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●ハイテク移民に吹く不況風
「H-1Bワーカー」が消えるかもしれない。これまで、ブームに沸く米ハイテク産業の根幹を支えてきた外国人エンジニアたち。その彼らが、米国から閉め出されつつある。
H-1Bというのは、“高度に専門的な知識・免許・経験あるいは大卒程度の学歴を要する専門職”を持つ外国人が米国の企業に呼び寄せられたとき受ける就労ビザのことだ。
だが、この数年、H-1Bワーカーといえばハイテクエンジニアと同義。そして、ハイテク産業のブームと人手不足を背景に、ビザ枠(外国人受け入れ数の上限)は従来(65,000人)の2倍近く(115,000人)へ、2倍から3倍(195,000人)へと拡大され、それでも企業による申請数が枠からあふれるような状態が続いてきた。なぜならH-1Bワーカーなら、人材を教育してエンジニアに育つのを待つ時間がいらず、必要な人数を大量に雇うことができるからだ。H-1Bワーカーは、ハイテク産業のビジネススピードには欠かせない、金の卵的存在だったのだ。
ところが、その状況がコンピュータ産業の景気後退で激変。金の卵は、不況の風を一番強く食らっている。
まず企業からのH-1Bビザ申請数がダウン。INS(米移民帰化局)の統計( http://www.ins.usdoj.gov/graphics/publicaffairs/statements/018h1bcapstate.htm )によれば、8月3日までに受理されたビザは138,000件。2001年度は9月末締めだから、限度枠を使い切ることはないだろうという見方が強い。195,000人の枠でもまだ足りないと言われていた議論がウソのようだ。
すでに米国にいるH-1Bワーカーにはレイオフのパンチ。H-1Bワーカーの場合、レイオフでビザのスポンサーを失うと違法滞在になってしまうので、やむなく本国に帰る者が急増しているという。H-1Bワーカーの最大勢力はインド人なのだが、レイオフで本国に帰ったインド人が1万人とか2万人とかいう報道もある。(Asian Week「H-1B Workers Face Uncertain Future」; San Jose Mercury News 「Can there be a German dream?」)。
レイオフされなかったH-1Bワーカーの待遇も悪化している。例えば、エンジニア派遣会社社員として米国に来たH-1Bワーカーが、派遣の仕事がないために、これまでの半額程度の週給しかもらえない、などのケースも報道(San Jose Mercury News「Downturn hits holders of H-1B visas」)されている。それでも、H-1Bワーカーの場合、ビザの次に米国永住権(グリーンカード)や米国市民権の取得をねらうのがふつうだから、ビザスポンサーの会社を簡単にやめられない。労働条件が少々悪くても、がんばって働くしかないのだ。
●移民が支えた米ハイテク産業
まるで移民哀史……。そう、高度な専門職を持つ新移民も、やはり米国移民の歴史をなぞっているのだ。
昔から移民は、雇用の調節弁として、かつ、賃金やトレーニングコストが安くすみ、しかもよく働く労働力として、米国の経済繁栄を下支えしてきた。H-1Bワーカーにも、派遣エンジニアのようにハイテク産業ピラミッドの下層を支える者が相当数いる。その点は、皿洗いや港湾労役のような、縁の下の力仕事をしてきた昔の移民と似ている。
だが、大きく違う点もある。
まず、今までの移民の歴史と違い、ハイテク移民は米国社会の下層ではなく中流層に入れている(本連載第一回「ハイテクが変える“米国移民像”」参照)。
それから、ハイテク産業では移民が手足だけでなく頭脳部分までも担っており、移民がいないと産業が成り立たないまでに至っている。
特に顕著なのは半導体産業だ。一代で起業してトップになっている者も多いし、企業の中でも、設計やプロセス技術開発といった製品の中枢に関わる部署にはインド人や中国人のエンジニアがひしめいている。Intelのアンディ・グローブ会長だって、移民一世だ。
なぜハイテク産業では移民がこんなにも重要なのか。
もしかするとそれは、先に書いたように、移民がハイテク業界に欠かせない“スピード”にマッチしているということのほかに、ハイテク業界の命、“イノベーション”にもマッチしているからかもしれない。米国と違う文化のバックグラウンドを持ち、外国に果敢に移住してくる彼らの発想は、米国人よりイノベーションを生み出しやすいのかも知れない。
●インド人Uターンで米国は空洞化か!?
しかし、このまま米ハイテク産業の景気が悪化すると、どうなるだろう。
まず、当然の話、米国のハイテク産業に占める移民の割合が減る。需要からいって、現在の拡大ビザ枠(2003年までの暫定措置)が続けられる可能性はほとんどないし、Uターンもますます増えるだろう。
すると、米国にいられなくなったり、行けなくなった移民エンジニアは、ほかの国のハイテク産業興隆に力を貸すかもしれない。
例えばドイツのように、この機に(?)ハイテク移民の勧誘を始めた国もある。ドイツは移民を簡単には受け入れない国だが、昨年からIT系技能者にだけ、特別に5年の就労ビザを優遇している( http://www.arbeitsamt.de/hst/international/engreencard.html )。功を奏すれば、ドイツのハイテク産業は2万人の人材を得ることになる。
また、Uターンが集中するインドでは、米国で経験を積んだエンジニアが戻ることで、飛躍的にハイテク産業が発展するかもしれない。そして、人のつながりがあることで、米国シリコンバレーとインドのシリコンハイランドは、これまで以上に深い経済的つながりを持つようになるかもしれない。シリコンバレーの企業は、わざわざ移民を米国に連れて来なくても仕事がスムーズにできるになるのかも。そうなれば、米国にとってもラッキーだが、あまり移民が来なくなると、今度は米国のハイテク産業空洞化もありえそうだ。
●“移民の国であること”が強みの米国
しかし本当は、空洞化まで進むシナリオはまずないだろうと思う。なぜなら、ちょっと景気が戻って米国の企業がまたエンジニアを呼び寄せるようになれば、移民は喜んで米国にやって来るだろうからだ。
例えばH-1Bビザだけ見ても、これまで毎年65,000人ずつが米国に来て、しかも、この数年間はビザ枠が拡大するとそのたびに、枠以上の希望者が押し寄せていた。これは考えてみればすごいことだ。米国は、いつでも好きなだけ、移民を呼び寄せられるのだ。米国の“強み”は数多いが、一番の強みは世界中から人を惹きつけられる、この磁力だろう。
なぜ米国は、こんな力を持っているのか。
もちろん、飛び抜けた経済力は大きな理由だ。それから100年以上、繁栄国を続けてきたことによる、様々な文化・文明の蓄積。この魅力も強い。
でもそれだけではない。同じくらい大きいのは、米国がその発生から移民の国であることから来る居心地よさだろう。
例えば日本やドイツだと、日本人やドイツ人の血と混じらない限り、移民は何代でも移民扱いされる。自分と違う人種への違和感は、ある意味自然な感情だからだ。だが、ほぼ全国民が移民の子孫である米国では、そんな感情はいけないものとする倫理感もまた強い。だから新移民もある程度、安心して社会に入り込める。
そして移民が多いと、“これが規範”という大上段の常識がルーズになり、日本のような、“出る杭は打たれる”風潮の国で生きにくいと感じる人も惹きつけることができる。米国では、不揃いな、出る杭が当たり前だからだ。
こうして米国は、スピードとイノベーションが勝負であるハイテク産業の強い国となった。H-1Bワーカーの数がちょっと上下したくらいでは、この特徴は変わらない。
というわけで、移民に見放されない米国は基本的には安泰……かというと、そうでもないかも。
米国は逆に、長いスパンで考え、コツコツ行動するのは苦手だからだ。コンピューター産業にも浮き沈みがある。“日米半導体戦争”が騒がれた'80年代は、けして米国の一人勝ちではなかった。家電だって中身がコンピューター化して久しいのに、米国は日本に追いつけていない。パソコン時代のこの約10年は、“ひらめき”の米国が有利だった。でも、1つのサイクルがずっと続くわけではない。それはH-1Bワーカーが一番敏感に感じていることかもしれない。
※注:INSのお役所言葉では、期限付きのビザを持つH-1Bワーカーはnonimmigrant(非移民)で、永住権を持つ者だけがimmigrant(移民)と呼ばれる。でも米国に来る外国人はたいてい永住を目指しているので、ここではみな区別せずに、移民・移住とした。
□関連記事
【'99年10月20日】ハイテクが変える“米国移民像”
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/991020/high01.htm
(2001年9月6日)
[Text by 後藤貴子]