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第32回 : 通勤電車におけるモバイル



 昔からの友人とはありがたいもので、ほかの人ならば遠慮して言わないようなこと、たとえば最近デブすぎるんじゃないか? とか、ネタに詰まったからって製品のレビューでお茶を濁してるんじゃない? (レビューは新製品を借りてしまえばそれだけでネタになる)とか、本来ならば匿名でもらう叱咤叱咤(激励はなかったりする)を生の声で聞かせてくれる。

 僕は常々、モバイルで使うものはいつもカバンに入れて持ち歩く道具と一緒なんだから、使い方や生活のスタイルによってベストな製品は異なる、なんて話をしてきた。しかし今回友人から受けた叱咤の内容というのは、「そんなことを言われても何の解決にもならない」というものだった。「通勤電車で電子メールを読む人の気持ちがわかるか?」と聞かれると、かれこれ10年近く朝のラッシュを経験していない僕は答えに窮してしまうのだ。


■ どこでも文章が作れることから、どこでもネットワークにつながることへ

 通勤電車の話は少し置いておき、それでは僕自身がどんなストーリーを描きながら道具を選んでいるのかを話してみたい。

 モバイルなんて言葉が使われていない頃から、たいていの電子グッズ好きはいろいろな携帯電子グッズを使ってきたものだ。僕も電子手帳ブームで何台もの電子手帳を買ってしまったし、今では誰も知らないソニーのPalmTopシリーズなんかにも手を出した。これらは基本的に、僕にとって“ビジネスの道具”という言い訳で買う玩具だったりしたわけだが、今のように文章を書くようになってからは、やはり単なる玩具ではダメになってしまったのだ。
 その昔、会社で使う文書なんてものは、自分が担当しているプロジェクトのドキュメントフォーマットに従って、手書きで(あるいは専用ワープロで)書いていれば良かった。しかし、物書きをはじめてからは、自分ですすんで思いついた時に、もしくは必要に迫られて大量の文字を入力していかなければならない。手書き入力やテンキーによる入力なんかでどうにかなるものじゃない。
 当時は電子的に得られる情報なんて、たかが知れたものだったから、文字をひたすらどこでも入力できることが一番だったのだ。だからPCを選ぶときにはキーボードが使いやすいことが最優先だったし、そういった意味では、後に一部で流行した「OASYS POCKET」は僕にとって苦痛を感じる道具でしかなかった。

 そんな基準で選ぶと、実はPCに該当する機種は存在しなかった。今でもそうだが、PCは文章を入力するためだけ、あるいはスケジュールや住所録といったアプリケーションを使うとしても、あまりにも汎用的で無駄がありすぎる。無駄な部分は「汎用性」でカバーするのだが、持ち歩くことだけを考えれば重く、電池が保たず、コストアップの要因にしかならない。
 ただそこは個人の好みの問題で、仕事をしながらもやっぱり玩具であってほしいから、PCを選んでいたのだ。数年前、色々悩んでサブノートPCをあきらめ、ThinkPad 560を購入したという話を書いたことがあったが、それもやっぱり文章を入力する作業を優先させたかったからだ。

 しかし、このごろは少し好みの傾向が変わってきた。なにしろ、僕がThinkPad 560を買った時の値段は約44万円。今ならノートPCを2台購入することが出来てしまう値段だ。1台ですべてをこなすのではなくて、状況に合わせて違うものをチョイスする方がいいと思うようになったためだ。今時のPCは少々安いものでも速度で不満を感じることは少ない。20万円前後でもXGAの液晶パネルを搭載した、フル機能のノートPCが買えてしまうのだから。加えてB5サイズサブノートのキーボードも、以前と比べるとずいぶん打ちやすくなった。
 僕が外出先でPCを使うパターンは2つある。1つは発表会でPCに直接メモを入力しながら原稿の下書きを作ったり、展示会の現場で速報を書いたりするとき。こんな時にはB5サイズの軽量なノートPCが欲しい。もう1つは海外に出張して仕事をするとき。この場合はCD-ROM(できればDVD-ROM)ドライブを装備し、フルサイズのキーボードでXGAの液晶パネルを搭載する、平たく言えば家で仕事をしている環境をできる限り再現できる機種が望ましい。
 もっとも、これとは別に積極的に文章を入力する必要のない時用のデバイスも欲しい。たとえば電子メールをチェックするためだけに、いちいちPCを開いて携帯電話やPHSを接続するのは面倒なものだ。ここで使う道具は小型かつパケット通信で常時メールが届くもの。今ならばiモードだろうし、来年からはIDOのPacketOneに対応した携帯電話が該当する。返信を入力する手間を考えれば、パケット通信機能を内蔵した電子メール端末(これからは色々な製品が出てくるだろう)も捨てがたい選択肢だろう。

 “モバイル”という切り口から言えば、これらパケット通信端末が今の僕にとって一番便利で重要視している製品になる。仕事のためのモバイルを考えると、僕は連絡が確実にできて、かつ連絡のレスポンスがいいことを優先すべきだと思う。いつでもどこでも、ネットワークにつながる道具が欲しいのである。


■ 先人たちをよく観察せよ

 さて、冒頭の満員電車の話。僕の住んでいるところは都内なのだが、都市部の通勤実態をあまり感じることができないところだ。何しろ池袋から急行電車に乗ると僕の家を通り過ぎてしまう。つまり各駅停車ですぐの場所に通勤目的地(あるいは乗り換え地点)があるから、本当の意味での通勤を味わうことがないのだ。

 しかし所沢の友人宅から平日の朝に帰宅しようとすると、なるほど電子メールを電車で読み書きしたい気持ちがわからないでもない。始発とは言え混んでいる電車の中、おおっぴらにノートPCを広げることはできないものの、都心までの時間、電子メールを読んだり、あるいは自動巡回ソフトでダウンロードしてあったWebページを読んだりと、単なるサイバーな絵空事ではなく、そういった時間の活用術は本当にすばらしいことだと思えてしまう。
 所詮は毎日通勤しない、しかも全国各地の通勤事情を調べたこともない僕の想像の範疇でしかないが、PCだからこそ便利さを活用できる場がそこにはある。しかし、それを実現するのが本当にPCでなければならないのだろうか? これだけインターネットと共にPCが一般化してきている中で、今までPCでモバイルしてなかった人が本当にモバイルなPCを必要としているのだろうか。

 PCがあったからと言って、本当に混んでいる電車の中で運良く席に座れたとしても、メールやWebページを読むのがやっとだ。果たして読むだけのためにPCが必要だろうか? 携帯電話を使ったメールの達人ならば、片手でメールを送ることができる方が良くはないだろうか? それとも読むだけでいいならPalmシリーズやPalm-size PCでも充分ではなかろうか? もしかすると、ノートPCの10分の1以下の小さなデバイスで、用は足りてしまうかも知れないのだ。
 今の時代、周りを見回せばモバイルでPCを使いこなしている先人たちが見つかることも多いだろう。彼らは実際にどんな使い方をしているのか、よく話を聞いてみるといいかもしれない。その話の中に、「僕にはそこまでする元気はないよ……」と思うことがあるなら、もっとシンプルなデバイスが似合うはずだ。あくまでも使うのは道具なのだ。使いこなす努力は必要かもしれないが、その結果が望むものではないのに、それに合わせて頑張る必要はないのではなかろうか。

[Text by 本田雅一]


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