米Transmetaの新x86互換MPU「Crusoe(クルーソー)」は、x86系としては驚異的な低消費電力を実現している。例えば、DVDソフト再生での平均消費電力(MPUとノースブリッジ)は2.17W(TM5400)で、Transmetaの資料ではモバイルPentium III(Coppermine) 500MHzの約3分の1となっている。Transmetaによれば、Crusoeを使えば、1日中使い続けることができるサブノートPCを実現できるという。これは、性能競争でどんどんハードウェアが複雑化して、発熱量と消費電力が増大しているx86の世界では強力な武器となる。
では、Crusoeでは、どうやってこの超低消費電力を実現しているのだろう。Crusoeの低消費電力のカギは、CrusoeファミリのうちWindowsノートPC向けのMPU「TM5400」に採用された「LongRun」と呼ばれる省電力テクノロジだ。これは、MPUの電圧とクロックを動作中に変えることで消費電力を抑える技術だ。どこかで聞いたことがある? そう、これは原理的にはIntelがモバイルPentium IIIで採用した「SpeedStep」テクノロジと同じものだ。だが、原理は似ていても大きな違いがある。Transmetaの方がこのテクノロジを徹底して使っていることだ。
IntelのSpeedStepは、2つの電圧とクロックの組み合わせを切り替えるだけだが、TransmetaのLongRunでは、MPUにかかる負荷に応じて電圧とクロックを小刻みに変える。例えば、非常に負荷の高い処理を行なう場合は700MHz/1.65Vで駆動し、そこそこの負荷の場合には400MHz/1.40Vに落とし、負荷が非常に少ない場合には200MHz/1.10Vにまで落とすことができる。この場合、200MHz時の消費電力は、700MHz時の13%にまで削減される。
◎表1【LongRunによる省電力効果】
動作クロック | 電源電圧 | フルパワーに対する 消費電力 | 電圧を変えなかった 場合の消費電力 |
---|---|---|---|
700MHz | 1.65V | 100% | 100% |
666MHz | 1.65V | 95% | 95% |
633MHz | 1.60V | 85% | 90% |
600MHz | 1.60V | 81% | 86% |
566MHz | 1.55V | 71% | 81% |
533MHz | 1.55V | 67% | 76% |
500MHz | 1.50V | 59% | 71% |
466MHz | 1.50V | 55% | 67% |
433MHz | 1.45V | 48% | 62% |
400MHz | 1.40V | 41% | 57% |
366MHz | 1.35V | 35% | 52% |
333MHz | 1.30V | 30% | 48% |
300MHz | 1.25V | 25% | 43% |
266MHz | 1.20V | 20% | 38% |
233MHz | 1.15V | 16% | 33% |
200MHz | 1.10V | 13% | 29% |
●コードモーフィングソフトウェアがLongRunを制御
具体的にどういう仕組みになっているかというと、Crusoeは起動時にはフルスピード(700MHz版なら700MHz)で動き出す。しかし、コードモーフィングソフトウェアがロードされると、ユーザーのアクティビティをチェックし始める。つまり、OSやアプリケーションの活動状態を見て、MPUの負荷を調べる。そして、コードモーフィングソフトウェアは、その負荷に応じてCrusoeのクロックと電圧を切り替えさせる。つまり、その時点の処理に必要なだけのクロックに引き下げるわけだ。Transmetaによると、Crusoeは1秒間に数100回ものきめ細かなクロックと電圧の適正化を行なうという。このように、アプリケーションの実際の負荷に応じてクロックと電圧を細かく切り替えるため、Crusoeでは無駄な電力消費が大幅に抑えられるわけだ。
また、このことは、Crusoeでは500MHz版でも700MHz版でも、同じアプリケーションを使うなら消費電力が変わらないことを意味している。700MHz版では、単純にピーク性能が上がるだけだ。
もっとも、Pentium IIIノートでも、プロセッサの表面温度などをチェックしてクロックを切り替えることは行なっている。だが、消費電力は電圧の二乗×クロックに比例するため、電圧も切り替えるLongRunの方がずっと電力削減の効率はいい。表1に、LongRunでの消費電力と、クロックだけを変えた場合の消費電力の比率を示したが、クロックを下げれば下げるほどLongRunの方が有利になる。
きめ細かなクロックと電圧の切り替えが可能なのは、LongRunの切り替え動作が迅速だからだ。LongRunは、クロックと電圧の切り替えを、MPUのリセットやレジスタ内容のメモリへの退避といった、時間のかかる動作なしに行なうことができる。そのため、クロックと電圧の切り替えは、ほとんどシームレスに行なわれ、ユーザーが切り替えに気づくことはないという。
これは、SpeedStepも同様で、SpeedStepはDVDソフト再生の途中でもコマ落ち無しに切り替えができる。ちなみに、LongRunやSpeedStepを実現するには、動作中でも安全に電圧を切り替えることができる半導体プロセス技術が必要となるらしい。Transmetaが、Crusoeの製造パートナーにIBMを選んだ理由は、このあたりにもあるのかもしれない。
●IntelのSpeedStepとLongRunの違い
ここで、SpeedStepとLongRunの違いをもう少し見てみよう。両テクノロジの違いは、下の表2のようになる。
◎表2【LongRunとSpeedStepの比較】
LongRun | SpeedStep | |
---|---|---|
クロック周波数と 電圧のモード数 | マルチ(15以上) | ACとバッテリの2つ |
切り替え条件 | MPU負荷 | 電源状態(AC/バッテリ) |
電圧の幅 | 1.1~1.65V | 1.35~1.6V |
RAMへの退避 | なし | なし |
だが、これはIntelの方が技術的に劣っていることを示しているわけではない。じつは、技術的にはSpeedStepでもLongRunのように多段階でクロックと電圧を切り替えることも、もっと下の電圧に振ることも可能だ。これはインテル日本法人でも認めている。また、同様のテクノロジを使う次世代StrongARM(Intelの組み込み向けMPU)では、多段階での切り替えを行なうようだ。それから、モバイルPentium IIIの方が、より低い電圧で高クロック動作が可能(500MHz時なら1.35Vで、Crusoeの1.5Vより低い)で、低電圧時のパフォーマンスは高い。
●IntelがLongRunをやらない理由
では、なぜPentium IIIではLongRunのようなアプローチを取らないのか。そこにはいくつかの理由がある。
まずマーケティング的な理由としては、Intelは高クロックで高マージンのMPUを売りたいということがある。Intelは、SpeedStepでモバイルMPUのクロックを消費電力を気にすることなく上へ伸ばせるようにした。それにより、デスクトップとのギャップを縮めて、付加価値の高いMPUを売ろうとしている。今のPCの世界は、クロックがもっとも重要な尺度となってしまっているので、わざわざクロックの低い=マージンの低い方向へと技術を伸ばす必然性がないわけだ。これは、バッテリ駆動を前提としたマシンしかターゲットにしないTransmetaとのマーケティング的な違いだ。
そのほかの理由としては、コストの問題がある。インテル日本法人によると、多段階のモード切り替えをサポートするとなると2段階の現在のSpeedStepと較べて評価しなければならない条件が大幅に増えて、コストに跳ね返るという。また、PCメーカーにとっても、電源電圧を多段階で切り替えることは、開発の難度やコストを増すという。ところが、今のノートPCは、デスクトップ代替でAC電源で使われることが多いので、それだけの手間をかけるのは合わないということだ。
そのほかにもマイナーな問題がある。それは、負荷を監視してモード切り替えをコントロールすることだ。Transmetaの場合は、コードモーフィングソフトウェアが、コード変換のかたわら、負荷を監視してMPUコアのクロックと電圧を切り替える。そのため、外側から見るとMPUの内部で自動的に負荷監視と切り替えが行なわれている格好になり、原理的にはOSはモード切り替えをほぼ意識する必要がない。つまり、この機能はOSに依存しないか、ほとんど依存しない可能性が高い。ところが、SpeedStepで同じことをやろうとすると、各OS用のSpeedStep対応アプレット(現在はIntelが提供している)で行なう必要が出てくる。つまり、ややハードルが高いわけだ。
●従来MPUより格段に低くなる熱設計パワー
Crusoeには、このほかにも省電力のためのしかけがある。例えば、モバイルPentium IIIと同様に、高速な復帰が可能な低消費電力モードQuickStart(TM5400では300mW)を持つ。そもそも、Crusoeは電源電圧も700MHzで1.65Vと、モバイルPentium III並みに低い。
Crusoeの低消費電力の利点は、バッテリライフだけではない。発熱も少ないために、ノートPCの熱設計が容易になり、薄型でハイパフォーマンスなノートが可能になる。Transmetaでは、DVDソフト再生時のモバイルPentium IIIとTM5400の表面温度を比較したデータも公開した。それによると、Pentium IIIが105.5度なのに対して、Crusosは48.2度で、Crusoeノートではファンなどアクティブな冷却機構が必要ないという。薄型ノートやミニノートの熱設計は、プロセッサの熱設計パワーが7から10W程度が限界と言われているが、Crusoeはこれを大きく下回る熱設計パワーを実現すると思われる。
このように、低消費電力では大きな利点を持つCrusoeだが、ノートPCの消費電力はMPUだけで決まるわけではない。結局、WindowsノートPCとなると周辺デバイスは従来の薄型ノート/ミニノートのままなので、それらのデバイスが足を引っ張ることになるだろう。しかし、TM5400のパフォーマンスがモバイルPentium IIIと十分戦えるレンジで互換性が完全だと証明されれば、熱設計に悩む薄型ノートPCやミニノートPCのメーカーにとっては、製品差別化の上で魅力的な選択肢になる可能性はある。
もっとも、それでもCrusoeファミリのうちTM5400が狙うモバイル主体のWindowsノートPCは、現状では、ノートPC市場のうちのニッチに過ぎない。そのため、Crusoeは、PC市場ではIntelを大きく脅かす存在には、当面はならないだろう。
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(2000年1月26日)
[Reported by 後藤 弘茂]