山田祥平のRe:config.sys

デジタルだから壊れても安心




 デジタルがもたらした功績のうち、もっとも大きな要素のひとつが、同じものを複数持てることが保証されている点だった。つまり、コピーしても劣化しないこと。それがデジタルの素晴らしさだ。

●CD-ROMが広大な空間だった時代

 昔、まだ、CD-ROMタイトルが、マルチメディアソフトなどと呼ばれていたころのことだ。本当に欲しいと思ったタイトルがひとつあった。平凡社の「世界大百科事典」をCD-ROM化したもので、当時、実に、10万円を超える価格が設定されていた。仕事の役に立つものなので、10万円を支払うことについては特に躊躇することはなかった。

 CD-ROM 1枚に対してついた10万円という価格は、それをモノとして考えたときには実に高価に感じる。でも、問題はコンテンツの内容だ。しかも、書籍としての百科事典はさらに高価だったし、それを並べて収納するスペースもない。

 ぼくは、そのタイトルの購入検討にあたって、発売元に問い合わせ、もし、CD-ROMを不注意で破損してしまった場合、代替品を保証してくれるのかどうかを聞いた。ちなみに答えはノーだった。今なら、CD-Rに焼いてバックアップを作っておくとか、HDDにコピーしておくという自衛手段があるが、当時のCD-ROMは、まさに広大な記憶空間であり、それをコピーする手だてはなかったし、一般的に使われていたHDDの容量をはるかに超えていた。つまり、プロテクトなどといった問題ではなく、現実問題として、コピーすることができなかったのだ。

 となると、唯一のオリジナルとしてのCD-ROMは、それこそ、腫れ物にでも触るような扱いをせざるを得なくなる。ドライブに入れっぱなしなんてことはできないだろう。けれども、それでは利便性が著しく落ちてしまう。コンテンツを利用する権利の代償として10万円超を払う以上は、なんとかなってほしいと思うのが人情だ。そして、悩みに悩んだあげく、結局は購入には至らなかった。

 何十巻もある紙の百科事典を購入した場合は、それを念のためにコピーしておこうとは思わない。でも、CD-ROM 1枚なら、なんとかならないものかと思う。その違いはどこにあるのだろう。それは、アナログデータである印刷物のコピーは劣化し、書物としての使い勝手もグンと落ちるのに対して、CD-ROMのコピーは、内容、使い勝手ともに何ひとつ犠牲を伴わないからだ。

●コピーの同一性保証

 いつのまにか、最初からデジタルで生成するデータが増えている。こうして書いている原稿もそうだし、デジタルカメラでキャプチャした画像もそうだ。また、送受信する電子メールや、そのコミュニケーションから生まれるスケジュールなど……。これらのデータは、お金では買えないものであると同時に、失ってしまうととても困る。だからこそ、論理的、あるいは、物理的に壊れてしまっても困らないように、複数のコピーを所持し、常に、そのコピーを同一に保つように努力する。

 複数のコピーを同一に保つのにもエネルギーがいる。できることなら、そんなことは自動化したいし、欲をいえば他人にやってほしい。ネットワークの帯域幅が十分に広く、さらに、ストレージサービスのコストがうんと安ければ、個人所有のHDDなどに置くのではなく、ネットワークストレージにデータの実体をおき、各PCからは、そのコピー、あるいはキャッシュを使うのが望ましい。バックアップの作業はしかるべきコストを支払うことの見返りとして業者側が行なう。ただ、何らかの理由でデータが失われるようなことがあっても、責任は負えないといった使用許諾書に同意しないと、そのサービスを利用することはできないのだろう。

 でも、少なくとも、ぼくが過去に利用してきた大手のプロバイダーが、メールデータや、ウェブホスティングのデータを失ってユーザーに詫びたということはないので、まず、そういうことは起こらないと仮定して大丈夫だと思う。それに、数台のPCにキャッシュがあれば、業者側に本当に万が一の事故があっても大丈夫だ。そんなことをいっていられるのも、デジタルデータが複数のコピーにおいて完全に同一であることが保証されているからだ。

●アーティストも被害者

 デジタルデータのコピーに関して、ちょっとした異変を感じたのは、CCCDが登場したときだった。ぼくは、CCCDをできるだけ購入しないようにしてきたが、お気に入りのアーティストのアルバムが、CCCDでしか提供されない場合には、それを選ぶしかない。

 今、音楽のリスニングスタイルはiPodのようなデジタルオーディオプレーヤーに完全に移行しようとしているが、手持ちのCDを、プレーヤーに転送しようにも、それができないとすれば、そのアーティストの曲は聴かれるチャンスが激減するということでもある。きっと、アーティスト自身もそれを望まないだろう。たった数年前のことだが、音楽業界が、今のような時代の到来を予測できなかったという点で、アーティスト自身も被害者であるといえる。

 今、基本的にDVDタイトルのコピーはできないが、何年かたって、映画を見る行為が今のデジタルオーディオプレーヤーならぬ、デジタルムービープレーヤーを使うようなスタイルになることだって考えられる。そのとき、コピーができないDVDタイトルは、繰り返し見てもらえないということも起こりうる。

 オーディオからビデオへと対象を変えながらも、家電業界がチャレンジしてきたのは、コピーの便宜を図ることだった。レコードや放送などで提供されるコンテンツを、できるだけオリジナルに忠実にコピーすることを、カセットデッキやビデオデッキによって実現してきた。対象となるコンテンツがアナログデータである以上、100%の同一性は保てない。それがある意味で免罪符になっていたわけだ。

 ところが、対象がデジタルデータになってしまったことで、いとも簡単に完全に同一なコピーがとれるようになってしまった。当然、コンテンツホルダーは危惧を感じる。そして、いつのまにか、アナログコンテンツのコピーも制限が加えられるようになり、デジタルコンテンツもまた、さまざまな技術によってコピープロテクトがかけられるようになった。

 今は過渡期だから、混沌とした状況はしばらく続くだろう。アナログ地上波が停波し、地上波デジタル放送だけのオンエアになるころ、ぼくらは今のように自由にコピー行為を合法的に繰り返し、コンテンツを楽しめているんだろうか。デジタルだから、紙にペンで書き写すしかないとか、高性能ビデオカメラでテレビスクリーンを激写、なんて時代になっていないことを願うばかりだ。困ったことに、デジタルならそれもありうる。

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(2005年10月21日)

[Reported by 山田祥平]


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