山田祥平のRe:config.sys

Microsoftが考える未来の学校




 卒業して数十年もたつというのに、中学校、高校時代のことで、鮮烈に覚えていることは少なくない。きっと、もっとも感受性が豊かだった年代だからなのだろう。その時代をどう過ごしたかは、きっと、その後の人生に大きな影響を与えるに違いない。

●らしからぬ未来

 米国では新学期が始まったこの9月、Microsoftと米ペンシルバニア州フィラデルフィア市がパートナーシップを組んだプロジェクトによる、“School of the Future(未来の学校)”が開校した。プロジェクトのキックオフは2003年の9月だから、その準備に丸4年かけたことになる。だが、いわゆるICT(情報コミュニケーション技術)のアーキテクチャに関してのプランニングが始まったのは2005年の2月で、準備期間の多くはICT以外の要素について費やされてきたわけだ。

 フィラデルフィア市西部に新設されたこの学校は、最終的には750名の生徒が就学することになるハイスクールだ。今年は初年度なので、現在は約170名の1年生が、この学校で学んでいる。ここにファクトシートがあるが、男女比は46:54で、白人は1.1%しかいない。85%は低所得者層の子弟だという。プライバシー重視で、子供たちを含む授業風景の撮影は許されなかった点はご容赦願いたい。

 施設と授業風景を見せてもらったが、拍子抜けするほど普通だったのが、かえって印象的に残っている。未来の学校というからには、ICTが絢爛に駆使された器を想像してしまうが、この学校は決してそうではなかった。

 確かに、廊下に並ぶロッカーにはカギがなく、生徒はめいめいが持つICカードで、ロッカーを解錠する。このICカードはカフェテリアでのランチの精算にも使われる。カフェテリアにはテーブル席のほかに、いわゆるカウンターがあるのだが、ちょっと違うとしたら各席に電源コンセントが装備されていることくらいだ。

 教室の机や椅子にも特徴はない。多少、壁のコンセントは多いような気がするが、クラス全員の分があるわけでもない。これは、将来的に、バッテリでPCを丸一日くらい運用できるようになっているはずという判断なのだろうか。机が床に固定され、各席にコンセントが用意されているくらいの設備を想像していたのだが、机や椅子は教室内で自在に動かせるようにはなっている。これまた肩すかしだ。

 各教室にはプロジェクターが完備され、生徒や先生がノートPCをつないで、授業や発表ができるようになっている。プロジェクターを使っている教室は、灯りを消しているために薄暗く、子供たちの目の健康がちょっと心配になった。

 授業では、教科書やノートは使わないのだそうだ。いわゆる図書室に相当するものもあるのだが、紙の蔵書はほとんどない。校内では無線LANが利用でき、生徒は自分のPCで自由にインターネットを使える。試してみたが、無線LANはセキュリティでは守られていなかった。ただ、おそらくは、MACアドレスが登録されたPCだけが接続できるようになっているのだろう、持参のPCでは接続することはできなかった。

 教室が並ぶフロアのつきあたりには、ヘルプデスクがあった。ちょうど小窓があいた受付カウンターのようになっていて、生徒は調子の悪くなったPCをここに持ち込み修復を依頼する。空っぽになったバッテリなども、ここで満充電のものと交換してもらうことができるようだ。

●慎重を期する教育への介入

 Microsoftにおいて、教育等の分野であるパブリックセクタ担当副社長のGerri Taeffe Elliot氏は、同社がこうした学校運営に取り組むのは、教師がテクノロジーの変化に付いていけないことをフォローアップすることがカンパニーミッションであるからだという。

 Microsoftは世界中の各地域に拠点があり、それぞれの国同士でのコミュニケーションを支援することができる。自国以外の国にまなざしを向けることで、子供たちの学習の仕方が変わるのではないかと同社は期待を寄せる。

 教育は、片方向で成り立つものではない。教えることと学ぶことには相関関係があり、常に、双方向性が必要だ。そして、すべての人が教師になれるし、すべての人が生徒になれる。その行為をICTが助けるというのが、今のMicrosoftの考え方だ。これもまた、びっくりするほど真っ当な考え方で、その通りだと思う。Microsoftが絡んだ未来の学校というイメージは、いい意味で、期待を裏切るのだ。

 とはいえ、冒頭に書いたようにもっとも感受性の豊かな時期を、こうした新しい試みに捧げるのだから、生徒側にも明らかなリスクはある。リスクは承知の上でイノベーションを教育の現場に持ち込むというのでは、そのストラテジーが受け入れられることはないだろう。リスクを最小限に抑えようという姿勢は、いたるところで感じることができるが、前例がないだけに、どうなるのかわからない。

●日本からも2名が参加

 未来の学校の見学は、11月9~11日にかけてフィラデルフィア市で開催されていたMicrosoft主催のイベント「Microsoft Worldwide Innovative Teachers Forum 」のアクティビティとして実施されたものだった。このイベントは世界各国から教師が参加し、日頃の活動を報告するものだが、日本からは兵庫県立教育研修所情報教育研修課IT教育推進研修員の納谷淑恵氏と宮城県立ろう学校教諭の中村好則氏が参加した。

 今回は、このお二人にも話を聞くことができた。

 まず、中村氏はろう学校の問題解決のためにICTを活用しようと試みている。子供の人数が少なくなってきて、一斉授業が成り立たなくなりつつあり、子供同士のディスカッションができにくくなっているのを受け、ビデオ会議や電子メールでそれを解決しようというのだ。中村氏は数学と情報教育の教員免許を持ち、その両方を担当している。

中村「コンピュータはものごとの視覚化に役立ちます。言葉で説明しにくい事象について、事象と言葉を一致させながら概念を伝えることができます。私の子供たちは、障害のせいで通常の子供とは生活経験が異なります。だから、より説明を強調する必要があるんですね。

 たとえば、確率の学習で、結果を予想しあわせています。1つの学校内に閉じていると、議論にならないんです。すぐに結果がわかってしまうんですよ。つまり、成績のいい子、そうでない子、リーダー的な子、従う子と、クラスの中で1人1人の役割がすでに決まっているからです。そうなると、話し合いになりません。でも、ICTによって、互いに知らない子供たちを相手にすることができ、ディスカッションがうまくいくことがわかりました。

 コミュニケーションは電子メールだけですませようと思っていましたが、ビデオ会議も取り込んでみました。おもしろく感じてもらえたことはもらえたのですが、手話で自由にやりとりをさせたいのに、回線の帯域が狭すぎて、手話を伝えることができるだけのフレームレートが得られなかったのには参りました」

 一方、納谷氏は宝塚市にある定時制、しかも分校というかなり特異な学校で、総合的な学習の時間でコンピュータを使った試みを報告した。この学校では、基本的にはコンピュータを情報の時間だけに使うのだが、阪神大震災10周年で、何かできないかと考え、子供たちに、インターネットを使って震災の経験を世界に発信してもらうことにしたのだそうだ。

納谷「子供たちは、実際の被災者です。被災が自分の中でどのような意味があったのかを考えることは、今後災害が起こったときに、なんらかの教訓になるんじゃないかと思ったのです。でも、心配したのは、当時の経験がトラウマになっている子供がいるんじゃないかということです。そこで、授業の中で子供に相談しました。生徒がノーといったらやらないつもりでした。でも、大丈夫といってくれたんです。

 当時を全然覚えていないという子供が多かったのにはちょっと驚きました。でも、記憶が連鎖的にたぐりだされるんですね。実は何も覚えていないといっていた子供は、当時、家が倒壊して1年間学校で暮らしていたんです。

 内容はシンプルな英語です。定時制高校生に限りませんが、みんな英語がきらいです。英語を学ぶ必然性がわからないんですね。でも、その動機をインターネットが作ってくれました。つまり、みんな腑に落ちてくれたんです。英語で書けば、それが伝わり、反応となってすぐに戻ってきますから。そのことを言葉で説明しないで、体験させることができました。

 この経験は、何かの技術を身につけるということよりもずっと、その子の生きていく力になっていくんじゃないでしょうか。つまり、ICTで、今までできなかったことが、できるようになったわけですね。それによって、子供たちの人生観が変わり、自分の可能性が見えてくるということです」

 結果、納谷氏がコミュニティ部門の2位を受賞した。

●未来の学校は、教育の現場が抱える問題点を解決するのか

 中村、納谷両氏は、未来の学校の見学にも参加している。そのコメントとともに、現時点での日本の教育現場の問題点についても話をうかがった。

中村「未来の学校では、子供たちは内職もせずに、授業内容だけに興味を示していたのが印象的でした。ただ、テキストもノートもなくPCだけというのはどうなのかなとは思いましたね。ライブラリにも本はなかったですからね。本には本のよさがあるんじゃないでしょうか。両方のよさを生かすことは考えられないのかと感じました。そのあたりのことが、将来どう子供たちに影響を与えていくのか気になるところです」

納谷「学習環境としてはすばらしいと思います。無線LANのおかげで、校庭のすみっこで調べたこともすぐに伝わります。子供がちゃんと勉強しているのにびっくりしましたね。中村先生がおっしゃるように、いつでも内職ができるのに、そうしないんです。でも、子供の目が悪くならないかどうかは心配です。あとは本が少ないことに懸念を感じますね。新しい学校だから仕方がないとは思うのですが、本を開いてみるというのは大事なことじゃないでしょうか。バランスが大事なんですよ。あの子たちが卒業する3年後にもういちど来てみたいです。でも、可能性は感じられました。きっといい学校になるだろうなと思います。

 今、日本の教育現場では、教科書を使わなければならないというしばりがあるんです。英語の授業でICTを使いたいと思っても、教科書を使って教えなければならなかったりするわけです。本当は、普通の授業で使いたいですよね。でも、普通の教室にはプロジェクタがありません。かといって、いちいちセッティングと片付けをしていたら、休み時間10分ではとても足りないんです。

 何よりも、教師がいろいろ考える時間を確保できないのが問題ですね。クラブ活動でも担当したら、本当にたいへんです。結局、教師のゆとりがなくなってきているんじゃないでしょうか。時間さえあればいろいろできるはずなんです。

 マスコミ的には、何かがあると、すぐに教師が悪いことになってしまうじゃないですか。すべての視線が学校だけに集中しているように感じます。先生が追い詰められているんですよ。このことは、みんながもっと真剣に考えなければならない点だと思います」

中村「教科書がコンピュータを使うことを前提に作られていないんですね。今の教科書だと、それをそのまま使ったほうが教える方もラクなんです。ICTを駆使して教材を作ることを知っている先生はうまく作れるんですが、そうでない先生は、そのまま教科書で教えられるし、それはそれできちんと授業が成立します。でも、教科書そのものが、ICTを活用できるようになっていれば、先生はみんなもっと積極的にコンピュータを使うようになるかもしれませんね。そうなれば、コンピュータへの敷居は低くなるはずです。コンピュータ室での授業は、普段の授業とは違います。何よりも、PCを使いたいときに、使えるようになっていなければ意味がないと思います。辞書やノートのように使える環境ができないと本当の意味でコンピュータが学習の道具になることはないんじゃないでしょうか。

 いずれにしても、教育の現場の管理職がコンピュータを使わないと、本当に教育へのICT導入はストップしてしまうと心配しています」

納谷「あまり小さいときからコンピュータをやってしまうと漢字が書けなくなるという弊害もありますね。漢字くらい書けないとあとあと困りますから。でも、コンピュータがあるからだめということではなく、やはり使い方が大事なんですね。コンピュータの利点はたくさんありますよね。なんでもかんでもコンピュータというのではなく、コンピュータでなければならないところに積極的にコンピュータを使うべきでしょう。足し算割り算までやらせる必要はないと思います」

中村「そうですね。目的にあわせてコンピュータを使うことが大事です。使わない活動とのうまい連携が必要です。両方あってはじめて効果がわかります。目的をしっかり持ってやることが重要だと思います」

 未来の学校で3年間を過ごした生徒たちが、どのような将来を迎えるのか、その3年間が彼らの人生にとって、どのような意味を持つことになるのか、それこそ、終わってみなければわからない。だからこそ、Microsoftは慎重に慎重を重ねて全体のフレームワークを考えなければならないのだろう。生徒たちの一生を左右するかもしれない環境なのだ。実験ではすまされない。これは、当たり前のことだと思う。

バックナンバー

(2006年12月1日)

[Reported by 山田祥平]


【PC Watchホームページ】


PC Watch編集部 pc-watch-info@impress.co.jp ご質問に対して、個別にご回答はいたしません

Copyright (c) 2006 Impress Watch Corporation, an Impress Group company. All rights reserved.