森山和道の「ヒトと機械の境界面」

生命力のアーティスト・市原えつこ氏が「デジタル・シャーマニズム」で狙う新たな葬いとは

「秋葉原のナマハゲ」
【展示概要】
イベント名「オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス」内コーナー
エマージェンシーズ! 030 市原えつこ
会期2016年12月20日~2017年3月12日
会場NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
住所東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー4階
電話番号0120-144-199
開館時間11:00~18:00
休館日月、保守点検日(2月12日)
URLhttp://www.ntticc.or.jp

 NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)の「オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス」内新進アーティスト紹介コーナー「エマージェンシーズ!」で、2016年12月20日(火)から2017年3月12日(日)までの日程で、市原えつこ氏による「デジタル・シャーマニズム--日本の弔いと祝祭」が開催されている。

 「デジタル・シャーマニズム」は、日本の民間信仰とテクノロジーを融合させることをテーマにしている。今回は2つの作品が展示されている。

 まず、「デジタルシャーマン・プロジェクト」は、死者の顔をプリントした仮面をつけたヒューマノイドロボットにその人の言葉や身振りなどの身体的特徴を「憑依」させる動作プログラムを入れて、遺族と死後49日間を過ごすというコンセプトで新しい弔いの形を提示した作品だ。もともと市原氏が亡くなったお祖母さんをきっかけに「弔い」を再考した結果、生まれた作品だという。

 これまでは等身大のヒューマノイドであるソフトバンクの「Pepper」を使った展示が多かったが、今回のICCでの展示では小型ヒューマノイドの「NAO」が使われている。なお、今回プリントされた顔の方は存命している。詳細は後述する。

デジタルシャーマン
Pepperを使った場合は等身大サイズになる
顔スキャンデータをプリントしてロボット頭部に貼り付けている
この顔は理化学研究所ベンチャーのハコスコ代表取締役 藤井直敬氏

 もう1つの展示は「秋葉原のナマハゲ」。秋田県男鹿市「ナマハゲ」をモチーフにした新しいプロジェクト「都市のナマハゲ - NAMAHAGE in Tokyo(日本のまつり re-design)」の紹介だ。ISIDイノラボと市原えつこ氏の共同プロジェクトで、お面部分はアーティストの池内啓人氏、衣装はファッションレーベルのchloma(クロマ)による。2月には映像が公開される予定だ。

「秋葉原のナマハゲ」。衣装デザイン・製作はchloma
頭部は池内啓人氏。ドローンなど「秋葉原の都市の幸」があしらわれている
頭部右側面
頭部左側面

エロから祝祭、死と葬いへ

市原えつこ氏。アーティスト、妄想監督

 世間的には、市原えつこ氏は、学生時代から手がけていた「セクハラインターフェイス・喘ぐ大根」で一番よく知られていると思う。市原氏が日本の性分化に触発されて制作された作品で、大根をなでると喘ぐ、というものだ。仕組みは単純で、大根に電極が刺されていて、人が触ることで電圧が変化して、音の再生速度を変えることで「喘ぐ」デバイスだった。

【動画】セクハラインターフェイス・喘ぐ大根

 2013年にはこのセクハラ大根を活用して、脳科学者の藤井直敬氏とコラボ。虚構の美女と大根を使ったインターフェイス「妄想と現実を代替するシステム SRxSI」を発表した。藤井直孝氏のSR(代替現実)技術については、本連載のバックナンバー“フェイクと現実の境界を溶解させる「SRシステム」の行方”を参考にしてほしい。

 また、Pepperの胸部タブレットを女性の乳房にした「ペッパイちゃん」はネットで炎上。こちらは違う意味でも話題になった。

 しばらくエロとテクノロジーを組み合わせたナンセンスな作品制作を進めて来た市原氏だが、「エロネタはもうやり尽くした」とのこと。そもそもエロ+技術ネタが続いていたのも、社会人になって就職したことで、まとまった時間の確保が難しくなったため、新たなテーマを仕込むことが難しかったという側面も強かったという。

 「ようやく自分が何をしたいのか分かった」、「これが原点でこれからクオリティを上げていく」と語る市原氏が今興味を持っているのは「祝祭」であり、「死と葬い」だ。テクノロジーと魔術的なものや宗教との距離は近いと考えているという。また、「宗教が担っていた機能の一部を技術が代替できるのではないか」と考えていると講演等で語っていた。

 筆者個人は、技術は基本的に人の幸福のために使われて欲しいし、人が主観的に感じる幸福感と、死生観や宗教的なものとは切っても切れない関係にあると考えている。原点から新たなスタートを切ろうとしている市原氏に、ここでいったん話を伺っておきたいと考えて取材をお願いした。

他者を弔うことと、自分の生の解像度を上げることとの繋がり デジタルシャーマン

市原えつこ氏

 まずは今回の展示の「デジタルシャーマン」について。仏教では、人は死後四十九日の間は現世とあの世との間を漂っているとされている。「デジタルシャーマン」は、その四十九日の間、人型ロボットに魂が宿っているという体のアートである。そして魂の行く先が決まる四十九日の最後の日、ロボットに宿っていたそのアプリも動作を終えるという設計になっている。

 死者があの世から戻ってきて宿っているという設定の理由は「日本人的死生観や宗教観に合わせようと思った」からであり「自分が霊的なものを心の底では信じているからかもしれません」という。「生前のメッセージの再生だと、普通に遺書じゃないですか。魂もどきを現前させるようなイメージです。それで死後に何か言いたかったことを言っているという振る舞いにさせました」。

 制作のきっかけの1つは、2015年2月に市原氏自身の祖母が亡くなったこと。その時に人の不在に対して処置をする「葬儀というシステム」が、よくできていることを実感したという。

 「人間の感情の整理のシステムとして非常に優れている感じがしました。身近な人の死はなかなか受け止めきれないし、何もないところで『折り合いつけてよ』って言われても気が狂うんじゃないか。それを、死んですぐに通夜があるバタバタ感でまぎらわすとか、初七日でどんどん遠ざかって行く中で社会的にその人がいないことを周囲に知らしめることができる。作業を通して自分も『その人がいない』ということに折り合いをつけられる。自分で感じたというより、お坊さんをやってた人に聞いてなるほどと思ったんですけど」。

 市原氏は当時、WebサービスやスマホアプリのUI/UXデザイナーとして会社員の業務を行なっており、そこでPepperのアプリ開発の仕事をして親しんでいたこともあって、これからの時代、家庭に人型ロボットがいる時に、それを1つのメディアとして新しい葬いができないかと考えて発想した。

 最初はSNSのログから合成音声で本人のような喋り方をさせられないかと思って試してみたが、「全くその人っぽくなかった」。そこで、死後に現世に魂が戻ってきてロボットに憑依したという設定の状況下で、大事な人たちにどんなことが言いたいかとヒアリングをし、録音したものを再生することにした。笑い方や身振り手振りのモーションも、本人を連想させるものにしてノンバーバルコミュニケーションを重視したという。

藤井氏の話は面白かったという

 なお、モーションのプログラミングや、ロボットのアプリケーションの実装は市原氏自身ではなく、別の知人が行なっている。市原氏はコンセプトを示すディレクションという立場であり、それはほかの作品でも同じだ。作品制作のためのメンバーは毎回、スキルや意思疎通を含めて検討し、「この人がふさわしい」と思える人を探し出してきてチームを組んでいる。適切な人が集まってくるのがまた不思議なところである。

 「イラストは描けるんです。『こういう世界観がやりたいんですよ』というと、協力者の方が現れたりする。やりたいことをやりたいと思ったときの執念みたいなのはすごいので。『死ぬまで離さんぞ』みたいな気持ちはあるかもしれないです。周りが飽きても最後までやってることが多い気がします」。

 そもそも仮面を貼りつけようという発想は、最初に市原氏自身が顔のスキャンデータと出力を持っていたこと、それを手で持って動かすだけでも割と面白いという気づきから始まったという。最初はロボットも一から作ろうと思ったが、ふと気がつくと全身とアプリ開発基盤が揃ったPepperが既にあるのであれば、そのまま使う方が安いと気がついた。

 ただ最初は、誰でも使えるサービスを想定していたそうだ。しかし途中で自分自身にフォーカスし、「自分の身体の抜け殻みたいなものを再現したい」と思ってやってみたところ、それが、はまった。誰でも使えるものよりも「自分ごと」にした方が面白かったし、シンプルな機構で本人っぽさを再現できると思ったそうだ。ちなみに市原氏自身のものは、高笑いする動きや、うなづきかたに特徴を持たせている。

 それを、死者への葬いの新たな再設計という考えとくっつけることで、デジタルシャーマンが生まれた。「魔術とテクノロジーって近いんじゃないかという直感がその頃からあって。それを証明したいなと思って作りました」。市原氏の考える弔いとは「死者や不在に対する処理の仕方。大切なものが抜け落ちたときに自分なりに折り合いをつける手段」だ。

 市原氏は「一度死者を弔っておくと、自分が死に近づいたときにも心の安定に繋がる」と考えている。「自分の祖先をきっちり弔うことは、自分の死が迫ったときの心の支えになるものだと思ってます」。「自分の命の終わりを意識してセットすることで、ただ単純に生きているときとよりも『生きることへの解像度』が上がると思ってます」。

 なお「デジタルシャーマン」は文化庁の「メディア芸術クリエイター育成支援事業」と、総務省の「異能vation」の支援を受けている。今回の展示では研究者でVRベンチャー代表取締役でもある藤井直敬氏の仮面をつけたロボットNAOがレスリングのリングのようなところに鎮座しており、頭部を触ると、喋り始めるという展示になっている。

 今回の展示は、完成したというよりはプロトタイプができたので世にいったん出して見て、来年以降継続開発していくための意見収集という側面が強いという。「放映や掲載後の反応を見て、『ああ、こういうふうに思うんだ』と意外に感じたりするのが面白いです」。

【動画】TEDxUTokyoでの死のデザインについてのトーク

祭りのリメイク 現代都市に住むナマハゲ

「秋葉原のナマハゲ」等と

 「秋葉原のナマハゲ」は、「都市のナマハゲ - NAMAHAGE in Tokyo(日本のまつり RE-DESIGN)」の一部である。2016年4月にISID(電通国際情報サービス)イノラボと始めたプロジェクトで、日本の地域文化の豊かな精神性を世界に発信・理解促進する施策であるJETRO「オリンピック・パラリンピック基本方針推進調査:文化を通じた機運醸成試行プロジェクト」の採択も受けて映像制作も行なっている。動画は2月に公開されたばかりだ。

 ナマハゲは相互監視なども含めて村コミュニティを結束するためのシステムとしても機能していた。おなじみの姿だけでなく、集落ごとにさまざまな姿がある。

 それが東京に現れたらどうなるのかと想像し、秋葉原ならばVRゴーグルやドローンなど、都市のコラージュのようなものをまといつつ、従来のナマハゲによる集落の監視機能をネットやSNSなどを通じたものとして現代版にするといったストーリーを妄想し、秋葉原にすみついているナマハゲを構想した。

 オリジナルのナマハゲがミノを着ているのに対し、衣服もアウトドアウェア生地が採用されている。さらに背景には細かいストーリーも設定されているがそちらについては省略する。秋葉原だけではなく、ほかの街の妖怪も想定されている。

 「ここ1年は祝祭に興味があります。今はナマハゲがテーマですけど、ナマハゲは部外者が参加できるお祭りじゃないので、次は、もうちょっと内部に入り込んでやりたいなと。お祭りと言えばお盆に死者を受け入れる祭りが多いので、もっと参加したいと思ってます」。

 ゼロベースで勝手に新たなお祭りを作ることではなく、既存の祭りを技術でリメイクすることに興味がある。「ただの祭りだったら、ロックフェスティバルも祭りじゃないですか。そうじゃない」。

 ではどういうものがいいかと言うと、「その土地の人にずっと根付いているお祭りがいいんです。発展させるというより『リメイク』というイメージです。あとはねぶた祭りとか祇園祭とか、特に自分がなにもしなくてもずっとあるだろうなと思うものに対してはそんなに興味がわかないというか。そのままにしておくと時代の流れで消えていってしまうのではないか、と危惧するような祭りがむしろ気になります。その土地の生活に民間風習として密着していて、放置しておくと消えてしまうかもしれない、と思うもののほうが食指がそそります」。

 ただし、記録ではない。「昔からあるものにテクノロジーを作用させて、化学反応させて違うものにするのが好きなんです。ただ単にアーカイブするだけならアーカイブの専門家がやっていますから、そこに別の角度から切り込みたい。いろいろやって、やりたいことがやっと分かってきたところです」。会社をやめてフリーランスになり、時間ができて、分かってきたという。

現代は、非合理性の部分が、ふわっと宙吊りになっている

市原えつこ氏

 繰り返しになるが、市原氏は、日本土着の信仰とテクノロジーを組み合わせたときに、どういう化学反応が起こるのかに興味を持っている。以前のセクハラインターフェイスも、土着の祭りと性器崇拝への興味から発想したものだった。祭りや葬い、あるいは五感に訴える人間の根底にある本質的欲望などに一貫して興味を持っている。ただし一直線にここに辿り着いてわけではない。

 市原氏は、宗教が担ってた機能の一部を、テクノロジーが代替できると考えている。「宗教って、宗教が強かった時はその時代のエリート、一番頭の良い人が集まっていたと思うんです。でも科学技術が生まれた今は、デザインも含めて才能のトップがテクノロジーに集まっている。科学技術的世界観が強くなるなかで、宗教的なものって意味がないと淘汰されつつあると思いますが、宗教が担っていた、例えば亡くなった人と離れる手段としてのお葬式や、そういった科学的な合理性だけで割り切れない非合理性の部分が、ふわっと宙吊りになっているんじゃないかという気がしています。そこを逆に、テクノロジー的なものでケアすることができるんじゃないかと思うんです」。

 信仰とテクノロジーは相性が良いはずだという。「宗教芸術って、その時代の一番のテクノロジーを使っていたと思うんです。大仏とかもそうですが、当時の最先端の技術を使って信じさせようとしていたんですよね。なんで今もそれをやらないんだろうって。昔と同じことをやってるだけという意識です。今は完成度が低いので、『おおっ』という感じにはならないかもしれませんが、テクノロジーを使って 目に見えないもの、神様を表現するのは普通に今までやってきたことだと思います」。

 ただし、宗教といっても組織化された特定の宗教ではない。もっと素朴で土俗的・民間信仰的な、土着的、本能的なものだという。芸術家の中でも岡本太郎に共感することが多いそうだ。「外部の信仰が輸入される前の土着的なものに興味があります」。

 筆者も事前にさまざまな媒体でのインタビューをまとめて読んで、市原氏は生命力のアーティストを目指しているんだなと感じたことを伝えると、こう返事が帰ってきた。「とても光栄です。それをうまく語る表現がないので、もやっとした具体例から入って、結局伝わらないってことが多いんですけど。技術を使って見えないものを現存させたり、こういうものがあったよねということを世の中に発信したい。忘れていたものを突きつける、とまでは言わないんですが」。

 セクハラインターフェイスの大根も「違和感はあると思うんですけど、日本人の中にうっすら残っている土着的なものを刺激したいと思って作っています」とのことだった。ただし当時は「自分が信仰全体に興味があるんだということを深掘りできていなくて。とりあえず性器信仰の神社とかにいって、なんだこれはと思った衝撃のまま作ったんです」。

 そうすると、テクノロジー界隈でエロネタは鉄板なので、大いにウケてしまい、さらにそちらに走っていった。だが、だんだん「違うかも」と思うようになったのだそうだ。

 「性器信仰の神社を訪れた時に、なぜだか懐かしいなと思ったんです。神聖な場所に男根があるんだけど、納得できなくもないというか。豊穣のシンボルですよね。病魔や死の対極として生・性があって、それを祀ってるわけですね。日本人のメンタリティのなかで性って大事なんだなと思ったんです」。

 その後にメディアアートのゼミへ在籍中にで熱海秘宝館に行ったことも転機だった。「ものすごくナンセンスな技術の使い方をしていて。これは日本人的な技術の使い方だなと感動してしまい、自分が作るんだったら、かっこいいメディアアートじゃないだろうな、どっちかという熱海秘宝館の方向性だろうなと思いました。こんなぼんやりした世界観から作り出したんで、最初は大根ではなく思いっきり生々しく「足」を作ってしまいました。もともと日本の土着的な文化に興味があったんですけど、最初の3年はその部分に気づくことはなかったんですよ。SR×SIはテクノロジー×エロというコンセプトに傾倒している時に制作した作品でした」。

行き着く目標は田んぼ的な巫女さん?

市原えつこ氏

 「耽美的というよりは、田んぼ的」なところに興味がある理由は、実家の母方が農家だったからかもしれないと笑う。「ちっちゃいころから畑仕事を手伝っていたので『豊作は良いことだ』というマインドセットが組み込まれているかもしれないです。作物がいっぱい獲れると嬉しいとか、大地に感謝とか」。

 ほとんどの人は意識していなくても魂の存在を想定して生きているし、何らかの宗教、超自然的対象感を心のなかに持っている人は多い。筆者(森山)個人は、人が宗教を作ってしまうのは世の中が基本的に理不尽だからだと思っている。自然災害が良い例だが、世の中で起こることのたいていのことには実は理由がない。人は、自分自身が生きていることも含めて意味を探してしまう生き物だが、実際にはたいていのことに意味などないのである。

 理不尽で、理由もなくひどいことや幸福が訪れたりすることを因果関係の枠組みで納得するために、世の中の外に別の理(ことわり)を作って納得しようとする、それが宗教なのだろう。それはおそらくヒトという生き物の仕組みのなかに埋め込まれている。だから古今東西、世界中の人がなんらかの宗教的な考え方を(無意識に)持っているのではないかと考えている。

 その部分を技術で埋めたいと考える人は、実際、もっと多くてもいいのではないかと思っている。なぜなら人の主観的な幸福感と直結しているのではないかと思うからだ。幸福感というのはどこまでも主観的なもので、客観的にみてあれこれ言えるものでもない。単純な物質的な何かでは埋められないものが人の心にはあるのだ。

 市原氏は、学生時代は器用貧乏で映像制作やコピーライティング、イラストなどいろいろやりはしたものの、ずっとものづくりコンプレックスがあったという。「今は器用貧乏ぶりを自分のやりたいことに使えてますが、当時は単純な器用貧乏だった気がします」。

 でも、今はやるべきことを見つけた。「自分の使命だと思うことをやってるときは幸せというか、納得感がありますよね。自分が生きているのはこれのためだろうと思ってやれていることは清々しい。ようやく自分がやるべきことに入れたと感じてます」。

神楽としての作品

「デジタル・シャーマニズム」展示

 言わば、今回の展示は、市原氏の「自分探し」が完了した成果だ。「あれが原点。これからクオリティを上げていきます」。

 「人間の精神世界に近いようなところ、宗教的なところや信仰心を、科学技術を使って具現化する、触れるようにする、見えやすくすることを、これからもやっていく。今はアウトプットが少ないからバカっぽく見えるしれない。でも表現手法自体が洗練されたら説得力が出てくると思うので、なるべく再現性やクオリティを上げていきたいと思います」。

 ではどんな方向で発展させていくのだろうか。「日常空間に当たり前のものとして浸透させるイメージが強いです。特別な場所にあるというより、チェーン店としてあるような。何かしら自分のやりたい世界観が表現されているやすいものが日常のなかに浸透しきって身の回りにたくさんある、そんなイメージです。実空間を支配したい欲求が強いので、実際に体験できる何かとして実空間にどっしりと浸透していきたいです」。

 最近は、神様へのお供え物として作品を作っているそうだ。

 「神様に『なにこれ面白い』と言われるものを作ろうと。人間に対してどうこうというより、神様が楽しいと思うかどうかを大事にしてやってます。神様が『やだーこれ面白い』と思うようなものをやってるあいだはお金もなくならないし、死なないと思っています。頭悪い発言ばかりで恐縮ですけども(笑)」。