ジャストシステムは、9月2日から日本語入力システム「ATOK」を月額課金制で提供する。料金は月300円で、1年間継続して利用した場合の料金は3,600円となり、これまで最も低価格だったダウンロード販売の価格を下回る。この価格でメーカーとして収益は成り立つのか、ジャストシステムの他の製品についても定額制度を実施する予定はあるのかなど、さまざまな疑問が浮かぶ。そこで、同社が月額課金制を導入する狙いを聞いた。 ●最新のATOKを利用する人を増やしたい
「ATOKに定額制度を導入した狙いは大きく2つあります。1つは、導入障壁となっている初期コストを引き下げることで、1人でも多くの人にATOKに触れてもらうこと。もう1つは、ATOK購入経験はあるが、買い換えは数年に一度というお客様に、常に最新のATOKを利用して頂く機会を提供することです」――ジャストシステム アライアンスビジネス部 ビジネス開発グループ ビジネスプランナーの川島亜美氏は、ATOKに定額制度を導入した狙いをこう説明する。 「調査を行なった結果、ATOK未導入のお客様にとって製品の価格が大きな導入障壁となっていることが明らかとなりました。この壁を取り払うことが、定額制度導入の狙いの1つとなっています」(川島氏)。 「ATOK 2008 for Windows プレミアム」の希望小売価格は11,550円、通常版は8,400円、優待版は5,250円、パッケージではなくダウンロード版を購入した場合が6,615円、ダウンロードの優待版価格が最も安く4,725円。ソフトを自分で購入することが当たり前になっている人にとっては、決して高すぎて購入できないという価格設定ではない。 ところが最近では、「PCは持っているが、ソフトを自分で購入したことがない」というユーザーもいる。そういうユーザーにとっては、数千円というソフトの価格は「なかなか購入には踏み切れない」と感じさせる要因になっているという。
「月額300円という料金は、携帯電話のコンテンツ利用料としてはよくある価格設定です。PC用ソフトは購入したことはないが、携帯電話の利用料として月額300円を支払うことには抵抗はないという人にアピールすることも想定しました。社長(浮川和宣社長)は、『一日10円の価格設定はキャッチーでよい』と言っていましたが」とジャストシステム アライアンスビジネス部 ビジネス開発グループ ATOKビジネス統括の佐藤洋之ビジネスオーナーは説明する。 「ATOK利用者を1人でも増やしたい」という言葉の背景には、「これまでソフトを購入したことがないユーザーがソフトを購入するきっかけとなれば」との狙いがある。 また、ATOKのパッケージを購入しているユーザーに対しても、「毎年行なうバージョンアップにあわせ買い換えを行なうユーザーさんばかりではありません。最新版のATOKには、流行語にあわせた変換機能など、最新版を使っているからこそ得られる機能がたくさんあります。是非、それを体感して欲しい」(川島氏)という。 ATOKの場合、ユーザーの買い換えサイクルの平均は3年未満。多くのユーザーが「去年」もしくは、「一昨年」のバージョンを使っていることになる。 ソフトの最新版というと製品の機能に目が行きがちだ。しかし、ATOKの場合、機能以外にも最新版を使うことのメリットがある。その1つが、数年前、「『もーむす』と入力し、変換すれば『モー娘。』と変換してくれるモー娘。変換」として有名になった固有名詞の変換機能。この機能は、バージョンアップごとに着実に進化している。例えば、「倖田來未」のように、通常は正確に変換されないであろう姓名が、倖田來未が話題になった翌年には正確に変換されるようになる。 こうした変換の改善点は、言葉でアピールされてもあまりメリットがないように思えるかもしれない。使い続けていくことでそのメリットが実感できる機能である。 「最新版を使うことで、そのメリットを体感してもらいたいのです」と川島氏は強く訴える。 かつてのATOKは毎年バージョンアップするものではなかった。それが現在のように毎年必ずバージョンアップされるようになった。月額課金という販売方法は、早いサイクルで行なわれるバージョンアップによる機能向上の恩恵をフルに受けるための手法ともいえそうだ。 ●法人向けライセンス販売が定額制度の先例に しかし、顧客を増やすという狙いはあっても、月額300円という料金は収益的には成立するのだろうか。 まず、月額課金を利用するユーザーが増加した場合、パッケージ版よりも価格が低い分、売り上げが減少することになる。 「価格設定は色々な検討を行ないました。最初にお話ししたように、携帯電話の利用者が抵抗ない価格であることと共に、法人に提供しているライセンス価格を意識しました」と佐藤ビジネスオーナーは説明する。 ATOKのライセンス価格は利用者数など条件によって異なるが、7,000円からスタートし、最も低価格になった場合でおおよそ2,500円。300円という定額制度は、12カ月利用した場合で3,600円となるので、ライセンス販売と比較しても買い得感がある価格設定となっていることがわかる。 確かにパッケージ製品から月額料金に切り替えるユーザーが増えれば、その分売り上げは減少する。しかし、継続的に利用するユーザーが増えていけば採算がとれる価格設定とすることを意識したようだ。 さらに、ライセンス販売について佐藤ビジネスオーナーは次のような指摘をする。 「定額制度はソフトの新しい販売方法だと言われますが、法人向けに実施しているライセンス販売は月額ではないが、年間利用料を支払っていただいてソフトを利用して頂く形態です。定額制度を発表し、『法人向けに同様のサービスを行なう予定はありますか?』という質問も受けます。しかし、実際には法人向けライセンス販売は、月額ではないが、利用契約を結んでソフトを使ってもらうという形態を率先して取り入れています」 確かに法人向けライセンス販売も、パッケージに比べ売上金額は下がるものの、マニュアルやパッケージなどにかかるコストがかからなくなり、継続的に利用するユーザーを増やすというメリットがある。個人ユーザーについても、毎年新バージョンを購入するユーザーばかりではないことを考えると、継続的な利用者になる可能性がある月額利用料金制度は決してマイナスばかりではない。 それなりの勝算があっての価格設定のようだ。ただし、月額課金には単に単価にとどまらない問題がある。月額課金を行なう際、ジャストシステム自身が課金を行なうことでその時にかかる手間など、見えないコストがかかる。これは結構、大きなコスト負担となるのではないか。 あるソフトメーカーの経営者は、ジャストシステムの定額制度に対し、「ソフトメーカー自身が課金を行なう仕組みを作り、入金が遅れている利用者に請求を行なうといった手間があることを考えると、月額300円で果たして割に合うのか」という見方を示していた。 それに対しては、「課金については当社が提供するオンラインショップ『ジャストマイショップ』の仕組みを利用しています。アクティベーションに関しては、新たなシステムを開発する必要がありましたが、仕組みやシステムについては新たな制度を作る必要はありませんでした」(佐藤ビジネスオーナー)と説明する。 ジャストマイショップでは、ジャストシステムの製品にとどまらず、書籍やPCアクセサリなどを販売している。 ●7月発売のATOK for Macを意識し、発表時期を早めた ところで、9月2日開始予定のATOK定額制度の発表が行なわれたのは6月18日。もっとゆっくり発表しても良さそうなものだが。 「7月18日にATOK 2008 for Macを発売しましたが、Mac版、Windows版をセットにしたATOK 2008 for Mac + Windowという製品も同時に発売しています。お客様に迷惑をかけないよう、この製品発売前に発表をする必要がありました」(佐藤ビジネスオーナー)。 ATOKはWindows、Macintoshをはじめ、Linux、さらに携帯電話やゲーム機など組み込み機器にも幅広く利用されている。ATOK 2008 for Mac + Windowのようなパッケージ製品があることから、ユーザーとしては「デバイスやプラットフォームを選ばず、自分仕様に慣らしたATOKを利用できるようになれば」という要望も浮かぶ。ネットワーク上に自分が慣らした日本語変換システムを置いて、マルチデバイス、マルチプラットフォームで利用できるようにするということはできないのだろうか。 「将来的にはそういうことも考えられます。ただ、現段階ではあえて異なる視点で新しい機能をATOKに付加しました」(佐藤ビジネスオーナー)。 その新しい視点をもった機能とは「ATOKダイレクト」を指す。 現在は、ATOK 2008 for Windows、ATOK 2008 for Mac、ATOK 2007 for Macの登録ユーザーが利用できるプラグインとして提供されているこの機能は、ATOKで「はてな」、「Yahoo! Japan」、「goo」で提供されるデータを取得して、関連する情報を参照したり、入力変換に活用したりできる。 こうしたネットワークと接続し充実する機能だけでなく、ネットワークで接続されていない環境で利用することにも留意した。 「定額制度を検討している段階で、SaaSやASP方式でATOKを提供できないのかについても検討しました。しかし、SaaSやASPのようにオンライン型のサービスは、『オフラインでATOKを利用した場合にはどうなるのか?』という疑問点を生みました。ネットワークがつながっていない環境でATOKを利用することだって当然ある。オンライン前提ではなく、オフラインでもオンラインの時と同様、利便性高い利用ができる環境を追求することが必要だという判断となりました」 ジャストシステムのホームページでは、オフラインの利用場面として会議室にPCを持ち込み、ネットワークに非接続で会議中に出てきたキーワードを調べ、ビジネスマンが事なきを得るという場面が紹介されている。ネットワークが利用できる環境は整備されてきてはいるが、現実的にはネットワークが使えない場所もまだまだある。あえて、オフラインを想定した機能を設けるというのは、ヘビーユーザーから支持されるのではないか。 ●種類が少なくなった日本語入力システムだからこそできた定額制度 ところでこの定額制度、ジャストシステムの看板商品である「一太郎」ではなく、一太郎を影で支えるATOKからスタートさせたことには大きな意味がある。 「他に競争相手がたくさんいる製品だったら、月額利用料金の価格競争が起こる可能性があります。しかし、ATOKは競争相手がいなくなってしまったんです」(佐藤ビジネスオーナー)。 確かにかつては存在していた日本語変換システムの多くが開発をやめてしまっている。一太郎のようにワープロソフトは海外から対抗製品が入ってくることはあるが、日本語変換システムに関しては海外からの参入はない。 「そういった状況を考えたからこそ、ATOKでは定額制度をスタートさせるという決断ができたんです」 今後、ジャストシステムが他の製品でも定額制度を実施するのかは未定ということだが、定額制度をATOKからスタートさせたのには、「競争相手がいない」という背景があったことが大きいようだ。 また、ソフトは売れ行き不振といわれ、大手量販店のソフト売り場が縮小されている。ソフトの提供形態も多様化し、ISPが実施しているセキュリティサービスのように、ユーザーがソフトの名前や開発したメーカーの名前を全く意識せずに、ソフトを利用するケースすら出てきている。ソフトウェアビジネスが大きく変わっていく中、ジャストシステムのようにソフトメーカー自身が新しい販売形態を自ら始めることには大きな意味がある。 「携帯電話の変換機能の方が、PCの変換よりも使いやすいという声があります。しかし、PC用変換機能の方が携帯電話よりも劣っているわけではないんです。PC版ATOKにも、携帯版ATOK同様に先読み機能が設けられていますし、それ以上にリッチな機能を色々と用意しています。しかし、それが知られていない。PCを購入し、最初からバンドルされているソフトだけを利用し、もっと便利なソフトがあることを知らない人が多い現状をなんとか打破したい」(佐藤ビジネスオーナー)。 色々な施策を実施する背景として、ジャストシステムでは昨年からはてなと連携し、ブロガーの意見を集めるバイラルマーケティングを開始した。 「サイトの性格もあるのでしょうが、実際にATOKを使ってもらうと色々な意見があがりました。その結果、無料で提供している体験版の利用者が前年比200%となるなど、ATOKを知ってもらうための成果も出ています。色々なユーザーの声がある中、メーカーとしても色々なトライアルを行なう必要があると考え、実施したのが月額利用料金制度です」(佐藤ビジネスオーナー)。 ソフトウェアビジネスが大きな転換期を迎えている中で、さまざまなソフトの提供形態が登場してくるだろう。その先駆けとなるジャストシステムの試みが、実際にスタートした後、どの程度の実績を作るのかは大きな注目と言えるだろう。 □ジャストシステムのホームページ (2008年7月29日) [Reported by 三浦優子]
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