後藤弘茂のWeekly海外ニュース


DECがIntelを提訴--米国特許訴訟の背景

●Intelをねらい撃ちにするMPUメーカー

 米国の企業をウォッチしていると、ひんぱんに訴訟のニュースにぶち当たる。それも、知的所有権がらみの訴訟というヤツがけっこう多い。どうして米国では、ここまで特許侵害での訴訟が多いのだろう。

 すでにPC Watchのニュースでも伝えた通り、5月13日に米Digital Equipment(以下DECと略)は、米IntelをMPUに関する特許侵害で提訴した。さらに、その直後、米Cyrix社もIntelを特許侵害で提訴している。これで、Intelは2社から、MPU技術に関して特許侵害で訴えられるという異常事態になった。これにはたいていのひとが驚いたのではないだろうか(ニュースサイトの記事を読むと、当のIntelでさえ驚いたと言っているらしい)。まあ、まさに特許訴訟の国米国を象徴するような事件が起きたわけだ。

 というわけで、今回は米国の特許訴訟とそれを巡る事情について、ちょっと掘り下げてみたい。

 まず、エンジニアに聞くと、ハードでもソフトでも、開発中に次々に出てくるアイデアを検討する際に、そのアイデアのすべてが特許を侵害していないかどうかを詳しくチェックはしないという。もちろん、基本となるテクノロジに関してはしっかり押さえるし、企業によっても姿勢は違うだろうが、細かな技術に関してそれほど神経質にはならない場合も多いのは確かだろう。それは、神経質になっていたら開発のペースが落ちてしまうという事情もある。

 では、その代わりどうするかというと、特許が取れそうなモノはともかく軒並み出願する。そうやって膨大な特許の山を築いておくと、万が一、自社の製品がどこかの企業の特許を侵害するようなことが起きたとしても、その企業とクロスライセンスを結ぶことができる。つまり、相手にある特許のライセンスを与える代わりに、自分がその特許のライセンスを公式に受けることで相殺できるわけだ。

 この場合、例えば、相手が侵害している自社の特許を見つけて、それを指摘、うまく自分の欲しい技術のライセンスを取るといった戦法を取ることもできる。また、逆にいえば、特許侵害だから提訴するぞと他の企業から攻撃を受けた場合にも、相手企業が侵害している自社の持つ特許を見つけ、穏便にクロスライセンスに持ち込むことだってできる。つまり、特許はそれ自体が特許訴訟に対する抑止力にもなるわけだ。

 こうした事情があるため、同業の企業同士は、相手の特許をそれなりに認め合い、ある意味でいいかげんにやっている。だから、特許訴訟が多いように見えても、じつは侵害したからといって訴訟にまでなるのはそれほど多くない。裁判になる前に、企業同士で話し合って、決着をつけるケースも多い。

●裁判を駆け引きの道具として使う

 じゃあ、裁判に持ち込むのはどういう場合か。もちろん提訴した企業が本当に自社の特許を侵害されたことで被害を受け、それを相手に警告したが受け入れられず、もつれて裁判になるというのもある。でも、そうでないケースもあるそうだ。

 ひとつは、裁判を戦術的に使う例だ。たとえば、ライバルのある製品にが自社の特許を侵害していると提訴することで、その製品を買おうとする顧客を躊躇させたりすることができる。ライバルがその市場での新参メーカーで実績がなかったりすると、これはもう効果てきめんだ。裁判の結果、侵害の事実がなかったと判決が出たとしても、結審するまでの間相手の製品に、"裁判で係争中"というマイナスイメージをつけることができる。

 それから、裁判を交渉のカードとして使うパターンもあるという。裁判で戦うという姿勢を見せることで、相手から有利にクロスライセンスなどを引き出すというパターンだ。強力な弁護士を雇うカネがあっても、不毛な裁判を避けたいのはどの企業でも同じこと。そこにつけ込んで、有利な条件で和解し、技術ライセンスなどを手に入れるというわけだ。こうなると裁判は駆け引きの道具になる。

 もうひとつありうるのは、単純にカネを得ようとする例だ。じつは、米国では特許訴訟は勝つとかなりのカネになる。これは、80年代中盤に米国の特許法などが変わり、特許を知的財産として以前より保護するようになり、侵害に対してはより高い賠償金を課すようになったことが大きいそうだ。とくに、故意の侵害となると膨大な懲罰金が課せられる。

 米国の特許訴訟で、巨額の和解金を支払った例というと、90年代前半に日本企業が相次いで標的になった件が思い出される。たとえば、ミノルタは1億ドル以上、セガ・エンタープライゼスは数千万ドルを、米国の特許訴訟の結果(評決を受けて判決前に和解)、和解金として支払っている。両社の場合、クロスライセンス戦術も効かなかった。なぜかというと相手がモノを作っていなかったからだ。

 ミノルタを訴えた米Honeywell社は、以前はカメラ部品を作っていたが、ミノルタを提訴した時にはもう製造していなかった。悪く取れば、相手は製造部門が弱まった分だけ、特許の権利を守ってそれを金銭に変えることに熱心になったと言えるかも知れない。また、セガの場合は、相手は自宅で研究をして特許を次々に取得するガレージ発明家だった。

 これも米国ならではの現象で、米国では個人発明家が、大企業を相手取って特許訴訟を起こして勝つ例は珍しくはない。その背景には、個人発明家が特許を取得しやすい、米国の特許システムがある。米国と日本(というか米国以外の国)の特許制度の最大の違いは、米国が先発明主義で、他の国が先願主義であること。先発明主義というのは、ラフに言ってしまうと、自分が先に発明したことを証明できれば、たとえ出願の順番があとであっても、特許が認められるシステムだ。そのため、研究成果を整えるのに時間がかかり、特許申請を迅速にできない個人発明家でも、特許を取りやすい。これは、発明家が特許申請できる場所から離れて住んでいるケースも多かった開拓時代からの伝統だそうだ。

 これを、企業の側から見ると、特許を持っているから安心と思っていても、先に発明していたと主張する発明家が登場して、覆されることもありうることになる。こういうのはサブマリン特許と呼ばれて、結構怖がられている。典型的な例は、シングルチップのMPUの基本特許を取ったギルバート・ハイアット氏だ。この件は日本でも大きく報道されたのでご存じだろうが、MPUはすべてハイアット氏の特許に触れるものとして、半導体メーカー各社が膨大な和解金を支払った。

●陪審員制度がさらに話を複雑に

 特許訴訟での米国の特殊事情は、制度の違いだけではない。よく言われるのは、特許の権利範囲、つまり、その特許の効力がどこまでおよぶのかという問題だ。一般的に言われているのは、米国の特許制度の方が権利範囲が広くて、日本の方が狭いということ。これは明確になっているわけではない。しかし、特許の審査や裁判での判断は人間が下すわけで、米国ではそこで権利範囲が拡大される傾向にあるという話は、以前特許訴訟について取材した時によく聞かされた。つまり、米国では、特許を侵害しているつもりではなくても、裁判では特許侵害と見なされてしまうというケースがあるというわけだ。

 ここで話をさらに複雑にしているのは、米国の裁判の陪審員制度だ。米国では特許問題のような裁判でも、一般市民からなる陪審員が評決を下す陪審員裁判に持ち込むことができる。陪審員はもちろん技術に明るいわけではないわけで、それが特許訴訟をさらに予測がつかないものにしているというわけだ。

 日本企業が90年代前半に相次いで米国で特許裁判に破れた時、それらの企業に取材したことがある。その際に、各社の担当者が口を揃えて言っていたのは、陪審員裁判では、専門的な知識を必要とするケースを理解してもらうのは困難ということだった。これらの裁判で、日本企業はいずれも真っ向からの技術論を展開したが、それに対して相手側は巧みな"見せる"プレゼンテーションを行ったという。そして、米企業や発明家側は、プレゼンテーションで陪審員を納得させてしまい、自社に有利に導いたのだそうだ。その結果が、日本企業が特許侵害には当たらないと確信していたケースでの、膨大な和解金額の支払い指示となったのだという。

 まあ、これは負けた側の言うことだから鵜呑みにはできないが、それでも陪審員制度にはそれに合わせた取り組みが必要なことは確かだろう。これは、特許訴訟の陪審員裁判ではプレゼンテーションをうまくすれば、一見無理な状況でも勝訴できる可能性があることも意味している。

●まだ見えないDEC/Cyrixの思惑

 というわけで、米国の特許訴訟というのはなかなか複雑で奥が深いわけだ。では、今回のDECとCyrixの件はどうかというと、これははっきり言って見当もつかない。ただし、異例なことが多いのも確かだ。

 ニュースサイトの記事を読むと、DECは通常の知的所有権の侵害の場合に行う警告を行わずに、提訴をいきなり発表したという。これが本当だとしたら、通常のセオリーからは外れることになる。それも、相手はIntel。訴訟慣れしているし、オカネもあり、しかも過去3年間で、MPU関連で1000件の特許を取っていると発表している相手だ。それに対して訴訟するというのは、逆提訴の危険も覚悟しているということになる。

 もし、本当に侵害の事実があったとしても、DECやCyrixはそれで何を求めているのか。とくに、DECはかなり攻撃的な態度を取っているが、本当に損害賠償や技術の使用禁止などを求めているのか。米国のドライな経営者たちは、こういうのもポーズで、その裏では何らかの交渉を進めているというのもよくある話だ。裁判にならずに、途中で両社が手打ちをし、仲良く新しい提携を結んだとしても、何も不思議ではない。

('97/5/29)

[Reported by 後藤 弘茂]


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