーカーにとっては、同パフォーマンスのPentiumのラインナップとの位置づけも難しい。ただ、こうしたハードルがあるだけに、MediaGXをいち早く採用したメーカーは低価格構成で一歩リードできるのも確かだ。Compaqはその利を取ったわけだ。
じつは、システムオンナチップに向かう半導体業界のトレンドから見れば、MediaGXというのは、とくに特殊な製品ではない。組み込み用のMCUでは、周辺機能の取り込みなんてごく当然だし、NC (Network Computer)やPDAなどに採用されている組み込み向けRISC型MPUでも珍しくはない。x86だったから珍しかっただけ、というか、386以上のx86互換コアを持っているメーカーがほとんどなかったからこれまでそうした展開が難しかっただけなのだ。
もし、MediaGXがそこそこの成功を収めれば、MediaGXの高速版や6x86/M2コア版、あるいは米AMD社からも「K6(コード名)」コアの同様の製品が出てくる可能性がある。また、Intelも何らかの対応をするかも知れない。そうなると、パソコンもかなり多様化して面白い展開になるだろう。
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('97/2/24)
[Reported by 後藤 弘茂]