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映画館で初めて光になるかつてそこにあった光の痕跡




 LPレコードがアッという間にCDに置き換わってしまったのは、アナログがデジタルになることで得られるメリットがとてもわかりやすかったからだ。何度聴いてもすり減らないし、コンパクトで場所をとらないなど、買う側のメリットも多い。音楽愛好家たちが困っていたことが、CDによって解消されるのだから、それを拒む理由はない。もちろん、デジタル化によって失われるものもあったし、それを叫ぶ議論もあったわけだが、結局大衆は、デジタルを選んだ。

 その一方で、映画はどうか。ソロリソロリとデジタル化が進む映画コンテンツだが、デジタルに対応した映画を見ることができる劇場は驚くほど少ない。このデジタル全盛の時代にあって、アナログがもっとも元気な世界の1つだともいえそうだ。

●映画が上映されるまで

 今、ぼくらが映画館で日常的に見ている映画は、第3世代のプリントだ。といってもテクノロジの話ではない。子、孫を経た曾孫世代の映像を見ているという意味だ。映画の多くはネガフィルムを使って撮影されてきたが、それを現像したものをオリジナルとすると、色補正などを経て作られるインターポジとしてのプリントが第1世代のコピーとなる。実質的なオリジナルは、この世代のプリントだ。

 そのプリントを使って上映できればいいが、そういうわけにはいかない。上映の繰り返しによって、フィルムは劣化するので、後世にオリジナルに近い映像を遺すことができなくなってしまうからだ。そんなわけで、この世代のプリントが実際に上映のために使われることはまずない。

 この世代フィルムは、いったんインターネガと呼ばれる第2世代のコピーが作られる。そして、そのネガから、第3世代のプリントが大量に作られ、それを使って各劇場の上映が行なわれるのだ。

 日本で上映される洋画の場合、ほとんどの場合、第2世代のインターネガが日本に届く。日本での上映には字幕が必要なので、届いたインターネガとは別に字幕だけを焼き付けたネガが作られる。この2つのネガを重ね合わせて、最終的なプリントが作られるわけだ。ストレートにインターネガからプリントを作るのに比べ、厳密にいうとベールが一枚かぶさっているともいえる。

 さらに、劇場で上映されるフィルムには、音声トラックが付加されている。現状では、デジタルデータとアナログデータの2種類のトラックが光学的に記録されている。通常の再生にはデジタルデータが使われ、上映中にデジタルデータの読み取りに異常が検出された場合は、アナログデータが使われるようになっている。もちろん、デジタルデータをデコードする設備のない劇場では、最初からアナログデータが再生用に使われる。

 映画館情報のサイトなどで映画のサウンドトラック情報を見ると、SRDと書かれていることが多い。これは、ほぼDolby Stereo Digitalのことと考えてよい。

 ちなみに、Dolby Stereo Digitalは、5.1chの音声情報を、合計320Kbpsの帯域を分け合って記録する。これは規格の上限というわけではなく、ドルビー研究所が劇場に提供しているデコーダが320Kbpsまでの対応という理由によるものらしい。

 さらにちなめば、DVD Videoの音声トラックは、384~448Kbps程度なので、もし、オリジナルのサウンドが音質を重視して作られていた場合、DVDの方が音がいいということもありえるらしい。だが、同じ設備で同じコンテンツのフィルム上映とDVD上映を比較することはまずない。たとえ、劇場用フィルムに記録された音質がDVDに劣ったとしても、家庭のリビングルームのような空間と、劇場の空間では、別の次元の環境が音に影響を与えそうだ。

●映画の世界もデジタル化が進む

 冒頭で、映画について、このデジタル全盛の時代にあって、アナログがもっとも元気な世界の1つだと書いた。テレビ放送だってアナログなのだが、すでにデジタル放送は始まっているし、ほんとうにできるかどうかは別としてアナログ地上波の停波時期も決まっている。もちろん、映画も今のままのはずがない。映画を制作する側でも、デジタル化の兆しが活発になりつつもある。

 最初からデジタルデータとして制作されるアニメーションはもちろん、フィルムで撮影された映画も、24コマ/秒の1コマ1コマがスキャンされ、デジタルデータにしてからポスプロダクションの作業が行なわれたり、あるいは、最初からデジタルカメラで撮影されるものもある。一般的には2K、すなわち、200万画素程度のカメラが使われているが、一部の映画は、4K、つまり800万画素カメラで撮影されるものもある。

 最初からデジタルで撮影すれば、そのあとの編集や、それに伴うコピーで劣化が起こることはない。だから、デジタルデータで配給を受けた映画館が、それをダイレクトに上映することができれば、観客は、撮影したオリジナルのデータと同じはずの画質を、映画館で楽しむことができる。そこには、第n世代のコピーというような概念は存在しない。

 Warner Bros. Entertainment Inc.(WBEI)、ワーナー エンターテイメント ジャパン株式会社(WEJ)、日本電信電話株式会社(NTT)、西日本電信電話株式会社(NTT西日本)、東宝株式会社(東宝)の5社が取り組んできたネットワーク配信デジタルシネマ4K Pure Cinemaの共同トライアルは、映画のデジタル化が、映画興行にどのような影響を与えるかを実験するためのものだ。2005年の10月に始まり、これまでに、ティム・バートンのコープス ブライド」、「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」がデジタル上映され、今年になってからは、「Vフォー・ヴェンデッタ」が上映された。

 さらに、今年になって、Sony Pictures Entertainment Inc.(SPE)、株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント(SPEJ)、株式会社ワーナー・マイカル、東日本電信電話株式会社(NTT東日本)の4社ががトライアルに参加、最新作の「ダ・ヴィンチ・コード」、「ポセイドン」が、東京・六本木のTOHOシネマズ六本木ヒルズ、大阪・高槻のTOHOシネマズ高槻、東京・板橋のワーナー・マイカル・シネマズ板橋と大阪・高槻のTOHOシネマズ高槻の3館で、現在上映中だ。それまでの作品が2Kデータを4Kにアップコンバートしたものであったのに対して、「ポセイドン」は、最初から4Kで作られている最初の作品になる。

●上映のデジタル化で多くのメリットが得られるものの

 撮影編集を経て完成したオリジナルのデジタル映画のデータは、1Gbpsの専用回線を通じてハリウッドから日本に送られてくる。データは2時間程度の映画で約300GBだという。それを2時間強かけて転送するという。リアルタイムにはちょっと届かないスピードだ。映像の圧縮はJPEG2000、音声は非圧縮だ。もちろん、ファイルは暗号化されている。

 ちなみに、今上映中のダビンチコードは、回線の確保が間に合わず、データは空輸されたものが使われているそうだ。日本に届いたデータにはNTTの研究所で字幕データがインサートされ、上映する映画館までは、やはり専用回線を使って転送され、ストレージに蓄積される。このデータは暗号鍵がなければ再生はできない。これもまた、NTT西日本が生成したものが専用線を使って各上映館まで配信され、リアルタイムで暗号をほどきながら再生する。ファイルは約1分が1ファイルになって映画を細分化しているが、20分置きにチェンジしなければならないフィルムのロールと違い、ファイルとファイルの継ぎ目でスクリーンの右上にロールチェンジのマークが入るようなことはありえない。

 今のところ、実験段階でもあり、上映される劇場は限られている。しかも、プロジェクターの能力が、フィルム上映のものよりも光量の点で劣るため、各劇場のもっとも大きなスクリーンでの上映はできない。トライアルの参加メンバーである東宝によれば、昨年の上映では、機材の不調により、途中で映写が止まり、フィルム上映に変更したこともあったという。今の状況がまだ10年以上続くことはありえず、最初に参画していることのアドバンテージの方が大きいと東宝ではコメントしている。

 そしてぼくらは、制作者が見て編集したものと同じ世代の映像を、この目で楽しめる。

 映画コンテンツのデジタル化によって、最終鑑賞者が見ることになる映像の画質向上が得られ、さらに、配給に伴うプリント費用、それに要する時間などが軽減される。その一方で、ダビンチコードを配給するソニーピクチャーズエンタテイメントでは、大作や話題作がデジタル制作される傾向にあるが、それらは全世界同時上映、全国一斉公開になる可能性が高く、プリント時間などが省略されるメリットは得られないかもしれないという。デジタル版のみを先行して上映することも考えにくいという。

 もちろん、日本の多くの劇場は、まだ、デジタル映画を投影できるプロジェクターを導入していない。現システムでのデジタル上映を実現するには、回線維持費などの経費もかかる。シネマコンプレックスから地方の映画館にいたるまで、すべてにデジタル設備が整うには、まだ相当の時間がかかるだろう。

 共同トライアルは、主に技術のフェイズから、複数のスタジオから複数の劇場へのワークフロー確認、回線や上映設備の負荷検証、デジタルシネマの微妙な規格準拠の互換性検証、運営体制の確認といったフェイズに入っているそうだが、映画コンテンツに4Kはオーバースペックだといった議論と戦いながらも、ホームシアターとの差別化をはかりつつ、順次普及していくのだろう。

 デジタルシネマの普及によって、ぼくらが得られるメリットは、ストレートには伝わりにくい。同じ映画を2回見るのではないから、比較もしにくい。いくらデジタル上映では映像品位が高く、字幕もクッキリ、映像も揺れず、音もよくて……などといっても、一般の映画ファンには実感しにくい。興業側も、デジタル上映のみという割り切り方ができれば、節約できたプリント代などを鑑賞料金の値下げといった形で消費者に還元できるのだろうが、今はまだ、そうもいかないにちがいない。

 けれども、この世界も、いつかは、ドップリとデジタルの世界に浸るのだ。フィルムに写し込まれた光の痕跡とは異なり、デジタルデータには実体がない。映写されたそのものが最終形だとすれば、その場限りで消えてしまう。デジタルってはかない……と、ふと思ったりもするのである。

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(2006年6月9日)

[Reported by 山田祥平]


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