環境をWindows Vistaへ移行させて半月ほどが経過した。直接的なハードウェアのトラブルはほとんどないが、Windowsがぽろぽろとエラーを吐くのは止まらない。もっとも頻度が高いのは、Intel Desktop Utilityのバックエンド(AWService)、HPのネットワークデバイスサポート(ネットワーク経由でOffice Jet Pro 7500を接続しているため)、Windows Driver Foundationのユーザーモードドライバフレームワークのホストプロセス、といったあたりだ。 これらが関連したエラーなのかどうかは分からないが、どうもスリープに入るタイミング、抜けるタイミングで生じているエラーが少なくないようだ。特に最後のホストプロセスは、スリープから回復すると、DEP(データ実行保護)により殺されたというエラーがたいてい出ている。そういえばWindows XPでもDEPは無効にしていたような記憶がある。とりあえずエラーレポートは送っているので、そのうちパッチが出ることを期待するしかない。 ここまで明快なエラーまでいかなくても、スリープから復帰するとiTunesで楽曲の再生ができなくなっている事態にもたまに遭遇する。プログラムが応答をやめたわけでもなく、普通に操作できるのだが、再生だけができない。1度終了させて、iTunesを再起動すれば、普通に再生可能になる。上で、いろいろとエラーが出ているのでその関係かもしれない。筆者はライブラリをNASに置いているので、ネットワーク関連のエラーの影響を受けやすい。どうもVistaのネットワークには、まだ怪しい部分があるようだ。 ●IntelがDRMに取り組むその理由
それはともかく、前回のコラムではDRMのことについて触れたのだが、ちょうどタイミング良く、8月31日にインテルがDRMに関する記者説明会を開催した。主要なテーマは、コピーワンスの制限が緩和されそうな、デジタル放送コンテンツの著作権保護に関するIntelの取り組み、ということだったのだが、それ以外のことも含めて、来日したジェフリー・ローレンス氏に若干話を聞くことができた。氏は、Intelのコーポレート・テクノロジー統括本部で、コンテンツ政策・アーキテクチャー担当ディレクターの肩書きを持つ。 最も根源的な疑問は、なぜIntelはDRMに取り組むのか、ということだ。コピーワンスが9回になろうと、PCのHDDに大量のDRM付きデータが蓄積されれば、それをコピーしたり、ムーブしたりすることは、事実上不可能になる。確かに、技術的には9回までコピーできるかもしれないが、数百GB、数TBのDRM付き録画データが蓄積されてしまえば、それをメディアにコピーするなどということは、もはや現実的ではない。そんな膨大なデータをチマチマメディアに書き出すのは、手間やコストに見合わないからだ。 唯一、現実的なデータ移行策は、データが蓄積されたHDDを、そのまま新しいPCにつなぎ替えることくらいだろう。しかし、これができないのは、コピーワンスがコピー9回になろうと同じだ。EPNならこうした作業も可能になるが、デジタルTVのDRMがEPNになるという話は、いつのまにか立ち消えになってしまった。 データの内容にかかわらず、HDDはいつか必ず壊れ、データは失われる。壊れる体験をしないで済むのは、壊れる前に次のドライブへと移行できる場合のみだ。それがイヤならバックアップをとるしかない。PCのHDDをバックアップするのに、HDD以外のデバイスが(少なくともコンシューマ向けには)あり得なくなってしまったことでも明らかなように、HDDに蓄積されるDRM付きのデータをバックアップしたり、次の環境へ引き継ぐのに利用できるデバイスは、もはやHDDしかありえない。なのに、それは許されない。 こうなると何が起こるか。ユーザーはデータが蓄積されたHDDを持つPCを、買い換えることができなくなる。要するに壊れるまで同じPCを使い続け、いずれ寿命のくるHDDに納められたデータとともに心中するしかない。もちろん、いつかHDDは回転を止め、蓄積されたデータはパーになるわけだが、ほとんどのユーザーは、そこで泣く泣くデータを諦めるハメになる。これは、民生用のHDD内蔵レコーダーも同じことだ。 つまりDRMが付与されることは、PCの買い換えを困難にし、買い換えサイクルを長期化させる。しかもデータで膨れたHDDを内蔵したPCが壊れたユーザーは、怒りでPCに呪いの言葉の1つも吐くだろう。こうした事態はIntelの経営に対して、マイナスの影響を与えこそすれ、プラスになるハズがない。上の疑問は、それが分かっているのに、なぜDRMの普及を推進するのか、ということだ。 ローレンス氏による、この問いの答えはきわめて簡潔なものだった。それは、コンテンツホルダーがそれを望んでいるから、というものである。コンテンツホルダーが望む以上、IntelはDRM技術の開発と提供について、全力で取り組むのだという。それで、PCの買い換えサイクルが長期化し、業績にマイナスの影響が生じても、それはやむを得ない、どうしようもない、ということであった。ただ、それでも消費者がこれ(DRMのスキーム)を拒絶した場合、それはIntelの責任ではないとも付け加えている。また、IntelはこのDRMに対する基本方針として、将来の技術発展を阻害しない、極力オープンなものとして維持する方針なのだという。 現在、PCの買い換えサイクルは、3~5年というところだろう。IntelやMicrosoftは3年程度が望ましいとしているが、それより若干長いのではないかと思われる。PCという商品は、3~5年で買い換えることを前提に作られているし、家電製品のように製造終了後8年間、機能部品を維持するようにはできていない。これはハードウェアはもちろん、MicrosoftのOSサポートポリシーでも明らかだ。DRM付きのデータがPCのHDDに蓄積され、壊れるギリギリまで使い続けられることは、このエコシステムには合致しない。 ●iTunesの使い勝手はいいのだが…… 前回も述べたように、筆者の手元には25年前に購入した音楽CDがある。それを再生することは今でも可能だし、その気になれば少なくとも筆者が死ぬまで聞くことが可能だと思う。たとえメディアとしてのコンパクトディスクが腐食等により再生できなくなったとしても、リッピングしたデジタルデータが丸ごと利用できなくなることは考えられない(怖いのは落雷や火事といった災害だろうか)。DRMさえなければ、あるCODECがはやらなくなっても、次の世代のCODECへトランスコードする手段は必ず提供されると確信する。 今回、Windows XPからWindows Vistaへ移行するに際して、iTunesストアで購入したDRM付きのAACを除き、その他のDRM付きデータを、筆者はすべて破棄することにした。実験的に購入したものがほとんどで、実害がないからでもあるが、その多くは移行できないか、移行可能でもそれがとても面倒だったりしたからだ。 それに対してiTunesストアで購入したDRM付きデータの移行は極めて容易だった。基本的にデータそのものは自由にコピー可能で、iTunesストアのアカウントによる認証で鍵を与えるという方式で、極めて使い勝手が良い。ただ、この方式でも問題がないわけではない。 最大の問題は、プラットフォームが限られることだ。Apple/iTunes方式によるDRM管理の使いやすさを生み出している大きな理由は、データを売るのがiTunesストア、再生するのはiTunesに限られる、いわば閉じたシステムであるからだ。iTunesストアで購入したデータをWindows Media Playerで再生したり、ウォークマンで持ち出すことはできない。これは欧州等で特に問題になっている。 そしてこのことは、長期的な再生可能性の問題にも影響してくる。もしAppleという会社に万が一のことがあった場合、ユーザーはどうすれば良いのだろう。何らかの理由でAppleが認証サービスを止めてしまうと、少なくともユーザーは保護されたAACファイルをほかのマシンで利用することはできなくなる。現在、AppleはiPodやiPhoneが絶好調で、つぶれる心配はないかもしれないが、25年後にどうなっているのか、誰も予想することはできない。仮に会社の存続に問題がなかったとしても、経営上の理由によりサービスを打ち切る事態も起こりえるだろう。どんなサービスも無限に続くものではなく、必ず終わりがくる。筆者は、オンライン認証がなくなることで、ゲームが利用できなくなる、という体験をしたばかりだ(オンラインゲームの引き際は本当に難しいと思う)。 コンテンツメーカーもバカではないから、優れたコンテンツは、フォーマットを変えて再発され続ける、という意見もあるかもしれない。しかし、絶版になり入手できなくなったCD、DVDは存在し、それを求める声が市場から消えることはない。そもそも、1度もCDになったことのないアナログコンテンツだって存在する。再発されるのは、権利者がビジネスになると判断したコンテンツであり、コンテンツそのものに対するユーザーの評価とは必ずしも一致しない。 基本的にDRMというのは、コンテンツをプラットフォームに縛る行為である。そういう意味において、筆者はEPNも嫌いだ。EPNはコピーワンスやコピー9回よりはマシかもしれないが、コンテンツをプラットフォームに縛り付けるという点では変わらない。EPNにより保護されたデータは、果たして25年後も利用できるだろうか。コピーワンスやCCCDに限らず、FairPlayやEPNも含めたDRM全般に対して、筆者が本能的な嫌悪感を感じるのはこのあたりである。もしも平安時代にDRMが存在したら、今頃われわれは源氏物語を読むことはできなかっただろう。 それでも、どうしてもDRMが必要だというのなら、やはりFairPlayやEPNのような方式にならざるを得ないだろう。この場合、一定期間を経ると暗号が解除される仕組みを組み込んで欲しい。5~10年で暗号が自動的に解除されるのであれば、それまでの5~10年間くらいは我慢できるかもしれない。
□関連記事 (2007年9月4日) [Reported by 元麻布春男]
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