「これ、あと4週間も持たないけど」――。デルの浜田宏前社長は、代表権のとれた「取締役」の名刺を記者に配りながら、笑顔を見せた。 4月5日、東京・日比谷の帝国ホテルで、懇親会形式の記者会見が行なわれた。 今回、デルの社長を退任した浜田宏氏と、就任したばかりのジム・メリット新社長が揃って顔を見せたこの会見が、異例ともいえる懇親会形式となったのは、浜田氏と記者とのざっくばらんな会合としたいという広報部の思惑があった。 また、メリット氏が就任3日目ということもあり、形式ばった会見ではメリット氏の本来の姿を見せられないという判断も働いたようだ。
振り返れば、浜田氏の6年間に渡る社長在任期間、氏がマスコミ関係者を前に、笑顔を見せることはあまりなかった。むしろ、強面の方が通っている。
会見でも厳しい表情を見せていたことの方が多いとの印象は、写真ファイルをくくっても、厳しい表情ばかりの写真が並んでいることからも間違いはない。 だが、単独取材の際に、カメラマンから「笑顔をください」といわれると、意外にも、おどけた格好をしながら、満面の笑みを返してくれたことがあった。たぶん、それが素顔の浜田氏なのだろう。 今回の会見では、多くの記者にとっては初めてと言っていいくらい、浜田氏はたくさんの笑顔を見せていた。印象が変わった記者も少なくないはずだ。 外資系企業の場合、新社長就任会見の多くが、新体制だけで行なわれることが多い。それは、残念ながら、あまりいい辞め方をする例が少ないからだ。 だが、今回の異例ともいえる懇親会形式の会見や、先頃、来日した創業者のマイケル・デル会長が、退任が決まっている浜田氏と席を並べて会見に臨み、「11年間に渡って、デルで仕事をしてもらった。'95年時点では日本で第9位だったデルを、第3位のシェアにまで引き上げ、社長在任の6年間で売上高を5倍に成長させた。この貢献には感謝したい」と語ったことからも、浜田氏の退任が、多くの外資系企業の社長交代で見られる「引責」というものとはまったく異なることがわかる。 ●世界に通用するビジネスマンを育てたい では、なぜ浜田氏は、デルの社長を辞めたのか。 「自分の人生プランのなかで、やりたいことが4つか、5つある」――。浜田氏はこう語る。 浜田氏は、今後の具体的な行き先を含めて、そのすべてを語ってくれたわけではないが、自らの夢について、いくつかの例を挙げてくれた。 「日本から世界に通用するビジネスマンが少ない。世界に通用する人材をぜひ育て上げたい」 実は、浜田氏自身も、世界に通用するビジネスマンを自ら目指していたと明かす。「私自身、その入口までは、来られたかもしれない。だが、20代、30代の人たちにはもっとがんばってもらいたい。私の経験を生かしてこれを支援したい」 浜田氏は、デルの社長時代に、「日本法人の中から、米国本社で重要なポジションで働く人材を輩出したい」と何度も繰り返していたことを思い出す。すでに中国をはじめとするアジア太平洋地域では、そうした人材を輩出することに成功している。この想いをデルという枠組みを越えたところで実現することになるのだろう。 また、「学校を作りたい」ということも、浜田氏は、自らの人生プランの1つとして掲げる。これも、同様に世界で通用するビジネスマン、経営者の育成に通じる部分だ。 そして、こんなことも語る。 「デルは、近代社会においては、最も速く、最も高い成長を遂げた企業である。この経験は得ようとして得られるものではない。日本の企業や産業に、この経験を生かすことができないかと思っている」 デルを退いた後は、日本を地盤に活動を続けたいと語る。 「私は、みなさんが思っている以上にナショナリストですよ。日本という国が好きで仕方がない」 日本を地盤に、日本の企業に対して、支援をしたいという想いがある。 浜田氏の今後については、さまざまな憶測が飛び交う。 「外資系企業に行くのではないか」、「競合メーカーにいくのではないか」。その多くが根拠のないものだが、浜田氏の目指すことは、どうもこうした憶測とはまったく別のものといえそうだ。 「あと4週間したら、ちゃんとお話しますよ」 最後まで自分の行き先については触れなかった。 「だけど、大手ITメーカーに入るとか、どこかを買収するとか、といったような話はないですよ。私の友人たちと、小さく生んで、大きく育てるビジネスをやりたい」と話す。 一方で、「経営者という仕事にはこだわっていきたい」とも語る。「次の経営者、ビジネスマンを育てたいといっても、まずは、私自身が経営者というものにこだわっていかなくては意味がないですからね」 デルで発揮した手腕は、そのまま新たな場所で、経営者として生かされることになりそうだ。 メリット氏は、社長に就任して3日目ということもあり、具体的な事業プランなどには触れなかったが、浜田氏が成しえなかったシェアNo.1獲得にも意欲を見せる。 そのメリット氏に日本法人の印象を聞いてみた。 「日本法人は、強いパッションがあると感じた。目標に対して、達成するという意識が非常に強い集団だ」 まさに浜田氏が培ってきた風土が息づいているといえよう。 ●メリット新社長に課せられた「シェアNo.1獲得」 一方で浜田氏は、こんな風にも語る。 「私の就任前は、米国人経営者によって米国流の経営手法を導入したところだった。私は、その良さを維持しながら、日本人によるマネジメント体制を作り上げた。主要なポストはすべて日本人で固めたのも、私が社長の時代になってから。日本人が主要なポストを固めながら、徐々にグローバルな社員構成となってきたなかで、メリット氏という優秀な人材を社長に招くことができた。日本型の経営と米国流のマネジメントが融合した、次のデルがスタートすることになる」と期待を寄せる。 浜田氏は、いまのデルの課題を、「急成長を遂げたスピード感と、優先しなくてはならない顧客満足度のバランスが崩れたことにある。今一度、このバランスを修正しなくてはならない点にある」と語る。 顧客満足度調査で、No.1の座から転落したことは、浜田氏にとっては大きな悔しい出来事だった。 メリット新社長に課せられたテーマに、この顧客満足度No.1の奪還がある。 すでに、川崎のカスタマーセンター、中国・大連のカスタマーセンターに加えて、2005年11月には、宮崎にカスタマーセンターを設置。現在、250人体制を年末には500人体制に増強する。これは、当初計画の1年前倒しでの増員だ。
「今後5年間で1,000人規模に増員させたい」と、マイケル・デル会長も日本でのサービスレベル向上に積極的に投資していく姿勢を見せる。顧客満足度向上に向けた盤石な体制づくりに余念がない。 そして、国内トップシェアの獲得も、メリット新社長にとっては避けては通れない目標となるだろう。 「在任期間中にトップシェアをとれなかったことは残念といえば残念」と浜田氏は、「シェアは後からついてくる」という、これまでの発言とは異なるコメントを発して見せた。 2005年国内シェア3位となったデルは、トップシェア獲得を射程距離に収め始めているともいえるのだから、それは当然のことだろう。 だが、トップシェア獲得のためには、最後の踏ん張りが最もきついのも事実だ。 これを何年で達成することできるのか。メリット新社長の手腕に注目が集まるところだ。 ここ数年、IT業界から異業種の大手企業の社長へと転職する例が相次いでいる。 アップルコンピュータから日本マクドナルドの社長に転じた原田永幸氏、日本ヒューレット・パッカード社長からダイエー社長に転じた樋口泰行氏、SAPジャパン社長からルイ・ヴィトンなどの高級ブランドを輸入販売するLVJグループ社長となった藤井清孝氏などだ。 浜田氏は、こうした大手企業への道はないと否定するが、日本の産業に貢献したいという言葉からも、日本の産業界になにかしらの影響を及ぼすことは間違いない。 IT産業から、また1人優秀な経営者が輩出された。
□関連記事 (2006年4月10日) [Text by 大河原克行]
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