元麻布春男の週刊PCホットライン

低価格化が進まない日本のPC事情



 5月17日に開かれたIntelのInvestor Meetingだが、もう1つだけ興味深いテーマのスライドがあったので、ちょっと紹介してみたい。図1は現CFO(最高財務責任者)であるステイシー・スミス上席副社長のスピーチに使われたもので、コンシューマ向けの平均価格のノートPCが、その国やエリアの平均的な週給の何週分に相当するか、ということを示したものである。

【図1】平均的なコンシューマ向けノートPCと各国の週給の関係

 図1に示された統計で最も古い1995年当時、わが国は世界で最もノートPCが購入しやすい国で、3.3週分の給与でノートPCを購入可能だった。ノートPCの普及、特にコンシューマへの普及という点で、わが国が最も先行していたこと、バブル景気の残り香で、わが国の給与水準が依然と高かったことなどがその要因だと考えられる。

 一方、この当時中国では、ノートPCは庶民の約3年半分の所得に匹敵し、インドでは9年分に近い所得に匹敵した。インドでPCを買うには、住宅ローン並みの覚悟が必要だったことになる。

 筆者が記憶しているのは、1990年代末、Palm Springsで開かれたIDFでのことだ。Pentium III(Katmai)のローンチを終え、次のCoppermineの導入を控えたタイミングだったと思うが、先日退任したアナンド・チャンドラシーカ氏(当時はワークステーション事業部長)のプレスセッションで、インドから来た記者が述べた言葉だ。

 「IntelはPentium IIIだCoppermineだと、最先端のプロセッサの優秀性を述べるが、インドの大衆はPentium IIさえ見たことがない。そんな人たちにどうやってCoppermineの紹介をすればいいのか」。

 おそらく、民族的な親近感(チャンドラシーカ氏は印パ系のアメリカ人)もあって、このような質問をぶつけたのだと思うが、当時のインドでは、PCはそれほど高嶺の花だったわけだ。チャンドラシーカ氏は、その場で直接質問に答えることはせず、その記者に向かって、場所を変えてゆっくり話しましょう、的なことを述べてその場を収めたと記憶する。その場に居合わせた、日本を含む他のAPAC地域からの記者の間に、ホッとした空気が流れたことを覚えている(この事件? が、IntelのClassmate PCに影響を与えたのかどうかは、残念ながら筆者の知るところではない)。

 さて、PCの価格は順調に下がり続けるが、興味深いのは、2000年に日本は最も安価にノートPCが買える国の座を失っていることだ。2000年に日本のノートPCが2.9週分の週給であるのに対し、北米が2.7週分で逆転している。2001年末から2002年にかけて、アメリカではインターネットバブルが崩壊し、IT不況が到来するが、それでも価格の再逆転は起こらず、2005年にはかえって差を開かれてしまった。2010年には西ヨーロッパにも逆転され、背中にはアジア太平洋地区の先進国(Established APAC)が近づいている。Intelの予想では、2014年にはアジア太平洋地区の先進国に逆転され、日本は4番目の座に転落するという。

 なぜこのようなことが起こるのか。スミス上席副社長のプレゼンテーションは、新興国にフォーカスしたものであるため、日本に関する説明は特にない。が、このような結果になるのは、日本の収入が低くなっているか、日本のPC価格が他の地域に比べて高いかのどちらか、あるいはその両方が起こっているからではないか、と考えられる。

 リーマンショック以降、わが国の経済はずっと低迷したままだ。デフレ基調が続いており、回復する目処は立たない。特に深刻なのは、正規雇用が減っていることで、それが結果的に給与水準を引き下げていると思われる。

 その一方で、デフレと言われながらもわが国のPCが他国に比べて特に安いわけではない。基本的に流通コストが高いことに加え、日本企業は低価格モデルの投入を避ける傾向にある。安価がウリのネットブックにさえ、付加価値をつけようとするのが日本のPCベンダーだ。さらに地デジ対応チューナなど、日本固有のコスト上昇要因もある。

 こうしたことが組み合わさって、かつてのノートPC王国の座を滑り落ちていく様が、図1から伺える。だが、実はわが国がノートPC王国の座を滑り落ちる要因は、もう1つあるようだ。

【図2】ノートPCの価格が週給の4〜8週分に達すると、ノートPCの普及が加速する

 図2は、ノートPCの価格とその浸透率(普及率)をグラフ化したものだ。このスライドが本来示しているのは、グラフの表題にもあるように、ノートPCの価格が週給の4〜8週分に達したあたりから、ノートPCの普及率が跳ね上がる、ということである。図2では東ヨーロッパ諸国、ラテンアメリカ諸国、中国がこのレンジに入っており、今後爆発的な市場の伸びが期待されている。

 だが、この図2には、非常に気になるもう1つのことが隠されている。それは日本の普及率に関する部分だ。それを抜き出したのが図3である。

【図3】ノートPCの低価格化は普及率を押し上げるが、なぜか日本では60%直前で頭打ちとなる

 この図3は、ノートPC普及の先進エリアである北米、西ヨーロッパ、日本について、ノートPCの価格と普及率を抜き出したものだ。北米と西ヨーロッパでは、価格が低下するにしたがって、普及率が100%に近づいていくのに対し、日本は60%の直前で足踏み状態となる。日本を示す青いドットが、グラフの右上になるに従って、プロットされる間隔が縮まり、頭打ちになる様子が見て取れる。

 図1にあるように、日本の人口は1億2,700万人で、北米の3分の1強、西ヨーロッパの3割程度にとどまる。その上、普及率のピークが60%程度で頭打ちになる傾向を合わせると、市場規模は人口比以上に小さいことになる。これが、日本のノートPC価格が北米や西ヨーロッパに逆転された理由の1つになっているのではないかと推測される。

 日本が少子高齢化傾向にあり、人口が純減に転じると予想されていることを考えると、日本のPC市場は、今後さらに縮小することになる。2014年にアジア太平洋地区の先進国の方が安価にノートPCを購入可能になるのも、頷ける話だ。

【図4】60%直前で頭打ちとなる傾向は、他の先進国ではほとんど見られない

 図4は、図3にヨーロッパ諸国の普及率を追加したものだが、普及率が60%で頭打ちになる国は、日本以外ほとんどない。現時点で日本より普及率が低いのはチェコ、スペイン、ポルトガル、ギリシャといった国々だが、日本のように60%手前であからさまな頭打ちになっている様子ではない。言い替えれば、これらの国の普及率は、今後、上昇することが期待される(特に、現状ではまだまだPCの価格が高いチェコ)。

 どうして日本ではPCの普及が60%を越えて進まないのか。その理由が価格ではないことは明らかだ。北米や西ヨーロッパに逆転されたとはいえ、日本のPC価格は週給に対して十分に安価である。また、わが国のインターネット普及率は高く、帯域も広い。地方と都市部の格差がないとは言わないが、同じことは日本以外の国にも当てはまる。通信環境がPCの普及を阻害する要因になっているとも思いにくい。

 結局、ハッキリしていることは、日本以外の先進国では、PCが不可欠なものになっているのに対し、日本ではそうなっていない、ということだ。日本では多くの人にとってPCは、あると便利なものではあっても、ないと困るものではない、ということが、普及の妨げになっているのではないか。わが国でPCは、40%の人にとって、買えないものではなく、買わないものなのだ。

 もちろん、PCが不要なものであれば、それはそれでいい。しかし、他の先進国との普及率の差が40%近い状況を放置して、本当に大丈夫なのだろうか。教育や産業に与える影響を考えると、不安を感じざるをえないのが正直なところだ。

 今回取り上げたスミス上席副社長のプレゼンテーションは、日本をテーマにしたものでも、日本人を相手にしたものでもない。基本的なメッセージは、今後も新興国を中心にPC市場の拡大は続くから、Intelの業績に不安はない、というものである。それだけに、ここで取り上げられた日本の姿、Intelの目に映る素の日本の姿に、余計に不安を抱くのである。「1世代前のプロセッサさえ碌に買えない日本の読者に、次世代プロセッサの話など、どうやって説明すれば良いのか」などと嘆く日が、万が一にも来て欲しくないと思っている。