第408回
モバイルコンピューティング10年の変化



「Atom」ロゴ

 かねてよりIntelが公言していたx86アーキテクチャの小型機器への展開も、「Atom」というブランド名が発表されたことで、いよいよ市場への展開方向が見えてきた。

 4月初旬には上海でIntel Developers Forum China 2008(IDF)が開催される予定になっており、その頃にはAtomのさらなる詳細や、Atomを用いた具体的な製品が発表されることだろう。

 一方、ノートPCを外に持ち出すだけでモバイルコンピューティングと言われた時代から15年近くが経過し、“出先でコンピュータを利用する”手法も少しづつ変化してきた。しかし、ここ数年、そしてこれから数年にかけては、“モバイルコンピューティング”の概念が最も大きく変化する期間になりそうだ。

 デバイス、ネットワークインフラ、そしてユーザー自身の意識といったものが、同時並行的に大きく変わってきているからだ。

●PCを持ち歩くことの付加価値

 筆者が仕事で出かける際、ほとんど欠かさずPCを持ち歩くようになったのは'94年ぐらいのことだ。それ以前からカバンに収めやすいコンピュータはあったが、毎日持ち歩く必要性は感じていなかった。

 ではなぜPCを持ち歩くようになったのか。

 もちろん、ノートPC自身の進歩もあるが、同時にPC内で管理する情報が増えたためだ。あらゆる情報をPCに集約していく過程で、仕事上、得られる情報は、その情報が発生した時点で入力していこうと考え始めた。だから、記者会見でも、製品の内覧会でも、誰かへのインタビューの際にも、可能な限りPCを持ち込んでその場でメモを電子的に入力した(もちろん、住所録やスケジュールなどをオンデマンドで入力/参照したいという要求もあった)。

 その頃には海外での展示会取材なども増えていたから、ノートPCを携帯することの重要性はさらに高まっていった。しかし、決定的だったのは'95年になってインターネットがブレイクしたことだ。インターネットが発展すればするほど、PCに集まってくる情報は増えていき、その分、郵送物やかかってくる電話の数は減っていき、'98年ごろにはカバンの中にPCが無ければ仕事が全くできない状態になってた。

 言い換えると、“PCを持ち歩く”ことへの付加価値が、急速に高まっていた時期とも言える。だからPCの重さが2kg以上あって、もう少し軽い方がいいと不満を持ちながらも、毎日カバンに入れ続けた。他に選択肢が無かったというのもある。

 しかし昨今、ノートPCを持ち歩くことへの関心は、世の中全体を見ると急速に下がってきている。ではPCを持ち歩くことの付加価値が下がったのかというと、そうは思わない。確かにノートPCを持ち歩くことはセキュリティ面でのリスクを高めることにもなるし、モバイルコンピューティングという利用スタイルは、全面的に世の中で受け入れられているわけではない。

 しかし、'90年代後半よりも今の方が、遙かに多くの種類、多くのデータがPCに集まってきているのだから、それをいつでも、どこでも利用できる価値は、むしろ高まっている。実際、我々のように毎日PCを持ち歩いている人は、大半が明日からPCを出先では使えないとなると困ると思うだろう。筆者に関して言えば、それは仕事をするなと宣言されるようなものだ。

 しかし、PCを持ち歩かなくとも困らない使い方が増えてきているとは言える。

●浸食されてきたモバイルPCの利用範囲

12.1型液晶、2スピンドル、1kg強の重量など代表的なスペックを備えたモバイルノートの例、パナソニック「Let'note W7」

 このような話題において、最初に出てくるのが携帯電話の話だ。携帯電話の機能、通信速度が向上し、さらに携帯電話向けのネットワークサービスが充実してきたことが、モバイルPC不要論につながるという意見だ。もちろん、携帯電話はモバイルコンピューティングの一部を代替してくれるが、理由はそれだけではない。

 ノートPCは、PCとしての機能性や性能を損なわないために、最低限必要な大きさがある。その閾値はユーザーによって異なるだろうが、画面やキーボード、ポインティングデバイスといったユーザーインターフェイスを確保しようと思えば、ある程度のサイズは必要だ。そして、ある程度のサイズが必要となると、自ずと重くなる。

 それでもPCを持ち歩くのは、PCでなければできないことをしたいからに他ならない。PCでなくとも用が済むのなら、誰も好きこのんで高価で大きく、重い機器をカバンの中には入れたりはしない。

 つまり、“PCを持ち歩かなくとも困らない使い方が増えている”というのは、モバイルPCの用途の一部が他で代替できるようになってきたということだ。

 PCが他のデバイスで代替できなかった理由の1つは、PCの汎用性にある。常にアプリケーション環境、インターネット技術が進歩し、使い方の幅が広がっていく中で、固定機能のデバイスは柔軟性が低すぎた。

 ところが昨今は根幹部分における技術進歩よりも、従来技術の再定義による変化の方が多い。たとえば「Web 2.0」や「SaaS」といったキーワードも、新技術というよりは、従来からあった技術や概念を再定義したことで注目を集め、注目を集めたことで技術としての洗練度やアプリケーションの幅が広がったものだ。

 サービスを利用できるだけの環境とパフォーマンスがあれば、何もPCである必要はない。あるいは出先にわざわざ重たくて大きなモバイルPCを持ち歩く必要はないと考える人が増えてもおかしくはない。

 もちろん、変化する環境の中で新しいサービスにある程度は追随できる柔軟性は必要だが、かといって完全に汎用のコンピュータである必要もないだろう。MID(Mobile Internet Device)などに注目が集まり、今後の成長が見込まれているのも、そうした理由からだと思う。


●Atom戦略が進んだ後に残るのは何か

底面積の縮小よりも薄型化を目指した「MacBook Air」

 IntelがAtomブランドを発表し、現在のUMPC、MID向けプラットフォームや組み込み機器(あるいは低価格デスクトップやシンクライアント向け)として、以前ならば組み込み用RISCプロセッサが使われてきた、より低消費電力なプラットフォームでも、本格的にx86を普及させようという意図、道筋が見えてきた。Atomは今後、携帯電話などにも利用可能な、より電力消費の少ない領域にまで製品の幅を広げていく。

 遠い将来まで見通すことは難しいが、将来のAtomベースの製品は一部の携帯電話ユーザーを奪うかもしれない。しかし本当に奪うのは、モバイルPCユーザーの一部だろう。小型軽量のノートPCを求めるユーザーはUMPCを通り越して、MIDへと向かう人が多いのではないだろうか。

 以前、この連載の初期に小型軽量のノートPCに注目が集まるようになり、今後は多様性の時代だと書いたことがある。その後、確かにノートPCは多様化し、サイズは大きくとも薄型だったり、あるいは分厚くても軽量だったりと、さまざまな特徴的な製品が生まれた。

 しかし、それも収斂が進み、製品コンセプトという切り口での多様性はこの数年でむしろ失われてきた。MacBook Airのような異端児もあるにはあるが、全体を見れば緩やかに没個性化が進んでいるのが、今のモバイルPCの現状ではないかと思う。

 その代わりに進むのが、おそらく多層化だ。PCでなければ自分のニーズは満たせないというユーザーは、従来通り。しかし必要なアプリケーションやサービスを利用できるなら、MIDの方がいいという人も増えるだろう。もちろん、スマートフォン、携帯電話と徐々にスケールダウンさせていっても話の基本は同じだ。求めるアプリケーションの内容に応じて、コンテンツのリッチさ、画面サイズ、ユーザーインターフェイスの充実度などは異なる。それぞれに最適なレイヤでユーザーを受け止めるようになる。

 こうした予測を“モバイルPC存続の危機”と考える人もいるが、果たしてそうだろうか、実はそれほど単純ではないと個人的には考えている。

 Atomをベースとした製品が成功するには、ネットワークへの接続性が高くなければならず、ブロードバンドWANの安価な提供が不可欠だ。アプリケーションやデータストレージを、さらにネットワーク指向なものへと移行していく必要性もある。

 モバイルPC、UMPC、MIDなど、ユーザーの利用スタイルに合わせた多層化された市場が成功し、ユーザーの獲得に成功すれば、今よりもモバイルコンピューティングという使い方にスポットライトを当てることができるだろう。もちろん、同様のアーキテクチャを採用するとはいえ、モバイルPCとMIDはスクリーンサイズもメモリも、そしておそらくOSも異なる。PC向けに最適化されたリッチコンテンツやサービスではないかもしれないが、現在の携帯電話との間を埋めるよりは、はるかに各層の親和性は高い。

 モバイルPC市場は数字だけを見れば、成長もせず、衰退もせず、一進一退といった状況だが、それはすなわち未来予想図を描けない袋小路に突き当たったことを意味するのではないか。ならばUMPCやMIDを異分子としてPCの仲間ではないと分類するよりも、むしろPCの応用範囲が広がっていった結果生まれた製品と捉え、好機と見た製品やサービスの戦略を展開する方が有益に思える。

 個人的には小型軽量化を得意とする日本のPCベンダーに、今後も元気に新しい製品提案を行なって欲しいと思うが、今のまま閉塞感が漂っていくと、いつかは平均的な(特徴的ではない)製品しか、(経済的な観点で)開発することが出来なくなってしまうと予想している。各社がどのような将来像を描いているのかは想像するほかないが、単純に幅広く多様な製品を展開するだけでは、発展することができない岐路に来ているように思えてならない。

1月のCESで展示された東芝のUMPC 2008年秋に発売が予定されるパナソニックのUMPC

□関連記事
【2001年5月8日】【本田】今さらながら、持ち歩きのススメ
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010508/mobile100.htm
【3月7日】【CeBIT】Centrino2/Centrino Atom/4シリーズチップセット説明会
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0307/cebit11.htm
【1月8日】【CES】東芝の新型UMPCと、Lenovoの「ideaPad U110」が参考出品
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0108/ces04.htm

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(2008年3月17日)

[Text by 本田雅一]


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