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第17回 : 愛着の持てる道具と単なる道具



  毎週のネタに困ると読者のメールを引き合いに出してしまう僕だが、そんな僕が一番心に響いた読者からの反響は、もっとも最初に取り上げたPDAに関する考察の時だ。当時は今のように読者からのメールを受け付けるアドレスを設けていなかったのだが、個人で運営されているPalmシリーズのWebページや掲示板、メーリングリストなどに、僕の名前が頻繁に出てきたのには驚いてしまった。
 僕なりに説明が不足していた部分などを、後になってから補足したのだが、するとWebページを運営していた方から丁寧なお返事をいただいた。彼はとても恐縮していたのだが、とんでもない。説明が不足していた僕の未熟さ故のことだったと思っている。それ以来、読者からのメールを受け取れるようにした。



■ ちょっと口に出すのは照れるけど

 モノを評価する記事を書くと、メーカーのマーケティング担当者からは「いいところも評価してくれるけど、指摘されたくない短所もかかれるから少し怖い」などと言われることがある。編集担当からもそのような話を言われたことがあるから、もしかすると辛口批評家(?)なのかもしれない(もっとも、本人はあまり意識していないのだが)。
 ただひとつ意識しているのは、自分のお金を使ってモノを購入する人に、自分の感じることができる良し悪しの部分だけは、感じたなりに伝いたいということだけだ。十分に熟成され、あらゆる部分でバランスを取ることが可能な分野の製品であれば、完全に好みで選べばいい。しかし、PDAにしろメール端末にしろ、ノートPCにしても、まだまだ発展途上の製品だ。完璧は望むべくも無い。ある部分を立てれば、それによって立たなくなる部分は出てくるものだろう。どの部分を立てて、どの部分を切り捨てるのか。この取捨選択こそが、製品設計のセンスであり、そのセンスに合うのであれば、その人にとっての良い製品ということになる。

 何かえらそうなことを書いてしまって恐縮だが、僕らが製品評価記事を書くことで可能なことは、良いところも悪いところも特徴的な部分を拾って情報を提供することだけだ。最終的な判断を、僕がすることはできないと思っている。
 だから僕は製品に対して思い入れ(恥ずかしくも無く使い古された言葉を使えば、製品に対する“愛”かもしれない)をしないようにしている。中には製品やブランドを愛し、あらゆる事を肯定的に考える人もいる。それはそれで、特定のコミュニティの中では重要な役割を果たすものだが、一方で特定の殻を取り払うためには傍観者として冷静に見る姿勢も必要だと思うのだ。

 くだんのPalmシリーズの話に戻すと、製品に思い入れを持たずに書いた僕の記事は、愛着を持って使っているコミュニティの人たちには冷たく見えたかもしれない。これはいたし方の無いことだと思う。問題は、僕の配慮が足りなかったことだ。
 もっとも、PDAの記事で取り上げたPalmシリーズ、Palm-size PC、ザウルスアイゲッティは、それぞれ同じように良いところも悪いところも起伏なく書いたにもかかわらず、記事に対する反論の声はPalmシリーズにしか上がらなかった。これだけで結論を求めるのは早計だが、少なくともPalmシリーズが愛されている製品であることはわかる。


■ 愛着の持てる道具と単なる道具

 長年愛着を持って使いつづけてきた万年筆。生憎と僕はパソコンで原稿を書き続けている人間だから、残念ながらそういった道具を手にしたことはない。人づてに聞いたところでは、高級万年筆を長年使うと、その人の癖がペン先に加わり、自分だけの使い心地になっていくのだという。
 本来無粋な僕は、万年筆ではなくて、気兼ねなく使え、道具として十分な機能を持ち、癖もないボールペンを愛用している。ボールペンだって、ある程度の高級品になればかなりの使い心地だと思って使っているが、不思議と万年筆について語る友人ほど愛着を持つことはできない。
 ややこじ付けになってしまうかもしれないが、モバイルの道具たちには、自分の癖が染み込んで手放せなくなる万年筆タイプと、道具としての機能重視でドライに接するボールペンタイプがあるのかもしれない。

 たとえばPDA。僕はPDAを趣味としては使わない。いや、購入する前は、それなりに楽しく製品選びをするものだ。しかし買ってしまった瞬間、物欲は満たされてしまい、それは仕事の道具となる。
 また、よほど機能が不足したり、使い方の手順が複雑過ぎない限り、あまりカスタマイズしようとは思わない。カスタマイズしすぎると道具を変えた時の戸惑いが大きすぎるし、カスタマイズに時間をかけるぐらいならば、仕事をしてしまうだろう。そして仕事で使っていれば、だんだんと慣れていなかった環境にも慣れてくるものだ(操作性の悪さと不慣れで使えないことは同義ではない)。

 これでは愛着は持つことができないのも当たり前だ。

 しかし、昔話になるが、あるマイナーなパソコンを使っていた時代は、さまざまなユーティリティでパワーアップし、操作性もカスタマイズできるところは全部変え、自分だけにしか使えないような環境で使っていた。そうなると隣の芝も、すべて枯れて見える。その環境を愛し、離れられなくなる。自分だけの最高の道具だと思うようになる。
 これをモバイルの道具に置き換えてみよう。Palmシリーズは、徹底的なカスタマイズを行なうことが可能で、豊富なフリー/シェアウェアで元の環境とは別物へとパワーアップすることができる。その上、自分で何らかの開発を行ないたいと思えば、比較的容易に開発環境を入手することが可能だ。愛着が湧いて当然だと思う。
 一方、ザウルスシリーズは開発ツールが高価で、オンラインで流通しているユーザー作成のソフトウェアも少ない。カスタマイズの範囲も限られてしまう。これはWindows CEをベースとするPalm-size PCにも言える事だ。Palm-size PCはVisual BasicやVisual C++を用いた開発キットがつい最近発売されたが、それまではSDKベースでの開発しか行なえなかった。両者とも、元の環境を大きく変えてしまうほど、オンラインソフトでパワーアップできないという点でも共通している。道具としては機能しても、持ち主の姿を投影することはない。

 PDAの選択では、僕は面白さに惹かれて個人的にPalmシリーズも選択したが、外出先で使う道具としてはザウルスを使用している。決まった機能さえ使えればいいならば、自分の気持ちを注ぎ込まなくてもいいだけ、楽に使えると思ったからだ。しかし、きっとザウルスに思い入れを感じることはない。
 一方、数週間前の秋葉原ではHP LXシリーズの生産中止に反対する署名運動が行なわれたという。DOSをベースにしたHP LXシリーズは、非常に柔軟なカスタマイズが可能で、日本語化もユーザー主導で行なわれた経緯がある。残念なことに僕はHP LXシリーズに深く関わることなく過ごしてきたが、おそらくユーザーには言い尽くせない想いがあるに違いない。彼らにとって、新しいWindows CE搭載機は機能うんぬんではなく、自分の道具にはなり得ないという点で、受け入れられるものではないのだろう。
 モバイル機器(PDAに限った話ではない)を選ぶとき、愛着を持てる道具を欲しいと思うか。それとも機能優先でドライに選ぶか。あなたはどちらを選びたいと思うだろうか?

[Text by 本田雅一]


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