元麻布春男の週刊PCホットライン

IntelとARMが目指す、それぞれの隣の芝生




●IntelとTSMCの提携

 3月2日Intelは、ファウンダリ企業最大手である台湾のTSMCと、AtomをコアとしたSoCの製造を可能にするための了解覚書を締結したと発表した。リリースによると、IntelがAtomコアをTSMCのテクノロジープラットフォームへ移植することで、「Intelの顧客」(英文プレスリリースではIntel customers)がTSMCが持つ膨大なIPライブラリと組合せて、SoCという形で入手できるようにしよう、ということらしい。

 対象をIntelの顧客としていることからして、TSMC経由でライセンス料さえ払えば、誰でも好きにAtomコアを使える、ということではないのかもしれないが、設計の自由度が大幅に向上するのは確実だ。少なくとも、Atomを自社の周辺技術と組み合わせるのに、ターゲットには必ずしも必要とされない機能を備えたチップセットと込みでAtomを購入したり、自社設計のプラットフォームでAtomを利用するためにIntelとバスライセンスについて協議する、といった面倒な手続きは不要になるのだろう。

 AtomベースのSoCについては、Intel自身がデジタルTV向けをはじめ、いくつか企画しているようだが、Intelのデザインだけで世界中のすべての組込みニーズを満たせるわけではない。特定の用途に特化したSoCでは、プロセッサとしての機能や能力より、プロセッサといっしょに集積されるDSPや各種I/Oがカギを握ることが少なくない。むしろTSMCにSoCの製造を委託するような半導体設計企業の多くは、プロセッサ部には汎用性の高いIPを用い、DSPや各種I/Oの部分にこそ、自らの存在意義を賭けていることが多いのではないかと思われる。

DEMO 09で公開されたAlways Innovatingの「Touch Book」。ARMアーキテクチャーのプロセッサを搭載している。キーボードは脱着可能で液晶部分がタブレット型PCとして動作する

 このSoCに使われるプロセッサコアとして、最も大きな成功をおさめてきたのがARMだ。ARMの32bit RISCコアは、ゲーム機やPDA、携帯電話といったコンシューマー機器、さらにはHDDやルータなど、ありとあらゆる電子機器に使われている。IntelがAtomコアのIPをTSMCのプロセスに移植し、カスタマー設計のSoCに利用可能にする、ということは、ARMへの挑戦状とも受け取れる。

 そのARMは、逆に最近、Netbook市場に熱い視線を注いでいる。おそらく彼らの言うNetbookは、ネットワーク接続を前提にした小型のバッテリ駆動可能なコンピュータであり、当然のことながらWindowsマシンではない。おそらくIntelの用語でいうMIDに近い製品ではないかと思われる。Netbookという用語を使うのは、MIDの市場が立ち上がっていない一方で、Netbookが爆発的なヒットとなっているからだ。クラウドコンピューティングにおいて、手元でブラウザさえ動いていれば、バックエンドを気にする必要がないように、ブラウザさえ動いていればブラウザの下、つまりはOSにこだわる必要もない、Windowsが動作しないARMでも全く問題はない、むしろバッテリ駆動時間等で有利になるというのがARMの理屈だろう。これはARMによるIntelへの挑戦とも受け取れる。


●ARMが目指す“Netbook”

 IntelがARMの市場に興味を示すように、ARMも隙あらばIntelの市場に進出したいと考えている。これはビジネスとして当然のことだ。しかし、この両社は、これまで正反対のアプローチにより、それぞれの分野で成功を収めてきた。隣の芝生が青いからといって、勝手の違うところで成功できるのだろうか。

 Intelが最も大きな成功を収めてきたビジネスは、言うまでもなくx86プロセッサだ。その特徴は、プラットフォーム戦略にある。Intelのx86プロセッサを搭載した機器、その圧倒的な主流であるPCでは、どのベンダの最終製品を購入しても同じソフトウェアが稼働する。高い互換性を備えた単一プラットフォームの世界だ。PCに貼られているIntel InsideとかCentrinoのロゴシールは、それを保証するものとも言える。

 逆にARMのビジネスは、差別化の戦略にある。同じARMコアを採用していても、A社の最終製品とB社の最終製品は互換性を持たない。ライセンシーごと、あるいはプラットフォームごとに差異化された世界だ。たとえばTIのOMAP用に書かれたソフトウェアが、NVIDIAのTegraでそのまま動いたりはしない。もちろんプロセッサコアが同じアーキテクチャだから、注意深くプログラミングすれば、他社のプラットフォームで動作するソフトウェアを制作することは不可能ではないが、それはSoCに集積されたDSPやその他のI/O機能を利用しない、非効率なものになってしまう。

 PCの世界に住むわれわれは、非互換性を悪いものと捉えがちだが、必ずしもそうとばかりは限らない。ARMコアを利用したSoCは、汎用性を犠牲にしても特定のアプリケーションに最適化されているからこそ、Intelのプラットフォームより少ないトランジスタ数、少ない消費電力で同じ目的を果たすことができる。たとえば、DVDプレーヤーをIntelプロセッサを搭載したPCベースで実現した製品と、ARMコアを内蔵したSoCによる専用機を比べてみれば、アプローチの違いが理解できるだろう。Atomベースのmini ITXマザーボードを使ったところで、5,000円以下で売られている激安DVDプレーヤーに価格面で敵うハズがない。

 この最終製品同士が互換性を持たない、というのはもう1つ重要な意味がある。それは、ARMコアを採用しても、最終製品同士による直接の価格競争を避けられる、ということだ。上の例で言えば、OMAPとTegraの単価を直接比べてもあまり意味がない。たとえ高機能携帯電話という最終目標が同じでも、OMAPとTegraではアプローチも周辺設計も全く違ってくるから、それぞれのチップの単価だけを比較しても、あまり意味がないのである。このように、ライセンシーの製品が直接の価格勝負にならないことが、ARMのビジネスである半導体のIPライセンスを成立させている1つのカギだ。

 同じように半導体のIPライセンスを行なっている会社にRambusがある。Rambusは、長期訴訟を余儀なくされるほど、ライセンシー(顧客)の一部との関係がギクシャクしてしまった。その理由は、RambusのIPがターゲットとするメモリデバイス、特にDRAMの主流が、最終製品において価格勝負になる汎用品であるからだ。メモリデバイスはJEDEC等においてピン配置も決められ、基本的にメーカーが違っても差し替えが利く。むしろそれを保証することで、大きな市場を作り出してきた。

 その結果、価格は完全に市場の需給関係によって決まり、コストに適正な利益を上乗せしたメーカー希望価格など存在しない。今も、メモリの価格はコスト割れを余儀なくされている。固定コストを増大させるライセンス料に対し、拒否感が強いのも当然だろう。ARMの場合、最終製品が価格だけで競争するわけではないから、販売価格に追加コスト(ライセンス料)を吸収する余力があるというのが大きな違いだ。

 つまりIntelは高い互換性を備えた1つの大きなプラットフォームを構築し、そこから競合を排除しつつ、単一プラットフォームの市場を大きく育てることで成長してきた。今もx86互換のプロセッサは存在するものの、Intel製プロセッサのピン互換製品はもはや存在しない。逆にARMは、ライセンシーごとに差異化され、細分化された市場の中でライセンス料を得、細分化された市場の数(ライセンシー)を増やすことで成長してきたわけだ。

●2つのプラットフォームのビジネスモデル

 ここで冒頭の話題に戻ろう。もし今回の了解覚書でTSMCの顧客が自由にAtomを利用できるようになるのだとしたら、Atomをコアに採用しながら、ソフトウェア互換性を持たないSoCが誕生し得る。これはAtomという統一されたプラットフォームがなくなることであり、Atomのブランドがなくなることでもある。そうすることにより、組込市場でARMを追撃する体制は整うが、従来からのIntelのプラットフォーム路線とは決別することになる。プレスリリースに「Intelの顧客」と明記されていることの意味は、少なくともある程度の規制を設けてAtomというプラットフォームとブランドは守るつもりなのではないか、と筆者は考える。

 一方、ARMのNetbook戦略だが、利用の中心がブラウザなら、ライセンシー毎にプラットフォームが異なっても、大きな問題ではない、と考えているのだろう。従来通り、ライセンシー毎にバラバラのプラットフォームで、異なるフレイバーのLinuxであろうと、ブラウザがその差異を埋めてくれる、というわけだ(プラグイン等の問題はあるが)。

 しかし、現実の製品としてのNetbookの売れ筋は、より大きなディスプレイ、小容量のSSDより大容量のHDDへとシフトしている。消費者は、ネットワーク接続を前提としたNetbookを求めているのではなく、小さくて安価なノートPCをまず求めているのだ。ネットワーク接続ができないというのは論外だが、ネットワークに接続しないと何もできない端末で構わないというユーザーは、極めて少数派である。そもそも、どこにいても安価にブロードバンド接続できるという環境は、今のところどこにも(日本にさえ)存在しないのだからそれも当たり前だ。

 ローカルアプリケーションが必要となると、ブラウザ中心主義を貫くのは難しくなる。プラットフォームレベルでの互換性を確保することで大きな市場を作り出し、ISVを引きつけなければならなくなる。それはARMライセンシーの設計自由度を少なからず奪うことであり、ライセンシーの製品同士が激しい価格競争に巻き込まれることを意味する。これまでのARMのビジネスとは全く異なる世界だ。おそらくARMはそれを望まないだろう。

 IntelとARMは、全く異なる市場分野において、全く異なるビジネスモデルにより成功を収めてきた会社だ。それぞれの成功を導いてきたビジネスモデル、成功体験から完全に自由になることはできない。Atomは組込市場でも一定の成功を収めるかもしれないが、ARMの脅威になるほどかというと疑問が残る。同様に、ARMプロセッサを用いたネット端末も、ある程度の成功をおさめる可能性はあるが、Atomを搭載したNetbookに対抗するようなものになるとは思えない。それが今の筆者の率直な見方だ。

□関連記事
【3月3日】IntelとTSMC、Atom SoCの生産で技術協力
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2009/0303/intel.htm
【3月6日】インテル、車載/IPメディア・フォン向けCPU「Intel Atomプロセッサー」4製品(Car)
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20090306_43212.html
【3月4日】【DEMO】電池駆動ネットワークカメラやARM搭載のタッチスクリーンノートなど
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2009/0304/demo02.htm

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(2009年3月12日)

[Reported by 元麻布春男]


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