笠原一輝のユビキタス情報局
官民一体でIoTビジネスに取り組む台湾の今を取材【その2】
~IoTビジネスを裏から支える半導体メーカー(ARM/MediaTek編)
(2015/8/14 16:45)
第1回目の記事では、IoT(Internet of Things)が注目されている背景、そして台湾のベンダーがどのように取り組んでいるのか、AcerとAdvantechの例を紹介した。2回目では、そのIoTをシリコンレベルで支えるプロセッサベンダーの取り組みについて紹介していきたい。
PC、タブレット、スマートフォンなどのコンピューティングデバイスはそれなりの演算性能が必要とされるため、強力なCPUやGPUといったプロセッサを内蔵している。これに対してIoT機器では、演算はクラウドサーバー側で行なうため、強力なプロセッサは必要とされておらず、どちらかと言えば省電力や小型化という要素を求められることが多い。
例えば省電力だったら、スマートフォンはバッテリで数日動けば許されるが、IoTの場合には1週間とか、場合によっては数年動き続けるなど、桁違いの省電力性を求められ、そのニーズはコンピューティングデバイスとは明らかに異なる。そこで、プロセッサベンダーも、IoTに適したプロセッサや、それを採用したSoC(System On a Chip)などを開発してその投入を急いでいる。また、同時にソフトウェア環境の構築やセキュリティの確保が課題であり、開発キットや開発環境の配布といった活動を熱心に行なっている。
IoTを中から支えているSoC、過渡期の今はスマホなどからの流用も多い
既に第1回で説明した通り、IoTとは従来はインターネットへ接続する機能を持っていなかった機器に、インターネットへ接続する機能を付加した機器というのが定義となる。時計にインターネット機能を追加したものがスマートウォッチに、自動車にインターネット機能を追加したものがスマートカーに、さらにはビルにインターネット機能を追加すればスマートビルディングとなる。では、一口にインターネットに接続する機能というが、具体的にはどのように実装されているのだろうか?
それはデバイスによる。自動車であれば、PC、スマートフォン/タブレットに搭載されているようなSoCと無線チップ(セルラー/Wi-Fi/Bluetooth)が実装される。これは、自動車が大きなボディと大きなバッテリ、発電機を搭載しているためで、スペース的にも電力的にも余裕があるからだ。
これに対して、FitbitやWithingsのような活動量計や今後登場するであろう各種センサー(スマート温度計/湿度計など)では、スマートフォンやスマートウォッチよりもさらに小さなバッテリで長期間動き続けないといけないので、スペースと消費電力に対する要求が非常に厳しくなっている。このため、これらの機器に"インターネットに接続する機能"を実現する場合には、SoCと無線モジュールの実装面積をを極限まで小さくし、消費電力を少なくする必要がある。
それはスマートフォン向けSoCでは不適格だ。その端的な例(悪い例と言い換えてもいいかもしれないが……)が、現在発売されているスマートウォッチである。現行のスマートウォッチは、ほぼ例外なくスマートフォン向けSoCのローエンド版を搭載している。このため、高機能を実現できているのだが、それ故に時計としては非常に大きなバッテリを搭載しながらバッテリ駆動時間は短く、製品によっては1日、持っても数日、かつ大きなバッテリを搭載しているため、時計にしてはかなり厚みが出てしまっているという製品が大半である。もしスマートウォッチ専用に必要のない機能を削ったSoCさえ登場してくれれば、もっと薄くてバッテリ駆動時間が長い製品が出てくることだろう。
そう考えれば、今後各SoCベンダーは、より小型のIoT機器に対応したSoCを開発していくというのは当然の流れだ。つまり、今後IoTがさまざまな機器、特にモバイル機器に入っていくにはSoCベンダーがどのような製品を開発していくかが鍵になるのだ。
台湾に設置されたARMの台湾CPUデザインセンター
そうしたIoT機器で非常に多く採用されているのが、英国のARMがSoCベンダーにIPデザインを提供しているARMアーキテクチャのSoCだ。活動量計として最もメジャーなFitbitも、ARMアーキテクチャのSoCを採用している。また、自動車の場合、多くのメーカーが採用を進めているのは、NVIDIAのTegraやルネサスエレクトロニクス R-CarシリーズのようなARMアーキテクチャのSoCだ。そして、スマートウォッチに採用されているのもQualcommのSnapdragonやTIのOMAPなどのARMアーキテクチャのSoCとなる。
記事タイトルに"台湾のIoT"と入っているのに、なぜARMの話?と疑問に感じた読者も少なくないだろう。それはその通りで、ARMは英国のベンダーであり、台湾のベンダーではない。なのにここで取り上げるのは、実はちゃんとした理由がある。それはARMが台湾にCPUデザインセンターを開設したからだ。台湾ARM ジェネラルマネージャのペーター・シェイ氏は「ARMが台湾のデザインセンターを設置したのは、半導体メーカーが台湾そして中国に集中しているからで、開発者の近くにいることが重要だと考えた」と、その設置意図を説明する。シェイ氏によれば、ARMのデザインセンターは、米国のオースティン、フランスのソフィア、イギリスのケンブリッジのデザインセンターに次いで4つ目となる。
シェイ氏によれば、ARMの台湾CPUデザインセンターは、台湾の有名なIT工業地帯である「新竹科学園区」に位置しており、既に昨年(2014年)の末から稼働しているという。現在は30人ほどの研究員が働いているが、今後徐々に拡張していく計画だ。なお、取材した時点では仮オープンとなっており、9月のグランドオープンに向けて準備を進めているとのことだった。
Cortex-Mプロセッサを軸にしたARMのIoT戦略
よく知られている通り、ARMのビジネスは、CPUやGPUなど半導体向けのIPデザイン(要するにCPUやGPUを設計するための設計図)を、顧客となる半導体メーカーに提供する形を採っている。厳密に言うと、CPUのISA(Instraction Set Architecture)のライセンスだけを提供するビジネスも展開しており、Qualcomm、NVIDIAなどがこのライセンス(アーキテクチャライセンスと呼ばれる)を取得して独自にCPUを設計している例もあるが、現在ではARMが開発したIPデザインをそのまま利用するビジネスの方が比率としては大きくなっている。
その最大の理由はタイムツーマーケットだ。CPUのデザインを開発するには数年(2~3年)単位の時間が必要になるし、現在ではCPUのデザインを開発した後、GPUなどと一緒に1チップに組み込んでSoCそのものを開発する時間が数年必要になる。つまり、自社でCPUまで開発するとなると、途方もない時間がかかってしまい、出荷した時にはもう時代遅れになっていた、なんてことになりかねない(実際には同時並行なのでもう少し短いが……)。しかし、SoCベンダーが、CPUのIPデザインだけをARMから買ってくれば、そこにかかる2~3年が節約できるわけで、より早くSoCを出荷できる。特にIoTのビジネスでは、性能よりもタイムツーマーケットが重視されるので、この点は重要になる。
ARMは現在CPUデザインに関して大きく3つのラインナップを用意している。それが「Cortex-A」プロセッサ、「Cortex-R」プロセッサ、「CortexーM」プロセッサだ。
Cortex-Aは、スマートフォンやタブレット、さらにはChromebookなどのPC的なデバイスまでをカバーする高性能なSoC向けのデザインとなる。現在はCortex-A57/A53(64ビット)、Cortex-A15/A17(32ビット)などが提供されており、読者の手元にあるスマートフォンやタブレットにも採用されていると思う。Cortex-RはいわゆるリアルタイムOSと呼ばれるリアルタイム性が必要とされる処理に使われるアプリケーション向けのCPUで、自動車やネットワーク機器などでの使われ方が想定されている。
そして、IoT機器向けとされているのがCortex-Mだ。シェイ氏は「Cortex-Mは主にマイクロコントローラ+DSP向けに設計されている。非常に小さな実装面積で、省電力のSoCを設計することができる」と述べ、小さな実装面積と少ない電力が求められるIoTにはCortex-Mが最適だと説明した。
シェイ氏によればCortex-Mには、現在Cortex-M7、Cortex-M4、Cortex-M3、Cortex-M0+、Cortex-M0という5つのデザインが提供されており、どのデザインを選ぶかはSoCベンダー次第だという。スマートウォッチのようにリッチなOSやグラフィックスが必要ならCortex-M7が、省電力と性能のバランスを採るならCortex-M3というように使い分けられている。
そのほかにも、ARMでは無線のIPデザインの提供も開始しており、Bluetooth Smart(Bluetooth LE)のIPデザインとなるARM Cordioがそれだ。これらをパッケージとして組み合わせることで、SoCベンダーがタイムツーマーケットで製品を市場に投入できるようにしているのだ。
ハードウェアだけでなく、ソフトウェア環境を一体的に提供するARM mbed構想
また、ARMではそうしたハードウェアのデザインだけでなく、IoT機器が動くソフトウェアプラットフォームも提供している。それが「ARM mbed」で、クライアントのmbed OSと、クラウド側にあってベンダー独自のIoTサービスと連動して動くmbed Device Serverだ。mbed OSはARMから無償で提供されるIoT向けのOSで、IoTベンダーはこれを利用し、その上で動くアプリケーションを作るだけで、簡単にIoT機器を構成できる。そのmbed OSで動作している機器と連動するのが、mbed Device Serverであり、インターネットのクラウドサーバーに設置され、ベンダーはそのmbed Device Serverに接続可能なサービスアプリケーションを動かせば、自社でクラウドサーバーを用意しなくても手軽にサービスを構築できる。
第1回でも説明した通り、IoTのビジネスというのはシンプルにデバイスさえ設計すればいいというのものではなく、クラウドサーバー側でサービスを動かしそれと連動しながらサービスを提供する必要がある。かつ、インターネット上を流れるそれらのデータをセキュアに扱わないといけない。これらの環境をスタートアップの企業などが自社のソフトウェアやハードウェアで実現するというのはほぼ不可能だ。そこで、ARMがその大部分を代行し、それ以外の部分で各社が特色を出していくというのが、このmbedの考え方だと言える。
そうしたmbedの環境も含めて、台湾CPUデザインセンターではさまざまなIoTのユーセージモデルが研究されており、次世代のCortex-Mシリーズの開発に活かしているという。「現在当研究所では、将来のCortex-Mプロセッサの開発を行なっている。ユーザーとなる半導体メーカーも近くにあるので、その声も聞きながら開発を進めている」(シェイ氏)とのこと。近い将来には非常にパワフルだけど消費電力の少ないスマートウォッチ用のCortex-Mプロセッサがこの研究所で開発され、製品として投入される可能性がある。そうなれば、スマートウォッチの「分厚い」とか「電池が持たない……」という問題も段々と減っていくのではないだろうか。
スマホとタブレットで2位、フィーチャーフォン、TV、DVD/BDプレーヤー市場では1位のMediaTek
さて、そのARMのIPデザインを利用したSoCを設計して提供するSoCベンダーとして近年急成長を遂げているのが、台湾のMediaTek(メディアテック)だ。MediaTekと言えば、日本のユーザーにとっては、MVNOキャリア回線向けに販売されているSIMロックフリーのスマートフォンやタブレット、あるいは低価格なタブレットに採用されているSoCという印象が強いのではないだろうか。
歴史的に見れば、確かにMediaTekのSoCは安価に提供するという戦略がウケて、多数のベンダーに採用された。しかし、今やそのポジションは徐々に変わりつつあり、スマートフォンのSoCでもトップを走るQualcommを脅かすのはMediaTekであると考えられるほど、製品のラインナップはローエンドだけでなく、ハイエンド向けも揃いつつある。
MediaTekの強みは「スマートフォンだけでなく、TV、DVD/BDプレーヤー、ウェアラブルなど複数のカテゴリ向けの製品を持っていることだ。フィーチャーフォン市場、デジタルTV市場、光学ドライブ、DVD/BDプレーヤーなどの市場ではシェア1位で、スマートフォン、タブレットでは第2位だ」(MediaTek CFO デビッド・クー氏)との通りで、今回のテーマであるIoTを含めて多彩なラインナップを持っていることが強みとなっており、市場でのポジションは向上するばかりだ。
MediaTekは全世界で12,000人の従業員を抱え、2014年の売り上げは70億1,900万米ドルとなり、ファブレス(自社工場を持たないこと)の半導体メーカーとしてはQualcomm、Broadcomに次いで第3位になっている。本誌の読者に分かりやすく言うなら、第4位がAMDなので、AMDよりも大きなメーカーになっていると言うと理解しやすいだろうか。なお、売り上げでは年率で23%(2013年と比較して)の伸びを見せているとのことで、それを見てもMediaTekが成長を続けている半導体メーカーであることが分かるだろう。
MediaTek LabsがIoTデバイスの開発者をサポート
こうしたMediaTekだが、IoTビジネスへの積極的な投資を行なっている。同社MediaTek Labs担当副社長のマルク・ナデル氏は「2015年の段階では80万人と言われる開発者が、2020年には5倍の450万人に達すると見られている。そうした開発者をどう効率よくサポートするかが大事になる」と述べ、MediaTekとしては、SoCを提供するのと同時に開発者のサポートを重要視していくのだと説明した。
いわゆる"Maker"と呼ばれるような個人やスタートアップ企業などがIoTでは大きな担い手になると考えられているが、これらの個人やスタートアップ企業は大企業とは異なり十分な開発リソースを持っていない。このため、半導体メーカー各社は、ほとんど利益ゼロ(実際には赤字)で開発ボードをリリースしたり、ソフトウェア開発ツールなどを無償で提供して、自社の半導体を将来のIoT製品に使ってもらえるように工夫している。
MediaTekもそれは同様で、その取り組みが「MediaTeK Labs」だ。MediaTek LabsはWebベースで提供されており、Webサイトから登録すると、SDKの利用やハードウェアリファレンスキットなどを購入できるようになる。ナデル氏によれば、MediaTekはハードウェアリファレンスキットとして「MediaTek LinkIt」を用意しており、LinkIt One(DIY、Maker向け)、LinkIt Connect 7681(リモートコントロールデバイス用)、LinkIt Assist 2502(商業用プロトタイプ用)という3種類を開発者向けに販売している。
今回の取材ではそうした中のいくつかの開発成果が公開された。Alchemaと呼ばれるスマート醸造器は、ミキサーの下部にLinkIt Oneの開発ボードが入っており、レシピをインターネット経由でダウンロードし、材料となるブドウをミキサーに入れると自動でブドウ酒の醸造ができるという。もちろん他のお酒にも対応が可能だ。
また、台湾のSkuromoto社が桃園市で展開しているレンタルバイクサービスも、LinkIt Oneを利用している。電動スクーターの中に、LinkIt Oneの基板が入っており、さらに2Gのセルラーモデム、Wi-Fi、Bluetooth、GPSなどの無線機能を備え、センター側からスクーターの全てをコントロールできるようになっている。ユーザーはスマートフォンやPCなどでバイクを予約し、アカウント情報が入った非接触カードをスクーターのリーダに近づければ、スクーターがアクティベートされ利用できるようになる。既に同市内で試験運用しているとのことで、面白い取り組みだと言える。
ナデル氏によれば、現時点ではMediaTek LinkItは3モデルだけだが、今後はラインナップを増やしていく計画だという。「今後もMediaTek Labsを通じてIoT開発者をサポートし、IoT市場の創造に繋げていきたい」と述べ、MediaTekが今後もIoT開発者サポートへの投資を続け、その結果として市場の拡大に繋げていきたいとまとめた。
最終回となる次回は、その他編として、台湾のベンダーが試作しているさまざまなIoT機器の紹介、および地方自治体のIoTによる地域振興策などについて紹介していく。