PCの価格は'97年には1,000ドルを切り、'98年には500ドルを切った。'99年にはフリー(無料)になるだろう。
昨年10月に開催されたMicroprocessor Forumのキーノートスピーチで、National Semiconductor(NS)のBrian Halla CEOは、PCの未来をこのように描いた。この時は会場に笑いの渦が巻き起こったが、現実は、まさにHalla氏が予言したような展開になった。米国では、インターネットアクセスなどのサービス料金も含める形で、実質的に無料のPCが登場し始めている。サブ1,000ドルPCとかバリューPCと呼ばれるローコストPCの下に、新たに『フリーPC』とも呼ぶべき市場が形成されつつある。
だが、市場予測が当たったにも関わらず、このフリーPC市場誕生の立て役者だったNSは、CyrixブランドのPC向けプロセッサ市場からの即時撤退を発表した。それはなぜか。
同社の撤退には、いくつか理由がある。まず、IntelとAMDの泥沼の戦いで、両社のPC向けプロセッサの価格が下がる一方クロックは上がり、Cyrixブランドのニッチ市場は食われてしまった。その中で、一発逆転の賭として進めてきた、次世代プロセス技術と新コアの導入もうまくいかなかったらしい。そして、巨人Intelはこのローエンド市場にますます力を注ぎ始めており、来年にはグラフィックスとメモリコントローラを一体化した統合型プロセッサ「Timna」を投入すると見られている。つまり、NSにとって、八方ふさがりの状況になってしまっていたわけだ。
今回のNSの撤退の内容やAMDへの影響などはすでに、元麻布春男氏のコラムで述べられているので、ここでは触れない。MPUの価格戦略や次世代MPU戦争といった側面からスポットを当ててみたい。
●厳しい状況だったCyrix MPUのASP
PC市場ではローエンドにフォーカスしていたNSだが、それだけではビジネスとして成り立たない。「ASP(平均販売価格:Average Selling Price)」をある一定額以上に引き上げないと、利益が出ないのだ。
プロセッサメーカーにとって、販売戦略上いちばん気になるのはこのASPだ。例えば、Intelのプロセッサなら、333MHzから550MHzまでさまざまな価格帯の製品があるが、それらをひっくるめて1個平均いくらで売れたかを示す。このASPを引き上げることが、メーカーのもっとも重要な目標だ。ASPが製造コストをある程度上回らないと、PC向けプロセッサのレースに残れるだけの開発費や最先端半導体工場の設備投資を維持できないからだ。そのため、各メーカーとも高クロック品=高価格品へのシフトに血眼になる。
Intelは、このASPが極めて高い。昨秋Intel自身に聞いたところでは、プロセッサのASPは200ドル以上をずっと維持しているという。今年4月に行なわれたAnalyst Meetingの資料を見てもASPはほぼ一定だ。最近は安いCeleronプロセッサの出荷が増えたが、その分は高いPentium II/III Xeonプロセッサが補っている。ASPを高い水準で維持できていることがIntelの強さだ。
それに対して、他のx86互換メーカーのASPはずっと低く、安定していない。AMDはASPが80~100ドルの間と言われている。ASPを100ドル以上に上げることがAMDの重要な目標であるとされている。おそらく、100ドルを上回らないと、膨大な投資を埋めて安定した黒字を出すことができないのではないだろうか。
そして、NSのASPはおそらくAMDよりも低い。昨年10月のMicroprocessor Forumでは、MicroDesign ResourcesのアナリストMichael Slater氏が、CyrixブランドのASPを60ドル程度と見積もっていた。しかし、業界関係者によると、現在のASPは、これを大幅に下回っているという。MicroDesign Resourcesのコストモデルでは、0.25ミクロン版M IIの製造コストは40ドル程度と推測されているので、これは危機的状態だ。とても次世代プロセッサの開発コストやFabへの投資のための資金を確保できる状況ではなかっただろう。
●NS、起死回生の賭け
この状況で、NSは起死回生を狙う賭けに出ていた。新しいプロセッサコアとプロセス技術の採用で、一気にメインストリームにまで製品ラインの上限を引き上げ、ASPを引き上げようと考えていたのだ。
同社が昨秋のCOMDEX Fallで明らかにした計画では、次世代コア「Cayenne」を使った製品を、次世代0.18ミクロン技術で製造して、今年中盤までに出荷することになっていた。Cayenneは、M IIの泣き所だったMMX/浮動小数点演算性能が改善され、しかも動作クロックは333MHz~450MHzを予定していた。このMHzは、パフォーマンスレイトではなく実クロックで、計画通りならCeleronのラインナップに対抗できるようになるはずだった。
しかも業界筋の情報では、このコアでSocket 370バージョンも用意しており、Celeron向けマザーボードにも載せられるようになると見られていた。また、ローエンド向けには、Cayenneコアと3Dグラフィックスコアとメモリコントローラを統合したプロセッサMXiを用意していた。MXiは、グラフィックスチップとチップセットにかかる数10ドルのコストを吸収することで、ASPを維持しながらローエンド市場を掴み続けることができるはずだった。
しかし、Intelよりも早く0.18ミクロンプロセスのラインを立ち上げ、新コアを高クロックに持っていくというこの計画に疑問を挟む声は多かった。NSは、もともとアナログを軸にやってきたメーカーで、最先端のロジック向けのプロセス技術は不慣れだ。そして案の定、この計画はうまくいかなかった。Cyrixのプロセッサは、今年に入っても、いつまでたってもサンプルが出てこないという状態が続いていた。
さらに、バリューPC市場では、Intelがx86互換メーカーに対抗するグレードの製品の価格を引き下げ(つまり、より高速な製品へシフトし)、他メーカーのASPが上がらないように押さえつけ始めた。今年後半にはCeleronはローエンドでも400MHzになってしまう。そのため、市場投入が遅れた場合は、投資に見合うだけのASPが期待できなくなってしまった。そして、NSは、この状況でずっと持ちこたえられるほど裕福ではなかったわけだ。
●Intelがローエンドに本気で攻め込む
さらに、この先を展望しても、見通しは暗い。それは、IntelがローエンドPC市場開拓に、本当に本気になったからだ。
サブ1,000ドルPCが登場し、PC市場の地滑り的な価格下落が始まって2年あまり。Intelは当初、デスクトップ用プロセッサのASPを維持しようと努めていた。その結果、市場のローエンドにはIntelが価格競争できないニッチが生じ、そこをAMDとNS(Cyrix)に取られてしまったわけだ。そこで、ローコストな2次キャッシュ統合型Celeron(Mendocino)発売以降は、IntelはCeleronのクロックを向上させた。Pentium IIを犠牲にしても市場確保に出た。しかし、500ドル以下のPC市場は、いまだに攻め切れていない。そして、NSは、その市場に踏みとどまっていたわけだ。
だが、おそらくIntelはサブ500ドルにまで本気になる。同社が現在開発しているとウワサされている統合型チップTimnaが出てくると、IntelはフリーPCも含めてPC市場全体をカバーできるようになるだろう。Timnaは、まだまったく内容がわからないが、おそらくPentium IIIコアと2次キャッシュ、それに3DグラフィックスコアやRDRAMコントローラなどを一体化したものになると思われる。0.18ミクロンで製造するなら、量産プロセッサとして許容できるダイ(半導体本体)サイズで、これだけの機能を集積することも可能になるはずだ。そして、このTimnaは、MXiラインのCyrixの統合プロセッサと真っ向からぶつかる。NSとしては、最悪の展開ということだ。
こうした状況の変化で、NSはPC向けプロセッサ市場からの撤退と、0.18ミクロンFabの過半数の持ち分の売却を決意した。今後、彼らは本来ターゲットとしていた情報家電向けの統合プロセッサに集中し、Cyrixコアは、ここで使われることになる。5x86コアを使ったPC-on-a-Chipを0.25ミクロンで製造する計画だ。
ここで、興味深いのは、この情報家電市場に向けてIntelが繰り出してくるのが、x86系ではないStrongARMであることだ。情報家電の市場では、x86である必然性はないと判断したx86本家のIntelと、x86にこだわるNS。次のラウンドの勝負は、どうなるのだろうか。
('99年5月14日)
[Reported by 後藤 弘茂]