●Microsoftが70兆円の価値がある理由
最初に質問をひとつ。マイクロソフトの価格はいくら?
答えは約5,000億ドル(約70兆円)! この数字は、Microsoftが7月23日に開催した財務アナリスト向けのミーティング「Microsoft Financial Analyst Meeting」で飛び出したものだ。ここで言っている企業の価値というのは、いわゆるマーケットバリュー(株価×株数)のことで、その企業をまるまる市場価格で買う場合に必要な金額のことを指す。もっとも、実際には、現在のMicrosoftのマーケットバリューは、まだこの数字よりかなり小さい(4,000億ドル以下)と見られているが、Microsoft株の高騰が、同社のマーケットバリューを5,000億ドルという途方もないところまで押し上げてしまったのだ。
もし、Microsoftがマーケットバリューで5,000億ドルに達すれば、同社は間違いなく米国のすべての企業のなかでもいちばん高い企業になる。じつは、現在でもMicrosoftよりも高い企業は、General Electric社しか存在しないという。つまり、Microsoftは、いつの間にかコカコーラやディズニー、IBMといっただれでも知っている大企業より高い企業になってしまったのだ。そして、この分ではGEを抜かす日も近いと言われている。
MicrosoftはGEと比べたら収入で5分の1、社員数で10分の1にも満たない小人だ。常識的に考えれば、Microsoftにこれだけのマーケットバリュー、これだけの株価は、異常に高すぎる。
ところが、MicrosoftのCFO(最高財務責任者)、グレッグ・マフェイ氏は、Microsoftは十分に5,000億ドルの価値があると主張する。以下は、マフェイ氏がアナリストミーティングで挙げた「Microsoftが5,000億ドルに値する10の理由」の抜粋だ。
--Starbucks(大手コーヒーショップチェーン)がJavaの商標を買って、Sunを恐れる必要がなくなったから
--ビルがゴルフクラブのCMに出演し、だいぶ稼いだから
--ラルフ・ネーダー氏(Microsoftを目の敵にしている消費者運動活動家)が『Microsoft:いくらでも安全(ネーダー氏の有名な著作のタイトルのパロディ)』という投資ガイドを出したから
もちろん、そんなバカげたコトがあるわけはない。つまり、マフェイ氏は、こうしたばかな話がないのと同じように、Microsoftには現在株式市場で受けているだけの価値がないとジョークで説明しているのだ。
その証拠に、彼はシリアスモードでは「我々の株価は他の企業と比べても特に高い」、「これは空恐ろしい」と言っている。さらに、マフェイ氏は、スピーチのかなりの部分を費やしてMicrosoftの前途がいかに暗いかを、この市場もだめ、この分野も低成長になる……といった具合に、とうとうと述べ立てている。しかし、MicrosoftのCFOがこのように同社の将来について不吉な予言をするのは、別に珍しいことでも何でもない。それどころか、ここ数年の財政報告で、Microsoftはほぼ毎回、次期は業績が落ちるといい続けてきた。
●Microsoft社員はストックオプションで億万長者
では、なぜ、Microsoftはここまでして業績が悪くなると主張するのだろう。ほとんどのハイテク企業が業績発表では、実態以上によく見せようと鼻息が荒くなるのに、なぜMicrosoftだけは悲観的な分析を発表するのだろう? その秘密は、ストックオプション(自社株購入権)というシステムにある。
ストックオプションは、社員が自社の株を、決まった金額で購入できる権利だ。社員が購入する際の株価は、そのオプションの権利をもらう日の市場株価の場合が多い。そのため、社員は、自社株が値上がりしたら、この権利を使って株を買い、それを市場で売ることで利益を得ることができる。例えば、あるMicrosoft社員が1株24ドル(3年程前のMicrosoftの株価)で2万株分のストックオプションの権利を持っているとしよう。その人物が1株100ドル(最近の株価)の市場価格の時に権利を行使して、すぐさまその株を売ったとする。すると、その社員は、(100ドル-24ドル)×2万株=152万ドル(約2億2,000万円)を手に入れることができる。
2億円! ちょっと、すごい金額だが、それでもMicrosoft社内ではこれは別段珍しい金額ではないはずだ。マフェイ氏のスピーチでは、同社の社員の保有するストックオプションは現在4億4,600万以上に達しており、その平均価格は24ドルだと明かしている。同社の社員のうち権利を保有するのは2万数千人と言われているので、このモデルは、Microsoft社員の平均に近いのではないだろうか。
会社が成長すれば、一介の社員でさえ億単位の金を得られるストックオプション。社員にとってはじつに素晴らしい仕組みだが、これは企業にとっては、頭痛のタネでもある。というのは、社員が儲ける分だけ、会社はマイナスを被ることになってしまうからだ。
●ストックオプションが企業の首を絞める
ストックオプションのために企業が新規株をどんどん発行してゆくと、発行済みの株数が増える。そうすると、株価が下がり、すでに株を持っている株主の見込みの利益が減り、大株主の持ち株比率が落ちることになってしまう。そのため、株主はこぞってこれに反対する。そのため、企業はストックオプションで社員に株を売ると、原則としては、それと同程度の数の株を市場から買い戻さなければならない。Microsoftも株の買い戻しをしているし、他の企業ももちろんやっている。そして、これが米国のハイテク企業にとって、とんでもない負担になっているのだ。
例えば、ある企業で社員達が1年間に1億株を平均24ドルで購入したとする。会社はこの売却で、社員から24億ドルを受け取るが、もし、市場株価が100ドルの時に1億株を買い戻さなければならなかったとすると100億ドルを株取引のために支出しなければならなくなる。そうすると、差し引き76億ドルが会社のマイナスになる。つまり、社員が儲ける分は、何のことはない、市場を経由して会社が払っているのだ。マフェイ氏によると、Microsoftの場合は、社員の保有するストックオプションの総額と、市場価格との差額は260億ドル以上になっているという。
そのため、企業は多くの場合、自社の株価が下がった時を狙って自社株を買い漁る。だから、実際には買い戻しによるマイナスは、株価がピークの時よりも小さくなるが、それでも利益を大きく圧迫する要因になっていると言われている。とくに、ハイテク企業にとってこの問題がクリティカルなのは、将来への期待感で、株価が利益の伸びよりも急カーブに上昇した場合だ。その場合は、手持ちの現金よりも買い戻しにかかる金の方が多くなってしまいかねない。だから、Microsoftは株価が下がって欲しいのだ。
●止められない止まらないストックオプション
それなら、ストックオプションをやめるか、減らせばいいと考えるだろうが、そうもいかない。というのは、米国のハイテク企業では、ストックオプションが人材を確保する重要なファクターになっているからだ。
マフェイ氏も、アナリストミーティングで「(ストックオプションは)我々の給与モデルの大きなパートを占めており、人々を引きつけ雇いつなぎ止めておくわれわれの能力にとって重要」と語っている。
実際、ハイテクワーカーたちは給料の額などほとんど気にしていない。それよりもどれだけストックオプションを提示してくれるかを重視するという。それは、ストックオプションはうまく行けば膨大な儲けになる可能性があるからだ。
しかも、この場合の重要な点は、新興企業であればあるほどストックオプションの魅力が大きいという点だ。どういうことかと言うと、ある程度評価が定まってしまった企業と違って、まだ未知数の企業だとうまく成功した場合は株価が爆発的に上がる可能性があるからだ。そうしたストックオプションのバクチ性が、シリコンバレーでベンチャーが人材を集められる大きなポイントとなっているという。
そのため、たとえMicrosoftであっても、いい人材を確保するのはなかなか難しいと思われる。勢い、ストックオプションのばらまきをせざるを得なくなる。じつは、米国でもちょっと前まではこれほどストックオプションの大量発行はしなかったのだが、ハイテク企業がほとんどの社員にオプションを提供するようになって状況が一変してしまったという。今では、人材確保のためにストックオプションのつり上げ競争になってしまい、もう止めるに止められない状況にあるらしい。
結局、現状では、米国のハイテク企業にとって、ストックオプションは実質的な給与になっている。ツケ払いであとで払うことができる点が便利だが、いくら支払うかは株式市場まかせでコントロールできない給与だ。この仕組みは便利な反面、株価が高騰すると、企業が間接的に将来支払わなければならない金額がどんどん増えてしまう危険性がある。
マフェイ氏は、今の株価でストックオプションの分を給与として提供したらどうなるかについても言及している。それによると給与を50%増しにしても十分ではなく、「多分2倍か、場合によっては3、4、5、あるいは10倍払わなければならないかも知れない」と言っている。また、そうした場合には利益が大きく減るだろうとも分析している。
というわけで、株価が高騰すると財政が苦しくなるMicrosoftは、必死に株価を鎮静化しようとする。しかし、アナリストミーティングのあとも、Microsoft株は大きく下がったわけではなかった。そこへ突発的にニューヨーク株式市場大荒れが始まった。これでMicrosoftも、ほっとひと息ついているかも知れない。
□「Microsoft Financial Analyst Meeting」でのマフェイ氏のスピーチ
http://www.microsoft.com/msft/netshow/msft/analyst/maffei.htm
('98/8/10)
[Reported by 後藤 弘茂]