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パーソナルコンピュータはなくなるの?




 米カリフォルニア・サンフランシスコで開催中の開発者向け会議、Intel Developer Forumでは、連日、さまざまな話題が提供されている。今回は、そこで感じたことのうち、今後のトレンドに大きな影響をあたえるかもしれないIntelの戦略について記しておくことにしよう。

●存在感が揺らぐPC

 Intelの会長であるクレイグ・バレット氏は、今回のIDFのスタートアップとなる基調講演において、ムーアの法則は21世紀になっても、あいかわらず続いていて、テクノロジーこそが将来であることを強調した。そして、テクノロジーは今まで、先進国の人々のものだったが、これからは、残りの50億人のために使われることを強調、世界経済の中で誰もが成功したいと思うようになり、そのような状況下では、テクノロジーのイノベーションに対して、いろんな人たちに賛同してもらわなければならないともアピールした。

 Intelは、現在、Netbookなどの廉価な機器市場の開拓に懸命になっているように見える。これらの機器は、多少性能は低くても廉価なPCを教育市場などに大量に投入することを可能にする。彼らは、これからの時代のもっとも重要な要素が教育であり、85%の若者は発展途上にある国にいて、彼らを世界の競争に参加させる必要があると考えている。

 さらにIntelは、MID、つまり、モバイル・インターネット・デバイスの推進にも熱心だ。このままいくと、多くのインターネット端末は、MIDに置き換わってしまうような勢いで、ちょっとした懸念もあるのだが、しばらくの間、この勢いは止められそうにない。

 個人的に感じている懸念としては、MIDの普及によって、本来ならPCを使うであろう層がMIDで満足してしまい、PCそのものの存在感に揺らぎが生じること、そして、そのために、コンテンツビジネスが、「マス」としてのMIDにオプティマイズされてしまい、コンテンツのリッチネスが抑制されてしまうことがある。

 ウルトラ・モビリティー事業部長のアナンド・チャンドラシーカ氏とのラウンドテーブルで、そのことについて聞いてみたところ、MIDの市場など、PCの市場に比べたらとるに足らないものであり、それが1つのトレンドになることはありえないと一笑にふされた。コンテンツがどうなるかなんて話はあと3年後、2011年頃にしよう、ただし、自分がクビになっていなかったとして、とまで言われた。そこまでMIDが成功すれば、きっとチャンドラシーカ氏は、その頃、Intelの社長になっているかもしれないというくらいに、些細なことであるらしい。

●アプリ不在のPCへのアンチテーゼ

 日本では'90年代にパーソナルワープロの時代があった。さらに2000年代はiモードが一世を風靡した。ワープロ専用機で多くのニーズは満たされると考えられ、各社各様のパーソナルワープロが市場に出回ったものの、そして最終的には淘汰され、PCに置き換わっていった。それによって、世界のトレンドとは別のトレンドを日本人は経験することになったが、それが、ある種の足踏みであったことも否めない。

 iモードはiモードで、もはや、インターネットやメールは携帯で十分というような層まで生んでしまった。これもまた、先進的な経験である反面、足踏みといえなくもない。

 そういう状況を目の当たりにしてきていると、MIDが世界レベルで同じような状況を生んでしまわないかどうかが心配になってくる。

 Intelとしてはそんなことはありえないと考えているようだが、果たして本当にそうなんだろうか。

 世の中が必要としないなら、それはそれでいいんじゃないかという考え方もあるだろう。PCはコモディティとして、業務専用のツールになり、一般のコンシューマーは、MIDを使ってインターネットを楽しむのが当たり前になってしまうなら、それはそれでいいということだ。

 でも、それは、ある程度のスパンで、PCの世界のイノベーションが停滞するということでもある。もちろんMIDの世界でもイノベーションは起こり、さまざまなユーセージモデルや画期的なコンテンツが生まれるには違いない。けれども、それは、純粋な未来を指向したものであるかどうかは疑問だ。

 こんなことを考えるのは、Intelが、MIDのようなデバイスと同時に、エンベデッド機器の推進にも熱心だからだ。同社上席副社長であるパット・ゲルシンガー氏とのラウンドテーブルで、IAプロセッサを使った組み込みデバイスが普及することで、現在は、PCが担っている役割の多くをアプライアンスが担うようになる可能性について尋ねたところ、その可能性がないわけではないという答えが返ってきた。ただ、それは、今までPCに見えていたものが、PCに見えない機器に置き換わるだけで、中身は正真正銘のIA機器である。もっとも、Windowsのような汎用OSが稼働し、そこで、ユーザーが任意のアプリケーションを走らせるような現在のPCは、一時的になりを潜める可能性はある。この点はゲルシンガー氏とチャンドラシーカー氏とで、多少、コメントの温度差がある。

●時代は変わるんじゃない、廻るんだ

 彼らのコメントに見て取れるのは、過去においても、現在においても、そして、将来においても、常に、Intelはディベロッパーの味方であるという点だ。Intelを取り巻くひとつのインダストリーが成立し、そこで、水平、垂直を問わず、ありとあらゆるビジネスが営まれてきた。

 その立ち位置さえしっかりと確保していれば、これまでにディベロッパーが培ってきたスキルやノウハウは、たとえ、PCが終焉に向かったとしても失われることはない。なぜなら、そこを支えているのは、IAプロセッサにほかならないからだ。

 Intelは、PCがなくなることはないとしながらも、もしPCが世の中からなくなるようなことがあっても、現在のPCを取り巻く業界が、そのまま、新しい世界にシフトするだけですむような将来を考えているようにも見える。テクノロジーを無駄にすることなく、ビジネスモデルを工夫するだけで、これまでの業界標準がそのまま通用するような世界の実現だ。

 仮にもしMIDが爆発的な普及を見せ、世の中のトレンドがその方向にシフトしたとしても、ディベロッパーは何も困らない。むしろ、パイが増える分だけビジネスチャンスは増加する。さらに、もし、その先に、汎用的なハイパフォーマンスPCへの揺り戻しトレンドが起こったとしても、新たに生まれたテクノロジーを含め、回帰シフトが可能で、同様に誰も困らない。そのためには、アプライアンスの時代にも、IAを世界標準のインフラ的なものにしておく必要があるし、だからこそ、Intelについてきてほしいということか。そして、結果として、それがディベロッパーとIntelに富をもたらすのだ。

 パーソナルコンピュータはなくなるかもしれないけれど、IAは縁の下でアプライアンスを支えている。マニアたちは、その気になれば、ハードウェアをハックして、専用機を汎用機として使うようになるかもしれない。それは、幻想であった、お仕着せではない、個人が自分のものとして使う本来のパーソナルコンピュータかもしれない。

 30年程度を巻き戻し、もういちど、PCインダストリー再編と繁栄のスパイラルのプレイバック。ただし、今度は、Microsoft抜きでというのが、Intelが推進している一連の企みの背景かもしれない。

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【4月4日】【山田】孫悟空が手に入れたアトムの百万馬力
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0404/config203.htm
【2月29日】【山田】ネットワーク、そのONとOFF
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0229/config198.htm

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(2008年8月22日)

[Reported by 山田祥平]


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