山田祥平のRe:config.sys

Longhornは輝ける未来を導き出せるか




 子どもの頃に垣間見た未来は、それはそれは刺激的で、陳腐な言葉でいえば、現実離れしたものだった。すでに、鉄腕アトムのような二足歩行ロボットは流ちょうに人間の言葉を話していて、正義の味方として活躍していたし、宇宙はもちろん、時空間の移動も当たり前のようにしてストーリーに組み込まれていた。あのころ、輝ける21世紀は、すでにぼくらの手元に、確かな手応えを持って存在していたのだ。

●eHomeで見た近未来の生活

 WinHEC 2005の取材で渡米、その合間に、Microsoft本社にあるeHomeのデモンストレーションルームを見せてもらった。少しずつ改版が行なわれ、現在ではバージョン3に相当するものだそうだ。

 玄関前に立ち、一家の主婦に想定された案内嬢が、ガラス窓に手のひらをあてるとドアのロックが解除される。玄関ホールでは音声認識によってとアラートや家屋のモニタ状況が壁に投影される。

 キッチンでは、カップスープをセンサーで読み取ると、RF-IDタグが読み取られ、自動的に電子レンジが必要な加熱時間を設定したり、調理台の上でも、同様に食材のRF-IDタグを読み取り、レシピなどの情報が表示される。ここでは、調理台そのものが、センサーでありディスプレイでもある。

 また、娘の部屋には、先週末行なったというコンサートで購入したICカードを機器にセットすると、音楽や映像が再生された。このカードは、現在のCDと代替するもので、コンテンツにアクセスするためのキーとなるものだそうだ。もちろん、友達と交換して楽しむこともできるという。

 娘の部屋では等身大の姿見鏡を見ながら、今日着ていく洋服のコンビネーションなどを確認することができるようになっていた。これも、各洋服につけられたICタグによるものだ。最初にシャツを選んで鏡にかざすと、それが認識されディスプレイ表示され、それに合うボトムをいろいろ悩んでいけるのだ。ただ、トップにマッチしたボトムが決まっても、クローゼット内で、そのボトムを収納した位置が示されるわけではない。とはいえ、洗濯中であるといった情報はわかるようになっている点では抜け目がない。

 興味深いのは、各種の情報表示に、壁、調理台、鏡、コルクボードなど、さまざまなものが使われている点だ。現時点では、投影やリアプロジェクションによる投影だが、将来的には、新たなデバイスの登場により、方式は改良されるのだろう。その表示は音声認識やタッチセンサーによって自在にコントロールできる。

 このことによって、家庭内にいかにも機械然としたいかめしいデバイスが散在することを回避できている。いくらなんでも、自宅のあちこちに、あまりにも多くの液晶ディスプレイが目につくのでは落ち着かない。もっとも、現在の電化社会はそうなりかけているわけで、このアプローチは、その状況への警鐘といえるものかもしれない。

 こんな具合に、Microsoftが示す近未来の家庭の姿は、妙に現実的なものだった。考えようによっては明日からでも現実にすることができそうなものばかりだ。もちろん、RF-IDタグを読み取り、データベースを参照するところまでは可能でも、あまねく身の回りのアイテムにタグが添付され、その素性を蓄積したデータベースにアクセスできる環境を整えるにはまだまだ時間がかかる。それでも、その気になって、官民総出で取り組めば、すぐにできそうだ。が、その官民総出というのが難しい。つまり、技術の問題というよりも、人間の問題であることがわかる。

●夢をカタチに

 半世紀前、eHomeのような環境は夢物語として語られていた。その方法論や技術的なバックボーンも曖昧だった。けれども、ユーセージモデルそのものは確実にアイディアとして存在し、そのストーリーにふれるぼくらに夢を感じさせた。

 ところが今、半世紀先の未来を考えるとき、そこに半世紀前に先人たちが持っていたような独創性や夢が感じられるかどうか。どうやら、今のぼくらは、未来に対する感受性が鈍くなってしまっているようだ。

 それでも、かつて、気が遠くなるような作業をしなければ、1+1さえ計算できなかったマイコンに、果てしない夢を感じた人々は、今の時代を支えるITを予感していたはずだ。だからこそ、懸命に取り組んだ。

 今回のWinHECでは、ようやく、2006年クリスマスシーズンのLonghorn登場が現実的なプランとして提示された。今回配布されたデベロッパープレビュー版を追って、夏にベータ1、秋から冬にかけて、すべての機能を実装したベータ2、そしてベータテストが続けられて、来年末のリリースをめざすという。10年前のWindows 95のときは、1994年末ギリギリに日本語版ベータが出て、約1年のベータテストののち、翌1995年秋に出荷が開始された。今の雰囲気では、そんな感じで今後のスケジュールが展開しそうだ。

 身の回りには、Longhornを待ちかねているものなど、誰もいないと懸念する人々もいる。新たなビジョンを提示できない以上、Windows XP、いや、それどころか、Windows 2000と、いったいどこがどう違うのか。それは、コンピュータを買い換えるだけの新たな価値を持っているのかと聞かれたときに、ウェブが楽しめればそれで十分なら(今やメールはコンピュータを使う積極的な理由にはならなくなっている)、特に買い換える必要がないと答えるしかないという議論だ。

 最新のコンピュータが手元にあれば、あれもできる、これもできると言い続けてきたけれど、ここにきて、そのロジックの説得力が希薄になっているという展開もわからないではない。eHomeだってそうだ。玄関先で、家族が外出中だとわかってそれがなんなのか、そんなことは携帯のメールで知っているし、着ていく洋服のトップとボトムの組み合わせくらい自分で考えられるよと言われてしまえば返す言葉がない、それに近い雰囲気だ。

 コンピュータがなければできないことが、どんどん少なくなっている今、ぼくらは、もっと真剣に、未来を考える必要があるんじゃないか。現実をカタチにすることはアプライアンスにできても、夢にカタチを与えるのはコンピュータだ。Longhornが夢を見せてくれるんじゃない。ぼくらは、今、現実離れした夢を見ることから始めなければならない。

□関連記事
WinHEC 2005レポートリンク集
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/link/winhec.htm

バックナンバー

(2005年4月29日)

[Reported by 山田祥平]


【PC Watchホームページ】


PC Watch編集部 pc-watch-info@impress.co.jp ご質問に対して、個別にご回答はいたしません

Copyright (c) 2005 Impress Corporation, an Impress Group company. All rights reserved.