■石井英男のデジタル探検隊■
VR(バーチャルリアリティ=仮想現実)という言葉が話題になったのは、もう10年以上もの前のことだ。VRとは、3次元CGや音響効果などを組み合わせて、人工的な現実感を作り出す技術であり、仮想現実とも訳される。最近は、VRから派生した技術である、AR(オーグメンテッドリアリティ=拡張現実)にも注目が集まっているが、VRやARシステムを構成する要素として重要なのが、いわゆるヘッドマウントディスプレイである。
ヘッドマウントディスプレイ(HMD)とは、その名の通り、メガネ形やゴーグル形をしたディスプレイであり、頭に装着して、目の前にかぶせる形で利用する。通常のディスプレイでは、視野全てをカバーするわけではないので、どうしても没入感に欠けるが、HMDなら視界の大部分をカバーすることができ、ディスプレイに表示される映像以外の物体を見えなくすることができるので、その世界への没入感が高まる。
ARは、拡張現実とも訳され、現実世界の物体の上に情報を重ねて表示したり、仮想物体を同時に表示するものであるため、HMDを使わずに実現しているシステムもあるが、ARにおいても自分の周りのすべての世界に情報を重畳するのであれば、やはりHMDが必要となる。数年前にNHKで放映されたアニメ「電脳コイル」は、ARが日常となった世界を描き、大きな話題となった。電脳コイルの重要なアイテム「電脳メガネ」は、メガネ形のウェアラブルコンピューターであり、HMDの未来形といえるだろう。
●「ながら見」に適した単眼シースルータイプHMD自体は決して目新しい機器ではなく、業務用、研究用はもちろん、コンシューマ向けとしてもこれまでに数社から発売されている。代表的な製品としては、オリンパスの「Eye-Trek」やソニーの「HMZ-T1」などがあるが、Eye-Trekシリーズは2002年に製造が中止されている。しかし、ブラザーから登場した「AiRScouter」は、同じHMDでもEye-TrekやHMZ-T1とは、仕組みや用途が異なる。
2001年10月に登場したオリンパスのHMD「FMD-220」 | ソニーの3D対応HMD「HMZ-T1」。有機ELパネルを採用する |
HMDは、ディスプレイが両眼か単眼か、そして映像の向こうに周囲の景色が見える(シースルー)か見えないか(非シースルー)かによって、4タイプに分類できる。コンシューマー向けHMDの多くが、両眼かつ非シースルーのタイプで、周りの景色が見えず、映像に没頭することができるので、映画の視聴やゲームのプレイなどのAV用途に適している。Eye-TrekやHMZ-T1もこのタイプだ。また、両眼かつシースルーの製品としては、VUZIXの「Wrap」シリーズやエプソンの「MOVERIO」があり、こちらも主にAV用途が前提のコンシューマ向け製品だ。単眼で非シースルーの製品としては、島津製作所の「DATA GLASS 3/A」などがある。視界の遮りが少ない単眼HMDは、じっくり視聴するのではなく、動きながらや作業しながらの「ながら見」に適しており、業務向けの製品である。
エプソンの「MOVERIO」。両眼シースルータイプのHMDで、Android 2.2を搭載し、単体でAVビューアとして利用できる | 島津製作所の「DATA GLASS 3/A」。単眼非シースルータイプのHMDで、クリップでヘルメットに直付可能 |
今回紹介するAiRScouterは、単眼でシースルーという、4つめのタイプの製品であり、こちらもDATA GLASS 3/Aと同じく、ながら見に適しているが、周囲の景色と映像を重ね合わせて表示できるため、背景を黒にすると実際の視界内で絵や文字が浮かんでいるような独特の映像表現が可能なことが特徴だ。
●小型軽量で長時間装着していても負担が少ないNECのウェアラブル端末「Tele Scouter」。OSとしてWindows Embedded CE 6.0 R3 Professionalを搭載 |
ブラザーがHMD事業への取り組みを開始したのは、2003年頃になるという。2005年に開催された愛・地球博でHMDの試作品を参考展示した後、開発を続け、2011年8月にAiRScouterの事業化を発表。同年11月に限定数を法人向けサンプルとして出荷した。2011年12月に、NECがウェアラブル端末「Tele Scouter」の出荷を開始したが、このTele ScouterのディスプレイとしてAiRScouterが採用されていた。このたび、4月17日にPCに直接接続できるAiRScouter新モデルの単体発売が発表され、同時に予約受付も開始された(発売は6月予定)。
AiRScouterの特長として、次の3点が挙げられる。
1.単眼・シースルーなので視界の遮りが少ない。
2.高解像度で細かい文字も見え、フルカラー表示に対応
3.小型軽量
まず、単眼でシースルー(透過型)なので、両眼型や遮蔽型のHMDと比べて、映像表示中も視界を妨げず、安全に作業できるというメリットがある。また、HMDとしては高解像度となるSVGA(800×600ドット)対応なので、細かい文字も視認でき、フルカラー表示に対応しているので、動画や写真も見やすい。さらに、ディスプレイ部分は装着用フレームを含めても約106gと軽く、長時間装着していても負担が少ない。
映像ソースはPCで、PCとはUSBで接続する。ただし、PC側ではUSBディスプレイとして認識されているが、HDCPなどの著作権保護機能には対応していないので、地デジ放送やBlu-rayタイトルなどの映像を表示させることはできない。
コントロールボックスも72×19×79mm(幅×奥行き×高さ)とコンパクトで、重量も約75gと軽いため、ポケットなどに気軽に入れられる。電源は、PCからUSB経由で供給されるため、別途電池やバッテリを必要としないことも嬉しい。なお、コントロールボックスにはバッテリ接続用のmicroUSB端子も用意されており、モバイルブースターなどの市販のUSBバッテリを接続することで、PCから供給される電力がカットされ、PCのバッテリを節約できる。
コントロールボックスには、ディスプレイON/OFFボタンと映像回転ボタン、輝度調節ボタンが用意されている。映像回転ボタンは、押すたびに映像が180度回転し、右眼視聴用と左眼視聴用に映像を切り替えることができる。輝度は8段階に調整が可能であり、明るい屋外でも視認性は十分だ。
AiRScouterは、裸眼者用フレームが付属する裸眼者用セット「WD-100G」と眼鏡者用フレームが付属する眼鏡者用セット「WD-100A」の2モデルが用意されているが、それぞれのフレームは単体でも発売されており、追加購入も可能だ。今回は、両方のフレームを試用した。なお、裸眼またはコンタクトの人は、必ず裸眼者用フレームを使わなければならない。
●PCとUSBケーブル1本で接続でき、電池も不要
早速、AiRScouterを試用してみた。AiRScouterの装着手順は、次の通りだ。まず、左右どちらの目で映像を見るかを決め、アジャストレバーをフレームの右または左のステーの溝に差し込む。次に、本体(ヘッドディスプレイ)をアジャストレバーに差し込み、フレームにケーブルクリップを取り付ける。ヘッドディスプレイのケーブルをケーブルクリップにはめれば、装着準備は完了だ。
接続するPCにドライバとユーティリティをインストールし(対応OSはWindows XPとWindows 7とされているが、Windows Vista搭載PCでも正常に動作した)、ヘッドディスプレイのケーブルをコントロールボックスに接続し、コントロールボックスとPCを付属のUSBケーブルで接続するだけで、ヘッドディスプレイにPCの映像が出力される。表示モードは、PCの画面がそのままAiRScouterに表示されるミラーモードと、PCのメイン画面を上下左右に拡張し、拡張した部分がAiRScouterに表示される拡張モードの2種類があるが、拡張モードでは表示に一部制約があるため、ミラーモードでの利用が推奨されている。
【動画】ディスプレイの角度を変えて動画を撮影してみた。表示されている映像のイメージがわかるだろう |
●裸眼者用フレームなら比較的違和感は小さい
筆者は、視力が低いので、普段はコンタクトレンズや眼鏡を使用している。そこでまず、コンタクトを装着した状態で、裸眼者用フレームを使ってAiRScouterを試用してみた。
裸眼者用フレームは、度なし眼鏡をかけている感覚で、比較的違和感が小さい。ディスプレイの位置は上下左右に調整できるので、見やすい場所にセットすればよい。また、視度調整ダイヤルを回すことで、画像の表示位置を前後に変更できる(実際にハーフミラーの位置が前後に変わるわけではないが、目で見たときに感じる距離が変わる)。視野に占めるディスプレイのサイズはほとんど変わらないが、近くに設定すれば、小さなディスプレイを近くで見ている感覚になるし、遠くに設定すれば大きなディスプレイを離れて見る感覚になる。距離の調整範囲は30cmから10mと広く、目で見ている現実の物体とほぼ同じ距離に設定することで、目のピント調節の範囲を減らすことができ、より目が疲れにくくなる。
解像度は800×600ドットだが、ディスプレイが視野に占める範囲はそれほど大きくないので、精細感は高い(むしろ小さい文字は読みにくいくらい)。PCの背景を黒くすると、映像の周りが透けて見え、表示が浮かび上がる感じになる。YouTubeの動画などを再生してみたが、動画も滑らかに再生された。
シースルーの単眼型なので、映像を表示させたままでも視野があまり妨げられず、移動や作業は十分に可能だ。
次に、眼鏡をかけて眼鏡者用フレームを使ってみた。眼鏡者用フレームは、通常の眼鏡の上に載せて使うため、やや違和感を感じる。また、眼鏡のレンズ形状にもよるが、裸眼に比べてよく見える部分の視野が狭くなっているため、AiRScouterの映像が占める割合が大きく、やや違和感がある。このあたりは慣れでカバーできるだろうが、コンタクトレンズと眼鏡を併用しているのなら、コンタクトレンズ+裸眼者用フレームの方がより快適である。
裸眼者用フレームを使ってAiRScouterを利用中の様子。重量はそれほど重いとは感じず、装着したまま自由に歩き回れる | ノートPCを背中のリュックに入れて周りを歩いてみた |
コントロールボックスは小さいので、ジャケットのポケットに楽に入る | 眼鏡者用フレームは、通常の眼鏡の上に載せて利用する。2つ眼鏡をかける感覚になるので、やや違和感を感じる |
●今後のHMDの進化の方向を示す製品
AiRScouterは、個人が購入することも可能だが、基本的には法人向け製品であり、組み立てマニュアルを表示させて組み立て作業を支援したり、遠隔作業を支援するといった用途が考えられる。実売価格も20万円前後と予想されており、個人が気軽に買える価格ではない。
しかし、単眼・シースルー型HMDは、従来の両眼・非シースルー型HMDではできない応用が可能で、ARシステム用の表示デバイスとしても適している。Googleも、「Google Glass」というARアイウェアのプロジェクトを開始しており、AR技術がさらに発展していくことは間違いないだろう。そうした未来を予感させてくれる製品であり、今後の進化に期待したい。