コンテンツの購入は、それを見たり聞いたり読んだりする権利を買うということだ。ところが、その感覚はなかなか理解されにくい。だからこそ、音楽はCD、映画はDVD、小説は書籍といったカタチあるものになって店頭に並んでいる。つまり、方便にすぎない。それにしても、この、ちょっとおかしな状況はいったいいつまで続くのだろう。 ●CDは消耗品でも音楽はそうじゃない 大量の音楽CDをパソコンに取り込む作業の途中、CDを一枚破損してしまった。ディスクをプラスティックのケースから取り出すときに、堅かったので、ディスクの端っこを持って無理に引っ張ったら、ディスクが割れてしまったのだ。買ったことさえ忘れているようなCDだったのが救いだが、廃盤でもう手に入らないお気に入りのCDだったらと思うとゾッとする。 CDの購入は、本来的には、その中に収録されている曲を聴く権利を購入することだ。でも、その権利は実に儚い。ちょっとした不注意で、その権利は失われてしまう。破損したCDを新しいものに交換してくれるなんて都合のいい話はありえないからだ。 かつて、音楽を聴く行為は、レコードを再生するために盤面を針でトレースするという野蛮な方法がとられていた。針と盤面は接触するため、当然、両者が摩耗する。つまり、聞くとレコードはすり減るのだ。かつ、ピックアップの針は消耗品である。盤面はすり減るだけでなく、キズがつき、それはスクラッチノイズとして再生される。 けれども、ジリジリパチパチと鳴くようになったレコードは、メーカーやショップが無償、あるいは格安で交換すべきだという声はついぞ聞かれなかった。誰も疑問を持たなかった。音楽業界は、カタチのない音楽というコンテンツを、それだけカタチのある商品として流通させることに成功していたということだ。 今、CDになって、コンテンツはデジタルデータとして収録されるようになった。その気になれば、コンシューマーの環境でも、CDのコピーをオリジナルに忠実なデータとして得ることができる。ただ、ぼくが、パソコンにCDを取り込む場合は、192KbpsのAACなので、その音質はオリジナルにはほど遠い。だから、コピー後も買ってきたCDは保管しておかなければならない。 もし、ストレージとアプリケーションの使い勝手、そして、プロセッサの能力が許すなら、非圧縮で取り込みたいところだが、アルバム1,500枚分が1TB(テラバイト)と考えると、なかなか踏み切れない。それを必要なビットレートにエンコードするのにも時間がかかるので、結果的にプレーヤーへの転送にも手間取る。さらに、ライブ盤など、曲間ブランクのない複数トラックを持つCDなどは、商品としてのCDと同じものを作るのは難しい。 ●音楽は、いつまでカタチを与えられ続けるのか CDの楽しみは、その中に収録されている曲データだけではないという考え方もある。アーティストごとに、工夫をこらしたジャケットといっしょに提供されるからだ。ぼくの場合、古いCDに関しては、よほど凝った装丁でない限り、プラスティックのケースからディスクとジャケットを取り出し、透明のポリ(OPP)袋に入れて保存している。使っている袋はハガキを整理するためのもので、CDジャケットよりも背は高くなるが、厚みがほとんどなくなるので、感覚的には1/3に圧縮できるイメージだ。収納スペースの節約には有効な方法だと思っている。 手元にあるCDの枚数は、ちゃんと数えたことがないのでよく把握していないのだが、3,000枚近いと思う。CDの誕生以降、約四半世紀でこの枚数だと、あと半世紀生きるとして、6,000枚が追加され、生涯では10,000枚ということになるのだろうか。その総容量は6TB程度ということになる。さすがに、あと半世紀たてば、個人でも、そのくらいの容量を扱うことができるようになっているだろうからと楽観的でいるのだが、実際にはどうだろうか。 いや、そもそも、あと半世紀たっても、音楽がCDというメディアで売られ続けているのかどうか。もしそうなら実につまらない。 今、ようやく、音楽は、ダウンロード販売が浸透し始めてはいるが、そこで買えるのはさほど高くないビットレートのものであり、CDの音質には及ばない。メディアの破損にも完全には対応していないことを考えると、個人的にはなかなか購入には踏み切れない。ただ、CDのような大量生産には向かないコンテンツとして、廃盤になってしまった名盤などを流通させるにはいい方法だ。 先日、Intelの副社長、ドナルド・マクドナルド氏にインタビューする機会があったが、氏自身も、ブロードバンドはニッチなコンテンツに向いていると考えているらしい。何千枚、何万枚とプレスできる大作ではなくても、世界のあちこちには、優れたコンテンツを作るアーティストはたくさんいるのだろうし、その作品を聴きたいと考えるオーディエンスもいる。それがまとまることで、マスになり、十分なボリュームとして、ビジネスを支えるというのだ。 ●世の中は正しい方向に進化しているのか けれども、ぼくの理想は、やはり、音楽を売るなら、それを楽しむ権利を正しく買えるような世の中がきてくれることだ。いったん購入すれば、いつでも望むビットレートのデータをブロードバンド経由で自由にチェックアウトできるのが望ましい。個人が自分の手元でデータを保管しなければならないのは馬鹿げている。 先日来、ポータブルプレーヤーに転送するために短期間で400枚ほどのCDをパソコンに取り込んだが、どんなに急いでも1枚あたり5~6分はかかる。2台のCDドライブを接続し、曲目データの問い合わせやディスクの認識にかかる時間を最小限に抑えても、取り込めるのは1時間に10枚に満たない。子どもにでもできそうな簡単な単純作業であるとはいえ、パソコンにつきっきりでいなければならないだけに、大変だ。 これまた将来的に、ポータブルプレーヤーの性能が上がって192KbpsのAACでは満足できなくなったり、コーデックの進化によって、再エンコードしたいと思うことがあったとしても、やる気になるかどうか。けれども、世の中が正しく進化していけば、こうした苦痛を強いられることはないはずだ。 技術的には今日からでもできそうなことが、いろいろな事情でガマンを強いられ、できないままの状態になっている。意識の進化が技術の進化に追いついていないのだ。人間はそれほど単純なものではないということである。 ●コンテンツとハードウェアのイイ関係 ヘッドフォンをいくつか試してみても、iPodの音質に満足できないと知り合いにもらしたところ、分解して、アナログアンプ終段部のコンデンサを高級品に交換すれば、かなり音質が改善されるという話を聞いた。ただ、ぼくの腕では、iPodにキズをつけずに分解し、交換作業をするのは無理だ。なんとかならないかと、まわりの人間にきいてみたが、どうせ出先で聴く音楽なのだから、音質を求めること自体が間違っているといわれた。それに、音質だけなら、iPodより音のいいプレーヤーはいくらでもあるという。 そういう問題なのだろうか。どうせ出先で使う消耗品としてのプレーヤーに、音質を期待せず、その一方で、ファッショナブルなジャケットを着せたり、液晶や背面にキズがつかないように、保護シールを貼ったりする。ぼくがモノに求める事象の方向性が、今の時代にそぐわないということなのか。コンテンツとそれを楽しむハードウェアが、いい関係でいられるために、解決しなければならない課題は少なくない。 バックナンバー
(2005年4月22日)
[Reported by 山田祥平]
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