大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

100年続いた教育現場を変化させるコンピュータ
~黒板と机があればできる教育からの脱皮




財団法人日本教育工学振興会(JAPET)が開催した「Class of Tomorrow 2007」

 財団法人日本教育工学振興会(JAPET)は、教育関係者を対象にした「Class of Tomorrow 2007」を、東京、名古屋、大阪の3カ所で開催した。

 教育現場におけるIT導入の実態を踏まえ、今後、授業や校務にどうITを活用していくか、また、ITがもたらす教育効果はどの程度見込めるかといったテーマに触れるとともに、教育分野への導入で世界的に高いシェアを獲得しているアップルコンピュータが全面的に協力したという点もユニークなものとなった。同時に、アップルの教育現場への取り組みや、Macを活用した教育現場の様子も実演された。

 同セミナーでの内容を通じて、教育現場におけるIT導入の実態を追ってみた。


●100年前の教員が、いまでも授業ができる理由

 欧州市場で約15%と教育分野でトップシェアを誇り、米国でも23%とデルに次いで2位のシェアを持つAppleは、'86年から「Apple Classrooms of Tomorrow」をキーワードに、教育分野におけるIT利用提案にいち早く取り組んできた。最初は、5つの小中高校に一教室分のMacを導入。教師、生徒が自由に使える環境を提供するところからスタートしたこの取り組みも、それをきっかけに、教育分野における効果が徐々に認識され、教育分野でのMac導入シェアは、一般市場以上に高いものになっている。

 そのAppleの社内で、冗談混じりにこんな会話が交わされているという。

 「いまから100年前の医者と教師が、タイムマシンに乗って現在にやってきたら、医者は医者の仕事ができないだろう。だが、教師はすぐに教師の仕事ができるはずだ」

 これは、医者を卑下しているものではない。むしろ、このジョークの裏には、教育現場に対する痛烈な皮肉が込められている。

 医療技術は、この100年の間に急激に進化した。医療分野へのITの導入も急速に浸透している。その進化ゆえに、100年前の医師は、現在の医療技術を駆使できないというわけだ。そして、100年前の教師が、いまでも教師の仕事ができるというのは、裏を返せば、教育の現場が100年前とまったく変わらないことの証だといっていい。

 黒板を用い、そこに向かって生徒、児童が学習をするというスタイルは、100年経っても、いまだに変わらないスタイルだといえよう。

 だが、100年ぶりともいえる改革が、いま訪れようとしている。それは、まさにITによる革命ともいえるものだ。

 今回のセミナーでは、アップルコンピュータの協力ということもあって、実際のデモンストレーションは、Macを利用したものとなった。国内の公立小中学校では、Windows環境での導入が先行しているが、デモでは、iPhoto、Garageband、iMovie、iTunesといったMacならではのアプリケーションを活用。撮影した画像を編集して、地域を紹介するコンテンツを制作。これをiPodにダウンロードして、自宅に持ち帰ることもできるという様子を見せた。また、東京の会場と北海道の夕張をブロードバンドで接続。制作したコンテンツをお互いに見せ合うということも行なった。

 「このデモは、実際に、小学校の総合的な学習の時間に、地域学習を通じて、情報を活用する能力を育成するためのカリキュラムとして行なったもの。学習に対する児童の関心が高まったという効果が出ている」と、デモを担当した玉川大学学術研究所専任講師であり、上越教育大学客員研究員の清水英典氏は語る。

Macを利用した教育現場のデモンストレーションの様子 東京、北海道を結んで動画のやりとりも行なった 玉川大学学術研究所専任講師の清水英典氏

 アップルでも、ITを活用した具体的な教育成果を示す。

 米国での事例であるが、米メイン州の公立中、高校276校を対象に、41,000台のMacを導入したところ、欠席数、遅刻数、罰則数が劇的に減少するという結果が表れた。また、米カリフォルニア州の6年生から8年生までを対象に、実施したMac導入プログラムでは、1,085人のうち259人に1人1台のMacを導入。7年生では、プログラム不参加者が平均71点の成績であったのに対して、プログラム参加者は平均88点になるなど、すべての学年において、成績に差が出たという。

 「カリフォルニア州の例では、参加者と不参加者との間に、明らかな学習効果の差が出ている。一方、メイン州の例では、学習参加意欲を呼び起こすことにも成功したといえる」と、アップルコンピュータ法人営業本部 永坂良太部長は分析する。

米カリフォルニア州の6年生から8年生までを対象に実施したMac導入プログラムの結果 米メイン州の公立中、高校276校を対象に実施した結果 アップルコンピュータ法人営業本部 永坂良太部長

 Appleでは、Macの導入によって、高い教育効果がもたらされた背景として、ここ数年の子供たちの生活意識の変化、そして、教育現場に求められる要素の変化があると指摘する。

 子供たちの意識の変化として、永坂部長が示すのが、「Digital immigrants(デジタル移住民)」と、「Digital natives(デジタル母国民)」との違いである。

 永坂氏は、'80年代以前に生まれた人たちをDigital immigrantsと称し、これを、アナログ時代で生活をしてきた経験を持ちながら、デジタル時代へと移行してきた人たちと位置付ける。一方、これに対して、'90年代以降に生まれた人たちを、Digital nativesと呼び、生まれた時からデジタル機器に囲まれ、インターネットの世界が普通に身の回りに存在していた人たちのことだと位置付ける。その点では、いまの小学生たちは、まさにDigital natives世代というわけだ。

 「Digital nativesは、オンラインで提供されるデータが常に最新のものに変化していることを理解している。また、Digital immigrantsが制限された情報ソースから時間をかけて情報を理解し、言葉によるコミュニケーションが多かったのに対して、Digital nativesは、複数の多様なメディアから効率的に情報を集め、写真や音声、動画を扱ったコミュニケーションを行なう。テクノロジーに馴染みやすい、共同作業を好むといった特徴もある」と語る。

 一方、教育現場の変化については、「Instruction(指導)」と、「Construction(創造)」という言葉で表現する。

 「これまでの教育現場は、教員が中心であり、教師が教えて、生徒は聞くあるいは学ぶというスタイル。また、学習方法も事実の記憶が中心となり、そこにおけるITの活用方法もドリル形式の演習となる。しかし、いまでは、生徒が中心となり、教師と生徒が一緒に考える、一緒に学ぶというスタイルに変化している。場合によっては、教師が生徒に教わるといった部分もある。また、学習方法は探索や発見が多くなり、ITの活用方法も伝達、共同作業、情報の探索、表現といった部分で活用されるようになっている」

 つまり、子供たちの意識の変化が、教育現場を変化させ、それが、100年以上続いた教室の形を変えようとしているともいえるのだ。そして、この変化を支援するのがITあるいはICTということになる。

●IT整備が遅れている日本の教育現場

 では、日本の教育現場のIT導入状況はどうなっているのだろうか。

国立大学法人富山大学人間発達科学部長の山西潤一教授

 Class of Tomorrow 2007の基調講演に登壇した国立大学法人 富山大学人間発達科学部長の山西潤一教授は、2005年度を最終年度に実施されてきたe-Japan戦略と、2006年からスタートしたIT新改革戦略とを比較しながら、教育分野におけるIT整備の遅れを指摘した。

 e-Japan戦略では、2006年3月末の終了時点で、高速インターネット接続率を概ね100%、校内LAN整備率が概ね100%、コンピュータ1人あたりの児童生徒数を5.4人に1台、コンピュータを使って指導できる教員の数を概ね100%としていた。

 だが、実態は、高速インターネットの接続率は89.1%。校内LAN整備率に至っては50.6%。小学校では43.7%,中学校では48.0%、高校では75.5%と、小中学校では5割以下に留まる。また、校内LAN整備率を地域別に見ると、岐阜県89.6%、長野県83.7%、富山県83.5%と8割を越える地域がある一方、東京都20.5%、奈良県24.5%、青森県30.0%と低い地域との格差が明確だ。

 さらに、コンピュータ1人あたりの児童生徒数は7.7人に1台、コンピュータを使って指導できる教員の数は、76.8%となっている。

 コンピュータで指導できる教員は、岩手県97.7%、茨城県96.5%、沖縄県95.1%となったほか、岐阜県、新潟県、徳島県で9割以上に達する一方、東京都では65.1%、和歌山県65.6%、北海道67.0%のほか、青森県、高知県が7割未満となっている。

 しかも、「授業に使用できる」という指標が曖昧だとの指摘もあり、2月19日には、文部科学省が、PCを活用した指導力を教員自らが推し量ることができるチェックリストを公表。18項目でのチェックのほか、300以上の具体的な指導例もあげている。今後の調査には、これが利用されることから、場合によっては、指導できる教員の比率が来年度以降は減少することになるとの見方も出ているのだ。

 いずれにしろ、教育現場に関しては、e-Japan戦略で掲げられた多くの目標を達成できていないのが実態なのだ。

 政府では、2010年度を最終年度とするIT新改革戦略で、改めて、光ファイバーによる超高速インターネット整備率を概ね100%、校内LAN整備率を概ね100%とするほか、教育用コンピュータ1台あたりの児童生徒数を3.6人に1台、コンピュータを使って指導できる教員の割合を概ね100%とする目標を掲げた。

 また、小中高等学校において情報システム担当外部専門家(学校CIO)の設置を推進し、2008年度までに各学校においてIT環境整備計画を作成。「校内LANや普通教室のコンピュータなどのIT環境整備について早急に計画を作成し、実施するとともに、光ファイバーによる超高速インターネット接続などを実現する」としている。

 さらに、これまでのコンピュータ教室42台、普通教室各2台、特別教室6台という整備計画に加えて、ノートPCの導入などを視野に入れた可動式のクラス用コンピュータ40台の整備計画を加え、同時に、教員用コンピュータの整備率を教員1人1台とする計画を掲げた。

 「調査によると、2006年3月時点での教員へのPC配備は33.4%。約90万人の公立学校教員のうち、53%にあたる約50万人が個人所有のコンピュータを学校で使用しているという。個人情報保護の問題、情報セキュリティの確保という観点からも問題がある」と、山西教授は指摘する。

 企業が1人1台の環境が整っていることに比べると、教員のPC整備はあまりにも遅れていると言わざるを得ない。

●教育分野におけるIT導入による3つの目的

 山西教授は、「教育の情報化による目標は、従来の教科学習における授業改善、新しい資質の育成、校務の情報化の3点ある」と語る。

 従来の教科学習における授業改善という点では、先に触れたように、ITを活用することでの教育効果がすでに実証済みだ。山西教授も、英国での調査結果を示しながら、「ICTを活用することで、活用しない場合に比べて、15~20%程度の効果が出ていることが実証されている。むしろ、英国では、ICTの活用で学力が上がるのか、下がるのかという議論は終わっている。ICTの環境を活用して、さらに学習効果をあげるためにはどうするのかという視点に移行している」とも指摘する。

 一方、日本においては、「大きな画面に映し出されることでも理解度は高まる。漢字の筆順を学習するのに、漢字アニメーションで大画面に表示するといった使い方もできる。一方、廊下にPCを設置して、休み時間に児童が自由に触れるようにして、授業後に児童が自発的に学習しているという例もある」と語る。

 山西教授は、こうした事例を引き合いに出しながら、授業モデルの蓄積と共有、発達段階にあわせた能力形成プログラムの開発が必要とする。「とくに、タッチタイピング習熟については、ある学年までに一定のスキルを習熟するといったことも必要になるだろう」とした。

 また、教育現場によるIT効果やITスキルの習熟には、ITの整備状況だけに留まらず、教員および校長のスキルによっても差が出ると山西教授は指摘する。「生徒のICTスキルは環境と教員のスキルに依存し、管理職の能力と生徒の成績にも関連性がある」。教員のスキルを一定水準にしておくことも、教育レベルの地域格差を作らないことにもつながるといえそうだ。

 一方、「新しい資質の育成」では、情報活用実践力、情報の科学的理解、情報社会に参画する態度の3つがポイントであるとし、インターネットが社会インフラとして活用されるなかでのモラルを持つことも必要だとされている。

 IT新改革戦略の中でも、「IT社会で適正に行動するための基となる考え方と態度を育成するため、情報モラル教育を積極的に推進するとともに、小学校段階から情報モラルの教育のあり方を見直す」ことが盛り込まれている。

 情報はどうやって、我々のまわりを行き来しているのか、そして、ITによってどんな利便性が生まれているのかという仕組みを理解することも、いまの教育には必要とされているのだ。

 そして、「校務の情報化」では、校務処理の改善とともに、教員にゆとりをもたらすことが可能になるとした。

 「情報化することで、校務がどう変わるか、どのような情報が流れ、どのように管理され、どこまで責任を持つのか。情報の共有化や共同作業の利便性を考えるといったように、校務処理に対する改善意識を持つことが必要だろう」と、山西教授は提言する。

●整備とともに教員意識の改革も

 教育現場においては、遅れているIT環境の整備を加速させるとともに、教員の意識改革や、教育方法の改革が必要とされている。

 哲学者であり、教育学者でもあるジョン・デューイ氏は、「過去と同じように教えることは、子供たちの未来を奪っていることと同じである」という。

 IT社会の到来は、教育効果へのプラス要素だけでなく、情報社会に対応したモラル育成、教員の業務の改革が必要だといえ、まさに、100年に一度の教育現場の改革が始まっているともいえよう。

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【2006年12月1日】【山田】Microsoftが考える未来の学校
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【2006年10月27日】【山田】なまら重くね!?
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/1027/config130.htm
【2006年9月25日】【後藤】コンピュータは人間を進化させるか
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0925/high43.htm

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(2007年3月12日)

[Text by 大河原克行]


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