森山和道の「ヒトと機械の境界面」

フィジカルを引き立てるデジタル

~慶應SFC筧研究室 成果展「Habilis」

会場の様子

 人間と環境の関わり、デジタルメディアの投入による新たな視点の獲得などをテーマに研究を行なっている慶應義塾大学SFC筧康明研究室のプロトタイプ展示会「Habilis 身体×物質×情報のシンカする関係」が、3月14日~16日の日程で、京橋にある株式会社イトーキの東京イノベーションセンター「SYNQA」で行なわれた。筧研究室は日常の素材の中に埋め込まれた情報メディアによる新たな「気づき」や、機能、価値の可能性を探究している研究室で、前回この連載でレポートした、触覚の記録・再生を目指す「TECHTILE」も筧氏らによるプロジェクトだ。

 15日にはトークイベントも行なわれ、慶應義塾大学環境情報学部准教授の筧康明氏のほか、ブラウザ「Firefox」でお馴染みの一般社団法人 Mozilla Japan 代表理事の瀧田佐登子氏と、会場となった株式会社イトーキ ICTソリューション企画推進部 ICT事業企画開発部室長の大橋一広氏が登壇し、それぞれの取り組みを紹介した。前回の記事と合わせてお読み頂ければ幸いである。

株式会社イトーキ ICTソリューション企画推進部 ICT事業企画開発部 室長 大橋一広氏

 まずはじめにイトーキの大橋氏が、同社の情報分野への取り組みを紹介した。同社は1890年(明治23年)に伊藤喜商店として創業。ステープラや魔法瓶のような世界にある特許を世の中に広めていこうということで始まったのがイトーキだったという。なお社名は創業者・伊藤喜十郎の名前から取られている。

 大橋氏は同社で2000年頃にはミュージアムのプランニングをしていたという。その流れで2005年頃からは建物内部をVRで閲覧できる展示物等を作成するなどし、さらにMITメディアラボの石井裕氏らと出会って研究を進め、空間コンセプトを作ったりするところから「デジタルと実空間の融合」を意識するようになっていったと語った。

 筧氏との出会いは2008年の「SIGGRAPH」の会場。その後、共同研究や実世界の中の情報の扱いについて取り組んで来た。大橋氏は続けて同社が手がけた小中学校の図書館などの取り組みを紹介し、「実際の展示物とバーチャルな情報をどう組み合わせるか」といったことを考えながらオフィスなどにも実装していっていると述べた。

イトーキの取り組みの例
一般社団法人 Mozilla Japan 代表理事 瀧田佐登子氏

 「1990年代は波瀾万丈だった」、「ブラウザと共に生きてきて20年」という一般社団法人 Mozilla Japan 代表理事の瀧田佐登子氏は、「Webの先にあるもの」という内容で、これまでのMozillaの取り組みを交えて語った。瀧田氏は「Netscape」時代から情報とインターネットに仕事上でも日常生活でもつきあっており、インターネット上の環境も人も多様化していると感じているという。

 会場には比較的若い聴衆も多かったので、瀧田氏は過去を振り返ることから始めた。インターネットそのものは1980年代から存在していたが、WWWとブラウザ「Mosaic」の登場で誰もが使えるようになり、インターネットやWebの価値が変わった。さらに、モノの価値や、ソフトウェアの開発主体や価格が「オープンソース」の出現によって大きく変わった。インターネットが発展して使う人が増えてくると、ネット技術も進歩した。文字だけではなく動きも伝えられるようになり、いまやコミュニケーションが当たり前のアプリケーションになっている。そして今、あらゆるものがネットに接続されて、ライフスタイルが変化し始めている。

 変化しているものの1つとしてオフィス環境がある。オフィスは2005年頃から大きく変わりはじめた。これについては、2000年頃から出現しはじめたシリコンバレーのベンチャー企業が脚光を浴びるようになり、そのライフスタイルに憧れが出てきて、その5年後くらいに影響を及ぼしたと見ているという。

 これらの変化は、技術者だけが引き起こしたものではない。多くの人たちがインターネットを使うことで、できること、やれることが変わってきたのである。つまり、ユーザーが変えてきたのだ。ユーザーの志向がネットの価値を変えてきている。

 さまざまなモノがネットに繋がりはじめている今、では次は何をやらなければならないのか。瀧田氏は「Webの世界からWebを考えていても進化がない。アナログのリアル社会をもっと知らなくてはならない」と語り、アナログ会社はデジタルに学び、デジタル会社はアナログに学ぶようになりはじめていると指摘した。今後は、「PCやスマホに向かっていなくてもWebを使っている、そういうことができないかなと思っている」という。

現在のインターネット接続者数
利用者が増えるに従ってWebの価値が変わって来た
慶應義塾大学環境情報学部 准教授 筧康明氏

 筧氏は、2人の話を受けて「2008年は東大から慶應に移るなど自分にとっても大事な年だった」と話を始めた。イトーキはフィジカルな空間で生まれる人の営みを設計しようとしており、Mozillaの瀧田氏はブラウザを開発していながら四角い画面だけの世界に情報を出すのはWebではなく枠を超える体験を提供したいとしていることから、今回は2人と話をしてみたかったという。筧氏はまず2人の話について「デジタルとフィジカルのバランスを探り、両者の調和をとるデザインをやりたいと思ってやってきた。同じところにいくのか、すれちがうのかは分からないが、この状況はすごく面白いと考えている」とコメントした。

 筧氏はもともと東大工学部の出身で、現在は実世界と情報世界の融合を掲げたインタラクションデザインの研究を行なっている。3月に『x-DESIGN 未来をプロトタイピングするために』(慶應義塾大学出版会)という慶應義塾大学SFCの「x-Designプログラムでの試みをまとめた本が出ることから、自分は何をしてきたのかしばらくずっと考えていた中から今回の展示タイトルである「Habilis」という言葉を紡ぎだしたと述べて、展示作品のいくつかを解説した。

 まず最初に紹介されたのは「Transmart miniascape」というガラスを使ったインスタレーション。電圧をかけると局所的に透過率が変わる8枚のガラスでボクセルアニメーションを表現する。太陽光のあたる屋外での展示を想定されたもので、外光の変化に応じて見え方や色味が変わる。そのためピクセルを見ることで外側の変化に鋭敏になるという。いわば、「周りの世界を知るフィルタとしてのディスプレイ」だ。筧氏は「デジタルメディアをこの世界に投入することで、既知の世界をもう1度未知化する。実世界を新発見するもの」だとコンセプトを語った。

「Transmart miniascape」。
本来は屋外での設置を想定したもの

 筧氏自身はコンピュータそのものへの興味は子供の頃から低かったという。むしろ身の回りの人と話したり、触るといった身近な身体的体験が大切だと考えており、そのフィジカルな良さをデジタルで引き立てることで、生活の未来を作りたいと思ったとこれまでを振り返った。知らない人が同じ場所に居合わせるような偶発性を認識できるメディア、どの場所にも歴史性があることなどに気づきを与えることが、ネットワーク上で遠くにいる人と人が繋がれることと同じくらい重要だと考えており、「人とコンピュータの対話にとどまるのではなく、あくまで身の回りの実世界と人が関わるときに、デジタルメディアがどう触媒になれるか」が研究の出口だという。

 また、物理的なアトムと情報であるビットが融合した何とも言えない新しいモノが生まれつつある今、それらと人がどう関われるんだろうということも大きなテーマだという。この分野では「タンジブルメディア」という言い方があり、物理的なメディアを利用して物理的な姿のない情報にかたちを与えて感じやすくするといった研究がこれまでも行なわれて来た。だが今では例えば、スマートフォンを使うことで土地勘を得られるという体験は多くの人がしている。これは、いわばビットによって物理的なアトムを感じやすくなっているとも言える。つまり、アトムとビットが融合したメディアは、もはや身近な存在になりつつあるのだ。筧氏は「『人』と『物質』と『情報』が、それぞれパラメータとして存在する。そこをもう一度整理することで生活が進歩するんじゃないかと思っている」と述べて、今回の展示タイトル「Habilis」に込められた意味を解説した。

今回の展示タイトル「Habilis」に込められた意味
HABI=Human Atoms & Bits Interaction
人間と物質と情報の関係を組み直し、捉え直す

 ディスプレイを紙にかざすのではなく、裏側にディスプレイを配置し、紙の方をデバイスに認識させて適切な場所に画像を提示する紙の拡張「Paperimposer」、電極とLED内蔵の導電性粘土を使い、粘土を繋げたり離したりすることで、粘土の色を変える「NeonDough」などの作品には、「情報操作と物質操作を等価に」という考え方が背景にあるという。

 また、電磁石とKinectを使って磁石でできた尺取り虫のような物体の動きをジェスチャーで制御できる「tamable looper」、超音波を使って発泡スチロール球を浮かせ、レーザーポインタとフォトディテクタでインタラクションもできる「lapillus bug」などは、まさに情報と物質が入り混ざった、なんとも言えない新しいモノになっている。

 このほか、磁性流体による描画で静止画上に新たな時間軸を表現する「oozing」、環境中の水分に応じて葉を開いたり閉じたりするスナゴケという苔を使った「苔画」、人間の五感では感じられない放射線の変化を感じさせて考えるきっかけを作るための照明「Open-Close-Open」、偶然に左右され変化するシャボン玉そのものをディスプレイ素材とした「Shaboned Garden」なども、人間×物質×情報の関係を考察し直す作品群だ。

「NeonDough」
「Paperimposer」
「oozing」
「lapillus bug」
「苔画」
「tamable looper」
「tamable looper」
「Shaboned Garden」
「Open-Close-Open」

 また、国連による「リハビリテーション」という言葉の定義を紹介し、「リハビリ(Rehabilitation)」には、「再び(Re)+適した状態にする(Habilitate)」という意味があり、さらに「Habilis」には「フィットする/ふさわしい/能力がある」という意味があり、ableの語源でもあると述べて、「Habilitation Media」を縮めた「Habi Media」という言葉を提案。これは一方的に技術側に依存するのではなく、人間も技術も環境側も互いに寄ってくることで、人がさらに何かをしたくなるようなメディアを示す概念だという。

 例えば人のメンタルモデルを変えるだけでも世界は変わって見える。筧氏は続けて、電磁石を使って勝手に線を描いてくれるペン「dePENd」、導電性インクを使うことで決められた線の上でしか切れないハサミ「enchanted scissors」、視線検出と眼鏡のツルに着けた振動子を使って視線を肌で感じることができる「Eyefeel」等を紹介した。研究室としてやりたいことは「作品を見る前と見たあとでは世界の風景が変わって見えるようなもの」を作ることだという。

「dePENd」
「enchanted scissors」
「Eyefeel」
トークセッションの様子

 このあとのパネルディスカッションでは、ネットワーク接続が前提の新しいものづくりや、人と人との関係作りについて3者それぞれの立場から議論が行なわれた。イトーキの大橋氏は、リアルな世界が価値を持つためのフィジカル側からのアプローチとして、多様性を持った人々が使える空間作りが重要だと考えていると述べた。Mozillaの瀧田氏は「アナログとデジタルの良いところの融合をどうするかが課題だ」と語り、単にリアルに戻るのではなく、よりリアルに接することで、デジタルに良い技術をフィードバックできるのではないかと述べた。特に「偏りをなくしたい」とし、何かをやるときに専用端末が必要だという状況が、まだデジタルとアナログの壁を作っていると考えているという。筧氏は、自分の身体性や物理空間の価値がパラメータとしてちゃんとあって、むしろそこを引き立たせることがデジタルの最終目的だったと強調した。

 3者の意見が一致していたのはこれからのWebやものづくりを決めるのは技術者よりはむしろ消費者であるという点だ。これからWebやネットをどんな人たちがどう使っていくが、ネット全体の将来のかたちづくりに影響していく。

 筧氏は、メディアアートも「ありもの」を持っていくのではなく、そこらへんにある石ころや枝を使って作ることで、そこにあったものや場所そのものに新たな価値が生まれる、そのような立ち位置で進めていきたいと述べ、今は病院などでのコラボレーションの可能性も探っていると述べた。理想は、自転車に乗るときの補助輪のような、ある種のカスタマイズやアタッチメントとしてのデジタル技術だという。自転車は最初は補助輪が必要でも、一度乗れるようになれば補助輪は必要ない。あるいは、1度デジタル技術やメディアを通じて知識を持つことができれば、世界を見るときの意識は変化する。

 普段身近な住んでいる土地の魅力や、自分の身体の魅力、あるいは身近な人との触れ合いの魅力が増すようなデジタル技術。多くの人が自由に使えるプラットフォームとしてWebはこれまで発展してきたが、それと同様な、あるいは次世代のWebのようなものが必要な時代に入りつつあることを感じさせるディスカッションだった。

(森山 和道)