Appleにとって、これまでの30年間は始まりに過ぎなかったそうだ。CESは、今年、40周年を迎えるが、その40年は、ここ10年こそPCシーンの浸食を経験したものの、相変わらずの40年だったように思う。 ●昨年までと様子が違うCES会場 CESは、Consumer Electronics Showの頭文字だ。直訳すると消費者用電子機器のための展示会ということになる。メイン会場のラスベガスコンベンションセンターは3棟で構成され、正面から左側にクルマ関連エレクトロニクス機器ベンダー中心の北ホール、中央に世界に名だたる家電メーカーがしのぎを削る中央ホール、右側にはオーディオ機器とPCベンダーを集めた新設の南ホールがある。この3つのホールがメイン会場を構成し、少し離れたところに高級オーディオベンダーが出展するホテル、基調講演会場となったホテルと中小のベンダーが集って出展するサンズエキスポホールがある。 会場の規模は広大で、今年は130カ国から2,700のベンダーが出展し、14万人の来場者を集めた。計算すると出展1社あたり50人の観客を動員していることになるが、観客の多くはCESの華ともいえる中央ホールに集中する。パナソニック(松下電器産業)やソニー、東芝、三洋電機、シャープ、パイオニア、カシオなどの日本のエレクトロニクスメーカーに加え、LG電子、サムスンといった世界的に有名なベンダーが巨大なブースをかまえているからだ。そこでは、IntelやMicrosoftといったPC業界の雄ででさえ、かろうじてセンターホールに入れてもらえるものの、ホールの端っこに押しやられ、業界的には新参者だということがあからさまだ。HPのような巨大企業も中央ホールには陣取れず、南ホールで他ベンダーと十把一絡である。 それが例年なのだが、2007年は何となく様子が違うように感じた。すべてのエリアを歩いてみると、どちらかというとPC関連ベンダーに人が集中していることに気がついた。巨大家電ベンダーはブースも巨大で、MicrosoftやIntelのブースはそれに比べればコンパクトであるというのをさしおいても、通り抜けも困難なくらいに混雑している。ホールが異なるHPのブースも同様だ。そして、これらのブースでは観客が事細かな説明員の話を熱心に聞いている点も印象的だ。もちろん、「家電=わかりやすい」と「PC=わかりにくい」という図式のせいもあるかもしれない。でも、家電出展の中心がいわゆるHD薄型ディスプレイ一色に近い状態であるのに対して、少なくともPC陣営は将来へのビジョンを見せていたように思う。参加者は、そこに未来を見いだしていたのかもしれない。 ●PCがめざしてきたものと、これからめざすもの PCは、ずっと家電になろうとしてきたし、今も確かにそのトレンドはある。けれども、ここにきて、PCは、これまでとはちょっと異なる役割を担おうとしているのではないか。というのも、消費者家電がデジタル化されたことにより、一般消費者は気がつかないうちに、デジタルデータを抱え込んでしまったからだ。テレビ、音楽、ビデオ、写真、すべてがデジタルとなり、消費者はいつのまにか膨大な量のデジタルデータを抱え込んでしまった。メディアを介して配布されるコンテンツもあれば、自分で撮影したようなかけがえのないデータもある。そして、その容量はテラバイト(TB)の単位に達する。 基本的に家電はデータを再生したり、作ったりするための道具であり、作ったらそれでおしまいで、そのあと、どう管理するかまでは考えていない。デジタルビデオレコーダーのように、データを編集したり、DVDを焼く程度のソリューションを提供するものもあるが、柔軟性にはほど遠い。思ったことを快適にこなすためには、どうしてもPCの力が必要だ。でも、多くの消費者はそのことに気がついていないし、気がつきたくないと考えている。 ネットワークにぶらさがった家電へのデータデリバリーサービス、どんどん生み出される膨大な量のデータの蓄積とバックアップなどは、個々の家電が持つべき機能ではない。これからの10年は、スタンドアロンだった家電がネットワークにぶら下がり、PCへの依存度を高める10年になることは間違いないし、それは、PCがこの10年で経験してきたことでもある。無線、有線を問わず、ネットワークにつながり、PCと連携することで、家電が自分自身の付加価値を高め、暮らしを豊かなものにしていくわけだ。 ●PCと家電のイイ関係 PCは家電に媚びを売ってきた。だから家電にはなれなかった。当たり前の話だ。でも、これからの10年は違う。テレビモニタはPCを接続するために十分な解像度を得たし、ネットワークのインフラも整った。家電がPCの周辺機器となるための準備が整ったのだ。これまでのPCは、家電と対等の立場になりたいと願い、無駄な努力をしてきたのではないだろうか。でも、本質はそこにはなかったわけだ。 そのことに気がつき、うまく成功を収めたのはAppleだ。MacとiPodの関係は、まさに、理想的なPCと家電の関係だ。発表されたばかりのApple TVだってコンセプトは同じだ。昨年のクリスマスには、PCを持っていない子どもにiPodをプレゼントする親がずいぶんたくさんいたという話も聞くが、買ったあとで、そのことに気がついた家族がどうしたかは別として、そんなことがないように専用のリッピング機を用意したり、単体でインターネットに接続し、音楽データをダウンロードできるようにするのが家電メーカーのやり方で、あくまでもコンピュータがないとダメだとつっぱねるのがAppleのやり方だ。個人的にはAppleのやり方が正しいと思う。MicrosoftはZuneで家電メーカーと同じ手法をとろうとしているし、携帯電話会社も同様だが、それがスタンダードとなることはないだろう。コンピュータがあればさらに便利というのと、コンピュータが欠かせないというのには大きな違いがある。 ●スタートボタンが象徴するPCの未来 これからの10年で、PCシーンがめざさなければならないのは、PCがなければ電子家電は成り立たないという常識を作ることだ。そのためも、PCは、もっと速くならなければならない。Intelはメインストリーム向けにクアッドコアプロセッサの出荷を始めたが、システム全体としてPCを考えたら、まだまだ遅い。 CD一枚リッピングするのに5分もかかったり、録画済みの番組を別のメディアに保存するのに数十分かかるのでは話にならない。たかだか数万枚のデジカメ写真をブラウズするのにモタモタするようではやっていられない。 Windows Vistaが重いというけれど、Vista程度のOSを動かすのに四苦八苦するようなPCはPCとして認めたくない。メールとインターネットができればそれで十分というなら、二世代ほど前のPCで十分役に立つのだろうけれど、そう主張する人は人生の楽しみや豊かさの半分以上を捨てることになるだろう。しかも、コンピュータに待たされる時間は貴重な時間を捨てることでもある。 Windows Vistaのシンボルは、新しくなったスタートボタンだ。Startともスタートとも書かれていないが、これから始まる10年のスタートを象徴している。CES会場やラスベガスの街でも、看板からタクシーのラッピング広告まで、いたるところで、このスタートボタンを目にした。新しいPCでは、これまでのWindowsキーがスタートキーとして画面上のGUIと統一される。 '94年秋のCOMDEXでは、会場のあちこちで、Building for Windows 95のプラカードを見ることができたのを思い出す。PCが主役の座を目指していた時代の話である。有名俳優が役者を引退し、プロデューサーや演出家、監督として君臨するのは、よくある話だが、今、PCは、そんなタイミングに置かれているのかもしれない。
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(2007年1月12日)
[Reported by 山田祥平]
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