山田祥平のRe:config.sys

ゆくPC、くるスマホ(あるいはその逆)

もういくつ寝るとお正月

 多分、次のお正月休暇は、私物のPCに電源を一度も入れないという方もいらっしゃるんじゃないか。実際には、もっと前からそういう傾向があったかもしれない。

 企業においては、休暇が明けて久しぶりにPCに電源を入れると、大量のアップデートが降ってきて仕事にならなかったり、休暇中に活性化したウィルスやマルウェアが活動を始めているのにセキュリティソフトの更新が追いつかず、それに感染してしまったりといった危険はよく知られていることだが、家庭のPCではあまりそういう話を聞かなかった。

 PCに電源を入れないというのは、結局、PCを使う用事がないということだ。あるいはPCを使うまでもないか。大抵の場合、休暇中であろうがなんだろうが、スマートフォンは四六時中身に付けていて、ほとんど全ての用事をスマートフォンで済ませる。まさにパーソナルデバイスの規範だ。そういう意味では、パーソナルデバイスの立場は、PCからスマートフォンへと、既に譲り渡されてしまったとも言える。

 今から30年ほど前、始めたばかりのパソコン通信が面白くて面白くて仕方がなくて、正月に郷里に帰省する時に、クルマにパソコンを積んで帰ったことを思い出す。以降、PCと言わずにパソコンと呼ばせて欲しい。まさにガラパソ、まだ、ノートパソコンどころか、ラップトップパソコンも登場していない時代だ。あの時はPC-9801VMと14型のブラウン管ディスプレイの組み合わせだったと記憶している。

 通信手段はもちろん一般のアナログ電話回線だ。当然、モジュラージャックでパチンというわけにもいかず、片側はローゼット端子に線を直付け、長いケーブルを使って高校生時代に使っていた自室まで回線を引っ張って2,400bpsのモデムにつなぎ、シリアルケーブルでPCに接続して使った。

 一旦電話が繋がってしまえば、もう東京に居るのと同じだ。パソコン通信サービスのためのアクセスポイントは全国各地にあったが、さすがに福井県小浜市などという片田舎には存在しない。多分、京都あたりのアクセスポイントにダイヤルしていたんじゃないかと思う。それなりの電話料金が掛かっていたはずだが、どうせ親持ちだ……

PCでしかできないこと

 そうまでしてパソコンを持参して帰省したのは、後にも先にもあれっきりだ。パソコン通信を始めたのが1985年だから、たぶん1986年の暮れことだったのだと思う。1987年には、セイコーエプソンから「PC-286L」が発売されて入手、このマシンで移動は格段にラクになった。電車での移動も現実的だ。1989年に東芝からdynabook J-3100SSが出て入手した時には、夢が叶ったくらいの印象を持った。大げさなようだが、本当に、皆これを待っていたのだ。

 そこまでしてPCを持ち運んだのは、PCにしかできないことがあったからだ。いや、だらけだったと言っても良い。当時は、メールを読むにしても、BBSやSIGと呼ばれた電子掲示板を読み書きするにも、必ずPCが必要だった。

 今でいうところのSNSの原型のような世界がそこにあった。今なら、FacebookやTwitter、LINEが使えなかったら困るし、落ち着かないという気持ちを持っている方も少なくないと思う。まあ、そのくらいの思い入れを持ってパソコン通信サービスを楽しんでいたわけだ。

 正月休みは松が明けたころに終わる。しかし、毎月18日に発売されていたパソコン雑誌の連載や単発原稿の〆切がやってくるのは中旬以降だ。年越しの仕事も、持参したパソコンを使えば良かったし、比較的ゆっくりと郷里での時間を過ごすことができた。だからUターンラッシュで苦労した覚えもない。フリーランスだからオフィスに出勤する必要はなく、連絡が取れて、いつもと同じように仕事ができればそれで良かった。でも、パソコンが無かったら、そういうわけにはいかなかっただろう。

やりたいことが何でもできるスマートフォン

 相当の覚悟が必要だったパソコンの持ち運びだが、今、そうしないとできなかった多くのことが手のひらサイズのスマートフォンでできる。その気になれば原稿だって書ける。フリック入力の原稿書きが非現実的だと思ったら、外付けキーボードを繋げば良い。画面が狭くて全体が把握できないならTVに繋げば良いし、近所のコンビニで印刷出力を手に入れることだってできる。となれば、パソコンなんて要らないと思う層が出てくるのは当たり前だ。

 今、国内でスマートフォンを使っている人たちは、ザックリ5,000万人ほど居るが、その内の半分くらいは、パソコンのことを良く知った上でスマートフォンを使いこなしているだろう。残りの半分は、スマートフォンを小さなパソコンくらいのイメージで捉えていて、やりたいことの殆どはスマートフォンでできるから、パソコンは要らないと考えている。

 その一方で、スマートフォンを使おうとしない5,000万の人々はどうか。慣れ親しんだガラケーのインターフェイスを捨てることができず、周りが続々スマートフォンに移行していくのを横目で見ながら、別世界のことのように、頑なにレガシーな世界に佇んでいる。

 かく言うぼくもスマートフォンデビューは結構遅かった。特にAndroidスマートフォンは、Nexus Oneを香港の電脳中心買い物隊の「購入お手伝いサービス」を使って手に入れたのが2010年夏のことなので、考えてみたらたった5年前のことだ。この年には初代iPadも発売されて入手していたし、通信にはWiMAXを使っていた。あの頃毎日持ち歩いていたのは、900g弱の「レッツノートR8」か、600g強の「VAIO type P」だったはずだ。

 Windows Mobile OS搭載のスマートフォンやPDAこそ併用してはいたが、メインはおサイフケータイとして使えるガラケーだった。2007年に初代iPhoneが出て、2008年に「iPhone 3G」になった時にも、あまり食指が動かなかったのを覚えている。だから、ガラケー愛好者がスマートフォンに食指が動かない気持ちは分からないでもないのだ。

選択肢としてのPCとスマートフォン

 デバイスは適材適所だ。1つのデバイスにこだわるのではなく、やりたいことがやりたい時にもっとも快適に、そして効率よくできるデバイスを使えば良いと思う。スマートフォンもPCも選択肢の1つであり、休暇中にはPCの画面が必要なほど厄介な作業はする必要がないというなら、スマートフォンだけで十分だ。

 でも、大きな画面で一覧性の高いPCならではの役割も、本当はまだまだ残っているんじゃないだろうか。これだけモバイルノートPCが高性能になったとしても、今、この原稿を書いているデスクトップ環境のように、24型ディスプレイを3台並べてWindowsを使っている効率の良さは得られない。だから、どこでも仕事はできるけれど、どこで仕事をするよりも、自宅のこの環境での効率がもっとも良い。

 スマートフォンを拒絶している残りの5,000万人の人たちの内、パソコンすらかつて拒絶してきた半分くらいの人たちには、これらのデバイスで広がる世界を今こそ知って欲しいと思う。もちろんまだ間に合う。勿体ないよ、とも思う。もしかしたら、パソコンの未来を救うのは、そういう人々かもしれない。暮らしを豊かにするデジタルの神髄を自分の物にして欲しい。

 お正月、帰省で郷里に戻られる方もたくさんいると思う。普段、離れて暮らしている年老いた家族と久しぶりに話をする中で、ほんの少し、そういうことが話題になればと願いたい。

 というわけで、このコラムも年内はここまで。ご愛読を感謝するとともに、来年も是非よろしくお願いします。どうか良いお年をお迎えください。

(山田 祥平)