●誰も予想していなかったMicrosoftのここまでの敗北
Microsoftという企業は、とてつもなく“裁判下手”だ。この長い裁判を通じて、Microsoftが暴露してしまったのは、こんな意外な事実だった。
裁判が始まったばかりの頃、このコラムで、Microsoftが裁判で高度な策略を巡らしていると深読みをした。しかし、裁判が進展するにつれて、報道されて来たのは、策略どころではなく、Microsoft側のミスばかり。それも、上級幹部や助っ人の学者が証人席で次々にミスや不用意な発言をしてしまう。Microsoftの幹部は、忙しすぎて裁判対策の綿密な準備やリハーサルをしていないのでは、と思えるありさまだ。また、裁判戦略も、報道を見ている限りは押し相撲一本槍で、予想していたような“したたかな戦略”はまったく出てこない。これなら、今回のMicrosoftに完全不利な事実認定が出てくるのも当然と思えてくるほどだ。
今回のようなタイプの裁判は、とかく法廷戦術に左右される部分が大きい。Microsoftにしても、うまい法廷戦術を巡らせれば、ある程度は勝ち目があったと思われる。実際、裁判が始まったばかりの頃は、司法省の越えなければならないハードルは高く、Microsoftが有利としていた記事も結構あった。それも、法律の専門家が、そうコメントしていたのだ。司法省が勝利を勝ち取ることができると予測した記事でも、今回ほど司法省寄りの事実認定は予測はしていなかったように思う。
●Microsoftの弱点が裁判で露呈
それが、こうした結果になったのは、Microsoft自身のせいだという気がする。法廷戦術があまりに稚拙だったので、ここまで敗退したのではないかと感じる。いや、Microsoftが反トラスト法に違反していないのに、法廷での戦術下手で不利になったと言っているわけではない。誤解しないで欲しい。米国は、O・J・シンプソンが無罪を勝ち取る国であり、法廷戦術によっては、かなり無理なケースでも勝利を得ることができる。にもかかわらず、Microsoftがそれをできなかったことが興味深いと言っているのだ。
もっとも、この裁判では、Microsoftは初めから負けることは織り込み済みで、控訴審で覆すことができるように証拠を提示するという戦略を持っていたという見方もできる。だが、それにしても法廷の審理で不利な証言をし過ぎたような気がする。このあたりは、裁判の経緯を報道でしか見ていないし、裁判の専門家ではないのでわからないが、控訴審で本当に有利に戦えるのかどうかは、疑問に感じる。
ここから見えてくるのは、Microsoftは、変化の激しいPC市場などで、がむしゃらに攻撃するような場合は強いが、法廷のような場で、じっくり準備を進めて戦うのは下手だということだ。これは、おそらく体質的なもので、付け焼き刃でどうとかなるものではないのだろう。また、これは想像だが、西海岸の企業弁護士だったビル・ニューコム上級副社長(Microsoftで法務を担当)が、政府や東海岸の辣腕の弁護士を相手にすることに慣れていないのかもしれない。
ただ、そうは言ってもMicrosoftはまだ裁判に負けたわけではないし、今のところ裁判はビジネスへ直接的な影響を及ぼしていない。今回の裁判でWindowsのライセンス供与などの是正措置が取られるとしても、それは控訴の果てで、まだかなり先の話だ。しかし、裁判が続く間、Microsoftはアクションのたびに裁判への影響などを考えなければならないはずで、それは大きな制約となるだろう。
●イメージ戦略にも失敗した
また、法廷の外でのイメージ戦略も見事に失敗した。米国にはもともと反中央政府の伝統(そもそも英国政府のリモート支配に対抗して独立した)があり、政府に対抗する人物に対して、判官贔屓(びいき)に近いグッドイメージを持つ傾向がある。Microsoftはそれをうまく利用すれば、少なくとも法廷の外ではイメージを好転させることができた。
ところが、Microsoftはここでも「政府が私企業の経済活動に介入すべきでない」論を、単調に、攻撃的に振りかざすことに終始して、世論を味方につけることに失敗した。もっとも、米国での一般世論は、調査結果などを見る限りMicrosoftに対してネガティブではない。しかし、積極的にMicrosoftを擁護する世論が盛り上がっているわけでもない。
もし、これが同じ立場に立たされたのがApple Computerだったら、きっと、スティーブ・ジョブズ暫定CEOがカリスマ性を発揮して、今ごろは正しいのはAppleで悪いのは政府というイメージを作り、大キャンペーンを張ることに成功していただろう。そして、「なぜ悪くもないAppleを追求するのに、大切な税金を無駄遣いするのか」といった世論を盛り上げ、最終的には政府との交渉を有利に持っていくことができたかもしれない。しかし、ゲイツ氏には、ジョブズ氏のように人の感情を揺り動かす力はなかった。
●ゆるみつつあるMicrosoftの支配
そして、Microsoftは、今、ゆっくりと力を失いつつある。それは、PC業界の中の人たちと話をしていると、肌で感じることができる。昔と較べると、より多くの人がMicrosoftを遠慮なく批判するようになり、より多くの人がMicrosoftの製品をけなすようになり、より多くの人がWindows支配の閉塞感を口にするようになった。風向きが変わりつつあるのは、確かだ。
もともと、Windowsは、MacintoshやLinuxやJavaのように、そのプラットフォームを愛するファンの強固なコミュニティを持っているわけではない。Windowsがビジネスとして現実的な解だから担いでいる人たちが多かった。それは、Microsoftにとって、信徒的なファンに縛られないという強味であったわけだが、今は逆に弱点として作用し始めているように見える。
もちろん、こうした流れは簡単に変わる可能性があり、Microsoftを見くびることも危険だ。しかし、Microsoftがこの閉塞的な状況を乗り越えるには、何かを変えなければならないことだけは確かだと思う。
かつて、Microsoftがベンチャーだった頃は、同社の攻撃性はたいして問題にされなかった。しかし、米国経済のけん引役となった今、Microsoftの攻撃性は重大な問題とされている。おそらく政府は、競争相手を叩きつぶしたりしないで“ほどほどに独占”する、節度ある“大人”の企業の態度を求めているのだろう。しかし、それは、Microsoftのこれまでのアイデンティティと完全に反することなのだ。Microsoftはこれからどうするのだろう。
('99年11月10日)
[Reported by 後藤 弘茂]