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微分な気分で音楽を




 この20年で、かつてのLPがCDに置き換わり、A面、B面という文化が失われてしまったように思う。アルバムジャケットの存在感が希薄になってしまったことも象徴的だ。そして今、ネットワーク配信への移行期、今度は、アルバムという概念が失われようとしている。

●ポップスが輝いていた'70年代

 ジャクソン・ブラウンの『レイト・フォー・ザ・スカイ』('74)、キャロル・キングの『タペストリー』('71)。この2タイトルは、最初にLPを手に入れ、それこそレコードがすり減るくらいに聞いた。CDだってリマスタリングされるたびに買い直したり、聴きたいときに見あたらないといったくだらない理由で衝動買いしたりで、手元には数枚ずつ残っているはずだ。

 ぼくが中学、高校時代を過ごした'72年前後は、まさに洋楽ポップス黄金期のような時期で、ギルバート・オサリバンや、アメリカ、スリー・ドッグ・ナイト、ドン・マクリーン、カーリー・サイモン、ロバータ・フラック、ドゥビー・ブラザーズ、イーグルスらの洋楽ヒット曲が繰り返しラジオから流れていた。彼らの音楽は、30年以上経った今も、イントロ当てクイズに正解できるくらいにその旋律が頭の中に残っている。

 今、入手することのできるオムニバス盤CDに、当時の曲がフィーチャーされることが多いのは、名曲が多かったというのもあるだろうけれど、これらの曲を原体験した層が積極的に音楽を購入する特異な年代であることも大きい。さらに、CMソングやドラマの主題歌に使われることが多いのも当時の楽曲だ。それは、その時代に青春を過ごした世代が、時を経て、クリエイティブの現場である程度の地位を得ているからだろう。

 '70年代当時の中学生、高校生は、バブルを通り抜け、今、50歳前後。それ以前、それ以降の世代とは明確に異なる世代として時代を生きていることがわかる。たぶん、70歳を過ぎてもジーンズを身につけ続けるのは、この世代だけじゃないかと思う。

 もっとも、ぼく自身のことを思いおこせば、当時は、日本のフォークや和製ポップスに夢中で、洋楽に執心していたわけではなかった。でも、日本のミュージシャンが影響を受けたとされる欧米のシンガーソングライターなどを追いかけていくうちに、いわゆるウェストコーストロックに行き当たり、それらを集中して聴くようになっていった。そんなわけで、冒頭に挙げた2枚のアルバムは仲間から借りて聴いたりはしていたものの、自分が所有するLPとして改めて入手したのは'70年代も終わりになってからだった。

●アルバムはシングルの寄せ集めではない

 LPレコードは30センチの直径を持つビニール盤である。表面をA面、裏面をB面と呼んだ。この円盤をターンテーブルに乗せ、33回転/分で回し、レコード針で盤面をひっかきながら音を取り出す。片面の収録曲数は約5曲。時間にして20数分といったところか。アルバムとしてリリースされたLPは、AB面あわせて45分前後のタイトルとして制作されていた。それをそっくり録音するための46分カセットテープもポピュラーだった。カセットテープだってA面B面があったのだ。

 ちなみに、洋楽のシングルレコードは、リリースされたアルバムから、順次シングルカットされていくことが多かった。シングルはEPとも呼ばれ、17センチの円盤であり、回転数は45回転/分だった。普通に考えると、33回転よりも45回転の方が音がよさそうに思えるのだが、CDと違ってレコードは針が盤面のどの位置にあっても回転数は一定である。直径の短いシングルレコードはLPに匹敵する音を出すために回転数を上げざるを得なかったのだ。LPだって外周部分の方が音がいい。同じ時分を再生するために必要な距離が長い方がダイナミックレンジが稼げるからだ。

 もちろん、シングルにもA面B面があった。ヒット曲のシングルを買い、ついでに、B面を聴くと、意外に気に入ることもあったが、そうでないケースも少なくなかった。これは抱き合わせ販売だと憤慨する自分に大人を感じたものだ。いずれにしても、一部の例外をのぞき、シングルレコードはアルバムの派生物であり、アーティストはアルバムの制作にあたり、何かしらのテーマやコンセプトを考えていたように思う。

 アルバムの片面、約20分で5曲というのは、集中して音楽を聴くにはちょうどいい長さだった。それに慣らされていたというのもあるが、AB面を続けて聴く45分程度はちょっと長いように感じた。よほどの名盤でない限り、途中で飽きてしまうのだ。LPの時代は、あのアルバムのB面を聴きたい気分とかなんとかいいながら、ターンテーブルにレコードをのせたものだ。LPの時代に聞き慣れたアルバムを、今、CDで聴くと、AB面の切れ目が感じられないどころか、B面の最後で感慨にふけっていると、よけいなボーナストラックが再生されるなどして、ちょっとした違和感を感じることもある。お気に入りの『タペストリー』なんかは、そういう構成になっている。

 AB面を持つパッケージメディアは、レーザーディスクが最後になるんだろうか。そのレーザーディスクも進化の途中で、裏返さなくても自動連続再生ができるようになってしまっていた。そして今、CDはもちろん、DVDのような二層メディアでも、AB面という概念はすでにない。それでも、アーティストやプロデューサーたちは、複数の楽曲で構成されたアルバムを制作するという気持ちを持って、作品創りに関わってきたはずだ。

●音楽を微分するオンデマンド・シングルカット

 楽曲がネットワーク配信されるようになり、アルバムですら、楽曲をバラで購入することができるようになった。この流れはもう止めることはできないだろう。まさにオンデマンド・シングルカットだ。10曲まとめて何千円という価値観が消費者に受け入れられなくなるのである。これでもう、抱き合わせに憤りを感じなくてもすむ。

 もっとも今のJ-POPシーンを見ていると、先行して数枚のシングルが発売されたあとに、それらをまとめたアルバムが出るというパターンが多く、アルバムが持つコンセプトやテーマ性は希薄だ。だから、好きなシングルを買い続けていれば、アルバムを購入する必要はないというのも自然な論理だ。

 実際、ぼく自身の音楽の購入パターンをふりかえっても、レンタルでシングルを借りて聴き、気に入った数曲か収録されたアルバムがリリースされれば、アーティストに敬意を表してアマゾンでそれを購入するというのがほとんどだ。ただ、これはJ-POPの場合で、洋楽の場合は、最初からアルバムを購入することが多い。

 ジャケットやパッケージがないネットワーク配信では、シングル指向はますます強くなる。B面もカラオケも含まれない、まさに単一楽曲で勝負しなければならないのだから、アーティストもたいへんだ。今はまだ、パッケージとしてのCDをネットでも配信しているという段階にすぎないが、もしかしたら、今後、パッケージメディアが衰退し、アルバムを出さないアーティストというのも登場するかもしれない。ビジネスモデルとしても、産地直送直販的な楽曲販売も考えられる。

 必ず試聴して、気に入った楽曲だけを購入するのが当たり前になるのである。実に合理的だ。合理的であるが、その一方で、ちょっとした寂しさも感じる。ここでもまた、偶然聞かされてしまったことで出会う楽曲を好きになり、関連して別の曲を聴くというエコシステムがなくなってしまうからだ。ジャケットを見て衝動買いということもなくなるだろう。

 アルバムの再生というのは、基本的に、アーティストの意図によって並べられた楽曲を並べられた順に聴く、あるいは聴かされる行為だ。あくまでも受け身であり、聴く側による強引な曲の並び替えは、ある意味でアーティストの仕事に対する冒涜でもある。その冒涜のうち、唯一許されていたのが、アルバムをB面から聴くという行為だった。

 テレビやラジオ、そしてアルバムと、創った側の意図を素直に受け入れる文化がどんどん失われていく。CMを見せられていたテレビ番組も、レコーダーのCMスキップ機能が当たり前になり、テレビCMの広告効果そのものが見直されようとしている時代である。タイムシフトは放送時間の束縛から視聴者を解放した。このまま時代が進めば、映画ですら、シーンのバラ売りが行なわれるようになり、クライマックスだけを購入するというのが当然の行為として受け入れられるようになってしまうかもしれない。

 音楽や映像のデジタル化はサンプリングのテクノロジーである。連続した時間の流れを微分するようなこの行為は、楽曲のバラ売りにもあてはまる。このままいくと、音楽なんて、高ビットレートでサビだけ聴けば、フルコーラス聴く必要もないといった風潮が起こらないとは限らない。そこに危惧を感じるべきである。

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(2005年9月9日)

[Reported by 山田祥平]


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