PCをマニアのおもちゃからビジネスの道具に変えた最初のソフトウェアは、Apple II用のビジカルク('79年)だとされている。その発売から実に30年近くが経過したが、表計算ソフトの基本は何も変わっちゃいない。これからも、イノベーションが起こることはないのだろうか。 ●表計算ソフトの新しい歴史が始まる アップルが、ビジネスアプリスウィートの「iWork '08」をリリースした。今回の目玉は、鳴り物入りで登場したMac用の表計算ソフトNumbersの追加だ。 ビジカルク('79年)、マルチプラン('82年)、ロータス1-2-3('83年)、Excel(Mac版'85年、Windows版'87年)と、表計算ソフトのデファクトスタンダードは、時代ごとに変わってきてはいるが、縦横に広がるセルで構成された電子の表に、数値や文字、計算式を入れていくという、基本的な考え方はほとんど変わってはいない。 スプレッドシート、ワークシートなどと呼ばれる電子の表は、いわゆるページの概念を持たないという点で画期的だ。紙をメタファにする限り、縦方向にも横方向にも終端があり、そこを超えると別のページになる。だが、ワークシートでは、たとえばExcelの場合、延々とスクロールしていけば行の末尾は1,048,576行目まであるし、列の末尾はXFDまである。セルの番地、XFD1048576は、まさに地の果てで、実用上、無限大といってもいいだろう。ちなみに、ページの概念がない文書という意味では、ウェブページもそうだ。デザイン的な善し悪しを別にして語れば、縦方向にも横方向にも終端はない。実は、すでにここで、文書だって紙の呪縛から解き放たれていたのだ。 過去の表計算ソフトは、セル数の多寡はメモリ空間やプロセッサの処理能力に左右されながらも、あくまでも実用上無限大の数表を用意するだけだった。 ところが、Numbersは、その概念を根本から塗り替えた。Numbersが用意するのは、無限大の数表ではなく、無限大のシートなのだ。その電子のシート上に、オブジェクトの1つとして、数表を配置する。シート上には、数表に限らず、文字、図形、グラフなど、さまざまな種類のオブジェクトを置くことができる。最初に用意されるのは、あくまでもシートなので、そこに置かれるオブジェクトが、特定の数表のセル幅や行の高さに影響を受けることはない。異なるレイアウトの数表を上下左右自由にレイアウトして配置できるのだ。 たったそれだけのことなのだが、表計算ソフトが最初に用意するシートが、セルの集合体としての数表ではなく、自在にオブジェクトを配置できる素のシートである点でNumbersは画期的だ。ここで1つ表計算ソフトの歴史は塗り替わったと思う。もっとも、これを表計算ソフトというべきかどうかは難しいところではあるのだが。 Excelだって同じじゃないかと思うかもしれない。確かにExcelのワークシート上には、テキストボックスやグラフ、図形などのオブジェクトを置けるので、自在にレイアウトできるようにも見える。だが、肝心のスプレッドシートをオブジェクトとして配置することはできない。A列の幅を変えれば、1行目から1,048,576行目までのすべての列の幅が変わってしまう。セルの結合はできるが、それは見かけだけでまやかしにすぎない。 ●数表はシートに載せるオブジェクトにすぎない Excelは、最初Mac版として開発されたためだろうか、使っていてもいわゆるWindowsアプリケーションとは素性が異なるように感じる場面が少なくない。たとえば、特定のセル範囲を選択して、それをクリップボードにコピーすると、そのセル範囲が点線で囲まれる。コピーしたものを別の位置に貼り付けても、範囲を囲む点線はそのままで、Escキーを押さないと選択は解除されない。クリップボードにコピーされている内容が明確になるという点ではわかりやすいかもしれないが、Wordで同じことをやったときとは振る舞いが異なる。Wordでは、文字列をコピーし、別の場所に貼り付けた時点で選択は解除されてしまう。 Excelのワークシート上には、各種のアプリケーションに関連づけられたオブジェクトを配置することができるが、例外としてExcelのワークシートを配置することができない。つまり、シートの入れ子ができなくなっている。これによって、上の方に配置した数表のセル幅を広げれば、下方にある別の数表にも影響してしまう。Numbersは、シートの入れ子はできないにしても、下地となっているのが数表ではなく素のシートなので、複数のシートを自在に配置できるのだ。 Excelを使って似たようなことをやるためには、Wordの文書中にExcelのシートをオブジェクトとして貼り付けるという方法がある。ところが、Wordはあくまでもワープロソフトで、紙の呪縛から逃れることはできない。Wordが設定できる最大の用紙サイズは縦横方向ともに556.7mmまでだ。ちなみに、PowerPointだと1,420.22mmで、多少大きいが実用上無限大というにはほど遠い。ページ上に配置したオブジェクトがページをまたぐこともできない。Numbersのシートは、たとえ印刷のためにページに分割したとしても、ページをまたいでオブジェクトを配置することができる。 ●新たなスタイルのコンテナアプリ Numbersにとって、数表は、シート上に配置できるオブジェクトの1つにすぎない。そういう意味では、ソフトウェアの名前はSheetsとするべきだったかもしれない。ページに区切られることのない新たなスタイルのコンテナだ。iWorkにはワープロソフトとして、Pagesが用意されているので、もし、ページの概念が必要な場合は、そちらにNumbersの数表オブジェクトを貼り付ければよい。印刷できないものが作れたとしても意味がないという意見もあるかもしれない。でも、印刷にとらわれている以上、紙の呪縛から逃れることはできないだろうし、そこにはデジタルならではのイノベーションは生まれない。 マイクロソフトのアプリケーションで、Numbersの挙動に近いものをあげるとすれば、ファイル名を考えなくてもよく、保存の概念もない点が画期的なOneNoteがある。無限大のシートを用意して、自由にオブジェクトを配置できるところは似ている。でも、残念ながらOneNoteは、OLEオブジェクトのコンテナにはなれないし、インプレースでのオブジェクト編集もできない。 Excelも、やろうと思えば明日にでも実装できそうな仕様だが、過去のしがらみが多すぎて、やらないだろうし、できないにちがいない。こういうことを、サラリとやってのけることができる点で、やっぱりアップルというのはすごい会社だと思う。
□アップルのホームページ
(2007年8月17日)
[Reported by 山田祥平]
【PC Watchホームページ】
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