山田祥平のRe:config.sys

パーソナルコンピュータを使っていますか




 本当にパーソナルな用途で使われているPCは、そんなに多くはないんじゃないかと思うことがある。ビジネスの世界では、情報の共有が大きなトレンドだし、電子メールの検閲も珍しくない。そんな使われ方をしているPCは、ちっともパーソナルじゃない。

●自分だけのPCの不在

 普段、持ち歩いているPCの中には、最近手に入れたCDのリッピングデータが十数枚分、見ようと思ってそのままになっている録画済みTV番組が5~6本などが入っている。だから、もし、なんらかのトラブルで、どこかに足止めを食ったり、長時間待機しなければならないようなことが起こっても、AC電源さえ確保できれば、たとえ、インターネットが使えなくても、退屈するようなことはない。カバンの中に、これだけのコンテンツを詰めて持ち歩くというのはたいへんだが、これだけ入れてもPCの重量は増えない。だから、まったく負担にはならない。

 ぼくは、フリーランスなので、自分のPCは自分で管理するし、自分のPCをどう使おうが、誰に咎められるわけでもない。だから、PCの中身は公私混同状態で混沌としている。

 でも、世の中の多くのユーザーは、会社から貸与されたPCを使っているにちがいない。そのPCに、こうしたコンテンツを入れるのは気がひけるだろう。もしかしたら、私用のデータを会社のPCに入れることが、禁じられている職場だってあるだろう。仕事で使うために貸与されているPCなのだから、それは当たり前のこととして受け止めるしかない。

 一方、家庭ではどうかというと、1台のPCを家族みんなが自由に使うというケースが珍しくない。ユーザー名もパスワードも設定せず、ノートPCの液晶を開けば、すぐに使える。基本的に保存されたデータは削除しない。もし、家族の大事なファイルだったら困るからだ。だから放置しておく。中には本当は不要なファイルもあるだろうけれど、なくなって困るよりはいい。だから、デスクトップは何が何だかわからない状態だ。ブラウザでも、ブックマークをきちんと整理して、好きなサイトを素早く開けるようにできることは知っていても、Yahoo! やGoogleの検索ボックスにいくつか単語を入力すれば、すぐにたどりつけるので、あえて整理しようとも思わない。

 逆のポリシーもあるだろう。ファイルは容赦なく削除されるし、削除されたとしても文句は言えないという暗黙的了解だ。大事なデータは自分で別の媒体にコピーし、自分で管理するしかない。会社からUSBメモリなどにコピーして持ち帰ったデータを、自宅のPCで編集し、編集が終わったら、またコピーして会社に持って行く。そんな使い方だ。

 そんなPCでは、メールをやりとりすることはまずない。あるいは、主たる使用者だけがメールを使うことはあっても、やはり暗黙の了解として、他の家族はそれを見ないし、何らかのきっかけで見てしまったとしても、見なかったことにする。他の家族は、メールなんて会社のPCと携帯だけで十分だと思っているから、それはそれで支障はない。

 世の中の多くのPCは、そんな使われ方をしている。

●努力すれば報われる

 自分専用のPCではないから、それをちょっとでも使いやすくしようと積極的になれるわけでもないし、PCの専門誌を読んだりして、新しい知識を仕入れようとするわけでもない。あげくの果てにはウィルスチェックもおろそかになり、セキュリティ対策ソフトの購読期限が来てもそのまま放置、ウィルスに感染したら、HDDをリカバリして工場出荷状態に戻す。もともとそんなに愛着のあるものでもないから、リカバリすることにも抵抗がない。

 このまま、PCがこういう使われ方をされ続けると、ぼくらの手にするはずの未来にも、少なからず影響を与えることになるだろう。本来ならもたらされたはずの恩恵が、手に入らなくなってしまうかもしれない。現状では、手厚く扱われるのは、PCに精通していないユーザー層ばかりで、向上心を持ってPCを積極的に使おうとするパワーユーザーは軽視されている。軽視され続ければ誰も向上心など持とうとしなくなるだろう。

 PCは、向上心を持って接すれば、必ず、その期待に応えてくれ、より便利で楽しい存在になるはずなのに、初心者向けのいろんな工夫がそれを阻止する。

 たとえば、ブラウザでできるルーターの設定も、ネットワーク内でルーターを発見するためだけに、どうしてわざわざ専用のユーティリティをインストールしなければならないのか。「この製品のデフォルトIPアドレスは192.168.1.1です。uPnPでルータを見つけ、ブラウザで設定画面を開いてください。LANポートに接続されたPCにはDHCPでIPアドレスが割り当てられます」程度のことが書いてあれば、それですべてが理解できるレベルのユーザーが、長々とした説明書を読み、記載された手順通りに作業しなければ設定画面にたどりつけないのでは、稼働させるまでにうんざりしてしまいそうだ。

 こうした例は氷山の一角で、いろいろな場面で体験する。うんざりするほど饒舌なUIに、作業の効率を低下させられることは少なくない。

 コンピュータは、もっと人に優しくならなければならない。誰にでも操作ができて、その能力を最大限に引き出せるような工夫が必要だ。それは確かに真理である。けれども、その「誰にでも」には、コンピュータに精通したユーザーも含まれなければならない。現実問題として、同じハードウェアを使い、同じOSを使うことが強いられる以上、パワーユーザーだって手厚く扱われたいのだ。

 今週開催されたWPCのフォーラムで「ユーザーの不満を解消する新世代PCの可能性」と題するパネルディスカッションを聴講したのだが、パネラーの1人であるインテルの吉田和正共同社長のコメントに、ちょっと感動した。吉田氏はこう言ったのだ。PCはユーザーの努力の結果が報われる希有な存在だと。その通りだと思う。努力が強いられてはならないが、努力は報われなければなるまい。

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(2006年10月20日)

[Reported by 山田祥平]


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