第18回 : 機能の多すぎるノートPCはもういらない |
最初に訂正から始めよう。先週、Windows CE用の開発環境で、Visual C++用の追加パッケージが“やっと”登場したと書いたが、実際にはVisual C++5.0用のWindows CE Tool Kitが、昨年の6月に発売されていた。価格は33,800円だ。なお、このバージョンでは店頭販売は基本的に行なわれていなかったとのことであるが、現バージョンは店頭での購入も可能だ。
もうひとつはHP LXシリーズの生産中止に対する段落の部分で、「彼らにとって、新しいWindows CE搭載機は機能うんぬんではなく、自分の道具にはなり得ないという点で、受け入れられるものではないのだろう」という表現が、大変不愉快であるとの指摘をいただいた。
趣旨としては、バッテリー寿命、堅牢性などにおいて、HP LXの代替に値する製品がなく、ROMに焼かれた表計算とデータベースも、それに代わるアプリケーションがWindows CEにはないからだとのことだ。そして「HP LXのようなジャンルで機能的にHP LXを超えるものが存在していない現在、HP LXの生産中止反対を願うのは当然のことだと思います」と結んでいる。
実際、HP LXシリーズがバーティカル向けアプリケーションの一部として、入力端末や情報にポータビリティをもたせる道具として使われていることは知っていた。しかし、本連載では個人が道具や趣味として所有する情報端末という視点で述べていたため、それらについては配慮していなかった。HP LXシリーズを用いて業務アプリケーションを構築していた方たちが、先週のコラムで不快な想いをされたのであれば、ここで陳謝したい。
なお、反論をいただいた方は「HP LXシリーズが機能的に劣っているため生産中止になるように読み取れた」との事だったが、これは全くの誤解であることを申し伝えたい。前述の文では、機能的な比較で良し悪しの判断をする以前に、使い慣れた道具を変えなければならないとすれば、それは到底受け入れられないことではないかとの趣旨である。機能と性能は異なる。HP LXが機能的な道具であったことは、多くの人が認めるところだ。
■ モバイルなPCは使われていない?
つい先日、学生時代の旧友たちと久々の交流を持った。別に同窓会というわけでもなく、年代を超えて集まれる人間がランダムに集まっただけだったのだが、思っていたよりもPCへの認識度が高いことに驚いた。しかし、一方ではさらに話を聞くうちに厳しい現実も改めて感じるのだ。
20人ほど集まったうち、PCを所有していなかった人は誰もいなかった。もっとも、僕が理系の学生だったことを考えれば、それも不思議なことではない。ちゃんとしたデータとして有効かと言えば、あまり有効ではないだろう。しかし、それでも全員が持っているというのは驚いた(もっともうち数人は全く電源を入れていないとのことだったが)。
このうちノートPCを所有しているのは、約半分の10人。いくつかの調査機関が発表しているノートPCのシェアともほぼ一致する。さらにB5サイズ以下のサブノートPCを持っている人は3人だけで、複数のPCを持っているという人は僕だけだった。
PC Watchのアンケートによれば、かなり多くのユーザーが2台以上のパソコンを持っているとのことだし、B5サイズ以下のサブノートPCも、もっと所有者がいて良さそうなものだ。しかし、アンケートに答えている人たちは、PC Watchのような専門色の強いWebサイトに強い関心を持っている人、という条件文が加わる。
わずか20人ほどに話を聞いただけで、何らかの結論を出すことはできないのだが、PCを所有している人たちの多くは、それほど専門的な情報を欲していないのかもしれない、というのが正直な感想だ。実際、20人のうちPC系の情報Webサイトを日常的に利用している人は4人しかおらず、PC専門誌の読者もあまりいない。
昔はPCを持っているだけで、PCに強く興味を持つユーザーと決め付けることもできたが、今はPCを持っているのは珍しいことではなく、その中にはPCへの興味を持つユーザーも混じっている……という感じだろうか。
興味深かったのはPCの使用目的だ。ほとんどの人が、自宅でPCを使う目的としてインターネットへの接続、それもWebの閲覧ではなくて電子メールの交換が主な目的なのだという。あとはゲームが少々、残務整理が少々といったところだ。
多少強引にまとめると、ほとんどの人はPCを持っていても、PCに特別強い関心を持っているわけではなく、コミュニケーションの道具として利用できれば十分だと思っていることになる。長くPCを使いつづけてきた身としては、悲しいような、寂しいような、そしてもったいないような気がするが、PCに対する態度は多くの場合、かなりドライなものであった。
だが、会社員が多いせいか“モバイル”という言葉には強く反応する。ただ、モバイルと言われて想像するものは“モバイルで使うPC”ではなく、ポケットボードなどのモバイルコミュニケーション機材。PCを携帯して、何かに役立てようという発想はあまりないようだ。
■ 問題は価格? いや違うだろう
冷静に考えてみると、使いたいのが電子メール、それに加えて多少のWebブラウジングが目的ならば、何もPCである必要性はないことはすぐにわかる。外出先でゲームや文書作成をしたいという人は、決して多数派ではないはずだ。もちろん、僕も含めて外出先でPCを使った仕事をしなければならない人はいるものだ。ニーズがないわけではないが、そこには何かしら“仕事”が絡むことが多い。
ちなみに、先ほど紹介したB5サイズ以下のサブノートPCユーザー4人によると、外出先でバッテリーで駆動させたことはほとんどないとのこと。単にかっこいいから、会社に持っていきやすいから、安かったから、などが購入の理由だという。
実際にはノートPC市場は拡大しており、業界内に閉塞感というものはない。しかし、今後さらにユーザーの裾野が広がり、コンシューマ市場でのPCバイヤーの多くが、あまりPC自体に興味を持たず、単一目的での利用を想定するようになるのなら、どこかで「PC無用論」が湧き上がってくる可能性もあるだろう。
こうした問題は何なのだろうか? 安くなったとはいえ、まだまだ高いノートPCの価格が問題なのだろうか? 年内には米国において1,000ドル程度のノートPCが主流になるとの話もある。確かに価格が安くなれば売れるかもしれないが、それは問題を先延ばしにする効果しかない。
PCがもっと簡単になる必要がある? 確かにそうだ。ポケットボードと同等以上の簡単さで電子メールを使える必要があるし、システムクラッシュは限りなくゼロに近くなければならない。ただ、根本的に簡単になるためには、PCの汎用性を殺さなくてはならない。何でもできる道具は、機能がありすぎて使いにくいものだ。
一部のPCには、電子メールにアクセスするための専用ボタンを設けたり、オーディオ再生用のボタンやリモコンヘッドフォンに対応するなど、さまざまな努力をしているが、どうも今ひとつ決定力に欠けるように思えてならない。
ひとつの方向性としてiMac(iBookはまだ見たことがないので)が見せた、機能を削ることで使いやすくする方法もあるだろう(もちろん価格が安くなることは前提条件だが)。iMacはデザインが強く評価されているが、コネクタの数が著しく少ない思い切ったハードウェア構成の方が画期的だと思っている。
もしユーザーの使い方がある程度決まっているならば、ベテランユーザーや拡張性、互換性などを切り捨て、さらにあまり利用しない機能も切り捨てて……と、スリム化する方が製品としてのまとまりが良くなると思う。そして機能を集約し、不要な部分を切り捨てることは、家電製品に強い日本のメーカーが得意とするところだ。
かつてウォークマンが登場する以前、誰がスピーカーの付いていないカセットステレオを想像しただろうか。音楽を持ち歩きたいからスピーカーは要らない。そんな単純な発想から、ウォークマンは生まれたという。ノートPCにも、同じような発想があってもしかるべきだと思う。皆さんはどのように感じているだろう。
[Text by 本田雅一]