スティーブ・ジョブズ氏だけができるウルトラC。
すでにあらゆるメディアで報道されている通り,現在開幕しているMacworldのキーノートスピーチで,ジョブズ氏は業界をパニックに陥れる新戦略-Microsoftとの提携-を発表した。これを受けて、メディアは水曜の夜から米Apple Computer社の行方や、今回の発表の背後に関する記事のラッシュとなっている。はたして、Appleとジョブズ氏はどこへ行こうとしているのだろう。
今回のジョブズ氏の発表には3つのポイントがある。ひとつは、日本でも大きく報道されているビル・ゲイツ氏率いる米Microsoft社との戦略的な提携、2つ目は、米Oracle社の会長兼CEOラリー・エリソン氏とジョブズ氏の取締役会参加、そして3つ目は現取締役会の主要メンバーの辞任だ。このの3つは、おそらく深く連携しており、そして、その背後にはジョブズ氏のリーダーシップの確立があると思われる。
実際、どのニュースサイトも、今回のこの3つの決定はジョブズ氏のリーダーシップで進められたと、関係者の証言などをもとに報道している。アメリオ氏の退陣前後から、ジョブズ氏が主導権を握りつつあるという報道が盛んにされており、ジョブズ氏の完全復活はかなり確実だと思われる。では、今回の“事件”がジョブズ氏のシナリオだったとして、ジョブズ氏は何を考え、何を目指してこういう奇手に出たのか?
まず、想像できるのは、ジョブズ氏がApple改革のハードルは硬直した経営陣だと見なし、古い体質を持つ取締役会を退陣させて、自分がリーダーシップを取ろうとしたということだ。そして、そのために外からAppleに協力するパートナーを呼び寄せる、あるいは外から協力者を呼び寄せることを条件に彼らを退陣させたのではないだろうか。しかし、ひとつの陣営からの協力者では、その人物にAppleの方針を牛耳られる可能性がある。そこで最初の協力者とある程度敵対関係にある別な協力者も呼び込んだ……、つまり、毒(ゲイツ氏)をもって毒(エリソン氏)を制するという戦略を取ったのではないだろうか。
●旧取締役会を追い落としたのはジョブズ氏?
まず、取締役会の退陣に関しては、いくつかのメディアがその影にジョブズ氏がいると報じている。たとえば、「Steve Jobs Juices Up Apple With Surprise MicrosoftDeal」(The Wall Street Journal,8/7、 http://www.wsj.com/ から検索、有料)では、ジョブズ氏が2週間前の秘密ミーティングで、Appleの取締役会にエドガー・ウーラード氏以外の辞任を求めたと伝えている。取締役会は、最終的にそれに合意したものの、ギャレス・チャン氏を留任させるように圧力をかけたという。The Wall Street Journalは、かなり確信に満ちたトーンでこの記事を組み立てているので、内部から情報を得ている可能性も高い。これが本当だとすると、取締役会の退陣はジョブズ氏の仕掛けによるものということになる。
この取締役会改編で、とくに、重要なのは、Apple取締役会最古参のマイク・マークラ氏が辞任したことだ。マークラ氏は、Appleのキングメーカーとよく評される人物で、ジョブズ氏と対立したともウワサされている。ジョブズ氏との確執は、あくまでウワサや報道でしかないが、マークラ氏が旧Appleを体現する人物だったのは確かだ。その彼が退陣した(させられた?)ことは、ジョブズ氏が事実上Apple社内政治で最終的な勝利を収めたことを意味していると思われる。
ジョブズ氏に関しては、このところCEO就任説が流れていたが、もはやそれは重要な問題ではなくなったようだ。ジョブズ氏が、Appleのリーダーシップを取っていることがほぼ明確になったからだ。もし、ジョブズ氏がCEOにならないとしても、CEO選出や今後のAppleの運営で、ジョブズ氏が主導権を握る可能性はかなり高いだろう。
●ウワサのエリソン氏が経営陣に
さて、2名を残して退陣したAppleの取締役会には、ジョブズ氏を含め新たに4人のメンバーが加わった。元Apple副社長のIntuitの社長兼CEOのビル・キャンベル氏、IBMとChryslerのCFOだったジェリー・ヨーク氏、そして、Apple騒動のもうひとりの役者、ラリー・エリソン氏だ。
エリソン氏は、この春Apple買収の意志があることを表明、大いに世間を騒がせた。その際には、メディアでもApple買収の可能性をしきりに明かし、AppleにNC (Network Computer)を製造させたいという意向も明らかにしている。エリソン氏は、ジョブズ氏と親しいことでも知られており、エリソン氏がAppleを買収した時にはジョブズ氏がCEOになるとウワサされていた。また、先週は、エリソン氏がフランスの経済紙に自分がAppleの取締役会に加わると漏らしている。そのため、エリソン氏の登板はある程度は予測されていた。
ジョブズ氏にとって、盟友であり、また世界有数のコンピュータソフト企業を率いる経営者であり、Microsoftに対抗するNCの伝道者でもあるこの人物がApple経営陣に加わることは、物心両面でのサポートを期待できる。しかし、その反面、Apple関連の開発者は、エリソン氏によってAppleの開発計画の流れが変わり、NCに注力してしまうことを恐れている。ジョブズ氏にしても、NCという新しいマーケットに乗り出すのはいいが、そのために、Rhapsodyを中核にしたAppleのコースがずれるのは望まないのではないのだろうか。しかし、エリソン氏を取締役会に入れるとなったら、それを抑えるのは難しくなる。
おそらく、MicrosoftをAppleの開発計画に引き込んだのは、そのための抑えということもあるのではないだろうか。エリソン氏とゲイツ氏に互いにけん制させる、その効果も期待している可能性がある。
●ゲイツ氏にはジョブズ氏が直接連絡か
Microsoftの引き込みにも、ジョブズ氏自身が動いたようだ。「Agreement was yearin making」(San Jose Mercury News,8/7)など複数のニュースが、アメリオ前会長兼CEOの退任直後に、ジョブズ氏がゲイツ氏に電話をしたと報じている。その結果、MicrosoftのCFO、グレッグ・マフェイ氏がジョブズ氏と直接会って、話を詰めたのだという。
Microsoftとの提携では、MicrosoftがAppleに1億5,000万ドルの出資をしたことが大きく取り上げられているが、これはそれほど重要ではない。額は大きいものの、それでもApple株の5%程度であり議決権もなく、決定的なほどの影響力はない。実際、「Microsoft-Apple deal confirms Mac OS viability, CFOs say」(InfoWorld,8/6)など複数のニュースが、マフェイ氏の言葉として、Microsoft側ではなくジョブズ氏が出資を求めたと伝えている。
しかし、現在Appleはどうしても現金が欲しいという状況でもない。足りないのは現金ではなく、将来のヴィジョンと確信なのだ。これは、現金を要求したというより、世間にわかりやすいカタチで、MicrosoftのAppleへの関わりを示すものを求めたということらしい。事実、この効果は抜群で、株式市場ではApple株が一気に高騰、19ドルから26ドルにまで跳ね上がった。そもそも、ジョブズ氏CEO就任のウワサなどで株価がつり上がっていた上にさらに上がったのだから、どれだけMicrosoftのコミットがポジティブに受け止められたかがわかる。
Microsoftとの提携のポイントは、カネでなければ技術提携の部分ということになる。しかし、Microsoftと技術提携をしたというのは、投資筋には受けがいいのは確かだが、実質的にどういう意味を持つのだろう。じつは、これに関しては、まだジョブズ氏がどういうヴィジョンを持っているのかがわからない。発表内容を見ても、アウトラインだけで、明瞭ではない。Mac OSにInternet Explorerをバンドルすると言うがどの程度融合させるのか。COM/DCOMはどうするのか。また、RhapsodyのIntelプラットフォームに関しては、Microsoftはどう出るのか。ともかく疑問だらけだ。両社の提携はかなり慌てて決まったらしく、このあたりの詳細は公式には発表されていない。Macworldからの続報を待つしかない状況だ。
ただ、ひとつだけ確実に言えるのは、これでAppleはCOM/DCOM(Microsoft)対Java/CORBA陣営の戦争で、Microsoftを敵に回さなくてすむということだ。もはや、インターネット戦争は、Webブラウザというアプリケーションのシェア争いではなく、プラットフォームやコンポーネントアーキテクチャの全面戦争に発展しつつある。とりあえず、MicrosoftとJava/CORBA/NC陣営の両方に足がかりを作っておくことは、決して悪いことではない。キャスティングボードを握ることもできる。もちろん、これには両陣営に振り回されるというマイナスの可能性もあるし、そもそもMicrosoftの技術を取り込むことはWindows PCとの差別化を難しくして存在意義を危うくすることでもある。このあたりの舵取りは、ジョブズ氏の手腕にかかっている。
●MicrosoftにはApple存続が必要不可欠
一方、この提携は、Microsoftにとってもかなりの利点がある。そもそも、MicrosoftはAppleに消えてもらっては困るのだ。もし、Appleが今回の危機を持ちこたえることができなくて、コンピュータ業界から消え去ると、MicrosoftのOS独占が自動的に進んでしまう。そうすると、米司法省による反トラスト法でのMicrosoftの締め付けがますます強まってしまうというわけだ。最悪、OS/アプリケーション部門とインターネット部門に分割されたりしたら、もはや今のMicrosoftの強さは維持できない。というわけで、Microsoftにとっていちばん怖いのは、今やAppleではなく、連邦政府になっているのだ。Appleを支援するのは、自分自身の存続のためでもあるわけだ。
それから、自社アーキテクチャの陣営を広げることも、Microsoftにとってかなり重要な意味を持つ。相手はクロスプラットフォームが旗印なのだから、MicrosoftとしてもWindowsだけのクローズドなアーキテクチャで戦うわけにはいかない。IEをトロイの木馬にして、MacintoshにMicrosoftのアーキテクチャを移植して行こうとするだろう。
それに、ジョブズ氏はエリソン氏と親しいだけではなく、ゲイツ氏ともある程度親しい間柄だ。Apple対Microsoftの宗教戦争は、スカリー時代のことであり、ジョブズ氏はゲイツ氏と親交していることは以前から何度もインタビューなどで明かしている。ウソか本当か、昨日のFENラジオのトークショウでは、この夏完成するゲイツ氏の新居に、ジョブズ氏が自分用の部屋をもらったというウワサ話をしていた。こういうゴシップは不正確なものが多いが、それでもジョブズ氏がゲイツ氏とかなり近い関係にあることは間違いない。
とりあえず、ジョブズ氏は、彼にしかできないウルトラCで、Appleの展開を大きく変えた。ウォールストリートでは、その決断はポジティブに受け入れられた。しかし、具体的な今後のコースはまだほとんどアナウンスされていない。まだ、前途は未知数だ。
('97/8/7)
[Reported by 後藤 弘茂]